どうやら今年も勉強の都合上夏休みはなさそうだ。そんな中僕の最大の
夏のイベントがこの「トビウオすくい」だった。
土曜日の昼に大阪を出発、阪和道等々高速道路を使用して和歌山へ、
高速も途中から一車線となり午後に出たにもかかわらず軽く渋滞!
何とか終点みなべICで降りたが国道42号線はさらに渋滞!!
結局南紀白浜を通らない山の中コースを選択し串本へ
その途中日置川近辺での清流の素晴らしさ、水の冷たさに感動!
マイナスイオンをたらふく吸い込んだ(笑)
そこから次第に下流となり広大な河原が現れる。
そして海へ・・・。右側には果てしなき海、しかも自然にさらされた岩の塊が
天然の芸術作品と化していた。走り続けること約4時間半で
本州最南端串本に到着!!
トビウオすくいまで時間があったので近隣をウロつく。紀伊大島という
島にも行き灯台も見た。 日が少しづつ影ってきたところで
トビウオすくいの場所に行き船長と対面、「面白い人」そうだ。
また神戸から来たというご夫婦?とも一緒に乗船した。
素晴らしい夕焼けと、空のコントラストの中 船は沖に向かう、
僕は船酔い薬と ある人からのアドバイスにて船酔いとは皆無であった。
次第に闇ま増して行く、空には一番星が・・・
そして船はさらに進行し、辺りが真っ暗となった中でサーチライトを点灯する。
潮の流れが悪いのかプランクトンは集まるが肝心のトビウオや魚が
寄り付いてこない。船長曰く トビウオ漁のピークには少し早いとの事
しばし停泊するが、魚が少ないためにポイント移動、移動中には赤海ガメを
発見!!すぐに海深くと潜ってしまったけど 大きかった。
ポイント移動すると時間も経ったせいか魚が集まってきた。
キビナゴ、鰯、秋刀魚と少しづつ すくうことができた。念願のトビウオも
船長の執念?!でGet しばらくすくう事に夢中となり その後岐路に
着いた。 岐路の途中 船長が船のライトを全て消した。
辺りは素晴らしい天体ショーであった。
北斗七星もはっきり分かるし、こんなに多くの星を観察できたのは久しぶりだ。
右手には天の川の見ることができ感動した。
一見雲かと思うモヤっぽいのが天の川であったのだ。
帰港し、船長、奥さんが陸におり今日の戦果をお刺身にしてその場にて
振舞ってくれた。収穫はさほど多くなかったが天然の魚をその場で、生で
食べられることに ここに来た意味を見出せることができた。
翌日大渋滞となることは必至だったので現地には泊まらずそのまま帰阪、
道中 休憩という名の仮眠をして朝方 大阪についた。
夏のイベントがこの「トビウオすくい」だった。
土曜日の昼に大阪を出発、阪和道等々高速道路を使用して和歌山へ、
高速も途中から一車線となり午後に出たにもかかわらず軽く渋滞!
何とか終点みなべICで降りたが国道42号線はさらに渋滞!!
結局南紀白浜を通らない山の中コースを選択し串本へ
その途中日置川近辺での清流の素晴らしさ、水の冷たさに感動!
マイナスイオンをたらふく吸い込んだ(笑)
そこから次第に下流となり広大な河原が現れる。
そして海へ・・・。右側には果てしなき海、しかも自然にさらされた岩の塊が
天然の芸術作品と化していた。走り続けること約4時間半で
本州最南端串本に到着!!
トビウオすくいまで時間があったので近隣をウロつく。紀伊大島という
島にも行き灯台も見た。 日が少しづつ影ってきたところで
トビウオすくいの場所に行き船長と対面、「面白い人」そうだ。
また神戸から来たというご夫婦?とも一緒に乗船した。
素晴らしい夕焼けと、空のコントラストの中 船は沖に向かう、
僕は船酔い薬と ある人からのアドバイスにて船酔いとは皆無であった。
次第に闇ま増して行く、空には一番星が・・・
そして船はさらに進行し、辺りが真っ暗となった中でサーチライトを点灯する。
潮の流れが悪いのかプランクトンは集まるが肝心のトビウオや魚が
寄り付いてこない。船長曰く トビウオ漁のピークには少し早いとの事
しばし停泊するが、魚が少ないためにポイント移動、移動中には赤海ガメを
発見!!すぐに海深くと潜ってしまったけど 大きかった。
ポイント移動すると時間も経ったせいか魚が集まってきた。
キビナゴ、鰯、秋刀魚と少しづつ すくうことができた。念願のトビウオも
船長の執念?!でGet しばらくすくう事に夢中となり その後岐路に
着いた。 岐路の途中 船長が船のライトを全て消した。
辺りは素晴らしい天体ショーであった。
北斗七星もはっきり分かるし、こんなに多くの星を観察できたのは久しぶりだ。
右手には天の川の見ることができ感動した。
一見雲かと思うモヤっぽいのが天の川であったのだ。
帰港し、船長、奥さんが陸におり今日の戦果をお刺身にしてその場にて
振舞ってくれた。収穫はさほど多くなかったが天然の魚をその場で、生で
食べられることに ここに来た意味を見出せることができた。
翌日大渋滞となることは必至だったので現地には泊まらずそのまま帰阪、
道中 休憩という名の仮眠をして朝方 大阪についた。