写真のアレンジ、
今は人工の蔓(ツル)を使用しているが、20年前は富士宮の
“マカイノ牧場”の裏山に入らせていただき、蔓を採って
アレンジに使用していた。太い蔓は輪切りにして
子ウサギを乗せる切り株として使用したものだった。
話は変って、私には1年に2~3回くらいしかお会いしないのだが
大変尊敬する先生(小・中・高の先輩)がいる。T芸大を主席卒業され、同大の
教授の道を約束されていた方なのだが、あえて地方の国立大の美術教授
の道を選ばれ、何年か前に退官された彫刻(特にブロンズ)のスペシャリストだ。
先生の作品は静岡市内の公園や街角でも見ることができる。
焼津港の作品は台座を含め全長(高)14メートルという大作だ。
この先生がT芸大教授の道を選ばなかったのは、地方にいても
常に中央にアンテナを向けていれば良い制作はできるという考えからなのだ。
この方にはいろんなことを教わってきた。フラワーアレンジに活かせる立体の
考え方。また、直接美術とは関係が無いが、人との付き合い方や生き方。
先生の作品の永遠のテーマは「母子愛」「家族愛」である。
マザコンの私にはぴったりのテーマで、恐れ多いが自然に
写真のアレンジの原型ができた。切り株の上に子ウサギを配置し、
その子ウサギが母ウサギのそばに行きたい気持を強く出すテクニック
として、焼津の作品をヒントにさせていただいた。
「○○○ちゃん、この台座から足のつま先をちょっと出してやると
この少年が前に出たい気持が強くなるだぜん。」と、また
「作品は全体の大きさによって何頭身という頭と身体のバランスを
変えるんだ。」などなど。(○は私の名前、先生はいつもこう呼ぶ)
試しに子ウサギを切り株からちょっと前に配置してみた。
なるほど、お母さんのそばに行きたい気持が強まった。
それに対し母ウサギは正面で外敵を警戒し、側頭部、後頭部で
我が子を感じ取る。
四捨五入で楽々60歳になるこの齢でも、この小さなアレンジを
作っている時が充実している。「子供の日」「母の日」が近づくと
その制作にも特に力が入ります。
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その作品を沼津西武に納品に行った時のことだ。
荷物が少ない時はJRを利用するのだが、沼津駅のホームに向かう
通路に、私が楽しみにしているコーナーがある。
それは、沼津市のいろんな流派の先生方の作品を持ち回りで
1点だけ展示してあるコーナーなのだが、私は急いでいても行きと
帰りに数分立ち止まって見させていただいている。
昨日は偶然にも私より10歳くらい上だと思われる(違っていたらゴメン)
先生がお花の入れ替えに来ました。私が立ち止まって見ていたので
その方は遠慮して、少し離れたところで待ってくださった。
作品はストレチアをメインにしたものでしたが、形のとり方と
リーフの使い方が素晴らしく、お話を聞かせていただいた。
小原流の先生でした。「実は私もお花の仕事をしているんですが
、それはアートフラワー(造花)なんですよ・・・」
「何流ですか?・・・」「いえ、フラワーアレンジメントなんです。」
「私もお勉強しましたが、なかなか難しいですね・・・」
というような会話をし、気持ちよく静岡に帰った。
静岡西武に私の売り場があった頃、よくこんなことがあった。
同業や違う種の造花やそれに順ずるお花のお仕事をなさっている方が
静岡西武で展示会などをされる時、会場に行くのに必ず私の売り場の前を
通るので、こちらは目が合えばご挨拶をしようと心の準備をしている。
ところが、その先生は目が合っても挨拶どころか、意識して
「見ないように」しているような空気を感じる。先生のお供の助手の方など
敵を見るような眼差し。何かとても寂しい感じがした。
それに比べると沼津の先生はよかった。
私もフラワーアレンジは生涯勉強に尽きると思いますが、
これからアレンジを始める方もベテランさんも同業または
「ちょっと同業」の方の作品や絵画・彫刻やアートの世界は
はすべて勉強になります。お話など聞かせてもらうと
良いと思います。(積極的に)
子供の頃(中1)のことだから恥ずかしいことではないが・・・
夏休みの美術の宿題に“自画像”を描いて来いというのがありました。
私は鏡でじっと自分を見つめ、顔の真ん中に鏡を置き、右半分と左半分
は顔が違うことを発見し、姉達と大笑いしたものでした。
そうこうしているうちに横顔と正面の顔を同時に描けないものだろうかと
チャレンジしてみました。新学期が始まるとき、得意げに
その絵を美術の先生に見ていただきました。先生はにこりともしませんでした。
のちに美術の教科書に掲載されていたピカソの絵を見て驚きました。
正面顔と横顔を合わせた絵があるではありませんか。
「俺ってピカソと同じレベル??」と喜び、1秒後に
あッ「パクリということになっちゃうのか・・・残念!!」
ま、当時パクリという言葉はありませんでしたが、非常に落ち込みました。
これが中央にアンテナを向けておけということなのでしょう。
(常に勉強を怠るなということ)