1972年は間章がやった「自由空間」のほかに刺激的なイベントがいくつかあった年だった。
新潟護国神社相撲場で行われた「NIIGATA JAZZ ROCK CARNIVAL」( 神無月)。
出演者に遠藤賢治、友部正人、頭脳警察、ブラッディ・サーカス(ブルース・クリエーション)。
多分、トリを務めたブラッディ・サーカスの演奏が終わる前にアンプの電源が落ち大混乱。
高級住宅街の宿命か大音量に近隣住民のクレームが入り中止させられた所為だった。
それともう一つ。私にとって新潟の音楽分野で間章同様に大きな存在であった高橋正康さん。
彼が続けてきた「MAD TEA PARTY」を最初に見たのも記憶違いでなければこの年であった
気がする。今はもうない新潟市公会堂に山下洋輔トリオ、浅川マキ、高田渡、頭脳警察らが
出演した。高橋さんはアマチュアのプロモーターで、会社員をしながら友人とも言える山下
洋輔を中心としたミュージシャンを新潟に呼んでコンサートを開いていた。
不幸な事故のあと1991年の追悼コンサートでは山下洋輔の他に坂田明、向井滋春、渡辺
香津美、つのだひろ、浅川マキらが駆けつけた。生前、彼が共同出資して経営していた伝説の
飲み屋「WAVE」で寡黙にグラスを傾け、声をかければ優しく応じてくれる姿を今でも思い出す。
今から30年前に学生だったころ、高橋正康さんの主催するジャズコンサートのお手伝いをしていました。
山下洋輔さんの髪の毛を切った事や、お茶だしやらして大好きなジャズやフュージョンの世界を感じさせていただきました。
このブログで高橋さんが亡くなったのを読み思わずメールさせていただきました
車か何かの事故だったのでしょうか?
ご存知でしたら教えてください。
宜しくお願いいたします。
私の昔話にお付き合いいただいたとは、お恥ずかしい限りです。
随分、昔の話ですしこのような場ですのではっきりと申し上げられないのですが交通事故だったようです。新潟では貴重な存在の方でした。
もう少し詳しくと言うならmailでも頂ければと思います。