写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

読書三昧

2020年04月10日 | 随想

4月10日と言えば、上皇上皇后両陛下の『御成婚パレード』のあった日である。

元・村長の家にしかなかったテレビというものの前に近隣住民が揃って、きちんと正座しながら画面を見つめていた記憶がある。トシくったんだなぁ。

 

で、不精というか、ものぐさでしかなかったのだが、長くアップをサボっていると体調がすぐれないのではないかと案じてくれる人たちがいる。ありがたいことだ。

さて、一点突破(2018年4月15日)で採り上げていた宮崎哲弥の「ごまかさない仏教」(佐々木 との対談、という形で進められている)や、「仏教教理問答」(5人の僧侶との連続対話形式)という仏教関連の書籍だが、読みこなすにはとても手に負えなくて、もう購入してからかなりの月日が(というか、年月が)経ってしまっているにもかかわらず、まだ半分ほどしか読み進んでいない。肝心の内容となると、割程度の理解でしかないのではなかろうか。

 

割ほど理解出来ている、というようなところは僭越にも程があるというか慢心でしかないのかもしれないが、まぁ要するに、書いてある内容の8割は読んでいてもほとんど理解出来ずに読み進めている、ということでしかない。

こういう理解しないままにページをめくっていくという読み方をしているから、読んでいってもさっぱりわからぬ、ということになるのだろう。反省しきり。

と言った舌の根も乾かぬうちに、気がついてみたら「仏教論争「縁起」から本質を問う」という本も買っていた。(息抜きのつもりで仏教のタブーを扱ってるのも買ってみた・・・・)

 

ちくま新書は活字が小さく読みづらいので購入してからも敬遠してきたフシがある(新潮社や講談社などが採用しているフォントは比較的読みやすい・・・)のだが、ここは思い切って拡大鏡に手伝ってもらってでも読破してみよう、という気分になったワケである。

以前、書店で見つけた2冊の「仏教入門」の本(あなたの知らない「仏教」入門お坊さんのための「仏教入門」)、お寺関係者でも何でもないのだが、内容がすごくわかりやすかったのだが、これが今回の動機の1つに誘因となっている。

 

 

ごまかさない仏教」についてだが、対談相手となっている佐々木 氏の著作では、犀の角(さいのつの)(2014年7月19日)のところで採り上げていた「科学するブツダ 犀の角たち」という本に刺激されて他のシリーズも読んでみたところ、それからのいくつかの書に展開される論調には、捉え方に少し違和感をか感じていたりして、その後あまり彼の著書は読んでこなかった経緯があり、その後、神谷美恵子の「生きがいについて」をコメントした後に、NHK100分de名著から詳しい解説本も出ていたことを知ってからは、それも縁となって別冊NHK100分de名著「集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した」を精読した好印象が背中を押す形となっていたように思われる。

 

振り返ってみると、釈迦と世尊(2013年6月20日)のところで「漢字による訳を通さず(つまり中国という風土に染まることなく)直接、現代語に訳された仏教の原典というものなら、是非、読んでみたい」などと生意気な口調で無知をさらけ出す結果となった文章が今でも足を引っ張っているような気がする。

ここらへんを上記「大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した」が、懇切丁寧に間違いというか誤解を解いてくれ、きちんとした認識を諭してくれたように思えるのである。

いくつになっても無知な生意気根性は無くなっていないようで、ここらへんも反省しきり(まぁ直らないだろぅけど)。

 

若い頃から読み続いてきたブルーバックスのシリーズは、一時期、蔵書が数百冊にも及び、捨てるつもりでとある施設に寄付したことがあるが、最近、本当に百数十冊が捨てられたようだ。まぁ、めっちゃ線が引いてあったりして、見るに堪えなかったのだろうとは推察される。

最近は、ブルーバックスよりも、科学雑誌Newton(ニュートン)のシリーズとか、超図解 最強に面白い!!のシリーズとかの購入が多くなってきている。

ぅん、ちょと数学とかに目覚めたのかもしれない。

 

最近、NHKラジオのカルチャーラジオシリーズのストリーミング放送の録音方法も習得した。普通ならば、ストリーミングは録画・録音ができないのだが、まぁそこは、ほれ、いろんなフリーソフトとか出てまして、やる気とテクニックですょ。こういうのをやってみて、できたときの嬉しさ、達成感、満足感・・・・まだ枯れてはいないと思うぞ。