「癌ってなに?」~癌と家族の記憶~

母が癌になりました。
癌など縁がないと思っていた日常が、全くひっかりかえりました since 2005/3/12~

運命の結果

2005-03-22 22:48:30 | 子宮全摘出
2月7日 母の体細胞分析の結果がでた。

父が医者に呼び出され、話を聞きに行った。
「なんともなければいいんだが、、。」
  
 皆 気がきじゃない

 昼がすぎ 先生と面会が終わった父から電話がきた

 父「どこにもガン細胞なかったぞ!早期発見だったんだ!」

 私「ほんとによかったね!」

 父「これから母さんと先生と3人ではなしてくるから じゃあな」

  いやー よかった。 ほんとに良かった
  リンパ節にも 子宮にもどこにも異常はみられず
  癌は転移していなかった。

 ほっとした。
 ほんとに ほっとした。
 はっていた糸が切れるように、肩の力が急に抜けた。
 結果がわかるまで、仕事中でもふと母の事を考えると
 人目も垣間見ず、しくしく泣いてしまい 周りに心配をかけていた
 
 これで そんな事もなくなる。

  あとは 抗癌剤3クールだ! がんばれ 母さん!!
 

術後の母

2005-03-22 01:05:32 | 子宮全摘出
手術が終わって 病室に母が入った。

まだまだ後処理で 看護士がばたばたしている。

父と廊下でぼーっと しているが。

目に涙がたまってきた。
 
 ふと こないだまであんなに元気だったのに何でこんなことになったのか?とか
 状態が悪化して母がしんだらどうしよう!っとか いろんなことが
 駆けめぐり、錯乱状態になった。


 15分ほどたち、看護士が面会していいという。 
 でも私は入らなかった、
 弱っている母の姿など 見たくなかった。
 父が呼んでいるが「どうせ意識ないでしょ!」などといって
 廊下にいた。

  病室から父の声がする
 父「おまえ大丈夫か?おい、、、。」
   母は麻酔から覚めていないため 返事もしない。
   気のせいじゃないと思うが 父の声も震えている。
 
   ちょっと 私も落ち着いてきたので病室にはいる。  
 血で真っ赤に染まった尿、、。 左右から出る残りのリンパ節も
 血に染まって真っ赤だ。室内に血のにおいが漂っている。
  その真ん中で 真っ青な顔で眠る母、、、。
 その光景だけで、限界です。
 私「母さん?大丈夫?」っといっても 母の意識はもどらず。
 先生がきて 体をたたきながら  
 「大丈夫ですか?」っとしつこく体をたたく
 うっすらと 母が「うーうーっん」っといった

  これは しばらく意識はもどらない。
 しかし もう21時をすんでいる。

 父と私はみていられなくなったのもあるし、
 外の大雪ぶりにびっくりして 帰宅することにした、、
  
 案の定 外は最大の大雪で 車から降りると
 膝まで雪があった。

 こんな日に 母の手術はおわった

 

手術経過説明

2005-03-22 00:53:16 | 子宮全摘出
手術が終わった、、、。

母の子宮は体内からとりだされ、同時にリンパ節も切除された。

これから3日は飲まず食わず、点滴のみである。

手術が終わり。姉に電話していると 看護士に先生から手術経過についての

お話があるので、ナースステーションに来いと言われる。

私「なんでナースステーションなの?」

父「きっと結果がよかったから ナースステーションなんだべ」

私「それでも相談室の方がいいでしょ?どう考えても!」

父「悪い結果じゃないから、皆に聞かれてもいいからだべ」

 いろいろ 話ながら ナースステーションへ
 
 目を真っ赤に充血させた先生がそこでまっていた。
 明らかに疲れ切った風貌、、、 大変だったようだ。

 先生「手術経過についてご説明いたします。
    まず目視した段階では、ガン細胞の転移は確認できませんでした。
    見た目には細胞はとてもきれいです。
    この分だと癌の1期だったとおもわれます。」

 私達「あーよかった。先生ありがとうございました。」

 先生「なにより大変だったのがですね、前回切ったところがですねー
    しつこく癒着していましたので、それを一枚一枚きれいに剥がすのが 
    かなり大変でした。
    もっともかなり時間をかけてきれいにはがしたつもりではありますが、 
    万が一、傷がついていて出血がひどいようでしたら、
    もう一度あけて縫うことになります。」
 
 私達「わかりました」

 先生「僕にまかせていただければ、そこのところはきちんとやります。
    えー それでですねー 手術時間が14時に始めましたので、
    だいたい5時間弱かかりました。出血は600CCですので
    輸血はしておりませんが、これから出血等があった場合には
    輸血を行うことになります」
 
 私達「はい わかりました」
    (これ以外言葉は出ず、、。)

 先生「それでですねー摘出したものの確認ですが
    (といって トレイの上の物をみせる)
    これが 子宮になります。
    みかけ大変きれいですねー。こっちが残っていた卵管で
    こっちがリンパ節です」

  私「子宮って こんなんなんですねー!
    へー 、、、。」
    思わず顔を近づけまじまじとみてしまった、、。
    そこにあるのは たとえるなら鳥のハツ(心臓)のような
    ピンクいろの物体、、。こぶし一個ぶんくらいだ。
    卵管はほんとに細い。凧糸3本分くらいの線である
    赤紫色をしていた、、。
    リンパ節は半透明の物体で血がういている ところどころ、、。
    それが 取ったリンパの位置をかいて小瓶にいっぱいはいっている。
    人間の体からとれた物体たち、不気味でもあり、妙に親近感もある。
    不思議なもんだ。
  
  先生「あと質問はありますか?」
 
  私 「この分だとどのくらい入院しないとだめですか?」

  先生「えーお母さんの場合、最低3回は抗癌剤投与をおこなったほうが
     いいと 思います。
     まあ この細胞を送って、万が一癌細胞が見つかった場合は
     最低6回 もしくは放射線治療になりますけど、、。」
  
  私 「それはいつ決まるんですか?」
 
  先生「結果がきてからですから 今日から1週間後くらいですね。
     それで一回目の投与はいつにしましょうか?」

  私達「また 退院当日にばたばたするのは いやなので、
     そのまま 入院して一回目の投与をしてもらえませんかね?」

  先生「わかりました。じゃあ2週間入院ということにしましょう」

   っという 話になった。

   すべては 細胞検査の結果できまる。

   転移がありませんように、ただ祈るしかない。

 
   

    

 

子宮全摘出

2005-03-20 23:36:15 | 子宮全摘出
1月31日 11時過ぎに自宅をでて麻酔前に母に会いに行く。

12時前に病院に到着、無事病室にて 母と面会

私「きたよー」っといってカーテンを開ける
そこには 乳をだして麻酔している母がいた。
看護士さん 麻酔してるなら してるっていって!
廊下からも 乳丸出しの母がみえてしまうではないか!!

って ことで 急いでカーテンをしめて、母と一言二言話しているうちに
母は手術室に連行されていった。

私「いってらっしゃーい!がんばって切腹してきてねー!!」
母「人ごとだとおもってー!!!」
っと 叫びながら ベットごとつれていかれた。

 昼がすぎ、下の売店で弁当をかって病室のテレビをみてくつろぐ、、

 それにしても 5時間かかるってことは
 12時に麻酔したので早くて13時から手術で終わって18時か、、、。
 前の人の手術がいつおわったのやら、、、。

 などと 考えていると、病棟の看護士がきて
看護士 「ご家族は何時にきますか?」っと聞く。
私   「昨日の先生の説明では、前の人の手術の関係もあるが
     早くて終わるのが18時頃なのでそれまでに来いとのことでした。」
看護士 「え?そんなにかかりませんよ!16時までにはきてください!」
私   「先生は18時っていいましたよ!」
看護士 「いえ そんなにかかりませんから16時には来てください!!」
私   「わかりました、では電話しておきます」

  ってことで すぐに父に電話して
父も「昨日先生に18時までに来いっていわれてるのに
   なんでよー まあわかった」

  という感じで 16時にきたわけだ。

 しかし 16時になっても でてくる気配はない。

 17時 全く気配がない、どんどんいらいらしてくる
     なんかあったのだろうか?

     父はたぶん看護士が適当なことをいっただけでは? 
     っと 予想していた。

    確かに ここの病院 看護士と連携がとれていない、、。
    先生の言うとおり18時集合でもよかったのでは?
    
 18時  まーったくでてきませんから!!!
     いらいらしすぎて 腹がへってきた。 
     とりあえず また売店にいって パンを買ってきて食べる。

 19時 もう我慢の限界です。
     精神的不安で 涙がでてきました。
     早く終わってくれ!!!!
 
 19時半 看護士がベットをもっていった!!
      終わったー!!! これから レントゲンで30分。
      
 20時 母がベットに乗せられて戻ってきました!!
     意識は全くありません。
     顔色も真っ青、、、。
     でてきた 姿をみて おもわず泣いてしまいました。。
     泣いてはいけないと おもいつつも 泣いてしまいました、、、
     頑張ったね 母さん


     結局この日は 病院に9時間もいた。
     もう 精神崩壊しそうだった。