この季節、昔からの田舎道を歩くと、
寒そうな落葉した木に柿の実がひとつふたつ残ってる。
最近はあまり見かけない光景かもしれない。
「木守(きまもり)」というもので、
次の季節の豊作を願ってひとつの実りだけ残しておくという古い文化。
千利休がこよなく愛した赤茶碗にこの名前がついている。
昔からこういう文化の裏にはすこ~し「見返り」みたいなものを感じ、
これを様式美のように表現する日本文化はしたたかで結構好きだった。
歳を重ねて、最近は少し成長した角度で想う。
受け取ることと与えることのバランス。
対峙するものとの自分。
何事も足るを知り、
感謝の気持ちを捧げ、
向かい合うものが在るからこそ、
自分の存在を感じることができる。
まあ人生にはひとりふたり、や~な奴、いや周波数の違う方と出会う。
「あなたがいるから、私がいる」とは思えない(人としての器、おちょこだから)
でも夢の中で首に花いっぱいのレイをかけて差し上げよう。
あなたから学ばせていただきましたと。
木は満月の日に樹液が下から上がってくる。
新月の時に向け樹液は次第に根に降りていくというのが摂理。
ということは、
満月の日、もぎとるひと粒は
きっと甘い。
ずっと守っていきたい精神に手を合わせてみようと思う。
ハーブと自然に囲まれた平屋のアーユルヴェーダサロン
August Healing ダーディマです。
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