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シンガポール&美浜 発信 文左衛門の部屋

写真集★シンガポール&美浜の海・景色・街・食
私小説★男女・愛・起業・歴史・外国・人生
コラム★心の梅雨を飛ばす気

人生海図 第3章(10)  (No.35)

2015年02月27日 08時21分52秒 | 小説
第3章 (10)

由布子が録音装置のマイクを自分のほうに向けたのを確認して、

「今回の試みは、学術的には飛躍がありますが、今の閉塞した日本の社会を何とかしたいという思いで敢えて公表するものです。
内容については私、渡一樹がすべての責任を負います。さて、今回モデルにしたのは、1862年当時植民地だったシンガポールで英国籍を取得し、
市民権を持つことができた最初の日本人定住者山本音吉です。彼の歴史的足跡を探る試みは数十年各方面で行われ、今も継続されています。
又、音吉顕彰会を中心とした活動で、国際的にも交流が進んでいると聞いています。私が着目しようとしているのは、その歴史的事実を大胆に
英国側からの推測も加えた新しい解釈を通して、無一文の当時14歳の漂流者がどうやって英国籍を取得できたかまでの人生行路の根底にある何かを探り出し、
それをプログラム化することで、現代に音吉のような行動が取れる人たちを一人でも増やしたいと願うからです。そのことが学術的にナンセンスであって、
研究者として物的証拠が不十分で発表を躊躇するよりも、音吉という先人の足跡から現実に生かせる知恵、カン、コツを経て、その源泉を探り出し一部でも
プログラム化して現代に蘇らせることの方が、先人に対しての礼儀だと考えるからです。ぜひこのプログラム製作にご協力いただき、今の若い人たちに
閉塞感を打ち破る打ちでの小槌になるかもしれないツールを作りたいと思います。」

由布子は別人を見る思いだった。

あの線の細い、本と古文書に埋もれていた一樹からはとても出てこない考えだった。

研究者である自分を否定してでも、現実を何とかしたいというやむにやまれぬ男の気持ちを感じていた。

厳一は聞き流すつもりが途中から手を止めて、一樹を凝視していた。

何か引っかかりを感じていたのかもしれない。

誰も何も言わないので、

「由布子さん録音終わりです。スイッチ切りますよ。」

「え、あ、すんまへん。鈍なことで。おーきに。」

厳一が突然カウンターから出てきて、一樹の手を両手で握り締め、

「渡先生、ぜひやりましょう。私も及ばずながらお手伝いさせてください。これはなんとしても完成させて、世に出すべきものです。
お客様のお話に乗り出してしまい申し訳ありませんが、そうさせてしまう何かを持っています。」

「うちもそう思いますえ。センセのお話に夢中になってしもうて、録音やら忘れてしもて、えろうすんまへん。こんなに凄いお話聞いたことおへん。
そやけど、センセ、これ、責任持ってて、言わはったけど、そんなんしたら、今のお仕事のうなってしまいまへんやろか?うち、心配どす。」

「お二人ともさすがに海外で孤独に耐えてこられた方だから、このプログラムの凄さが一瞬でご理解いただけるんです。それだけでもある意味十分です。
大学や研究者たちの内輪の話でもコテンパンですわ。研究は何のためにやっているのかと逆に叱責や罵倒されることばかりです。ただ、釈迦に説法かもしれませんが、
幕末の徳川幕藩体制をひっくり返したのは、薩長の戦いではありません。当時飢饉や退廃していた世の中に人々が愛想を尽かし何かしていきたいとの思いを持つことが
その根底にあったはずです。それが薩長や坂本龍馬などの政治的うねりと融合した時、核爆発が起こり徳川幕藩体制を吹き飛ばしてしまったのです。今も同じです。
個としての日本人が変わろうとしなくて、何も変わりません。音吉のような無一文で言葉も分からない者が少年時代から外国へ放り出され一人でも生き抜いていく過程で、
彼が頼れるものは自分しかなく、そこには、漂流民ではなく、日本人として、更にアジア人として、英国と対峙して行けた結果、英国籍を取得できた。
じゃあその音吉をして、逃げることなく大英帝国と向き合わせたものはなんだったろうか?それを突き止めるのは古文書に頼った従来の研究だけでは限界があるのです。
物的証拠という平面的なことではなく、生きていた人物をその総体を立体的に捉えることができてこそ、初めて可能になるのです。ただそれは従来の研究を否定していない
にも拘らず、素人のたわごととばっさり切られる中に入ってしまうでしょう。それを理解してもなおこのプログラム化を推進していくと、私個人のレベルでは失職だけでなく、
研究者としての発言の場も含めて、学者生命は終わりです。それでもいいのです。学者は、自分の楽しみのために研究してはいけないのです。世の中に還元して、
貢献できないのなら、存在価値はないのです。本来はそうであるべきです。あ、すみません。皆さんが賛同してくださることがうれしくて、つい演説してしまいました。」

厳一の言った通りに由布子がやろうとする気にさせてくれた厳一の深い愛情に感謝するとともに、一樹の思いもかけない成長に由布子は人の人生の不思議さを再認識した。

場の感動を普通に戻そうとしたのは一樹が先だった。

「皆さん、このプログラムの成功を祝して乾杯しませんか?」

「すんまへん、うち、久しぶりのええお話に夢中になってしもうて、体、動かんようになってしもうて、すんまへん、ほないきまひょ。マスター。」

「これは気付かずすみません。では、仕切りなおしで、プログラムの完成と渡先生の無限の未来に!乾杯!」

「一樹はん、かんぱいどっせ!」

「由布子さん、マスターありがとう。乾杯!」

由布子は思わず一樹と呼んでしまったが、もう頓着する必要はなかった。

元フィアンセと元彼とに共通のミッションを持てたことは、世間の決めた、あるいは人が勝手に決めたことわりなぞ、はるかに超越してしまっていた。

そして、逃げずに進めといってくれた厳一の言葉を信頼して、行動できた自分に乾杯をした。

一段落したと踏んだ厳一は、メインのねぎま鍋を出した。

京野菜が多かったので、一樹も懐かしく、これは京菜とか言いながら由布子と鍋をつついていた。

厳一も安心して、予約客のほうの仕込みに集中できた。

「由布子さん、京野菜が出たので、昔の話を聞いてもらえますか?聞き流してもらえればいいです。これから、また、今回のプログラムに絡んで由布子さんと
ご一緒する機会もあると思うので、ぜひ話させてください。いいですか?」

「うちは、ええどすけど、そんなん話さんかてええんとちゃいますやろか?」

2015年2月27日
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人生海図 第3章 (9) (No.34)

2015年02月21日 08時15分44秒 | 小説
第3章 (9)

店に入っていったとき、がっちりとした体型で、ツイードの上着を着た男性客がカウンター席に座っていた。

傍には皮のコートがきちんとたたまれていた。

髪はスポーツ刈なので別人と思い一つはなれたところに座っていた。

厳一が出てきて、

「由布子さん、こちらが渡先生です。奥のテーブル席のほうに移りませんか?その方が落ち着きますから。渡先生、こちらが浦瀬さんから代理を頼まれた加茂由布子さんです。いま、近くでフランス風バー アンド ダイニング『oui』を経営されています。浦瀬さんによると、本日は急な用件で急遽シンガポールに戻ることになり失礼しました。代理ではありますが、由布子さんはおもてなしのプロなので、十分にお料理とワインをお楽しみくださいとの大阪弁のメッセージが入っていました。後は、由布子さんお願いします。」

「おーきに、小野マスターはん。うち、加茂由布子どす。一べつ以来でおますが、本日は浦瀬はん、そして、ご友人の宝田はんの代理や思うてよろしゅうお願いもうします。ほんなら、マスター、シャンパーニュからシュワシュク『グルニエ』でっしゃろ?」

「由布子さん、改めて、渡です。今あるところで教授待遇の研究員をしております。入って来られたときすぐに分かりました。私の方がご存知の時とは外見がすっかり変わってしまったので、さぞや驚かれるだろうと、マスターにご紹介されるまで黙っていて、失礼しました。今日の用向きと由布子さんが来られることも、浦瀬さんから夕方空港のラウンジからメールを頂き、承知の上で参っています。ご遠慮なく。では、マスターお勧めのシャンパーニュからいただきましょうか?」

由布子は内心驚いていた。

年齢や地位だけでなく、ずっしりとした重みを感じていた。

また、由布子が来ることも諒解の上来ていると言うことで、由布子の気持ちを少しでも軽くしょうとの配慮が伺えた。

それに、厳一があんなに由布子のスタートが切りやすいように方向を指し示してくれるとは思えなかった。

あらためて、いい男たちと過ごせることに喜びを見出せそうな気がしていた。

「ご丁寧なご挨拶、おーきにどすえ。そんなら、シャンパーニュ『グルニエ』でまず皆さんで乾杯しまひょ。マスター、音頭お願いできまへんか?」

「はい、渡先生のご提案が実ること、由布子さんが今後も代理を務められることを願って、乾杯!」

「由布子さん、お勤めご苦労様。乾杯!」

「おおきに。渡センセに、乾杯どす。」

 厳一が白身の刺身を持ってきた。

「今日は、メインにねぎま鍋をご用意しています。ねぎの代わりに京野菜を沢山盛っていますので、京野菜のしゃぶしゃぶのようにしながら、トロをお楽しみください。」

「由布子さん、今ではシャンパーニュ・グラスとワイングラスの違いも分かりますし、シャンパーニュ・グラスの持ち方もわかるようになりました。いい思い出にしています。シャンパーニュは私の好物ですが、予算の都合で、スパークリングワインにせざるを得ないことが多いのが残念です。」

「ええ思い出聞かせてもろて、おおきにどす。センセ、シャンパーニュが好物とはええ舌してはるんでっせ。それに、シャンパーニュかて、スパークリングワインとお値段が同じか、もしかしたらリーズナブルなお値段で、十分おいしいもん仰山ありますえ。うちのお店この近くどすから、いつでも寄ってくれはったらよろしおす。今名刺お渡ししますよってに。」

 一樹は、渡された名刺を大事そうに受け取って、一瞥して、懐から出した名刺入れに大切そうに仕舞った。

 由布子はそこに一樹がまだ自分のことを好きな証拠を見つけてしまった。

「ところで由布子さん、あまり酔っ払わないうちに本日のお互いの任務を完了させませんか?その方が気楽にその後飲めますから?」

「はい、そうさしてもろたら、うちかて、安心どすわ。」

「じゃ、これは今回の全貌をまとめたものです。浦瀬さんにお渡しください。ご友人の宝田さんの分も持ってきています。これです。ただ、ハイライト版なので詳細は又、浦瀬さんがおられる時の方がいいかと思います。中身は、音吉の漂流の歴史と、英国のアジア政策とのかかわりから始まります。すでに研究が進んでいる音吉の歴史的事実、漂流民を助ける、マリナー号の測量、通訳、日英和親条約などは、事柄説明に留めています。最も大きなポイントは、外務大臣で後首相になったパーマストン卿とのつながりです。音吉の何が、パーマストン卿を動かしたのか、それと、モリソン号事件で日本に入れず、マカオに戻ってきてからの消えた数年です。仮説としての結論は、あえて言えば音吉の中にいるもう一人の音吉を通して、何かがパーマストン卿の心を揺り動かした。ではその何かとは、何だ。14歳で日本から漂流民として何も持たずに出た音吉がいつからその存在を知り、どうやって自由に使えるようになったのか?そして、ここがプログラムのコアですが、音吉が発見したであろう自分をコントロールする力は現代の我々が使えるようにプログラム化できるのか、です。概要をかいつまんでお話して、それを録音されるのでしたね。わかりました。今から話しますが、録音の準備をされている間にトイレに失礼させてもらいます。」

一樹は由布子に一息入れるための時間と、厳一と打ち合わせするタイミングを与えるために、わざと中座した。

厳一は、用心のために、見えないところにもう一台別の録音機を置いた。

由布子はその厳一をいぶかしげに見ながら、録音の準備を手早くして、シャンパーニュ『グルニエ』を一気に飲んだ後、厳一を見た。

厳一が大きくうなずくのを見て、頭を下げた。それだけでこの二人にはまだ通じ合えるものがあった。

そのすべてが終わるのを計ったように、一樹が戻ってきた。

「由布子さん、準備はいいですか?」

「はい、お頼んもうします。」

2015年2月21日<旧正月のお祝いで連続掲載しています。この物語の核心に触れるところです。お楽しみください。>
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人生海図 第3章 (8) (No.33)

2015年02月20日 07時55分40秒 | 小説


その後お互い行ったりきたりしているうちに麻子が由布子を迎えに来たのを機に、厳一も日本へ帰ることになった。

由布子は、麻子に厳一とのことを包み隠さず話した。

結婚するのかと聞かれ、厳一次第だと返事した。

麻子は、父親に話す前に、厳一に確かめるよう由布子を説得した。

今のままをまだ楽しんでいたかった由布子は、麻子の勧めに躊躇した。

なんだか、嫌いではないけれど、自分が選ばれないような気がしていた。

それは、仕事をしているときの厳一は、別人で、仕事以外何も眼中になく結婚生活を維持できないのではないかと言う危惧があった。

由布子との結婚を話題にすることから遠ざけた。

ただ、厳一の仕事のためにと実家の父親を紹介した時、二人で調理場に篭っていた。

しばらくして出てきたとき、老舗の実家の後継者の話を父親が持ち出した時には、由布子は腰を抜かすほど驚いた。

何があったのかは守秘義務と称して二人とも厳として語らなかった。

由布子が躊躇している間に、親族を半ば腕づくで、父親が説得し、由布子が結婚する、しないに関わらず後継者に決めてしまった。

厳一自身も思わぬ展開で面食らっていたが、老舗の後継者と認めてくれたのはありがたい。

しかし、まだやりたいことがあるので、今すぐにその枠に入ることができないという厳一に父が提案した。

東京でアンテナショップのような形で自分とつながっていて欲しいとの提案を父がした。

厳一はしばらく時間が欲しいと言って、即答を避けた。

麻子はこの時を逃すと又一樹の二の前になると、由布子に厳一と嵐山の別荘でしばらく二人だけで過ごすことを勧めた。

厳一と由布子にとって、ありがたかった。

フランスから戻って二人きりになる時間はほとんどなかったので麻子に感謝した。

嵐山で数日はおとなしくしていた厳一だったが、すぐに出かけるようになり帰りも遅くなった。

色々と京都の味を調べているようだったので、由布子は心配ではなかった。

同時に自分も何とか店を持ちたいと父親や関係者の間を巡り歩いていた。

そんな時、麻子から今聞かないでどうするの?また一樹さんと同じことをやる気と言われ、意を決していた。

厳一からも、自分とワインとどちらが好きかと逆に聞かれ、呆然としながらも、ワインと答えてしまった。

厳一はこれほど泣けるかと思うくらい泣き、由布子の決断を自分のことのように評価してくれた。

あれほど固辞していた由布子の実家の申し出を受けることを承諾した。

この時以後、厳一と由布子は、表向き結婚を前提としたパートナーとなっていた。

が、実態は、由布子は何をしても、厳一は関与しないことになった。

ただ、最初に出会ったときと同じように人としてお互いを認め、愛する気持ちには変わりはなかった。

由布子はこのことで少し成長した自分を感じていた。

しかし、一樹とはまだ決着がついていない。

長い回想が終わる頃、由布子の心は決まった。

というより、心のエネルギーが動き出したように感じた。

厳一の前で話した役割を淡々と誠意を持ってやることが、一樹への償いにつながると思えた。

もし、それで、一樹に何を言われようとも甘んじてすべて受けるしかない。

ただ、宝田や浦瀬のことを考えると由布子が今後もつなぎ役を務めるしかなく、その時は、今の厳一と同じような関係でいられたらと思えるようになっていた。

後は、一樹次第だった。

由布子は、先に『小野』で待つつもりで早めに出かけたのに、暮れの人ごみの中、結果的に先に一樹が待っていた。

2015年2月20日<旧正月のお祝いに連載しています。これで登場人物がそろってきたので、物語が展開していきます。お楽しみください。>
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人生海図 第3章(7) (No32)

2015年02月19日 10時22分44秒 | 小説
第3章(7)


慣れたとは言え、まだフランス語がよく分からない由布子をそれとなすサポートしてはくれるが、女としてではなく、人としてみてくれた厳一が由布子には新鮮だった。

生まれたときから京人形だといわれ続けてきたので、外見に関しては何を言われても無感動になっていた。

又、その類で自分に近づいてくる男は、数知れなかった。

それも、日本を出たい理由の一つだったかもしれなかった。

厳一はまだ心の動揺が収まらない由布子をワイナリーの中を案内して、一心にシャンパーニュの製造プロセスや、高価ではないありきたりのシャンパーニュがどんなにおいしいかを色々テイスティングを通して、由布子に分かってもらおうとしていた。

由布子の外見や話し方には一切触れず、自分の話への理解度だけを気にしていた。

最後におずおずと自分が考えた日本の味とシャンパーニュの取り合わせを日本人に試してもらいたいので、別の日に由布子を訪問していいかと言われたときに、由布子は即座に承諾した。

この瞬間から心の動揺とエネルギーは静まり始めた。

しばらくして、厳一からいい材料が手に入る目算が立ったので、訪問日の連絡があった。

由布子はフランソワに話して、厳一のために部屋を用意した。

厳一が持ち込んだのは日本風にアレンジした白身の魚とシャンパーニュだった。

いままで、生家の関係で日本料理なるものは普通以上に優れたものを食べた経験のある由布子が、あっと思うようなできであった。

それは日本酒がベストだと思われるような、淡い味付けだが、試作の辛口のシャンパーニュだと、絶えず口の中をきれいにしながら食べるような感じになるので、いつもまでも最初の味が楽しめた。

また、アルコール度数の低いものも厳一が用意してくれたので、更にシャンパーニュの奥の深さを知ることとなった。

由布子は、一連のサービスをしている厳一の目がきらきら光り、自分が食べる口元を凝視し、どんなコメントが出るか不安ながらも、ワクワクして待っている子供のような姿を見た。

そんな成人男子を見るのは初めてだった。

厳一は、由布子がすべて平らげ、自分の持ち込んだシャンパーニュに満足したのを確認して、帰り支度を始めた。

由布子は、これからシャンパーニュに帰るのは道中が心配だから、用意した部屋に泊まるように言った。

翌日は休みなのに、朝が早いからと固辞する厳一をフランソワにも手伝ってもらい、説得成功した。

その夜、ディナーで見せた厳一の料理の技にフランソワとワイナリーのオーナーである父親は感動し、いつでも自分のところで受け入れるから来てくれと勧誘していた。

また、将来日本で店を出すときにはぜひ、自分たちのワインを置かせてくれと懇願するほどだった。

フランソワによると、誇り高い父親がそんなことをするのを見たのは初めてだった。

時間が遅くなり、厳一を部屋に案内した由布子は、自ら内鍵を掛け、体を投げ出した。

二人が結ばれた夜だった。

翌日、まだ戸惑いの残る厳一のために日本式の弁当を用意した由布子は、再会を約束した。

厳一と結ばれることは由布子にとって何か当然だった。

初めて人扱いしてくれたからかもしれなかった。

当然、婚約破棄の手紙を一樹に送った。

2015年2月19日 <旧正月のお祝いとして連続掲載しました。お楽しみください。>
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人生海図 第3章 (6) (No31)

2015年02月16日 07時49分23秒 | 小説
第3章(6)

一樹と出会ったのは京都の実家が催す花見の席だった。

京都の国立大学の文学部長に連れられてきた一樹は新進気鋭の研究者で、本と古文書に埋もれた生活だった。

ワイングラスもシャンパーニュ・グラスも分からず、まして赤ワインが種類に応じてグラスが変えられるなど、もっと分からずまごついていた。

それを見て、気のよい由布子がさりげなく誘導することで恥をかかずにすんだ。

ただ、姉の麻子との歴史談義になると舌鋒鋭く、国際社会を渡っていた姉でさえ、しばしばたじろぐくらいであった。

学部長は自らが歴史の専門家であるために、麻子に合わせる目的だった。

研究者としての一樹は、麻子を女ではなく、いい意味のライバルとしてしか見ようとしなかった。

逆に世間知らずの自分が恥をかかないようにさりげなく誘導してくれた由布子に好意を持ち、学部長を通して、正式に付き合うことを申し込んできた。

実家の父は、無骨もんの割りにはきちんと筋を通してきた一樹を気に入り、由布子が次女であることもあって、研究者が夫になるのならこのまま手元におけると考えた。

無骨者の割に筋を闘してきた一樹を積極的に支援した。

由布子は、学生時代ほとんどが通過するありきたりの淡い恋はしたが、自分の心を揺るがすような経験はなかった。

だから、一樹の一途さが却って生来の由布子の心を初めて揺るがしたのかもしれなかった。

麻子はそんな由布子と一樹がいずれ破局を迎えることを予想していた。

最初はツインとしての勘だったが、姉として誰も知らない由布子の心の中にある自分にはない激しいエネルギーの存在を知っていたからだ。

小さい時から、日頃は優しくても、ここ一番のときの筋の通し方は並みの大人でもたじろぐことがあった。

父親はそれを誇らしく思ったが、女性であることとその気の強さとがどう交じり合っていくのかに不安を感じて、麻子にそれとなく気を配るように命じていた。

そんな由布子が一樹では満足できない自分がいるのを感じたきっかけは、先ごろ亡くなったポップスの帝王と言われた世界的ミュージシャンのビデオだった。

何気なく立ち寄った古手のCDやビデオを取り扱う店のモニターに写ったシーンだった。

その世界的ミュージシャンに会うためにアフリカで飢餓に接している人たちが何日もほとんど飲まず食わずで、歩き通して会場にやっとたどり着いても、10万を超える人並みでは音も聞こえない。

だが、その人たちは、神に会えた様に歓喜に体を震わせ、涙している姿だった。

由布子はその場に立ち尽くし、心が初めて揺らぎ、涙が溢れ、店員の声も聞こえなかった。

モニターが消えた後も立ち尽くしたままだった。

その後とった行動は、一樹にしばらく会えないけれど、理由を聞かないでくれと一方的に電話し、告げたことだった。

家に戻って、麻子に一部始終を話し、もう一樹とは会いたくないし、事実上の婚約も破棄したいけれど、父のこともあるのでどうすればいいかと相談した。

麻子は恐れていたことが起きたと判断するや、フランスのかつてのルームメイトに連絡し、父を説き伏せ、フランスに由布子を送り出す。

一方、一樹とは、歴史談義を通じてそれとなく由布子の隠れたエネルギーの存在が彼女に火をつけてしまったことを諭した。

最初は動揺していた一樹も、歴史談義を通じて言われると、納得せざるを得なかった。

責任のない周りからは、我儘だとか、自分勝手だとか、世間が許すはずがないとかの声もあった。

表向き父が勘当としたことで、それらは尻すぼみで消えていった。

麻子はどちらが身勝手だと言いたい思いだった。

人の人生を誰が指図できるのか?指図した人間はどう責任が取れるのか?そんな責任も取れないことを言うべきではないと由布子に代わって言いたかった。

確かに由布子が一樹に自分の気持ちの急変をうまく正確に伝えられなかったことの責は、由布子自身にあった。

だからといって、急変を他人がとやかく言うべきではなく、又言ってはいけないことだと、麻子は由布子に諭した。

由布子は自分の一樹に対する伝達の稚拙さは後に認められるまで成長していったが、当時は、それすらも、分からず、ただ心の命ずるままにフランスへ逃げていった。

私に、行動も、判断も、メールの返事すらするなと言ったのは、由布子のこの経験に基づいていた。

傷心の由布子を慰めてくれたのは、麻子のルームメイト、フランソワだった。

ただ泣いているだけだった由布子をぶどう狩りに誘ってくれた。遊びとは違って、かなりの労働だった。

元来見かけとは違って丈夫な由布子にとって、重労働に見える仕事が楽しく一心不乱にやることで、とりあえずこれからを考えられる状態に数ヵ月後にはなっていた。

フランソワはワイナリーオーナーの父に話して、日本食をよく知っている由布子にワインの味を覚えさせ、自分のワイナリーで日本向けの開発を更に促進することになっていった。

京都の繊細な味に鍛えられていた由布子は、短日にして、一人前のソムリエとして通じる技術を身につけた。

後は、試験を受けるだけになっていたそんな日、フランソワが気晴らしに連れて行ったシャンパーニュの試飲会で、小野厳一と出会った。

2015年2月16日
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