昨夜から音吉プログラムに没頭して寝ることも食べることも忘れていた一樹は、昨夜、由布子にもらった食べ物を温めて、軽くワインを飲んだ。
昼間ではあったが、一樹にとってそれは関心外だった。起きた時が朝で、寝ているときが夜。
うつらうつらしていると、音吉が浮かんできた。
何やら手紙を書いているようだった。はっとして起きた。
そうだ。マカオに帰ってきてやはり船員の道を選ぶとしたら、自分を助けてくれたハドソン湾会社に先ず手紙で職の有無を確かめるだろう。
とすればその相手は、ハドソン湾会社仲買人取締アーチボルド・マクドナルド、仲のよかったラナルドの父親の可能性は高かった。
そして、何らかのことで、英国で研修を受けて英語を磨き、ハドソン湾会社あるいは、どこかの会社で実践を積む。
一方、音吉の職の口を聞くことで、音吉とは繋がっていられるメリットが、ハドソン湾会社にはあったのだろう。
特に、フォート・バンクーバー総支配人、ジョン・マクラフリン博士は、この時同じ職にいるかどうか分からなかった。
が、音吉たちを助けたことは人道的に賞賛されたものの、英国政府の同意前に音吉たちを英国やマカオに送った費用については、会社の中で非難されていた。
アヘン戦争の動向次第では、日本との通商開始の案を再度出せる切り札を確保しておくことは、悪くなかった。
もしその方面で使えなくても、命を助けた人物に投資して、アジアでのハドソン湾会社あるいは、英国政府の活動の一端を担わせるのには格好の候補者であると考えなかったとは言えまい。
一樹は、もし、音吉が一樹の想像している範囲で英国に渡ったとしたら、どんな生活をしていたかを考えてみた。
恐らく、海図を作るための技術の習得と実践が基本だっただろう。
世界を支配していた英国にとって、より正確な海図は誰が作ろうとも、正確でありさえすればよかったとして、もし、その中心に英国政府や企業から投資さえすれば、
技術を覚えて実践してくれる東洋人がいれば、断る理由などなかっただろう。
その東洋人、音吉は、モリソン号に乗り組む時点で北京語はかなり理解できていたとするなら、その用途は大きく広がってくるだろう。
一定期間監視下において、研修と実践を繰り返した後、政府の息のかかった会社に送り込んで、アジアの秘密のエージェントのような仕事も可能であっただろう。
ここで一樹は、音吉の立場に立って想像してみた。岩吉、久吉と同様にイギリス植民地庁に就職できても、その後はいつどうなるのか分からない。
それよりもまだ若いうちにどこでも通用する船員としての技術と、広い世界を渡っていけるだけの語学力を身につける方が優先すると考えていたのではないだろうか。
そこまで、思いをめぐらせば、ラナルドの父親に手紙を書くのが一番確実だし、新たな一歩を踏み出すのに、自分を助けてくれた人達。
英語教育をしてくれた人たちのいる会社に先ず相談するのが筋ではないかと考えるのは、不合理でないだろう。
そうすると、やはり英国へ渡っていった公算は強くなる。
英国での暮らしに関して、麻子の力が必要だった。
麻子は政治史と当時のロンドンの生活に興味を持って、専門をどうするか悩んでいたくらいだった。
したがって、英国生活探求は、麻子と印をつけて、次に進むことにした。
1843年上海に戻ってきた音吉が就職したのは、アヘン売買を主にしていたデント商会だった。
宝順洋行と中国名の社名も列記されるのはこの直ぐ後だったらしい。
恐らく、その時点で音吉に資金提供者が現れ、少なくとも、上海のデント商会の共同経営者、今で言うパートナーシップ、のような地位にあったのではないだろうか?
デント商会と宝順洋行の名前を巧みに使い分けながら、中国人を装って、長崎に出入りすることは、音吉にとってそう困難なことではなかっただろう。
そんな上海での生活が始まってすぐの、1843年と1844年に摂津国の永住丸の漂流民を日本へ帰れるように手配している。
もし音吉が、一介の会社員であったとするなら、上海に現れて直ぐの時点でこれら漂流民を日本へ帰れるような手配ができただろうか?
自分の給与などたかが知れていただろうし、どうがんばっても正規ルートだけでは到底日本へたどり着けなかっただろうから、どうしても割高になっていたはずだ。
その資金はどこから捻出できたのか?
この後、救助したとされる漂流民達は1回で10人を超えている。
音吉が漂流民たちを探してきたわけではなく、救助した外国船あるいは、漂流民たちが音吉を頼ってきていたらしかった。
では、その外国船なり、漂流民たちは、音吉なる日本人らしき人物が上海にいることをどうして知りえたのか?
外国船に、先の英国の奴隷貿易禁止策の一環として、日本人漂流民の担当者が上海にいると告知してあれば、理論的に可能である。
当時、英国はこの施策に基づき解放した奴隷漂流民には報奨金を支払っていたとある。
それを受け取るためには、日本人担当の音吉にしっかりと受け渡す必要があったのかも知れない。
もしそうであったなら、音吉が政府の資金を管理していた可能性も否定できない。
2015年8月6日