-銀座(2)『YOU-Mine』社長とはー
「そうです。いままで、法人会社の毒牙にかからないようにするにはという方面から色々やってきました。この「空」をよく見てみると、人生会社の経営が上手くいっていると法人会社でも上手くいけるのではないかという仮説ができてきます。法人会社での出来を自分が判断すると、また墓穴を掘ることになりかねません。そうではなくて「空」の状態であるかどうかを何かの方法で知ることができればそれが法人会社の成功につながっているのではないかと思います。」
「今までよく言われてきたのは、法人会社で毒されないためとか、法人会社の功績は外の世界でのできごとでそれを人生会社と錯覚するなどのいわば受身の発想でしたね。」
「そうなの。いま少し分かってきたのは人生会社の側から法人会社とどう向き合うかを見ることなのよ。その手がかりが、「空」であるように思うの。特に経営者の立場に立てば一言一言がいつも矛盾する可能性をはらんでいるの。社長として、業績を上げるには、法人会社の権化のようなことを強いらなくてはいけない。個人に戻るとそんな事はできない。人生会社を放棄させるようなことは言えない。その自己矛盾を解決して人生会社の立場を維持できるのがこの
「空」かもしれないの。」
「理恵さん、いきなりすごい話になっているけれど分かるような気がします。私は事業家の経験はありません。ですから、どんなときもまず知らない分だけ状況をよく見ようとします。考える前に、現場はどうなっているかの把握です。そして自分の知っている言葉でそれを消化してみます。そのうえで、何をするかを考えて見ます。それから始めて社員に社員の把握している現状を聞きます。比べてみて納得のいかないところはなぜか聞いてみます。専門知識や学歴などはすべて社員のほうが上です。だから、方向さえセットしてあげれば私が何かやるよりもっとうまく社員が楽しんでやってくれます。そのときは「空」です。この「空」は、理恵さん、中田さん、港さん、私の父澤村がシンガポールで話されていたときに出てきたと言われています。倉本の知る限りでは、孫子も将軍の役割は自らが前に出てすべてをコントロールするのではなく、あらかじめ策をめぐらせておけば、後は現場がやっていることを静かに見ているだけだという態度らしいです。だから、勝っても特別なことはしていなくてその場に居合わせただけという返事が出てきます。これらすべてが、「空」ではないかと思います。生意気ですが。」
「わたしはこの「空」が一つの例で、西郷先生の「敬天愛人」勝海舟先生の「公」はすべて同じような気がしています。到達するまでのプロセスはそれぞれの背景から違っていますが、到達点から逆に見ると同じですね。山岡鉄舟翁の
「富士の山、晴れてよし、曇りてもよし、元の姿は変わらない。」と言われていることも同じ領域です。」
「父の澤村が、祖父から教わったとき自分で悟ったこととして、お酒の元になる米は米だ。その米に対して自分がどれだけ、尽くす、つまり、「空」になれるかで出来具合が決まると言っていました。なんか、いいお話ですね。世の中の経営学と言うのはもっと色々な知識が必要とされるので私には到底無理だと思っていました。」
「そういう方面もあります。それは中級管理職まででしょう。トップになるほど、結論は同じ。そこへのアプローチに差があるだけだと分かってきます。とすれば、最初からトップになることを目されているのなら、余計な知識は頭に入れず、世の中をよく見て自分で消化して、後はどれだけその現実を受け入れてから突き放す。つまり、自分をその現実から一歩外に出すことです。なんだか、ワインを楽しみに来たのに堅苦しい話になって申し訳ありません。」
「そんなことありません。那美は耳学問ですが、後は、倉本にまた教わります。」
「いや、最近の那美オーナーには教えることなんかありませんよ。わたしの知っているのは世の中にはそのことを言い表すのに別の言い方がありますくらいです。つまり、人間事典みたいなものです。」
「話はがらりと変わりますが、オーストラリアのほうはどんな状況ですか?何かお困りの事はありませんか?」
「州政府との話し合いは西波グループからの灌漑事業に対する出資で落着しました。しかし、吉之助さんによると継続的な投資プランと灌漑事業拡大の計画が暗に求められているようです。更に、日本と同じ水田ではなく、できるだけ水を使わない品種の改良と、実験的にやってみた合鴨を使った害虫駆除、が受けたので合鴨の養殖などで地元の転業を救えないかとの示唆も出てきているようです。」
「先日グレイスからその件に関して纏まった資金が用意できる旨の連絡がありました。そのためには灌漑計画と水田開発および合鴨養殖についての事業プランが必要です。那美さんにお願いしてもいいでしょうか?」
「ハイ、私がすべてをやるわけではありませんが窓口として承ります。父もいろいろな人を集めてこの事業が父の地元だけでなく、メルボルンの地元の方にも喜んでいただける方向にしていきたいと言って奔走しています。私には一歩はなれて全体をよく見ているようにと指示されています。」
「承知しました。事業のほうを立てていただければ、投資のほうは私どものほうでやります。両方が揃ったときに日本へグレイスが来るそうです。他の案件もあるようなので。」
「じゃ、そのときは京都へみんなで行くことになりそうですね?」
「おそらく。」
その後は、ワイン談義になり、理恵は久しぶりに緊張を解いていた。
2012年5月30日