DIAMOND online (The Wall Street Journal)
2024年8月30日
中国人の出版業者チャン・シージーさんはカートを引いて東京・神保町を歩き回る
NORIKO HAYASHI FOR THE WALL STREET JOURNAL
【東京】チャン・シージーさん(47)はかつて中国大手出版社の経営幹部として年間数百万ドル相当の書籍販売を監督し、北京で開かれる宴会で契約を取り交わしていた。最近はショッピングカートを引いて東京の本屋街、神保町付近を歩き回り、自費出版業者として手がける3作品を置いてほしいと本屋に頼み込んでいる。
北京で彼が扱った書籍は月に何万部も売れることがあった。日本で売れたのは1月以降で合計2000部にも満たない。
チャンさんは、新型コロナウイルスの流行以降、総じて衰えずに続いている中国の広範な頭脳流出の一例だ。習近平国家主席の下で政治的統制が急速に強まる中、それを逃れるために同国を去る知識人や起業家が後を絶たない。
母国では自分の望む生き方ができないと悟り、国外に居場所を求める中国人の思想家や芸術家、文化人たちの波に加わり、チャンさんも中国を離れて規模を縮小した自身のキャリアをスタートさせた。
チャンさんはこの「シフトダウン(低速ギアへの切り替え)」に満足しているという。中国を出れば、国内のし烈な競争から解放されるうえ、中国当局がもはや容認できない種類の思慮深い批評的な作品を出版できると話す。
「私は『あの幸せの国に行く』ために北京を離れた」。チャンさんは専制的体制から逃れることを語るのに、中国最古の詩集である「詩経」の一節を引用した。
活動家や反体制派は共産党と衝突して以前から外国に逃げていたが、現在出国する人々の多くは政治的な穏健派で、それほど厳格でない習氏の前任者たちの下では同国の文化や知識に貢献する生活に満足していた。だが、創造性を巡る閉塞(へいそく)感に加え、景気減速によって経済的不安が募っていることが、ここにきて頭脳流出を加速させている。
増え続ける自発的な国外逃亡者たちは、世界各地の都市に拠点を移している。中国のテレビ局の看板キャスターだった柴静(チャイ・ジン)さんは、現在住んでいるスペインのバルセロナからユーチューブで配信するインタビュー番組を最近立ち上げた。上海の有名な書店のオーナー、於淼(ユー・ミャオ)さんは、米国の首都ワシントンに新店舗を開く準備をしている。高名な映画監督の王小帥(ワン・シャオシュアイ)さんは、当局に何年も受け入れられてきたが、最近になって検閲の標的となり、英ロンドンに移住した。
チャン・シージーさんの日本移住は、新型コロナウイルス流行以降、総じて衰えずに続いている中国の頭脳流出の一例だ
PHOTO: NORIKO HAYASHI FOR THE WALL STREET JOURNAL
中国国内では政治はもちろん、経済などの話題でも穏健な意見を表明する場さえ与えられないため、国外にいる中国人の発する声が重要性を増している。「Sparks: China’s Underground Historians and Their Battle for the Future(歴史の書き換えと闘う中国新世代の歴史家たち)」の著者であるイアン・ジョンソン氏は、中国の重要な記憶を守ろうとする知識人たちの取り組みについてこう語る。
「10年前にはこれほど顕著ではなかったが、異なる見解に対する渇望がある。それはまさに代わりの説明を求める感覚が、反体制派や活動家だけのものではないからだ」
その渇きをいやす一助になればと考えるチャンさんは、今月のうだるような暑さの午後、本を携えて神保町の中国書籍専門店、東方書店に足を運んだ。中国関連の本が並ぶ棚に近づき、その下の引き出しを開けた。
「ほら見て」。彼は引き出しの中を指さした。「在庫がなくなりそうですよ」
店長はチャンさんが持参したある作品を5冊引き受けてくれた。だが、ショッピングカートで持ち込んだ他の作品は全て断られた。
「自由で民主的な社会では、本の出版は簡単だ」。チャンさんは書店を出る際、こう話した。「だが本を売るのは大変難しい」
チャンさんは2人の娘のことも心配だったと話す。学校で中国共産党の政治教育を浴びるように受けていたうえ、社会に出れば、今度は激しい出世競争にさらされることが懸念された。
一家は2021年、コロナ禍のさなかに東京に引っ越した。娘たちが適応するのは早かったが、チャンさんは足場を見つけるのに時間がかかった。中国人作家の本を日本語で出版しようとしたが失敗し(彼は日本語が話せない)、その後は卓球やバスケットボールに興じ、地元の観光スポットを探すなどして日々を過ごした。
他の国外逃亡者も同様の苦労を味わったと語っている。ワシントンで書店を開こうとしている於淼さんは、2018年に最初の書店を当局に閉鎖させられた後、中国で疎外感にさいなまれたと話す。だが米国に到着すると「疎外感が(故郷と切り離された)孤独感に変わっただけだった」。
チャンさんは時がたつにつれ、東京に移り住む中国の知識人が増えていることに気づいた。彼らの利用する書店や読書スペースが出現するようになり、中国の歴史や時事問題の講演会が開かれた。彼はそうしたイベントに定期的に顔を出し始めた。それは20年前に北京で方々に顔を出していたのと同じだった。もう一度出版業に挑戦することにした。
検閲を避けたい中国人作家の多くは、作品を国外で繁体字を使って出版するしかない。繁体字は国外移住者コミュニティーには好まれるが、中国本土の人には読むのが難しい。チャンさんは、中国本土の簡体字を使って検閲を受けない作品を出版できるチャンスを作家たちに売り込み始めた。
「中国国内で出版されるのとは違う本が欲しいと伝えた」とチャンさんは言う。「異質であればあるほど、なお良いと」
東京のオフィスで自身が出版した本を読むチャン・シージーさん
PHOTO: NORIKO HAYASHI FOR THE WALL STREET JOURNAL
中国で発禁処分を受け、現在はタイのチェンマイに住むエッセイストの野夫(イェ・フー)さんは、中国の知識人に関する著作集の新刊発行をチャンさんに許可した。中国の歴史作家、傅国涌(フー・グォヨン)さんは、発禁本を含む2作品をチャンさんが出版することに同意した。
チャンさんは日本の書籍の奥付を見て印刷所を探し、妻の助けを借りて本の表紙をデザインした。この新事業を「読道(よみみち)」と名付け、中国当局から自身の活動を隠すため、新しい下の名前に「シージー」を選んだ。
最初は売れ行きが鈍かったが、すぐに軌道に乗った。1917年に上海で創業し、東京・神保町に店を構える内山書店で、チャンさんの本はベストセラーとなっている。現店主である内山深さんはそう話し、購入者の大半は中国人旅行者だと述べた。
彼らはこのような本を中国では見つけられない、と内山さんは話す。日本で書籍を出版している中国人はあまり多くないのだという。
習氏と共産党が政府をしっかり掌握している今、東京やその他の場所にいる中国人の頭から革命は遠のいている。代わりに多くの人が望むのは、権威主義的な支配から解放された中国知識人コミュニティーを守り、育てていくことだ。
チャン・シージーさんが出版した傅国涌さんの著書「去留之間」は、共産党が1949年に中華人民共和国を建国して以降、中国の学者が直面した選択肢を考察する
PHOTO: NORIKO HAYASHI FOR THE WALL STREET JOURNAL
(The Wall Street Journal/Wenxin Fan | Photographs by Noriko Hayashi for WSJ)
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