「楽しみだ。最終日に、最高の結果が望める。あした。」
ジャン・ピエールが帰ると、麻子はいったんホテルの部屋に戻り、由布子に顛末を話し、明日のランチだけは確保した。
由布子はあまり気乗りではなかったが、麻子が根回ししてくれたことへの感謝から、承諾した。
本当のところ、そんな訳の分からない人物と会っている心の余裕はなかった。
夕方、厳一のところに出かけていくと、待っていたように、
「由布子、渡先生の件はしばらく俺に任せて、宝田さんに集中して来い。お前が帰ってくる頃には、いろいろなことが決まってきていると思う。
具体的には何とは言えないけれど、生活の安定確保と研究費の捻出、そして、音吉プログラムへの認知だ。」
「え、それなんどす? うちの知らん間に厳一はんがやってくれはったん?おおきに。いっつも、助けてもろてばっかりどす。うち、いつまでたっても、あかんたれどすな。」
「何、言ってる。由布子がいればこそ、みんなが動けているんだよ。由布子がみんなのつながりの中心にいるんだよ。それはみんなが望み、多分由布子の人生のミッションなんだと思う。人と人を繋ぐ。最初はワインだったけれど、今は、由布子自身がそこまで成長したんだ。これからは、少し窮屈なこともあるけれど、投げ出すな。いつも応援しているから。」
「厳一はん。おーきに。なんや、一緒におった時より、今の方が近いどすな。なんて言うたらええんかわかりまへんけど。」
「ありがとう。悪いけれど、岡崎さんから連絡があって、浦瀬さんの上司の方々が、急に来られるんだ。今その仕込みしているんだ。」
「え、そうどすか?あんじょう、頼んますわ。浦瀬はん、そのお人のおかげで首になりかけて、そやけど、GINKOママの機転で首が薄皮一枚で繋がりはったんどす。
よろしゅうに。その岡崎はん、浦瀬はんの同僚はんでっしゃろ?うち知ってますねん。そやさかい、もしどっか行かはるようやったら、
うちに来てもろてください。ほんまに、色々繋がってきはりました。ほな、これで。明日の晩から、シンガポール行かさして貰いますよってに。」
「由布子、気をつけてな。あんまり、宝田さんの前で、力入れるなよ。下から持ち上げるようにするんだぞ。上から、物言うな。浦瀬さんにも会っておいで。
今日の結果は、メールしておく。そちらに行くように誘導するし、決まったら、即電話する。」
「へえ、おーきに。お世話さんどした。」
由布子が店に出勤する頃、一樹は一人寒々とした研究所にいた。
この寒さの中、暖房器具はない。ありったけの服を着ていた。
光熱費がもったいないだけではなく、音吉プロジェクトをやるための、暖房断ち、ある種の願掛けかもしれなかった。
あるいは、一樹の頭脳が暖房を嫌っていたのかもしれない。
陽が射さないこともあって、コンクリートの建物は底冷えがした。まるで、独房のようだった。
しかし、一樹は、そんなことには頓着していなかった。
壁にはずいぶん昔の由布子の写真が丁寧に額に入れて飾ってあった。
疲れたり、寒さにくじけそうになると、それを見てエネルギーを呼び起こした。
今一樹の頭にあるのは、何を糸口として音吉プログラムをプロセスとして始めていくかであった。
抽象概念ではいくつか浮かんでいるのだが、どうしてもリアリティーがなかった。
研究者としての立場からではなく、何かを実践してきたものこそが分かる分野かも知れなかった。
厳一のような経験を持つものが加わらないと、これは解決の仕様がなかった。
しかし,厳一は店を持っているので、どうしても定期的な参加は難しそうだった。
あの、大阪弁の浦瀬のような、そんなタイプが望ましかった。
厳一が言っていた私は、どんな人物か?もし、時間があるなら、シンガポールからでも、このプロジェクトに参加してもらえないかと考えた。
しかし、面識がなかった。
ここは由布子に頼むしかない。
所持金は、5千円しかなく、次のバイトシフトは来週だった。
食べ物は何とかカップラーメンとかで、食いつなげそうだと踏んで、一樹は、由布子の
店に向かった。
手には、私への質問状が握られていた。
その後ろを北村がつけていることなど、思いもよらないし、むしろ関係なかった。
2015年4月24日