goo blog サービス終了のお知らせ 

シンガポール&美浜 発信 文左衛門の部屋

写真集★シンガポール&美浜の海・景色・街・食
私小説★男女・愛・起業・歴史・外国・人生
コラム★心の梅雨を飛ばす気

人生海図 第4章(8) (No.46)

2015年04月24日 09時04分24秒 | 小説
第4章(8)

「楽しみだ。最終日に、最高の結果が望める。あした。」

ジャン・ピエールが帰ると、麻子はいったんホテルの部屋に戻り、由布子に顛末を話し、明日のランチだけは確保した。

由布子はあまり気乗りではなかったが、麻子が根回ししてくれたことへの感謝から、承諾した。

本当のところ、そんな訳の分からない人物と会っている心の余裕はなかった。

夕方、厳一のところに出かけていくと、待っていたように、

「由布子、渡先生の件はしばらく俺に任せて、宝田さんに集中して来い。お前が帰ってくる頃には、いろいろなことが決まってきていると思う。
具体的には何とは言えないけれど、生活の安定確保と研究費の捻出、そして、音吉プログラムへの認知だ。」

「え、それなんどす? うちの知らん間に厳一はんがやってくれはったん?おおきに。いっつも、助けてもろてばっかりどす。うち、いつまでたっても、あかんたれどすな。」

「何、言ってる。由布子がいればこそ、みんなが動けているんだよ。由布子がみんなのつながりの中心にいるんだよ。それはみんなが望み、多分由布子の人生のミッションなんだと思う。人と人を繋ぐ。最初はワインだったけれど、今は、由布子自身がそこまで成長したんだ。これからは、少し窮屈なこともあるけれど、投げ出すな。いつも応援しているから。」

「厳一はん。おーきに。なんや、一緒におった時より、今の方が近いどすな。なんて言うたらええんかわかりまへんけど。」

「ありがとう。悪いけれど、岡崎さんから連絡があって、浦瀬さんの上司の方々が、急に来られるんだ。今その仕込みしているんだ。」

「え、そうどすか?あんじょう、頼んますわ。浦瀬はん、そのお人のおかげで首になりかけて、そやけど、GINKOママの機転で首が薄皮一枚で繋がりはったんどす。
よろしゅうに。その岡崎はん、浦瀬はんの同僚はんでっしゃろ?うち知ってますねん。そやさかい、もしどっか行かはるようやったら、
うちに来てもろてください。ほんまに、色々繋がってきはりました。ほな、これで。明日の晩から、シンガポール行かさして貰いますよってに。」

「由布子、気をつけてな。あんまり、宝田さんの前で、力入れるなよ。下から持ち上げるようにするんだぞ。上から、物言うな。浦瀬さんにも会っておいで。
今日の結果は、メールしておく。そちらに行くように誘導するし、決まったら、即電話する。」

「へえ、おーきに。お世話さんどした。」
 
由布子が店に出勤する頃、一樹は一人寒々とした研究所にいた。

この寒さの中、暖房器具はない。ありったけの服を着ていた。

光熱費がもったいないだけではなく、音吉プロジェクトをやるための、暖房断ち、ある種の願掛けかもしれなかった。

あるいは、一樹の頭脳が暖房を嫌っていたのかもしれない。

陽が射さないこともあって、コンクリートの建物は底冷えがした。まるで、独房のようだった。

しかし、一樹は、そんなことには頓着していなかった。

壁にはずいぶん昔の由布子の写真が丁寧に額に入れて飾ってあった。

疲れたり、寒さにくじけそうになると、それを見てエネルギーを呼び起こした。

今一樹の頭にあるのは、何を糸口として音吉プログラムをプロセスとして始めていくかであった。

抽象概念ではいくつか浮かんでいるのだが、どうしてもリアリティーがなかった。

研究者としての立場からではなく、何かを実践してきたものこそが分かる分野かも知れなかった。

厳一のような経験を持つものが加わらないと、これは解決の仕様がなかった。

しかし,厳一は店を持っているので、どうしても定期的な参加は難しそうだった。

あの、大阪弁の浦瀬のような、そんなタイプが望ましかった。

厳一が言っていた私は、どんな人物か?もし、時間があるなら、シンガポールからでも、このプロジェクトに参加してもらえないかと考えた。

しかし、面識がなかった。

ここは由布子に頼むしかない。

所持金は、5千円しかなく、次のバイトシフトは来週だった。

食べ物は何とかカップラーメンとかで、食いつなげそうだと踏んで、一樹は、由布子の

店に向かった。

手には、私への質問状が握られていた。

その後ろを北村がつけていることなど、思いもよらないし、むしろ関係なかった。

2015年4月24日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生海図 第4章(7) (No.45)

2015年04月20日 20時31分46秒 | 小説
第4章(7)

厳一が北村と別れてすぐに、携帯電話が鳴った。

「厳一はん、ちょっと夕方、お邪魔してよろしゅうどすか?一樹はんのことで。」

「ああ、すこしだけなら。早めに来てくれる方がいいな?ちょっと予約があって。」

「おおきに。ほんなら、うち、早めに行かさしてもらいますえ。」

麻子が由布子とのランチをさっさと済ませたのには、訳があった。

由布子が私を送り出すことになったカフェで出会った奇妙な外国人からもランチの誘いを受けていた。

それを、ティータイムに変更してもらい、会うことになった。

この外国人ジャン・ピエールは、ちょっと前の言い方で言えば、コングロマリットのオーナーだ。

日本のシンボルを探しに来ていたとき、由布子と出会った。

由布子が成田に向かった後、姉の麻子に、由布子と商業ベースの話をしたいので取次ぎをしてもらいたいと申し込んでいた。

麻子はこの手の話には裏があったり、ガセも多いので、今、私や一樹のことで揺れている由布子には言わず、確実な裏を取るために動いていた。

手始めにルームメイトであり、由布子を預かってもらったフランソワに話した。

もし本物だったら、自分の父親がお世話になっている人で、それは凄いことになるが、そうでなければ、とんでもない詐欺に発展すると言った。

その言葉で今日会うことに決めた。

麻子は会うなり、オックスブリッジ、オックスフォード大学やケンブリッジ大学のあたりで話される英語、でジャン・ピエールに話しかけた。

「ジャン・ピエール。お招きに預かり光栄ですわ。由布子に興味を持っていただいてありがとうございます。
由布子は今海外も絡むプロジェクトで多忙を極めておりますわ。私でよければ、先日のお話の続きなどをお聞かせ願いませんこと?」

いつもの高飛車に出る、麻子に完全に戻っていた。

ジャン・ピエールも当然だとばかり、

「ミス・アサコ、お会いできて光栄です。ミス・ユウコが多忙を極めているのはいいことです。私は、彼女が着物を着て私たちに挨拶してくれた時の感動を忘れません。
日本中を色々探しました。最初はプロを考えていましたが、日本ではまだ無色のプロはいなくて、すでにどこかの色が付いていました。この間も、
新人だという女性たちを見ましたが、とても私たちが考えていたレベルではありませんでした。ミス・ユウコは、外見と内面がマッチしているだけでなく、
言葉や振る舞いがとても私たちにとって新鮮でした。あの時は何かエマージェンシーだったようですね?その時の彼女のインストラクション少し聞こえました。
日本語がわかるものに言わせると、現代の女性ではとても稀な、かつての日本の女性が海外へ進出していった時の、そう、フランスのファッション界へ飛び込んで
きたきらびやかな女性たちを髣髴とさせるものを感じました。それでいて、しっとりとした京都の町並みを思わせる風情は、しっかりとお持ちでした。
ミス・アサコが現れたとき、我々の驚きは頂点に達しました。恐らく、ミス・ユウコが洋服を着るとこうなるだろうという場面をお二人同時に見ることができました。
本来なら、ミス・アサコにもお願いしたいのですが、研究者ということで諦めざるをえませんが、いつでもご連絡ください。」

「どれだけ由布子がジャン・ピエールにとって商品価値があるか分かりましたわ。ただ、道端で出会って、お話しているのでは到底すまない規模に発展するような構想を
お持ちとお見受けしておりますの。」

「つまり、詐欺か何かと?」

ジャン・ピエールの笑いには麻子の疑問は当然であるが、自分は本物という自信を溢れさせていた。

「私の友人がフランスにおりますの。その父親が、あなたにとてもお世話になっていると言ってきていますわ。もしあなたが、本物なら。」

「わかりました。」

 時計を見て、

「では午後4時にその方に電話しましょう。スカイプで、カメラオンにすれば、一目瞭然です。向こうは朝8時でちょうどいいのではありませんか?いかがです。」

「承知しましたわ。そうしていただけると、時間に無駄がなくなります。」

「ところで、ミス・ユウコはどちらの国に行かれるんですか?」

「それをお聞きになって、どうされるのでしょうか?」

「私たち、週末をシンガポールの新しいカジノも見たりして過ごすことを考えています。」

「電話の後にお答えするということでよろしくって?まだ、信頼できる状態ではありませんので。」

「ミス・アサコは、国際交渉に慣れておられる様子ですね。ご専門を伺ってよろしいでしょうか?」

「ええ、19世紀の英国が行っていた奴隷貿易禁止政策とアジアのおける政策実施ですわ。それが何か?」

「英国がシンガポールを手に入れて、アジアにおいて先の戦争まで圧倒的地位を確保していけた基本のところですか?なかなか、興味がありますね。
我々は、シンガポールをラッフルズ卿が発見したことについて、今回のプロジェクトをラッフルズと名付けています。当時は、南国の未開の島だった
シンガポールは、ラッフルズ卿を契機に大きく変わり、アジアの英国としての地位を固め、地政学的にも、現在は更に重要性が高まっています。我々は、
このシンガポールにアジアの拠点を置き、日本をサポートする体制を組もうとしているのです。日本はいまだに、負のスパイラルから抜けられないでいます。
今まで日本の発展を支えてきた諸制度、官僚制度、米国中心の貿易、政治姿勢などすべてが逆に振れて、足枷になっています。それを脱却する方法は、一つです。
米国思考をやめて、アジア思考に変えることです。それは米国を見限るのではなく、アジアの代表としてゲートウェイとなることです。それはアジアを従えること
ではありません。アジアから米国へ直接乗り込んでも資本力など到底やっていけないことも多いでしょう。それを日本で取りまとめて、米国にアジアを流し込んで
いくような付き合い方をすればいいのです。そうすれば、中国は、日本に対して、今のような勝手はできにくくなります。それはアジアの諸国とは、進出している
その国の企業には自国の企業と同等の取り扱いをする条約を結んでいるからです。シンガポールもその一例です。逆に、日本から中国へは、シンガポールを
ゲートウェイとしていくことができるようになってきます。この絆を、アジア諸国は求めています。日本しか中国と対等に立ち向かえないのをみんな知っています。
このアジア諸国の願望と考え方を知らないのは、日本だけです。又知ろうともしないのです。残念ですが。」


麻子は話の展開を聞いているうちに、この人物は本物だと思えるようになっていた。

単なる詐欺師でここまでは言えない。

しかしここは、慎重にフランソワによる人定が終わるまで待った方が相手からの信頼も高まると思った。

「ジャン・ピエール。よく学習されていますわね。いい目の付け所でしょう。一人でも多くの日本人がそのように考えてくださることを私も望みますわ。」

ジャン・ピエールが時計を見て、

「お、4時ですね。では、スカイプで話してみましょう。英語でやりますから。」

「ハイ、フランソワ?画像が見える?ジャン・ピエールです。」

「まあ、ジャン・ピエール?英語を使うなんて。」

「ええ、ミス・アサコにあなたに電話するよう指示があったので、英語です。」

「アサコがそこにいるの?代わってくれますか?アサコ?フランソワよ。見える?」

「フランソワ。ごめんね。ジャン・ピエールがこの方法が一番効果的だというので。どう?」

「凄いわ、本物よ。アサコ。私が知っているARTグループのオーナーよ。間違いない。ビッグ・ショットよ。ユウコも凄いわね。
こんな大物を一瞬でゲットするなんて。さすが私たちのところで色々勉強していっただけあるわ。合格よ。うまくやってね。
父にも話しておきます。うちのワインも由布子のところに並べてもらえるかもしれないわね。じゃ。」

フランソワとの会話を終わって、麻子が向き直る間に、ジャン・ピエールは、フランソワとフランス語でなにやら話して、スカイプを切った。

「ジャン・ピエール。失礼の数々、お詫びしますわ。もう十分です。あなたが本物と分かった以上、明日にでも由布子とお引き合わせいたします。
ランチはいかが?由布子は明日の深夜シンガポールへ行きます。あなたの知っているあの彼が待っているので。」

「オー。明日のランチ、OKです。他をキャンセルします。明日の深夜、羽田からですね?我々はそれより早く、成田からですが、
ランチの時間は十分あります。ありがとう。ミス・アサコ。」

「では、12時に。」

2015年4月20日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生海図 第4章(6) (No.44)

2015年04月14日 08時33分34秒 | 小説

第4章(6)

昨夜一樹を見失ってから、由布子の心には何かわだかまりがあった。

自分で決着をつけるつもりが、その決着が先送りされ、逆に、今,始まった感があった。

明日の夜シンガポールに向かう由布子は、ここはぜひ、麻子に会って、明確に問題点を把握していないと、私に的確な指示ができないと思った。

「あ、お姉ちゃん、あんな、うち、一樹はんに昨日会うてん、厳一さんとこで。それでな、ランチでけへんやろか?うちな、明日の晩、シンガポールへ向かうねん。
その前に、お姉ちゃんに色々聞いてもらいたいんやけど。ええ?ほな、いつものレストランえ。」

シンガポール行きの準備を済ませ、ケヤキ坂にある麻子となじみにしているレストランへと由布子は向かった。

モスグリーンのワンピースを着た麻子が先に来て待っていた。

ピンクのパンツスーツの由布子が来ると、そこは一瞬春が来た様に輝いて見えた。

由布子が入ってくると、周囲が何となくざわめき、麻子と向かい合わせで座ると、無言の歓声が起きたようだった。

「由布子、明日の夜シンガポール出発なのでしょ?こんなにゆっくりでいいのですか?準備は終わったの?淳之介さんの荷物もあるのでしょ?成田?羽田?
私が送りますわ?だから安心して、話しましょ。」

「お姉ちゃん、おおきに。そやけどそんなん、矢継ぎ早に言われたら、うち、お返事でけへんどす。はい準備完了どす。羽田なん。明日の晩10時に着いとったら、ええねん。」

「ここは、ランチセットメニューでいいね?魚?」

「はい、それで。」

注文が終わる頃には、周囲は京都弁と標準語のように話す別々のリズムが一つの曲を奏でるように感じていた。

それとなく、関心が集まっているのを、二人はいつものように感じていた。

「由布子、一樹さんはどうでしたの?英国から日本へ戻って、どこかにもぐりこんだ話までは知っているけれど、その後どうなっていったのか、音信不通で、
パソコンアドレスも不通、手紙は戻ってくるという感じだったのですわ。」

「はい、一樹はん、なんや論文盗作の疑いかけられてはって、研究者の地位追われてしまいはったんどす。除雪や海の家の掃除とかやって食いつないではったところへ、
少し何や遺産が入りはって、今、個人事業主で研究所の看板上げてはって、音吉プログラムやってはるんどす。今かて、深夜シフトでコンビニやら行ってはるそうどすわ。」

「そうだったのですね。ある時期から論文が出てこなくなり、渡氏は、当方と無関係とか言う記事が大学から出たりしてましたの。おかしいとは思っていましたが、もう、
過去の方なので、それ以上詮索していなかったのですわ。今相当ご苦労されているわけなんですわね。」

「そうなん。お姉ちゃん、うち、どないしよ?ひとりのおとこはんの人生、めちゃめちゃにしたみたいで。それにな、まだ。うちのこと思うてはるみたいやねん。
音吉プログラムかて、うちが、淳はんと一樹はんとの間にはいらなならんようやしな。」

「今日の相談はそれですの?簡単ですわ。向き合っていかれれば、いいのじゃありません?由布子が、色々気を使うことの方が、一樹さんに失礼じゃありません?
淳さんには、多分、厳一さんから伝わっているでしょうが、あなたの口から、はっきり過去のいきさつと今由布子がどう思っているか言われる方がよろしいじゃありません?
簡単にするほど、一瞬一瞬は、怖い気持ちが先行しますわ。でもね、その怖さに負けて、少しでも手心を加えたり、自分の気持ちを抑えたりすると、却って、
事態が知らないうちに悪化して、負のスパイラルに嵌まって行きますの。そうなると、泥仕合のような、三流紙に出てくるようなことになってしまうのですわ。
歴史でも同じですの。率直に行くのが、よろしいの。変化球は、リスクを伴いますの。」

ちょうど切りのいいところで、料理が運ばれてきたので、話題がそちらに移った。

「お姉ちゃん、このムニエルおいしいどす。お昼は、このお店、一番どすな?」 

「なんだ、深刻なお顔だったから、何が起きたかと思いきや、食べ物の話になると、いつまでも変わらないお子様ね、由布子は。」

「そうどす。そやから、色々悩んどるんどすえ。」

「今晩でも、厳一さんともお話になった方が、よろしゅうございません?恐らく、今一番心が安定してる方かとお見受けしますわ。」

「うん。うちかて、そう思いますねん。それに、一樹はんの生活も考えてはるようやし。うち、できたら、今晩、会うてこよ思てますねん。」

「そうなさった方がいいかしら。あなたも、3人の男たちの間に立ってその連携を勤める以上、簡単、単純、率直、明確に物事と向き合われる方がよろしいかと。」

「うん。お姉ちゃんの言わはるとおりやと思うわ。」

「じゃ、午後は、予定がございますので。この辺で。明日の件は、電話下さる?」

麻子は伝票をつかむと、とっとと出て行った。 

そのころ、厳一は、加茂家の資産管理会社の北村部長と会っていた。

ヨーロッパにいた厳一は、北村の役割が外国の執事と同じなのを見て、執事と呼んでいた。

「北村執事、渡先生の件ですが、私の聞いた話しでは、幾分経過に詐称がありましたが、正直に訂正してくれました。先生の追い求められている音吉プログラムは、
今の世の中に是非とも必要だと私も思います。私は、先生の生活が安定して、研究に没頭できるよう、更に研究での費用を捻出する方法を探りたいと思っています。
つきましては、お忙しいとは存じますが、執事のほうで、直接渡先生の生活をご覧いただき、その上で、京都の歴史研究に興味のある社長さんたちのあの会、
『あけぼの会』で、音吉プログラムのお話しをさせていただくようにはいかないでしょうか?まだ、未熟ではありますが、あの会の社長様や引退された方たちなら、
価値が見えると思うのですが?」

「小野さんがそこまで言われるのであれば、おっしゃるとおりにいたします。この程度であれば、加茂に報告しないですむ範囲ですから。ただ、話が進んで、
会として資金提供などの段階になりますと、加茂に話さないといけなくなります。でも、どうしてそこまで、小野さんの信用をかけるのですか?もう終わった話
だと承知しています。」

「はい。私は、渡先生のプログラムを商業ベースで形にして、担ぐ方がシンガポールの宝田さんだと見込んでいます。この方は、ご存知だと思いますが、
由布子さんとお付き合いをされています。そこで、渡先生が立ち行かないと宝田さんも現状のお仕事が苦心されている現状を打開するこのプログラムが
挫折することになります。最終的には、由布子さんに大きな精神的負担が回ってくることになってしまいます。そうならないように、関係者をばらばらにして、
由布子さんとのかかわりを失くしてしまうと、プログラムが製作プロセスで破綻してしまいます。いずれにしても、早い段階で渡先生の方向を資金面で確保するのが、
簡単で、効果も大きいと思っています。お願いする以上は、私が一番目の出資者となり、すぐにでも資金をお渡しする準備をしています。」

「それはわかりますが、なぜそんなに関わろうとされるのですか?」

「それは、由布子さん自身の人生の決着を付けるためです。渡先生は、独身で、まだ、由布子さんにお気持ちがあるようにお見受けしました。由布子さんも、
それを感じておられます。しかし、一方では宝田さんという現実に進行中の方が同じプロジェクトで絡むことになります。由布子さんが、どう過去に決着を付けて、
現在の方と進まれるのか?あるいは、第3の方を見つけられるのか?私は、いずれにしても人生の正念場だと思います。今回これをきっちりしておかないと、
人生のツケとしてもっと大きな形で請求されてくると思っています。今回のツケの請求は、私が関わってできたものだと考えています。」

「小野さん、わかりました。あなたにそこまでおっしゃっていただいて、由布子さんは幸せです。私は今回、明日からシンガポールに行かれると漏れ聞きましたので、
お店のほうをモニターするために隠密で参ったのですが、渡先生は、存じ上げていますので、それとなく見てまいります。その結果を又お知らせします。
それにしてもよく『あけぼの会』の存在と力をご存知ですね?『あけぼの会』は、坂本龍馬さんが世話になったといわれている明保野亭から名前をとってつけられ、
現代の日本に幕末の草莽の志士のような若者や、研究者を探し出し、支援することで、明日の日本を支えたいとする、企業経営者、その経験者、学者などで
構成されていますが、存在は秘密にされています。加茂は長年この会合の料理を任されている関係で、存じ上げているのです。」

「今回の六本木のお店を出すに当たって、『あけぼの会』の主要な方たちとの面接と舌実験がありました。そのときに事務局長から、将来、小野がアンテナを
通じてこれはという人物がいたら、無名であっても知らせるようにおっしゃっていただいていたのを思い出しました。何かに秀でている人は、必ず世間から疎まれたり、
排除されたりしている。そんな中にこそ本物がいる。その本物を、見つけて欲しいといわれました。今回の渡先生はいままでのところ、それに当たると思います。
よろしくお願いします。」

「かしこまりました。観察結果をお知らせします。由布子さんには私が東京にいることは、内密でお願いします。」

「諒解しました。こちらこそ、お忙しいところ、恐縮です。」

2015年4月14日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生海図 第4章(5) (No.43)

2015年04月09日 07時36分36秒 | 小説
第4章(5)

私は家に戻ると、パソコンと携帯電話に由布子から到着フライト情報が入っていた。

羽田発で、土曜日の朝6時半ごろに着く便だった。

これだと店を開店してから来られる。

10月から羽田便が運行しているのを忘れていた。

1日儲けた気分だった。

すぐに迎えに行くと連絡した。

由布子へ返信した後、メールをチェックした。

返事をするべきものはあったがすべてシンガポール時間の感覚で返事することにした。

それはこちらの気分次第という意味だった。

案の定、他の案件でも担当者帰任につき商談凍結とか勝手なことを言ってきていた。

友人の若いシステムのコンサルタントが嘆いていたが、外国企業によるヨーロッパ10カ国にまたがるシステムの商談から導入開始まで、6ヶ月ほどだった。

ある日系企業は、同じようなシステムの検討は早かったのに、導入に7年かかった。

理由は担当者が替わるたびにすべてゼロから検討するからだというのを聞いてお互い憤慨した。

まさに、負のジャパンタイムだった。

日本が停滞している理由の根底にはこのジャパンタイムのようなことが積み重なってそれがヘドロとなり、日本丸の進行を妨げているとしか思えなかった。

由布子に言われたように何もしないで、外出もしないで食事を作り、適当なワインを飲んで寝るつもりでいたところ、緊急非常番号に浦瀬から電話がかかってきた。

「あいつら動き早いわ。オンラインニュースに消息筋として、観測記事載せやがったんや。それから電話鳴りっぱなしや。ルール違反もくそもないわ。
こら全面戦争やな。こっちは孤島のゲリラやのに、向こうは地元の正規軍や。あ、ちょっと待ってや。え、山下どこにおるんや?何チャンギやて?そやな、
タクシーで、アダム・ロードのジャパニーズ・クラブと言え。そこから高速真っ直ぐや。俺、行くから。あ、すまん、宝田聞いてのようや。あの部長と取締役、
本気やで。今着くちゅうことは、朝役員会の招集を聞いた時点で、山下を飛ばしたんや。こらおもろなってきたで。どや、お前も一緒にけえへんか?一人で暗い飯食うより、
3人で出陣式や。どや。俺、通り道やから迎えに行くわ。近うなったら携帯鳴らすわ。ほんなら。」

たくましいとしか言えない浦瀬であった。

山下は何度か会ったことがある。

言葉こそ標準語だが、浦瀬二代目と言えた。

御酒徳利のような二人の関係だった。

それにしても、出陣式とは言い得えて妙だった。

由布子が来てくれて、音吉プログラムが始められる。

まさに、新しい門出を飾るための出陣式だった。

浦瀬から携帯が鳴ったので、すぐに下に降りて車に乗った。

昼間に会った時とは別人のようになり、燃え盛っていた。

浦瀬の心の魔物のパワーに点火されたのかも知れない。

「宝田。うふふ、やな。面白ろなってきた。これで山下が来よったから、百人力や。向こうは派手に色々妨害も仕掛けてくるけど、3月目標やったら、
顧客はペナルティー払わなあかんから、現実には動きが取れんのや。地元エージェントがペナルティーを払うからと言っても、そこまでして地元に行くメリットはないねん。
地元というけど、こっちは何十年も現実のサービス提供しとるんや。たとえば、ペナルティーもろて、払うなんて、後ろ足で砂かけるようなことしてみい、
もし、向こうがあかなんだら、その客どないするねん。結局、うちに頭下げるしかないねん。これはアジアでは当たり前に起きとるんや。
ただ、今回はその時うちがないかも分からんねん。ほんなら、えらいことになってしまうんや。たいていの場合、その客はシンガポールでだけうちとつきおうとる訳やないねん。
他でも仕事もろてるわけや、客にしたら、シンガポール改悪は、うちが言い出したことやろ、それで客が困っとるんやから、何とかせいやとなるやろ。
つまり世界はつながっとるねん。それを東京の数字しか見えんやつらには、100回言うても分からんねん。ある意味、最後は俺が勝つねんけど、
問題は期限を切りよったからな、あのアホども。そやから勝てるのに、自分らで作ったルールで負けてしまうやなんて、あほくさいやろ。
そやから負けられへんのや。俺は地元のエージェントなんて眼中にないねん。うちの顧客取っていったらええねん。うちは防衛戦は捨てる。
新たに取るだけや。今の顧客全部取られても、それを上回るでっかいの取ったら勝ちや。時間がないさかい、グローバル会社しかあかんわ。
そこがちょっと問題はあるんやけど。お、着いたで。」  

すでに山下は到着して心配そうだったが、浦瀬のパワー溢れる姿を見てホッとしたのが見て取れた。

「お疲れさんです。宝田さん。東京では由布子さんに大変お世話になりました。俺、役得で、あの美人と二人きりで、先輩の結果をはらはらしながら待つなんて凄い経験できました。凄いいい人ですね。頭も切れそうだし、話しうまいし、あの京都弁だし。すいません。先に言ってしまって。」

「いや、お役に立てたそうですね。又東京に戻ったら、店に寄ってやってください。山下さんのようなタイプ好みだし。」

「え、うれしいな。しかし残念ですが、もう東京には戻れないかもです。」

「ま、歩きながら聞くけど、それ何や?」

「はい、あの部長からシンガポールに骨をうずめて来いと言われてきました。それに、あの取締役から、出発直前に直接お電話いただいて、辞めたから堂々と支援する。
こんな変な人事が通用してたまるか。会社を私物化しているのはどっちだ。そうだ。新年早々、シンガポールに来られます。それまでに戦略、誰と組むかを決めておくようにと。」

「ちょっと待て。そんな大事なこと、ここで言うな。個室まで待っとれ。」

「あ、すいません。何しろ7時間ほど話していなかったので、つい。」

 私は話題の取締役とはシンガポールの新年名刺交換会で会っただけだった。

そんな男気のあるようには見えなかった。

人は状況が切迫する時に分かれるのかも知れなかった。

逃げるか、立ち向かうか。

日頃どんなことをしているかはあんまり関係ない。

逆に、日頃、オトコだ、天下とるとか言っている手合いこそ一番に逃げるだろうというのは、経験として知っていた。

ただ浦瀬は、日頃も危機も同じの稀有のオトコである。

人の心をくすぐる何かを持っているので、危機になればなるほど思いもかけない人たちがサポートしてくれていた。

まさにクライシスをチャンスにシフトするのを地でやっている男だった。

2015年4月9日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生海図 第4章(4) (No.42)

2015年04月05日 12時34分23秒 | 小説
第4章(4)

「浦瀬、少し、いつもとちがうようだけれど?」

「わかるか?そうやねん。朝、部長から電話があってん。俺らみたいに外で体張っとるもんから言うたら、弾の飛んで来えへん、ぬくぬくしたところで、
何やっとるねんと言いたい。」

「どうしたんだ?」

「あの取締役な、今朝解任になって、その場で辞職してしもてん。理由は、中傷ニュースやけど、ほんまは、副社長派と専務派の次期社長工作にからんどるんやと。
仕事がでける方がなればええや、社長は。そやのに、投票たら言うから、こんなことになってまうねん。おかしいわ。こんなんやっとったら、うちもイカレテまうな?
そやけど、ある意味、俺の復讐戦や。」

「え、そんなことになればお前のあの約束はどうなるんだい?」

「そうなんや、幸い立会人がうちの大口取引の関係者やったから、形式的には無視でけへんのや。あの意地悪な部長も今回の役員人事の裏側聞いて、切れてしもて、
今や俺の参謀長や。ほんで取締役とどっかにほりこんどったか予算使こうて、岡崎とあの意気のええ山下を交互に寄越してくれるねん。しかし、期限は短じこうなって、
3月末。旧正月なんか度外視や。何でも日本基準や。ほんなら正月2日から日本で仕事してみろと言いたいわ。何にも知らんくせして。数字合わせだけや、一生懸命やっとるのは。
競争相手の地元エージェントは自信があるのかして、その期限でええと言うとるので、決まってしもうたんや。これはえらいこっちゃ。」

「おまえ、それ、ほとんど負けだぞ。敵は妨害工作仕掛けてくるぞ。明日の新聞でもう自分たちに決まったようなもので、浦瀬のところは閉鎖の可能性なんてことを
公表しても平気だぞ。それやられたら、今の顧客がまず離れていくし、それを守りながら新規開拓なんて、ほとんど絶望だぞ。」

「わかっとる。そやけど、何ぼ絶望かて逃げたらあかんのや。戦いや言うたかて、殺されるわけあれへん。どっかの国とちゃうねん。ここは、俺らの好きな、
ある意味命懸けてきたシンガポールやど。そこで何ぼローカルや言うたかて、勝手なことしてみい。容赦はせえへん。もし、負けたら、小野マスターのシンガポール店の
ウエイターの道かてある。なんせ、逃げたらあかんのや。逃げたツケは、銀座の高級クラブのツケより高うつくんや。人生の清算、決着言うてな。そんな高いツケ
よう払わんから、今、現金払いするんや。飲み屋のクレジットは、増えへんけど、人生のクレジットはしたらあかんのや。下手こいたら、それこそ、命持ってかれるで。
そういうもんや、人生ちゅうのは。特に、外国ではな。」

「そうだな。由布子ちゃんが俺に逃げたらあかんけど、心が揺れているときは物事決めたり行動したらだめだと言ってた。何もしないのは逃げているのでなくて、
心が正常になるのを待っているだけだ。それを待ちきれず行動することの方が、逃げることになると言ってたな。ああ、浦瀬、渡先生は、由布子ちゃんの元フィアンセで、
失職して、今は個人事務所で研究所の看板掲げてるんだと小野マスターからメールが来た。しかし、音吉プログラムは本物らしい。」

「そうか、今考えるとおかしいなちゅうこと、あったんや。お前が急に帰ったから、俺、由布子はんの店行ったんや。ほんで渡センセの名前言うたら真っ青になったんや。
そこで気付いたらええやけど、俺のほうにも取締役の件が降りかかってきて、それどころやなくなったんや。それやのに、由布子はん、俺の出がけにとっさに、
クなんたら言うシャンパーニュ持たせてくれたんや。それな、取締役の大好物やってん。まして、ビなんたらいう年代もんやよって、いきなり態度が変わってん。
自分があんなに動揺しとるのに、ようそんな人のことが分かるもんやと思うたわ。単なる美人の京人形やないで、由布子はんは。その由布子はんにとって、
これからは長い人生の決着マラソンが始まってしもうたな?元フィアンセと今の愛する人との間を行ったり来たりせなあかんという。なんの因果かな?あんなええ人で、
度胸もあって、頭もええのにな?ま、これが人生やろな?」」

「浦瀬の気持ち、由布子ちゃんにしっかり伝える。小野マスターが渡先生の生活と研究が立ち行く道を探してくれるそうだ。音吉プログラムは、研究成果が未熟でも、
糸口があれば、俺たちの経験をぶち込めばいいかも知れない。よく分からないが、やってみるだけの価値はある。ある意味それしか今の俺にはやることがない。」

「宝田も凄いやつやな。ここへ来た時と、今と別人やで。やっとお前の魔物エネルギーに点火できたんかも知れん。まあ、人生のミッションやな。」

「うん。その言葉、小野マスターに伝える。そろそろ行こう。お前、車か?」

「へい、毎度おおきに。浦瀬タクシーだす。どちらへ?」

「ホーランド・ビレッジへ。」

「へ、承知だす。」

浦瀬から軽口が漏れてきた。

こいつの大阪ど根性というか、ふてぶてしいというか、がさつな割りに由布子のことなど細かいところに目が行く繊細なセンスもあわせて持っていた。

なぜ独身なのか聞きたい気持ちもあったが、それは今日ではなかった。

多分真っ直ぐすぎて、女がたじろぐのかも知れなかった。

2015年4月5日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする