第3章 (10)
由布子が録音装置のマイクを自分のほうに向けたのを確認して、
「今回の試みは、学術的には飛躍がありますが、今の閉塞した日本の社会を何とかしたいという思いで敢えて公表するものです。
内容については私、渡一樹がすべての責任を負います。さて、今回モデルにしたのは、1862年当時植民地だったシンガポールで英国籍を取得し、
市民権を持つことができた最初の日本人定住者山本音吉です。彼の歴史的足跡を探る試みは数十年各方面で行われ、今も継続されています。
又、音吉顕彰会を中心とした活動で、国際的にも交流が進んでいると聞いています。私が着目しようとしているのは、その歴史的事実を大胆に
英国側からの推測も加えた新しい解釈を通して、無一文の当時14歳の漂流者がどうやって英国籍を取得できたかまでの人生行路の根底にある何かを探り出し、
それをプログラム化することで、現代に音吉のような行動が取れる人たちを一人でも増やしたいと願うからです。そのことが学術的にナンセンスであって、
研究者として物的証拠が不十分で発表を躊躇するよりも、音吉という先人の足跡から現実に生かせる知恵、カン、コツを経て、その源泉を探り出し一部でも
プログラム化して現代に蘇らせることの方が、先人に対しての礼儀だと考えるからです。ぜひこのプログラム製作にご協力いただき、今の若い人たちに
閉塞感を打ち破る打ちでの小槌になるかもしれないツールを作りたいと思います。」
由布子は別人を見る思いだった。
あの線の細い、本と古文書に埋もれていた一樹からはとても出てこない考えだった。
研究者である自分を否定してでも、現実を何とかしたいというやむにやまれぬ男の気持ちを感じていた。
厳一は聞き流すつもりが途中から手を止めて、一樹を凝視していた。
何か引っかかりを感じていたのかもしれない。
誰も何も言わないので、
「由布子さん録音終わりです。スイッチ切りますよ。」
「え、あ、すんまへん。鈍なことで。おーきに。」
厳一が突然カウンターから出てきて、一樹の手を両手で握り締め、
「渡先生、ぜひやりましょう。私も及ばずながらお手伝いさせてください。これはなんとしても完成させて、世に出すべきものです。
お客様のお話に乗り出してしまい申し訳ありませんが、そうさせてしまう何かを持っています。」
「うちもそう思いますえ。センセのお話に夢中になってしもうて、録音やら忘れてしもて、えろうすんまへん。こんなに凄いお話聞いたことおへん。
そやけど、センセ、これ、責任持ってて、言わはったけど、そんなんしたら、今のお仕事のうなってしまいまへんやろか?うち、心配どす。」
「お二人ともさすがに海外で孤独に耐えてこられた方だから、このプログラムの凄さが一瞬でご理解いただけるんです。それだけでもある意味十分です。
大学や研究者たちの内輪の話でもコテンパンですわ。研究は何のためにやっているのかと逆に叱責や罵倒されることばかりです。ただ、釈迦に説法かもしれませんが、
幕末の徳川幕藩体制をひっくり返したのは、薩長の戦いではありません。当時飢饉や退廃していた世の中に人々が愛想を尽かし何かしていきたいとの思いを持つことが
その根底にあったはずです。それが薩長や坂本龍馬などの政治的うねりと融合した時、核爆発が起こり徳川幕藩体制を吹き飛ばしてしまったのです。今も同じです。
個としての日本人が変わろうとしなくて、何も変わりません。音吉のような無一文で言葉も分からない者が少年時代から外国へ放り出され一人でも生き抜いていく過程で、
彼が頼れるものは自分しかなく、そこには、漂流民ではなく、日本人として、更にアジア人として、英国と対峙して行けた結果、英国籍を取得できた。
じゃあその音吉をして、逃げることなく大英帝国と向き合わせたものはなんだったろうか?それを突き止めるのは古文書に頼った従来の研究だけでは限界があるのです。
物的証拠という平面的なことではなく、生きていた人物をその総体を立体的に捉えることができてこそ、初めて可能になるのです。ただそれは従来の研究を否定していない
にも拘らず、素人のたわごととばっさり切られる中に入ってしまうでしょう。それを理解してもなおこのプログラム化を推進していくと、私個人のレベルでは失職だけでなく、
研究者としての発言の場も含めて、学者生命は終わりです。それでもいいのです。学者は、自分の楽しみのために研究してはいけないのです。世の中に還元して、
貢献できないのなら、存在価値はないのです。本来はそうであるべきです。あ、すみません。皆さんが賛同してくださることがうれしくて、つい演説してしまいました。」
厳一の言った通りに由布子がやろうとする気にさせてくれた厳一の深い愛情に感謝するとともに、一樹の思いもかけない成長に由布子は人の人生の不思議さを再認識した。
場の感動を普通に戻そうとしたのは一樹が先だった。
「皆さん、このプログラムの成功を祝して乾杯しませんか?」
「すんまへん、うち、久しぶりのええお話に夢中になってしもうて、体、動かんようになってしもうて、すんまへん、ほないきまひょ。マスター。」
「これは気付かずすみません。では、仕切りなおしで、プログラムの完成と渡先生の無限の未来に!乾杯!」
「一樹はん、かんぱいどっせ!」
「由布子さん、マスターありがとう。乾杯!」
由布子は思わず一樹と呼んでしまったが、もう頓着する必要はなかった。
元フィアンセと元彼とに共通のミッションを持てたことは、世間の決めた、あるいは人が勝手に決めたことわりなぞ、はるかに超越してしまっていた。
そして、逃げずに進めといってくれた厳一の言葉を信頼して、行動できた自分に乾杯をした。
一段落したと踏んだ厳一は、メインのねぎま鍋を出した。
京野菜が多かったので、一樹も懐かしく、これは京菜とか言いながら由布子と鍋をつついていた。
厳一も安心して、予約客のほうの仕込みに集中できた。
「由布子さん、京野菜が出たので、昔の話を聞いてもらえますか?聞き流してもらえればいいです。これから、また、今回のプログラムに絡んで由布子さんと
ご一緒する機会もあると思うので、ぜひ話させてください。いいですか?」
「うちは、ええどすけど、そんなん話さんかてええんとちゃいますやろか?」
2015年2月27日
由布子が録音装置のマイクを自分のほうに向けたのを確認して、
「今回の試みは、学術的には飛躍がありますが、今の閉塞した日本の社会を何とかしたいという思いで敢えて公表するものです。
内容については私、渡一樹がすべての責任を負います。さて、今回モデルにしたのは、1862年当時植民地だったシンガポールで英国籍を取得し、
市民権を持つことができた最初の日本人定住者山本音吉です。彼の歴史的足跡を探る試みは数十年各方面で行われ、今も継続されています。
又、音吉顕彰会を中心とした活動で、国際的にも交流が進んでいると聞いています。私が着目しようとしているのは、その歴史的事実を大胆に
英国側からの推測も加えた新しい解釈を通して、無一文の当時14歳の漂流者がどうやって英国籍を取得できたかまでの人生行路の根底にある何かを探り出し、
それをプログラム化することで、現代に音吉のような行動が取れる人たちを一人でも増やしたいと願うからです。そのことが学術的にナンセンスであって、
研究者として物的証拠が不十分で発表を躊躇するよりも、音吉という先人の足跡から現実に生かせる知恵、カン、コツを経て、その源泉を探り出し一部でも
プログラム化して現代に蘇らせることの方が、先人に対しての礼儀だと考えるからです。ぜひこのプログラム製作にご協力いただき、今の若い人たちに
閉塞感を打ち破る打ちでの小槌になるかもしれないツールを作りたいと思います。」
由布子は別人を見る思いだった。
あの線の細い、本と古文書に埋もれていた一樹からはとても出てこない考えだった。
研究者である自分を否定してでも、現実を何とかしたいというやむにやまれぬ男の気持ちを感じていた。
厳一は聞き流すつもりが途中から手を止めて、一樹を凝視していた。
何か引っかかりを感じていたのかもしれない。
誰も何も言わないので、
「由布子さん録音終わりです。スイッチ切りますよ。」
「え、あ、すんまへん。鈍なことで。おーきに。」
厳一が突然カウンターから出てきて、一樹の手を両手で握り締め、
「渡先生、ぜひやりましょう。私も及ばずながらお手伝いさせてください。これはなんとしても完成させて、世に出すべきものです。
お客様のお話に乗り出してしまい申し訳ありませんが、そうさせてしまう何かを持っています。」
「うちもそう思いますえ。センセのお話に夢中になってしもうて、録音やら忘れてしもて、えろうすんまへん。こんなに凄いお話聞いたことおへん。
そやけど、センセ、これ、責任持ってて、言わはったけど、そんなんしたら、今のお仕事のうなってしまいまへんやろか?うち、心配どす。」
「お二人ともさすがに海外で孤独に耐えてこられた方だから、このプログラムの凄さが一瞬でご理解いただけるんです。それだけでもある意味十分です。
大学や研究者たちの内輪の話でもコテンパンですわ。研究は何のためにやっているのかと逆に叱責や罵倒されることばかりです。ただ、釈迦に説法かもしれませんが、
幕末の徳川幕藩体制をひっくり返したのは、薩長の戦いではありません。当時飢饉や退廃していた世の中に人々が愛想を尽かし何かしていきたいとの思いを持つことが
その根底にあったはずです。それが薩長や坂本龍馬などの政治的うねりと融合した時、核爆発が起こり徳川幕藩体制を吹き飛ばしてしまったのです。今も同じです。
個としての日本人が変わろうとしなくて、何も変わりません。音吉のような無一文で言葉も分からない者が少年時代から外国へ放り出され一人でも生き抜いていく過程で、
彼が頼れるものは自分しかなく、そこには、漂流民ではなく、日本人として、更にアジア人として、英国と対峙して行けた結果、英国籍を取得できた。
じゃあその音吉をして、逃げることなく大英帝国と向き合わせたものはなんだったろうか?それを突き止めるのは古文書に頼った従来の研究だけでは限界があるのです。
物的証拠という平面的なことではなく、生きていた人物をその総体を立体的に捉えることができてこそ、初めて可能になるのです。ただそれは従来の研究を否定していない
にも拘らず、素人のたわごととばっさり切られる中に入ってしまうでしょう。それを理解してもなおこのプログラム化を推進していくと、私個人のレベルでは失職だけでなく、
研究者としての発言の場も含めて、学者生命は終わりです。それでもいいのです。学者は、自分の楽しみのために研究してはいけないのです。世の中に還元して、
貢献できないのなら、存在価値はないのです。本来はそうであるべきです。あ、すみません。皆さんが賛同してくださることがうれしくて、つい演説してしまいました。」
厳一の言った通りに由布子がやろうとする気にさせてくれた厳一の深い愛情に感謝するとともに、一樹の思いもかけない成長に由布子は人の人生の不思議さを再認識した。
場の感動を普通に戻そうとしたのは一樹が先だった。
「皆さん、このプログラムの成功を祝して乾杯しませんか?」
「すんまへん、うち、久しぶりのええお話に夢中になってしもうて、体、動かんようになってしもうて、すんまへん、ほないきまひょ。マスター。」
「これは気付かずすみません。では、仕切りなおしで、プログラムの完成と渡先生の無限の未来に!乾杯!」
「一樹はん、かんぱいどっせ!」
「由布子さん、マスターありがとう。乾杯!」
由布子は思わず一樹と呼んでしまったが、もう頓着する必要はなかった。
元フィアンセと元彼とに共通のミッションを持てたことは、世間の決めた、あるいは人が勝手に決めたことわりなぞ、はるかに超越してしまっていた。
そして、逃げずに進めといってくれた厳一の言葉を信頼して、行動できた自分に乾杯をした。
一段落したと踏んだ厳一は、メインのねぎま鍋を出した。
京野菜が多かったので、一樹も懐かしく、これは京菜とか言いながら由布子と鍋をつついていた。
厳一も安心して、予約客のほうの仕込みに集中できた。
「由布子さん、京野菜が出たので、昔の話を聞いてもらえますか?聞き流してもらえればいいです。これから、また、今回のプログラムに絡んで由布子さんと
ご一緒する機会もあると思うので、ぜひ話させてください。いいですか?」
「うちは、ええどすけど、そんなん話さんかてええんとちゃいますやろか?」
2015年2月27日