僕は君を知らない。だけど君は僕を知っている。

いわゆるバックアップだとお思い下さいませな。
しかし、先は不明。

玉置神社

2005-06-23 17:23:05 | 流離道行
この神社の名前を聞いたことはおありでしょうか。

奈良県十津川村のお山の上にある神社です。

私が初めてこの神社の名前を聞いたのは、勤めていた会社の休憩室でした。

そこにパートで来ていた女性が、この十津川村の出身だったのです。

その女性に玉置神社の話を聞いて、なんだかすごく惹かれていずれ
行ってみたいなぁ~と思ったのです。

その頃、私はその会社で婦人服の販売をしていました。

そしてよく来店して頂くお客様のなかに、ある作家さんの奥様が
おられました。
来店して頂くと色々お洋服以外のお話もするようになり、私が本好きだと
知ると親近感をもって頂いた様で、ある時来店された時に私に作家である
旦那様が出したばかりの本を出版社から何冊か自宅に送って来たので
かなんさん本好きだから1册あげると言って私に渡して下さったのです。

本の題名は 『絵舟』

玉置神社の国指定重文である襖絵

この襖絵は狩野派の旅絵師の作だと伝えられているのですが、どの絵師の
作なのかは未だ謎なのです。

旦那様である作家さんがあとがきに書いておられるように
『一体誰が描いたのか?』

その好奇心を暖めつづけて書かれた物語がこの『絵舟』でした。

1人の作家に1册の本を書き上げるだけのインスピレーションを与える神社
(これは神社そのものというよりそこに所蔵されている襖絵のことなんですが)
わたしのなかでは、その襖絵が玉置神社にあるという事実が、又、不思議な
縁を感じたのです。

そして玉置神社は、行きたいなぁ~という神社から行こう!という神社に
私の中で変わったのです。


余談ですが、作家でいえば平井和正さんも、かなり玉置神社に
縁があった方のようですね。

気になる方は『平井和正』『玉置神社』の検索ワードで検索をしてみてください~

サイン

2005-06-23 16:55:20 | 平和社会社会不安
私が今までした仕事の中で某信販会社のクレジットカードもしくはローンの
受付というのがある。

その中で思いつくままに書いてみる。

クレジットカードをお持ちのお客様で、カードを紛失した盗難されたと
言ってこられるお客様がたまにいる。

その方達に、必ず聞いて書類に書かなければいけない事の1つに
クレジットカードの裏の署名欄に、きちんと自分の名前を記入して
頂いてあったかどうかというのがあった。

何故その事をわざわざ聞くのか?

クレジットカードは普通、紛失盗難され、悪用された場合に備え信販会社は
盗難保険に加入している。

私が勤務していた某信販会社の場合、裏にきちんと署名をして頂いていない
場合に盗難保険が適用されない場合がある為だ。

たまーに、書き込んだ自分の筆跡を真似されるかもしれないから不安だ
という方もいるが、悪用しようとする人物がカード表面のローマ字の名前
からそのカードの人物の名前を推測(もしくは盗難時に診察券や免許証
などから漢字の綴りが判明しやすい時等)カードの裏に悪用者本人が名前を
書き込むとカードの筆跡もレシートの受け取りサインも全く同じ筆跡になって
しまうことになる。

他社の規定はどうなのかは知らないが、お持ちのクレジットカードの裏には
自分の署名をきちんと記入しておいた方が何かあった時には、保険会社から
突っ込まれずに済むとは思う。

一度自分のクレジットカードの裏を確認して頂いて未記入の場合は…

御署名する事をオススメ致します。


一生に一度の歌

2005-06-23 16:43:36 | 映像受信機
今からかなり前になるが、あるCMがあった。

風にそよぐ草原の中で白いドレスを着た女性が、ヘンデルの
『オンブラ・マイ・フ』を歌う。

そのCMに私は釘付けになった。

楽曲・映像もちろん歌声も非常に印象的で素晴らしかったのだ。

そこで白いドレス姿で歌っていた女性が、キャスリーン・バトルだった。

1948年アメリカ、オハイオ州ポーツマス生の世界有数のリリック・ソプラノ歌手



そのCM1本で私の中で『キャスリーン・バトル』は忘れられない歌い手になった。

CMから何年か過ぎた頃、ある新聞にキャスリーン・バトルの来日
リサイタルのチケット発売の広告が載っていた。

その頃の私は親元を離れ京都で一人暮らしの学生生活を送っていた為
広告に書かれているチケット料金はかなり高く感じた。

そして色々考え始めた。

キャスリーン・バトルは世界中から公演のラブコールがくる歌い手であり
日本に来日するのも少ないはずだ。

次回にするといつ来るか分からない。

次回、来る来ないよりもその何年かの間に彼女が死ぬか私が死ぬかなんかすると
私は一生CDでしか彼女の歌を聴けなかったということになる!

とまで思い込んでしまったのだ。

ここまで思い込めばチケットの料金の問題では無くなりました。

一生に一回でも、きちんと生のキャスリーンの歌声を聴きたいかどうかの
問題になったのです。

私は電話をかけチケットを1枚注文しました。


一生に一度の歌。
聞きに行って良かったと思う。

だが不思議な事に実際にリサイタルで彼女の歌声を生で聞いたにもかかわらず
私の中ではバトルというと、あのCMを思い出すのだ。


一度インパクトを与えられた思い出というのは中々消えないものらしい。