僕は君を知らない。だけど君は僕を知っている。

いわゆるバックアップだとお思い下さいませな。
しかし、先は不明。

宝くじに当たる人

2005-06-30 23:58:11 | 招き犬

私にはKちゃんという女友達がいるのだが彼女は、いわゆるよく見える人である。

なにが見えるのか?
彼女は霊的なものがよく見える人なのだ。

彼女には、その手の逸話がたくさんあるのだが、これは彼女が小学校に
入学した頃のお話。

彼女の通っている学校で写生会があったそうだ。

Kちゃんは、自分に見えるもの全てを画用紙に描き込んだ。

そして、見回りにきた先生がKちゃんに
「Kちゃん、ここにはこんなのないでしょ。」と言って去っていったそうだ。



こんなの序の口ですが今日は違う話題でお送りします。


ある日私はKちゃんと話している時に尋ねた。

「Kちゃん~宝くじで1億円とか高額が当たる人ってどんな人?
傾向とかってあるんやろか?」と聞くと

Kちゃんが言うには
「ん~。そうやね。橋つくったりとか神社建てたりした人達かな。
でも橋の方が多いかな。」という答え。


『橋と神社…?』


つまりKちゃんが言うには、前に(前世)に自分の私財を出して、橋や神社やらを
つくり人様に喜んでもらえる事をした人に、その時にした事の分が、今かえって
きてるという事らしいのです。

それを聞いた時、私は『なるほど』と思ったのです。

因果応報とはよくいったもので結局善行も持ち越しされ、今生に、それは
その人にかえってきていたのでした。

それで思った事が、またひとつ

よく高額当選すると、またそれに付随しての苦労や災難があったり
する人がいるというのもたまに聞きます。

これは、どういうことなのかな~と考えてたんですが、その時に高額の
私財を出せるということは、そのお金を手に入れる時にまた、色々な事が
あったのかな~と

そう考えると、良い事、悪い事、両方共が結局は反映されるという事でしょうか~


私はジャンボの宝くじを、たま~にバラで10枚程購入したりするんですが
その亊を聞いてから、つい買う時に『橋と神社か~無理かも~』と思いながら
それでもまず買わねば当たるまいと自分に言い聞かせている次第でございます



知らないってオソロシイ

2005-06-29 04:07:13 | 日々色々

私の小さい頃の、あだ名は『はーちゃん』だった。


別に本名に『は』の一文字が入っていた訳では無い。

なのに何故か、幼い頃、私は自分の事を自分で『はーちゃん』と言っていた。

その為、幼稚園ぐらいまで私と一緒だった子は、いまだに私の事を
『はーちゃん』と呼んでくれる人もいたりする。



いえ、別に今回は私のあだ名ではなくて、人のあだ名の話です。


小学校の頃、同じ学年に『のりこ』という名前の女の子がいた。
彼女の、あだ名は『のりこ』を変型させた『のんこ』だった。
それで、皆は彼女の事を『のんこ』と呼んでいた。


私達の通っていた小学校は、中学になると又別の学区の小学校と統合され
ひとつの中学になって、少し学年の人数が増える田舎中学だった。


小学校を卒業して、中学に入学した時、やはり今まで全く知らなかった
別の小学校の子達との、人間関係は微妙である。


皆、出来るだけ早くお互いに仲良くなろうとして、いわゆる仲良しグループ
やら同じクラブ活動グループやらで派閥のようなものが出来始めた。


『のんこ』と私は同じクラブを選んだ。

もちろん、その他にも、たくさんの女の子達が、そのクラブに入部した。

その中に違う小学校から入学してきた、よく覚えていないが『まりこ』
というような名前の女の子がいた。


『まりこ』は『のんこ』と同じような 身長で同じような体重だった。
その為かどうかは分からないが、二人は意気投合した。


ある日『まりこ』が、同じクラブ仲間の私達の所で
「私の事これから『ま○こ』って呼んでね~」と言ってきた。


どうも『のんこ』と仲良しさんになったので、あだ名もよく似た
お揃いに近いものにしようとしたようだ。
女の子は、お揃いやら色違いというので自分達の仲良し度を確認する
所がある。

田舎の小学校を上がったばかりの、のんびりした私達は
「うん分ったよ~これから『ま○こ』って呼ぶね~

と答え、事実しばらくは、彼女の事をどこでも校内でも町中でも

『ま○こ~』と呼んでいた。


いつから彼女の事を『ま○こ』と呼ばなくなったのかというと
よくは覚えていないが4月に入学して中学の、はじめての夏休みに
突入する前ぐらいまでだったと思う。


その意味を知った『ま○こ』本人が、今度はそのあだ名で呼ばないで
くれと言ってきた。


まだまだ、幼いというか、物知らずな私達は、意味が分からず

「なんでアカンのん~?」と本人に聞いたりして、彼女を困らせたりした。


で、その意味が分った時は、よくあんな大声で人前で話していたものだと
自分達でも、可笑しいやら、恥ずかしいやら。


なにせ、駅の構内の端から大きな声で、呼んでたりもしましたからね。


いや~、知らないってオソロシイもんですね






玉置から熊野へ 後日談  

2005-06-29 03:28:26 | 流離道行
今回で、玉置から熊野編はお終いです。


長々とおつきあい頂きありがとうございました。

さて、その金縛りにあったホテルですが、後は朝食時に出てきたパンに
青カビがついていたのでホテルの方にその事を言ったぐらいでしょうか。


普通なら、もっと怒っても良かったと思うのですが、その時は、青カビが
ついてますよ。このパン。といったぐらいで

あまり、おお事にもせず支払いを済ませ(正規料金です。パンの事で文句を
言ってまけてもらうなんて事はしませんでしたよ~。)


そして那智と速玉と本宮と順番にまわり無事家に帰宅致しました。


それから何ヶ月か経った頃、知り合いの霊能者の先生に会う機会があったので
玉置は大変でした~

これこれこうでと言った所、その先生が私に
「かなんちゃん、それはね、お参りの順番を間違えているからそうなったのよ。」
と言われました。

「順番てなんですか?」と私が聞くと

「まず、本宮さんを一番先にお参りするというのが正解なのよ。
だから、最初に玉置をもってきたから行くのにそんな風になっちゃったのよ。」


順番があるなんて…

うっ知りませんでしたよ、私は


ひとつ勉強になりました。


その一年後ぐらいに又機会があってこの4社参りをさせて頂いたのですが
その時は熊野の本宮さんを一番最初にお参りコースにしました。

後は、速玉さんで翌日那智で、その後玉置というふうに組んでまわってみましたが
すご~くスムーズに日程をこなせました。


玉置神社には、その後も何度か足を運んでお参りさせて頂きましたが
玉置さんだけのお参りの時は別にそのまま行って帰ってきてもいいようです。


ただ熊野本宮も、お参りするとなると本宮さんにお参りしてから玉置さんに
向かった方がが、やはりいいようです。


もし行ってみたいなぁ~と思う方がおられましたら、ちょっとだけ心に
留めておいて下さい。


本当は玉置神社内の事、本殿の事とか玉石社の事とかを、もっと詳しく
書かないといけないなぁと思っていたのですが玉置神社の独特な雰囲気は
やはり行って感じてもらいたい気もするので、あえて色々書かない方が
いいかなと思い省かせてもらいました。


これをお読み頂いて玉置神社に興味をもたれた方がおられましたら
是非一度お参りしてみて下さい。


本当にお山の上にある空気の綺麗な神社です。



気持ちよく神社に参拝する為に。

やはり神社ですので礼節を持って、でもあまり堅苦しく考えないで
明るいというか嬉しい気持ちで参拝できるのがいいように思います。

日本全国には有名な神社は、たくさんあります。
玉置神社の名前は、知らない方は全く知らないと思います。
現に私自身が近畿に住んでいながら、玉置神社の存在を知ったのは
何年か前の事なのです。

人と人の出会いが縁なら、神社との出会いも縁だと私は思っていたりします。

もし、玉置神社にお出かけする機会がありましたら、あの山頂は本当に
行こうと思う方しか、行けない神社だとお分かり頂けると思います。



こちら玉置神社 新公式HP

こちら霊峰玉置山・玉置神社読本


※『玉置神社 新公式HP』は、まだ工事中の部分もあるので
『霊峰玉置山・玉置神社読本』の方が、今のところ読み物や写真も多くて
ザッとですが全体的に玉置神社がどういう神社か分かりやすいと思います。








玉置から熊野へ 2

2005-06-28 22:00:09 | 流離道行
玉置から熊野へ 1からお読み下さい。


私はベッドの中で
『あれ?おかしいなー。きちんと鍵をかけたハズなのに。』
と思っていると


その人物はスーッと私とHさんのベットの間を通ってきて…


あっ!


と思った時、私は両手を自分の頭の上にあげられた格好で、両手首を
その人物にギュッとつかまえられていました。


そのうえ、私の体の上に、ぐいぐいと乗っかりながら、私をベッドと横の
壁の間に空いている、小さい三角形のスペースに押し込みました。


実は、その出来事は全て自分で感じとれているのに、実際の私の身体は
ベッドの上から少しも動いていないのです。



金縛りでした。



今までにも何度か金縛りになった事はありましたが、こんなに生々しいのは
初めてでした…


この部屋で現実にあった出来事を再現してるんじゃないのかと思ったくらいです。

他に泊まり客がいて、その中の誰かがやってきたんじゃないのかと思うぐらい
のリアルさとでもいいましょうか


しかし金縛りだと気付いてからも自分では何も動けず、意識の中の私は相変わらず
三角形のスペースで上から乗っかられ、両手を頭の上で押さえ付けられて
しまっています。


その時私は必死で心の中で祝詞を唱えはじめました。


何故祝詞だったのか、多分その時のコースが神社めぐりコースだった為だと
思います。


そうしながら、とにかく自分の意識を明日参拝予定の那智の方に向けました。
すると、金縛りがようやくするするととけました。


とけた途端私はベッドの上に飛び起きて座り込んで横のベッドで寝ている
Hさんを見ました。

Hさんは普通に、すやすやと眠っていました。


そして時計を見ると4時にもなっておらず、外はまだ真っ暗。

元々私は、すご~いこわがりな人間なのですが、この時は、ちょっとでも
多く眠っておかないと明日Hさんに迷惑をかけてしまう!
という思いが強くて、すぐまた横になり眠りについたのです。


朝起きてからも、別にHさんを怖がらす必要は無いと思ったので、その時は
この話はしませんでした。






玉置から熊野へ

2005-06-28 00:31:09 | 流離道行

初めての玉置神社1~7からお読み下さい


熊野方面に向け車をとばしていきましたが、やはり本宮に着いた時は
もう日が暮れて周辺は真っ暗な状態でした。


仕方が無いので本宮は明日にまわすことにし今夜の宿泊の予約をしてある
ホテル○○○○○に向かったのです

そのホテルはイタリアンレストランとサーフショップを併設してある
オシャレな感じのホテルでした。

どこに泊まるか探していた時に、旅行会社の受付のおねーさんから勧めてもらい
私も夕食がイタリアンコースというのに惹かれHさんも気に入ったようなので
このホテルに宿泊する事に決めたのでした。


到着した時刻が遅かったせいもあり、夕食場所であるレストランには、私達の他
食事をしているグループは1組だけで、この人達はホテルの泊まり客ではなく
地元の人達のようで食事の為だけに、このレストランを訪れたようでした。


私とHさんは食事を終え、指定された自分達の部屋に戻りました。


どうも、このホテルはサーファーにとってサーフできる海が近い所にあり
その趣味のある人の利用が多いホテルなのかしれませんが、この時期の平日
であるこの日の夜、私達以外の泊まり客には誰にも出会いませんでしたし
廊下を歩いていても他のどの部屋からも人のいる気配や、話声なぞはもれて
きませんでした。

私達に用意されていた部屋は、2階の一番はしの部屋でした。

そのホテルの建築上の問題で私達の部屋はきちんとした四角い部屋では無く
三角形の一辺を切った形の台形部屋でした。

部屋は綺麗で、白いバルコニーなんかも付いていて朝になれば見晴しの良い
景色が見えそうな、いい部屋でした。

ツインのベットが備えられており、Hさんが窓に近い方の左のベッドを利用し
私は、廊下側に近い右のベットを利用する事になりました。

部屋が台形の為私のベットの右横には小さい三角形の空きスペースがあり
そのベットの足元から60cmぐらいの所にこの部屋に出入り出来るドアが
ありました。

私は朝からの熱と玉置神社の山登りで体調が悪い事は悪かったのですが
食事をしてお風呂に入るとホッとして、少し元気になってきました。

しかし、明日の日程の事を考えると少しでも早く休んで休養をとらないと
ひどくなった場合Hさんに迷惑をかけてしまうと思い早々に私はベッドに
入りました。

Hさんは、もう少しお話をしていたいようでしたが、私がベッドに横になった
ので自分もベッドに入り部屋の電気を消しました。

ベッドに入って眠りにつき、どれぐらいの時間が経った頃でしょうか…

私はふいに、自分のベットの足元から少し離れたドアを開け誰か人の入ってくる
気配を感じたのです。


続く…





初めての玉置神社 その7

2005-06-26 21:40:59 | 流離道行

玉置神社 初めての玉置神社 その1~6からお読み下さい


その人物の時は、電話が玉置神社からかかってきて山上の神社まで迎えに
いったそうです

タクシーを頼んだ人物は、ここ1年間ずっと玉置神社にて寝食をして修業を
されていたある男性でした。

ここで私は
「修業って、その人は一体なんの修業をされていたんですか?」と聞きました。

運転手さん曰く
「私ら普通の人間には、よく分かりませんが、霊的な修業だったようです。」

その男性は1年経ち、山を降りる時期が来たと感じたようです。

そして大阪の方に帰る為、タクシーを玉置神社までよんだのです。
よばれて迎えにいったのが、このタクシー会社を経営する男性だったのです。

運転手さんが続けて
「私には、あっちの世界のことなぞよく分かりませんが、あの時の事は
忘れられないですね。
本当にビックリしましたよ。」と言いました。

私が
「その時何かあったんですか?」と聞くと


「山のふもとまで乗せる訳では無くその人の場合電車のきている駅まで
乗せて行く事になっていたので、2時間以上御一緒させてもらったんですが
その中で、私はやはり、そちらの霊的な事はさっぱりよくわからない方なんです
と言ったんですね。
そして、色々話をしていると『君はこの1週間こうこうこうしていただろう』と
はっきり、その人物に言われたんです。

あの時程驚いた事はありません。

ある意味ゾッとしましたよ…。

まさにその通りだったんですから。

そして、その中には絶対に私しか知らない事まで入っていたんです。」


「それは…確かにビックリしますよね。」と私が言うと


「ええ、私はそっちの方面は、よくわかりませんが、やはり不思議な事って
いうのはあるもんですねぇ。

未だにあの事は忘れられませんよ。

さっきの人といい玉置神社はそういう方々の参拝が多いですね。
本当に日本全国色々な所から来られますからね。」
と運転手さんは言ったのでした。


そしてお話をさせて頂いているうちに私達が中途半端に停めてしまった
車の所に着きました。

あらためてお礼を言って料金を支払い、私達は一路熊野に向けて
出発したのです。

続く…





初めての玉置神社 その6 

2005-06-26 03:31:02 | 流離道行

玉置神社 初めての玉置神社 その1~5からお読み下さい。


ある時、その運転手さんが乗せたお客さんがいました。

タクシーの中というのは、人にもよりますが運転手さんとお客さんが色々
会話したりする事もあります。

その時も玉置神社に迎えに行き山を下りる時か、乗せて登って行く時か
だったようです。

お客さんは言葉使いから、この近辺の人では無いのは分かりました。

それで、どこから来られたのかと、そのお客さんに訪ねると
沖縄県から来たということでした。

また、遠くから来られましたねと言うと、そのお客さんが話しはじめた
内容は不思議なお話でした。

その人はある夜、眠っている時夢枕で、とある神社から呼ばれたそうです。

その夢は目が覚めてからも覚えていました。

しかし、その人には、ある神社が自分を呼んでいる事までは分かった
のですが、一体どの神社が自分を呼んでいるのかまでは分からなかった
そうです。

それから、その人物はそれこそ北は北海道から南は沖縄まで、この神社
ではないのかと思うところの神社を訪ねたそうです。

そして、この奈良県の十津川の玉置神社に来た時、この神社こそが夢枕で
自分を呼んだ神社だということが分かったそうなのです。

私は、そんな人もいるんですねぇと言うと運転手さんは、玉置神社に参拝
に来られる方はそんな方が多いですよ、と言いました。

この神社の所在地は、かなり奈良のお山の上にあり知る人ぞ知るといった
神社なのですが、遠くから参拝に来られる人も非常に多いんです。

確かに、私がHさんと玉置神社の駐車場を見た時、車は1台しか停まって
いませんでしたが、その車のナンバーは尾張ナンバーでした。

そして、タクシーの運転手さんは続けて又違う人物の事を話し始めたのです。


続く…




初めての玉置神社 その5 

2005-06-25 22:26:06 | 流離道行
玉置神社 初めての玉置神社 その1・2・3・4からお読み下さい


タクシーを待つ事約40分。

その間に私とHさんは、整備された駐車場まで歩いて戻りました。
(そこまでしか、一般の車の乗り入れは許されていない)

秋の日暮れで、しかも山の頂上辺りなので、かなり肌寒くなってきてました。
そして、二人で今後の予定を話し合いました。

まず、次は本宮のつもりでしたが、これから本宮まで行って夜になって
暗くなっているようなら、熊野本宮大社は、明日にまわして速玉と那智と
本宮の3ケ所を明日一日で、全部まわってしまうように変更したのです。

そうこうしているうちにタクシーが到着しました。

タクシーの運転手さんにすれば、えらくカジュアルな格好をした男性でした。

二人で事情を説明して、麓まで乗せてもらう訳では無く自分達の停めてしまった
車の所まで戻りたいのだという事を伝えました。

タクシーに乗せてもらいお話させて頂くと、その運転手さんが
「いや~、なるほど理由がわかりましたよ。」というのです。

私とHさんが続けて話を聞いてみると、この男性はこのタクシー会社の経営者
の男性でした。

自分の会社の他の運転手さんが皆出払っていたので、この男性がここまで
やってきてくれたらしいのです。
(どおりでえらくカジュアルな格好だと思いました。)

麓のタクシー会社に電話をした時、その会社で受付の女性と私達の電話を
不思議に思っていたそうです。

普通タクシーを山上の玉置神社まで呼ぶ人というのは、登りの行きもタクシー
を使うはずなのに、誰も私達を乗せた運転手がいないということでタクシー
会社の人は、変だなぁと思っていたようなのです。

ただ、その時その経営者の男性が言うには、わざわざ修業という事で
この玉置神社までの道を歩いて登る人もいるので私達も、そのパターン
なのかもしれないなぁと思いながら来たそうです。

「えっ!修業の為にわざわざ、あえて歩いて玉置神社まで登る人もいるんですか?」
と聞くと

「います。」という答えでした。

「ただし、やはり普通の整備されてある舗装道路を登るので、お二人が登った
山道は通りません。
あの道は地元の人間もほとんど使いません。
山の中でお二人が見た動物は多分鹿か猪だと思いますが、熊が出る可能性もある
ので危険ですよ。」という話でした。

そして
「色々な方を乗せるので、びっくりするようなお話を伺う事もあります」
と言うではありませんか。

なんだか興味をそそられ、私達の車の所まで行ってもらう間、今まで乗せた事のある
人々の話の一端を、その方からお伺いしたのです。


続く…





初めての玉置神社 その4 

2005-06-25 22:08:18 | 流離道行

玉置神社 初めての玉置神社 その1・2・3からお読み下さい。
 

私とHさんが30分ぐらいかけて、やっとその小高い山を越えた時、二人の
目の前に広がっていたのは


車50台はおける整備された広~い駐車場でした 



御丁寧に、駐車場隅には男女別のトイレまで完備されており、その駐車場の
向こうに、すごく大きい鳥居がありました。

いったい私達の、この約3時間以上かけて歩いてきた山道は何だったのか。

二人共、あほらしいやら、笑えるやら、疲れやら、情けないやら……。

結局、自分達のせいなので誰に文句を言っても仕方無いのですが、こんな時
人間つい何かのせいにしてしまうもんですねぇ。

私達がブーブー言ったのは、紛らわしい三角の矢印型の看板についてでした。

そして今後は、神社の本殿を目指したのですが、その大きい鳥居からも神殿は
見えず、今度は幅3m~4mぐらいの道がず~っと続いているのです。

二人して今度は、かなり広い道を歩いていきました。

鳥居から玉置神社本殿までも、はっきりいってかなりの距離があり、途中で
また細い道を通り抜けてやっと、やっと、神社が見えてきました。

御手水で手を洗い、参拝し、見たかった襖絵も見ました。

さぁ、これから私達の停めてしまった車の所まで又どうやって戻るのかが
二人にとっては大問題でした。


なんとHさんは、又、あの山道をずっと歩いて戻る気でいました!


ひぇ~やぁめぇてぇ~~~!

熱でフラフラの私は、とてもじゃありませんがもう一度、あの山ん中を歩いて
戻るのはごめんでした。

その時点で夕方4時近かったので、歩いて戻るとヘタをすると、山の森の中で
日が暮れてしまう可能性もあります!
(山の日暮れは早い

私は、その時玉置神社境内にいた白い修験道の服を着ていた、年配の男性に
思いきって話かけ事情を説明しました。

その修験道の人が言うには
「わしらでも今は、あんなとこ歩かんで!」でした…。

もう修験道の方々でも通らなくなった山道を私達は歩いてきてたのです。うっ…。

そして、その方が言うには社務所に電話があるので、そこから麓のタクシー会社
に連絡し、ここまで迎えに来てもらい、そのタクシーに乗せてもらって車の所
まで戻ってはどうかと言ってもらいました。

こんな山の中なので電話が繋がっているのかどうかも知らなかったし麓に
タクシー会社があるのまで教えてもらい聞いて良かったと私はつくづく
思いました。

そして社務所から私達ははタクシー会社に電話をし、玉置神社まで車を1台
まわしてもらうことにしました。


続く…





初めての玉置神社 その3

2005-06-25 21:47:10 | 流離道行
玉置神社 初めての玉置神社 1・2よりお読み下さい。

車を降りて、山道を歩き始めてから2時間以上経った頃、急に目の前に
きちんと舗装された道路が現れました。

いえ、正確にいうと私達の立っている山道地面から4メートル程に!

山の中ではよくあると思うのですが、山の舗装された道路というのは山肌を
崩して整備されているので、道路の横は元の山の高さをそのまま残してある事が
多いのです。

私達が2時間以上かけて登ってきたケモノ道のような山道はきちんと
鋪装された道路がずっと整備されていたのです…。

また、その4メートル下の道路に山から下りるのも大変でした。

何故なら山道はその上でプツンと途切れており、足場といえるものが
無くなってしまっていたのです。

私とHさんは這うようにしてズルズルとゆるい崖のような山肌面を滑り降りて
やっと舗装された道路に下りる事が出来ました。

しかし、道路に降り立って辺りを見回してみても、その時点でもやはり玉置神社の
鳥居の影すら見えません。

その時Hさんが声をあげました。
「かなんさん、こっちの山に玉置神社まで、後30分って書いてあるよ!」
と言うのです。

その山というのは私達が歩いて来た山を下り、舗装された道路を挟んだ反対側の
山のことです。

見てみるとあの矢印型の木の案内板でした。

そして、やはり今まで歩いて来た山道のような道がまた細々と続いているのです。

私とHさんは二人で少し考えました。

鋪装されてある道路もあるが、この道路には私達に見えるところに案内板も
何も無く、きちんと玉置神社に続いている道なのかどうなのかよく分からない。

こちらの山道は一応案内板があるので、歩いていけば必ず玉置神社には着くだろう
という結論に達したのです。

そして二人でまた、その向かいの山の細い山道を登り始めたのです。



続く…






初めての玉置神社 その2

2005-06-24 15:11:46 | 流離道行
玉置神社・初めての玉置神社 その1の続きです。

私とHさん、2人で、その細い山道を歩けども歩けども、神社どころか鳥居の
影すら見えず、周りはそびえ立つ木々と草や苔と岩。

そして、かろうじて二人が歩く1人づつしか通れないケモノ道のような細々
とした登り道がずっと続いています。

山全体にある木々がすっぽりと日光を遮り昼だというのに、薄暗い感じで
聴こえてくる音といえば、風が木々のはっぱと草を揺らす音と遠くで
鳴いている鳥の声だけ。

しかし歩き続けると足元に、後何kmと書いてある、小さな木で出来た
矢印型の案内版が、たまに出現します。

その案内板を信じて2人で、えっさ、えっさと決して山歩き向きとは
いえないヒール靴で登って行きます。

一歩、歩くたびにヒールの踵が湿っぽい土の地面に突き刺さり靴は
ドロドロです。

私は、発熱している事もあってフラフラでした。

その為Hさんに、先に登ってもらっていました。

登り始めて30分を過ぎたぐらいでしょうか。
私より10メートルぐらい前を歩いていたHさんが突然立ち止まりジッと
しているのです。

「Hさん、どうしたの?」と、私が声を掛けると

Hさんは、少し下の方の沢を指差し
「今、あそこの草がザザザーッッと音と一緒に動いていた!」というのです。

少し後ろを歩いていた事もあって、私には何も見えず、音も聴こえません
でした。

それで私は
「風のせいとちがう?」と答えました。

顔を見合わせて、しばらく突っ立ていましたが二人の頭の中で巡り始めた
想像を、どちらも口には出せませんでした。

Hさんには話していなかったのですが、私の近所に十津川から養子に
きたおじさんがいて、そのおじさんが里帰りの際、山に山菜を採りにいくか
釣りをしに行くかした時に、熊に襲われ耳を齧られたという話を聞いた事が
あったので、私の頭の中はクマ・クマ・クマとクマしか想像できませんでした。

しかし、それをHさんに話すと余計に空気が、重くなるのは分かりきったこと
なので、つとめて明るく

「多分風よ。その後音は聞こえないしー」と言って、二人で再び山道を登り
はじめたのです。

さすがに1時間ぐらい山道を歩いて行くと、二人共これは、おかしいと
思い始めました。
(もっと、10分ぐらいで気付けよっ!というもんですけどね。)

私はその年の夏だったか
(玉置に行っているこの時は10月の初旬だったと思います)

一晩かけて、京都の愛宕山を千日詣で知り合いの何人かと、一緒に登って降り
てきたのですが、この山はとにかく登り始めた限りは頑張って最後まで登って
降りないといけないと知人から聞いたので
(その日は、特別な参拝日だった為かもしれませんが…)

その言葉が頭の中をぐるぐるまわりはじめ、違う山なのに

『登り始めた限りは…登り始めた限りは…ぶつぶつ…。』というように

1人で、そのフレーズを繰り返し、自分を叱咤激励しながら登り続けたのです。

そして、又しばらく山道を歩いていくと、前を歩いていたHさんが、後ろの私を
振り返り、何か話しかけようとしました。

その時!

私の少し後ろで、ザッザザザーーーッと、何かが駆け下りる音が!

今度は、私にも聞こえました!

音を聞いた瞬間、二人は一目散に前に向かって走り始めました。

ええ、二人共言葉を出せる余裕すらありませんとも!
ひたすら細い山道を、出せる限りのスピードで走れるだけ走ったんです。

もう、これ以上は走れないという状態まできて、Hさんが止まり
ハァハァ息をあげながら
「なんか…、は…灰色いもんが走り抜けて行った!」と言うのです。

灰色いもん…。

多分、何かの野生の動物だとは思うのですが、一瞬の事で、どんな動物
だったかまでは分かりませんでした。

二人共一目散に後ろを見ずに走ってにげましたしね

とにかく、ここは一刻でも早く神社にたどり着きたい!と、私達は
再び、山道を登り始めたのです。


続く…




初めての玉置神社 その1

2005-06-24 01:34:57 | 流離道行
玉置神社からお読み下さい。

私が初めて玉置神社に行ったのは、それからしばらく経った頃でした。

同じ会社の友人Hさん(女性)と一緒に熊野三社(本宮、速玉、那智)と
玉置を入れて四社参りを一泊二日の予定で行こう!という事になったのです。

奈良県五條市よりルート168を通り熊野までの道のりを車で出かけるという
予定でした。
そして、このルートで一番最初にあたる、玉置神社から本宮そして翌日速玉
と那智という順番でお参りする事にしたのです。

地図を見ながら走っていくと、十津川村の南都銀行横の所に玉置神社の看板が
出ていました。
それで、その道を左折して行ったのですが、車道の幅は車の対向車が走って
きたら対向するのが少し難しいぐらいの道でした。

二人共この道を走るのは初めてで、玉置神社とはこの道をどのくらいまで走って
行けば到着するのか全くわかっていませんでした。

地図もきちんとした熊野までのルートは良くわかるように描かれているのに
山の中というのは、おざなりな感じでしか描かれておらず当てにはならない
といった感じです。

私達が脇道にそれて走り出して少し経った頃、又、左に折れる脇道が出て
来ました。

このまま真直ぐ行くか、この脇道にそれて行ってみるか二人で悩みましたが
南都銀行の所から、かなり走った様な気がしていたので左の脇道に進路を変え
ました。

その脇道をしばらく走ってみると道幅は少し広くなりましたが結局は行き止まり
でした。

私達は車を降りて、ここは一体どの辺りなのかと二人でキョロキョロして歩き
ながら40メートルくらい下りた時、『玉置神社』と書いてある山道によくある
ような矢印形の小さな木で出来た目印が地面に差してあるのを見つけたのです。

その矢印の先を見ると鬱蒼とした山の中に続いているケモノ道よりは少しマシと
いった1人しか歩けないようなうねうねとした山道が山の上に向かって続いて
いました。

一応山の上の神社だとは聞いていたので、私とHさんは、この細い山道をちょっと
登って行けばその上に玉置神社はあるんだと思ったのです。
(それが、大きな間違いだとは気付かずに…

実は私はその時、前日より体調を崩して37.5度ぐらいの熱があったのですが
車を出して運転をしてくれるのがHさんだった為、このぐらいの熱だったら大丈夫
だろうと今日の予定を決行したのです。

二人共その日履いている靴はヒール有りのパンプスでした。

そして、私とHさんは、そのケモノ道より、ちょっとマシな山道をその靴で登り
始めたのです。


続く…





玉置神社

2005-06-23 17:23:05 | 流離道行
この神社の名前を聞いたことはおありでしょうか。

奈良県十津川村のお山の上にある神社です。

私が初めてこの神社の名前を聞いたのは、勤めていた会社の休憩室でした。

そこにパートで来ていた女性が、この十津川村の出身だったのです。

その女性に玉置神社の話を聞いて、なんだかすごく惹かれていずれ
行ってみたいなぁ~と思ったのです。

その頃、私はその会社で婦人服の販売をしていました。

そしてよく来店して頂くお客様のなかに、ある作家さんの奥様が
おられました。
来店して頂くと色々お洋服以外のお話もするようになり、私が本好きだと
知ると親近感をもって頂いた様で、ある時来店された時に私に作家である
旦那様が出したばかりの本を出版社から何冊か自宅に送って来たので
かなんさん本好きだから1册あげると言って私に渡して下さったのです。

本の題名は 『絵舟』

玉置神社の国指定重文である襖絵

この襖絵は狩野派の旅絵師の作だと伝えられているのですが、どの絵師の
作なのかは未だ謎なのです。

旦那様である作家さんがあとがきに書いておられるように
『一体誰が描いたのか?』

その好奇心を暖めつづけて書かれた物語がこの『絵舟』でした。

1人の作家に1册の本を書き上げるだけのインスピレーションを与える神社
(これは神社そのものというよりそこに所蔵されている襖絵のことなんですが)
わたしのなかでは、その襖絵が玉置神社にあるという事実が、又、不思議な
縁を感じたのです。

そして玉置神社は、行きたいなぁ~という神社から行こう!という神社に
私の中で変わったのです。


余談ですが、作家でいえば平井和正さんも、かなり玉置神社に
縁があった方のようですね。

気になる方は『平井和正』『玉置神社』の検索ワードで検索をしてみてください~

サイン

2005-06-23 16:55:20 | 平和社会社会不安
私が今までした仕事の中で某信販会社のクレジットカードもしくはローンの
受付というのがある。

その中で思いつくままに書いてみる。

クレジットカードをお持ちのお客様で、カードを紛失した盗難されたと
言ってこられるお客様がたまにいる。

その方達に、必ず聞いて書類に書かなければいけない事の1つに
クレジットカードの裏の署名欄に、きちんと自分の名前を記入して
頂いてあったかどうかというのがあった。

何故その事をわざわざ聞くのか?

クレジットカードは普通、紛失盗難され、悪用された場合に備え信販会社は
盗難保険に加入している。

私が勤務していた某信販会社の場合、裏にきちんと署名をして頂いていない
場合に盗難保険が適用されない場合がある為だ。

たまーに、書き込んだ自分の筆跡を真似されるかもしれないから不安だ
という方もいるが、悪用しようとする人物がカード表面のローマ字の名前
からそのカードの人物の名前を推測(もしくは盗難時に診察券や免許証
などから漢字の綴りが判明しやすい時等)カードの裏に悪用者本人が名前を
書き込むとカードの筆跡もレシートの受け取りサインも全く同じ筆跡になって
しまうことになる。

他社の規定はどうなのかは知らないが、お持ちのクレジットカードの裏には
自分の署名をきちんと記入しておいた方が何かあった時には、保険会社から
突っ込まれずに済むとは思う。

一度自分のクレジットカードの裏を確認して頂いて未記入の場合は…

御署名する事をオススメ致します。


一生に一度の歌

2005-06-23 16:43:36 | 映像受信機
今からかなり前になるが、あるCMがあった。

風にそよぐ草原の中で白いドレスを着た女性が、ヘンデルの
『オンブラ・マイ・フ』を歌う。

そのCMに私は釘付けになった。

楽曲・映像もちろん歌声も非常に印象的で素晴らしかったのだ。

そこで白いドレス姿で歌っていた女性が、キャスリーン・バトルだった。

1948年アメリカ、オハイオ州ポーツマス生の世界有数のリリック・ソプラノ歌手



そのCM1本で私の中で『キャスリーン・バトル』は忘れられない歌い手になった。

CMから何年か過ぎた頃、ある新聞にキャスリーン・バトルの来日
リサイタルのチケット発売の広告が載っていた。

その頃の私は親元を離れ京都で一人暮らしの学生生活を送っていた為
広告に書かれているチケット料金はかなり高く感じた。

そして色々考え始めた。

キャスリーン・バトルは世界中から公演のラブコールがくる歌い手であり
日本に来日するのも少ないはずだ。

次回にするといつ来るか分からない。

次回、来る来ないよりもその何年かの間に彼女が死ぬか私が死ぬかなんかすると
私は一生CDでしか彼女の歌を聴けなかったということになる!

とまで思い込んでしまったのだ。

ここまで思い込めばチケットの料金の問題では無くなりました。

一生に一回でも、きちんと生のキャスリーンの歌声を聴きたいかどうかの
問題になったのです。

私は電話をかけチケットを1枚注文しました。


一生に一度の歌。
聞きに行って良かったと思う。

だが不思議な事に実際にリサイタルで彼女の歌声を生で聞いたにもかかわらず
私の中ではバトルというと、あのCMを思い出すのだ。


一度インパクトを与えられた思い出というのは中々消えないものらしい。