5時だよ、ゴハンだにゃん

(元)外ねこさんに支えられる日々と、
野良猫さん一家TNRの記録

体力勝負な下僕とニッキさんの近況

2021年02月09日 | つれづれの日々
一年経ったね。思い起こせば去年の今頃は、1年過ぎてもまだコロナ禍にあるなんて考えてもみなかったな。
SARSやMERSそして今回のCOVID-19とすっかり有名どころになったコロナウイルスだけど、猫飼いの世界ではもっとずっとずっと以前から
猫コロナウイルスというやつは恐ろしい存在だった。そのお仲間がニンゲン世界においても生活を一変させるほどの脅威になったってわけだ。
新型コロナウイルスCOVID-19が世の中を席巻し始めた頃、ふと思い出したことがある。
ひとつは栗本薫氏の著作 『黴』 1983年初版発行の「時の石」という短編集の中の1編で、初めて読んだのは…かれこれ30年は前になるかな。歳バレる(笑)
その中の1節。
「人びとは、はじめのごく短いあいだは、あまりそれを真剣にとろうとはしなかった。なぜなら、他のものと異なり、それはあまりにも人類にとって身近で
長い年月を共生してきたものだったからである。」

そして黴が世界を静かに覆っていくさまに主人公は

「昨日まで自分のものだと信じて疑いもしなかった世界をー昨日そうであった通りに、明日も、あさっても、そのままずっとつづいてゆくと
ばかり信じていた世界をゆっくりと見回した。」

ニンゲンは、地球上において、明日のことさえもわからない存在だ。それがこの1年で世界中の人たちがはっきりと理解した唯一のことだと思う。

そしてふたつめ。猫伝染性腹膜炎…FIPは猫飼いを震え上がらせる呪文だ。
私は経験がないが、猫の先輩方も大親友も、猫コロナウイルスが引き起こすこのFIPという病気で大切な仔たちを空に還した。
基本、私は何ごとも経験派だが、FIPに関しては経験せずにこれたことが幸せだと思える。
そのFIPについて10年以上前に、それこそ猫の大先輩がブログに残してくださった幾つかのエントリ。
当時もFIPについて本当にわかりやすく拝読し、そして人の医療よりも遅れがちな動物医療の発展を祈ったものだが。
          はなちん先生のblogはここからドゾ

エントリの中で大先輩は書いている。
FIPの本態は「サイトカインストーム」で(種の特異性から猫には効くわけないとしながらも)「抗リウマチ薬が原理的には凄く効くと思う」

まさかそれが、2020年。猫の世界でなく、対新型コロナウイルスの、ニンゲンの世界で現実になるとはね。


『黴』の終盤 主人公は、旅立つ(もしこれから読んでみようと思う方いらっしゃたらネタバレごめんなさい)

「それはふいうちをくわせたけれども、ちゃんとまた、うろたえた巨人にひとすじのチャンスはのこしておいてくれたのだ。」

ほどなく始まるワクチンの接種、日々研究と開発が続けられる新薬、また現場でデータが蓄積されていく既存薬剤の数々。
そしてなによりも 大切なヒトを守りたい という思い。
チャンスはある。生きている自分こそが希望。


さて、日々のことを書き始めると、まー止まらないのよ、愚痴がw 
うちの施設はまぁなんとか新型コロナウイルスから今のところ逃げ続けて…いや、感染者が出ていないというだけで実はがっつり捕獲されているか。
家族が勤める療養施設で感染者が出て、同居家族がその対応にあたらざるを得ない。自宅にウイルスが入るかもしれない、家族が感染するかもしれない不安。
自分も感染するかも…なによりも自分がスプレッダーになってしまうことへの恐怖と不安。キツイ。ホントに気持ちがキツイ。
そうして同僚のナースが辞めていった。
病院はもちろんだけれど、介護施設なんて元々ギリギリの人数でまわしている。ましてやこのコロナ禍だ、消毒やガラス越し面会…あれやこれやと
通常外の業務や対応が山積み。だけど仲間は減っていく。
これまでは急変したり、お看取りの時期が重なって残業が続いてたけど、今は違う。
リアルに勤務時間が延長されたシフト組まれてる。残業じゃない。もうね、笑っちゃう。歳だねー階段の往復で膝も笑っちゃう。
感染者が出ていなくても、コロナウイルスは確実に息の根を止めにきてる。じわじわとね。
うちの施設におけるコロナワクチンの接種は、ナースも含めて高齢者施設の括りで行うのでもう少し先になる。法人内のクリニックの職員は先行接種。
正直に書けば、効果のほどはまだまだ分からないと思ってる。でも打ったら少しだけ気持ちが楽になるかもな。
ただ接種が始まることで新しい面倒がもりもりっと起きてきそうな予感がしている。
多いんだよね…「ワクチン打ったら自由に面会できますよね?」って家族。
いや、そんなことないからね。ワクチンはひとりひとりの体の中で、抗体を作らせるためのいわばスイッチャーに過ぎない。
社会の中で、ひとりひとりの体の中の抗体が安定したシールドとして機能するまでは、やはり「距離」を保つことが一番。
静岡県は、変異種発見の影響もあって先月5とした県独自の警戒レベルを4へと引き下げたが、うちの施設はガラス越し面会を継続だ。
そろそろまた次の面会の準備しなくちゃだなー。会いたい気持ちと感染させたくない気持ち。どちらも叶えるのは難しい。
そんなこんなで、もはや底をつきそうな気力を体力でカバーする日々が続いてる。

保護部屋のニッキさんは低空飛行。まぁね、あの膵炎からよくリカバリしたと思うし、FIVの影響もでてると思うしね。
確かなことはわからないけど、出会ってから少なくとも15年は経つわけだから、まぁそこそこいい歳ではある。
眠る時間が長くなり、少しずつ食べる量が減り。けれど食べないわけじゃない。食べる根気というかな―それが無くなっていく感じ。
湯煎したシニア用ウェットを自力で食べられるだけ。そのあと表情を見ながら高カロリーちゅーるを強制給餌。
使うものがちゅーるだということと下僕の雑な性格もあり、5mlのシリンジに1/2本入れ、1mlぐらいずつ流し込んでいくことを繰り返す。
実に上手に飲むのよ、ニッキさん(笑)
あと加齢による腎不全の進行があるから、週1程度で水を背負わせで脱水を軽く補正。
この冬は下僕の不在時間も長くなって、温度管理がムズいので服を着てもらってみた。

 

くっついて寝ているのは「うっしー」ニッキさんの保温担当w
最初の1日ちょっと苦戦していたけど、そこからはちゃんと着こなしてる。えらいぞ、ニッキさん。
お互いに無理はしないで、楽しくいこう。

が…服を着こなすニッキさんを横目に思いがけず下僕の涙腺が崩壊。
ぶっちゃん、逢いたいなぁ。  

今年の冬も外で頑張る子たちは、あと3匹。
 

 下僕、がんばらんとね。

またおまえか…だった件とふわりが○○だった件

2020年12月04日 | つれづれの日々
暖かい日が多いが、もう12月。春になれば…夏が過ぎれば…秋が来るまでには…そして冬。
世界はafterコロナどころではなく、未だ渦中にある。

静岡市内の感染拡大は未だ収束が見えず、12月2日、市内のコロナ病床使用率はおよそ80%になった。
ベッドと医療従事者の確保が急務…と各方面で検討がされているけれど、ベッドは確保できても医療従事者の確保は難しいだろうと思う。
しかし病床と人員がが確保できなければ、今後増えるであろう高齢者の受け入れは困難、施設入居の場合は介護の現場での対応に切り替えざるを
得ないという見解だ。
先日、市内のコロナ患者受け入れをしている総合病院でクラスターが発生、大きなニュースになった。が、続いて報道されたのは病院職員や家族の
差別的体験についてだった。
静岡では第1波時にも同様のことが他病院で起きていて、相当な非難があったはず。
誰もが罹り、拡げる可能性がある。すでに罹っていて気づかないまま拡げているかもしれない。ましてや医療や介護の現場にはソーシャルディスタンスは
通用しない。だけど罹らない拡げないことが絶対条件で、どれだけ感染対策していても不幸にもそうなってしまった時には誰よりも非難される。
足りないです!誰かお願いします!って…やりたい人、いると思う?
医療や介護関係の人たちは、職場を離れても仕事から離れられない。
go to travel も eat も遠い世界過ぎて見えない(笑) 正直みんなそんな生活に疲れ果ててる。
だけどね、仕事だから。家族を守って暮らしていく糧だから、支えあって踏ん張っている。

差別だと非難された行為も言葉も、元をただせば大切なヒトを守りたくてココロから溢れてしまったモノ。
だけど医療や介護に携わる人たちにも、その行為をした人たちと同じように、大切なヒトが居て、守りたい暮らしがある。
そんなことすら判らなくさせることが、コロナウイルスの本当の恐ろしさなのかもしれない。

私のような介護福祉現場の医療従事者には、コロナ感染で苦しむ患者さんたちを助ける術はない
日々奮闘している医療スタッフに手を差し述べる術もない
だからせめて新たな感染者を出さないことで最前線の医療スタッフを助けたい。
またいつか家族と元気に会えるように利用者さんの命を守りたい。
そして自分たちの家族を、暮らしを、これからを、精いっぱい守りたい。

医療従事者にエールよりも手洗いとマスクを。感謝よりも今すべきことを考えた行動を。それがなにより彼らを力づけることを忘れないで。


さて、2020年も終盤となり…とりあえずこの1年を振りかえってみる。きっとホントの年末には振り返るのを忘れるからねw
しろりんは訃報の時しかblog書かない…とお叱りを受けたので(笑)最初に書いておきますが、猫たちはみんなそれなりに元気です。

年々持久力が無くなっていく私。一番の反省はとうとう「福」をオペに持ち込めなかったことに尽きる。以前に比べてた確かに時間もないのだが
とにかく持久力が落ちたー。また最近はTNRをする人たちも増え、おそらくそういう現場に行き当たった経験を持つ猫が増えているんじゃないかな?
以前に比べて、トラップケージに対する警戒心が強い子が多くなったようにも感じている。ま、以前だったらそれがやる気スイッチを連打する刺激に
なったものだけど…歳かな?(笑) いやいやいや、こんなこと書くとまだまだ現役の大先輩方にお叱りを受けるねw
引き続き2021年早々にも解決したい案件ということで、諦めず頑張る。
そして…激今更感だけど、お庭番の「ちょびこ」が2019年末に部屋ネコ修業に。意外にスムーズに2Fの一歩とまさおと交流し、歴代の保護ネコ最速で
キャットドアを使いこなすまでになったのだけれど、彼女なりにかなり大変だったんだろうね…粗相が続くようになり離れの保護部屋へ移動。個室で
部屋暮らしの基本をやり直すことに。

              
そして一年。もりもり食べて、気ままに寝て、出して@トイレ。ヒルズよりロイカナが美味いね!というふとましい猫になった。
私との距離は残念ながら少し遠くなった気がするが、爪も牙も出ないので良しとする。相変わらず家猫の基準が激しく低いチームしろりん。
いいの、いいの。気ままに「生きて」てくれれば、それで。

そして時折、猫親友からその生存を確認されていた我が家の白いもっさもさの猫 コードネーム「ふわり」
ウォル亡き後、保護部屋で独り暮らしをしていたが、昨年のぽぽのすけ肝リピ事件を境にぽぽのすけ&ゴローと交流するようになり、意外にも
ぽぽのすけのことが大好きでくっついて眠ったり。ああ…良かった、やっとぽぽのすけにもゴローちゃん以外の仲良しさんができた!と安堵して
いたが…やはり事件は起こったorz
9月のある朝、保護部屋のドアを開けたらすごい便臭。不思議なんだけど瞬間的に思った。これ、病気じゃないって。下僕、仕事柄便臭にはちょっと
うるさい。
部屋に入ると飛散した被毛とステップの最上段にお尻を便まるけにしたふわりを見つけた。どうやら大腿部を数カ所咬まれているようだが、
みまわしても大きな出血はない様子。
触ると威嚇が酷くてなかなか確認が難しいが、ウェットと水を前に置いたら食べ始めた。うん、食べられるならとりあえず大丈夫。
犯猫は…目星がついているというか、あいつしかいないけど。ぽぽのすけ、鼻筋に長い爪痕つけてた。はい、確定。またっつうかやっぱりおまえか…。
ふわり部屋とぽぽ&ゴロー部屋はラティスドアを閉じれば分離できるが、ふわりの威嚇はハンパなく…ラティス挟んでお隣さんもムリそう、
部屋の組替え必至な様相。
基本、病気がちだったり人馴れ不足や気難しくて里親募集が困難な子ばかりが手元に居るわけで、急な組替えは難しい。とりあえずちょびこ退去で
空きのある2Fにふわり引っ越しで手を打つ。
引っ越しを前に、咬みキズからフレグモーネになっても嫌なので、威嚇しまくるふわりをネットに突っ込みキャリーを抱えてびよいん受診。
その時ちょっと「ん?」って思ったけどココロの中で「気のせい、気のせい」って打ち消す下僕。
お久しぶりのびよいんで事情を聴かれて「あ゛ー、ぽぽちゃん、またやっちゃったかぁ…」「うん。顔に証拠ついてたよ」と交わされる会話www
そしてお約束のBW測定。VET「ん?」 スタッフ「ゼロ点あわせました?」 下僕はその時データを見逃さなかった…でも再計量に賭けた。
慎重にゼロ点合わせて…再計量 ハイ注目!
VET & スタッフ & 下僕 全員「…」言葉を失う。やっぱり見間違いでも気のせいでもなかった。7.64㎏…。重っ!全然ふわっとしてなかった(汗)
そこから先は…「腹すごいね」とか「がっちりしてる」とかチンチラミックス女子の話題とは思えない言葉が飛び交う。
ふわりは両大腿部を結構な箇所咬まれていたが、幸いにも深かったり裂けたりしている傷はなし。抗生剤を処方してもらって、気のせいじゃなかった
重たいキャリーを抱えて帰宅の途に就く。
大したことが無くて良かったし、「相手がぽぽちゃんだから、ちゃんと診てあげて。容赦ないから!」とぽぽのすけの悪行を知り尽くした
ベテランスタッフがVETに掛けた言葉がなにより最高にツボってしまった下僕であった。ふわちゃん、ごめんよ。

2Fに用意したケージがふわりの新居。よほど怖かったんだろうなぁ…ニンゲンは平気だけど、初見の一歩にもまさおにも威嚇しまくり。
対する2匹は「ヤダ、このヒトこわい」とビビリまくり。

         
それでも少しずつココロが緩んで、1W過ぎるころにはケージの外に出られるようになり、2Wめには一歩とゴハンを食べられるようになった。
気の小さいまさおとはもう少しだけ時間が掛かったけれど、今は3匹で頭を突き合わせてゴハンを食べている。

         
ダイエットも兼ねて活動範囲が広がれば…と、ダンナが若干ドンくさいふわりのためにリビングのキャットステップを増設して動きやすいように
してくれた。キャットドアも通過できるようになった。通過時になんかほかの二匹とは違う音してるけど。
ずっと保護部屋暮らしだったから知らなかったけれど、ふわりはとにかくニンゲンが好き。とんだアクシデントで痛い思いをしたけれど、部屋の
移動のきっかけをもらったと思えば、悪いことばかりじゃなかったのかもしれないな。
あ、ちなみに「ふわり」という名前は「名は体を表す」ように魔改名 今後は「ふわりDx」でお見知りおきを!

ロコちゃんの旅立ち

2020年04月18日 | つれづれの日々
非常事態宣言が全国展開になり、こんな田舎でも人通りが本当に少なくなった。
職場はなんとか感染者を出さずに過ごせている。規模は小さいけれど、総合診療的なクリニックをはじめ、様々な介護サービスを包括的に行える法人体系。
なので、ヒトの出入りはなかなか縮小できない。特にデイサービスでは、感染防止策がトラブルの火種になることも増えていて、対応するスタッフを疲弊させている。
私の勤務する老人ホームではもう数か月にわたって、ご家族には本当に申し訳ないのだけれど面会制限をさせていただいている。
とはいえ、看取り期の利用者さんもおられるので、そこはやはり一律に制限はかけられない部分もあり…日々葛藤しながら対応している。
が、そういう日々の中で思うことは、3密を避けろ!といくら声高に叫んでみても、それを理解できない人が残念ながら一定数存在するということだ。
面会はできないと言っているのに、関東(最初の非常事態宣言県)から静岡へ高速バスで行き来し、在静の家族にまで感染のリスクを広げてしまっているのに
お母さん、コロナに気をつけて元気でいてねと言う家族…気分転換に食事に連れて行きたいという家族…気持ちはわからないでもない、でもね、でもね…。
挙げたらきりがない。
感染したくないのは誰しも。なのにどうして感染させないことには意識が低くなってしまうんだろ。
感染させられた、うつされたくないという被害者的な考え方じゃいけない。 もし感染したとしても、自分がそこから感染を拡げないことが大事。
もし自分が誰かを感染させてしまったとして、その相手は名前も知らない人かもしれない。けれどそこからまわりまわって次は自分の大切なヒトが感染するかもしれない。
ウイルスはそこらじゅうに存在している。
罹りやすさは個人の感受性(体力や抵抗力、既往など)に因るところが大きいが、ウイルスが何かを介して拡がっていく…この経路だけは本来コントロールが可能なはず。
私の大切なヒトを私が守る。誰もがみんなそんな気持ちでこの自粛期間を捉えて欲しいと思ってやまない。

ロコちゃんの里親さまから1通のメールが届いた。
掛川から埼玉へ、そして可愛い同居ネコとの暮らしと別れ、歩調を合わせて歩んでくれた里親さまご夫妻との穏やかな日々を経て、ロコちゃんが虹の橋へ旅立った。
このところなぜだか今はもう猫の姿もなく閑散とした藪横の駐車場を見るにつけ、この藪のことを知っている子はロコちゃんだけになっちゃったんだなぁ…と
思い返すことが多くなっていたが、もしかしたらなにか感じるところがあったのかもしれないな。


         

くろくろちゃんと同時期に保護猫生活をしていたロコちゃん。 人馴れは本当に不十分で、今考えてもかなり無謀な里親募集だった。
押し入れに引き籠り&激しい夜啼きのトライアル期間…これは無理だなと思っていたのに本譲渡の運びとなり、ありがたいより驚きの方が大きかった保護主の私。
もしもどうしてもお困りの時には戻してくださって構いませんと伝えた時「大丈夫です」と即座に応えてくださったことを覚えている。
そしてその言葉通りにゆっくりゆっくり時間を重ね、信頼を紡ぎ、穏やかな暮らしを作り上げてくださった。

             13年間のなかではいろいろなことがありました
             特に最初のころは苦労をしました
             でもそれはヒト目線であり、ロコに言わせれば全世界が○○家という状況に一転し不安と恐怖が最大級となっていたと思います
             それを少しずつ僕らを許してくれるようになり、ひところからは僕らを認めてくれるようになったとも感じています

          


          

             とても幸せな13年間でした
             これからもその幸せは続きます


知識も力もなくて、どうしたらいいのかわからず、救いたくても救えなかったたくさんの藪っ子たち。
藪横の餌場はcloseできた。猫の姿を見かけることもない。TNRとしては、ほぼ完了したと言えるだろうが、結局残ったのは後悔ばかりだ。
けれど、そんな中で保護にこぎつけ、新しい家族として迎え入れて貰えた5匹の子たちの存在が私を支えてくれてきたとも思っている。

メールはこんなふうに結ばれていた。

             13年前に僕らにロコを託してくださったことがすべての始まりです
             こんな素敵なネコと一緒になれたことを嬉しく思います 

ロコちゃんと里親さまを繋ぐ役割を与えてもらえたことに感謝。 なによりの嬉しい言葉です。本当にありがとうございました。 
ロコちゃん、ありがとう。いつか、またね! 


くろくろちゃんの里親さまからも春の便りが届く。

          

満開の桜の下で、ぶちとくぅが花見酒。
このカードを見つけた時、ぶちとくぅからの「元気にやってるよ」って伝えて!というメッセージなんだと思った…と里親さま。
折々に届く言葉の数々は、今は亡き猫たちが結んでくれたご縁から生まれたものだ。
なんにもしてあげられなかったのに、もらったものの方が多いじゃないか…。まったく…ダメだなぁ、この下僕。
まだなお、猫たちに支えられている。


くぅちゃん またね!

2019年11月23日 | つれづれの日々

11月18日 早朝 くぅが虹の橋を渡りました。

長く暑かった8月の終わりに体調を崩して受診。検査データは思いのほか悪くなく、脱水の補正と数日の投薬で再び食べられる
ようになった。
このままこの秋も乗り切れるかなと思っていたが、10月に入った頃から少しずつ食べる量が減り、そのうちパッタリ食べなくなった。
ただし、本人はいたってゴキゲンで、だた「食べない」だけ。
様々な可能性を探った投薬のいずれにも好反応はみせなかったが、投薬を兼ねて高栄養ちゅーるを強制給餌すれば案外上手に
飲み込み、嘔吐することもなかった。しばらく続けて体力が戻れば、また食べられるようになるだろう…なんて構えていたが
どんな食べ物にも興味を示すようにならず、スッと離れてしまう…の繰り返し。
そして徐々に給餌への抵抗が増し、10月の終わりには給餌しても殆どを口から吐き出してしまうようになった。抵抗するたびに
顎からギリギリという音が聞こえるようになり、そのころから水もうまく飲めなくなった。急速に後肢の力が落ち、お気に入りの
出窓にも上がれなくなった。
理由はわからないが、猫の終末期には顎からギリギリガリガリという歯ぎしり様の音が生じることが多い。
もうすぐ18歳。お別れの時が近づいていると思った。
嫌がっても強制給餌をがんばって、濃厚な治療をすればもう少し生きられるかもしれない。
けれど、食べないだけで日々を楽しそうに過ごしているくぅにとって、それは必要なことではないんじゃないかな。
むしろ変わらない日々を過ごすことこそが彼女の望みなんじゃないのかな。
チームしろりんらしく送る。くぅが嫌がることもいたずらに苦しめることもしない、したいことをして、行きたいところへ行って
眠りたいところで眠れるよう。そうして最期の日々を穏やかに過ごせるようにできるだけのことをしよう。
強制給餌したちゅーるをとうとう吐いてしまった日、そう決めて強制給餌を止めた。

くぅは仔猫の頃からとびきり臆病で用心深いステルス猫で、4兄妹のうち3匹がゴハンを食べていてもなかなか近寄らないのに、
真っ先に食べ終わりぶっ飛んでどこかへ消えていく子だった。
それなのに思いがけないところで大胆で(笑)ネコ嫌いのじいさんが作業をしている目と鼻の先で一日中ぐぅぐぅ寝ていて
「見つかりはしないか?」?と見ているこちらをヒヤヒヤさせたりもした。
慎重で頭が良くて、(オペ時を含めて我が家の猫たちは1~2回トラップケージのお世話になった子が殆どなのだけど)くぅは
どうしてもトラップできなかった数匹のうちの1匹でもあった。だからオペ時と保護時の二回とも私はくぅに咬まれて流血…
今思い返しても手強い子だったと思う。
保護してからも夜啼きが激しくて、猫との生活に慣れないダンナはかなり苦労していたし、なんとか落ち着かせようと猫の
先輩たちにたくさんのアドバイスいただき助けて頂いたのも今になればいい思い出。
抱っこもスリスリも本当は大好きなのに結構なツンデレ&元来の臆病さが災いしてなかなか素直に行動できない。
保護した子がダンナに懐いて胸の上で眠る姿をタンスの上からじぃぃぃぃ-っとにらんでいた姿が忘れられない(笑)
ぶちのことが大好きで頼りにしているくせに常に態度はめっちゃ強気(笑)ぶちも「仕方ないなぁー」って感じで対応(笑)
そんな彼女も歳を重ねるごとに穏やかにしなやかに気持ちを表せるようになり、酔っぱらったダンナがお腹に顔をうずめて
眠ることを許したり、ぶちや一歩、まさおとくっついて眠る姿を見せるようになった。





昨年末にぶちが逝ってしまった後からは、ぶちの定位置だった私の左脇に顔をうずめて眠るようになった。一緒に暮らして14年。
くぅを抱いて眠れる日が来るとは思いもよらなかった。

食欲は廃絶、嘔吐を誘発してしまうので強制給餌は止めた。上手く水が飲めないが水入れの前に佇むことがあれば、様子で水を
背負ってもらうくらいしかできなかった。それでも、仕事を終えたダンナが部屋に戻ると「おかえりー」といい姿勢で迎えた。
毎晩、喉をゴロゴロさせて我先にと布団にやってきて眠った。
半ば気を失っている時間が多くなってからも、その習慣は続いた。よろよろとおぼつかない足取りでもやめなかった、
そしてその日の朝も私の左脇に入り込んでしばらく眠ったあと、静かに静かに旅立っていった。




存在感って、躯体や動きや声の大きさなんか関係のないもの…その子の在り方「佇まい」なのだと思う。
動物には「死」を受け止める悲しさや淋しさは無いかもしれない。そもそも「死」という概念があるのかどうかもわからない。
だけどそこに在るべきものがないという「喪失感」は、彼らの中にも確実にある。
くぅの姿の無いリビングがやけに広く感じているのは、私とダンナだけではないはずだ。

ぶちが逝ってしまった後、くぅは夜になると時々「あーあー」と啼いて歩くようになった。普段ほとんど出入りすることのない
寝室に入り込んで、物陰に向かって啼いた。
帰りが遅い私を探しているとダンナが言った。でも私が居ても啼くときがある。やっぱりぶちを探しているのかな?
猫は環境の変化に弱く、変わらないことがなによりの安心感になる。
くぅが求めていたものは必ずしも私でもぶちでもなく、時の流れの中で少しずつ自分の周りから欠けてしまったなにか…だったの
だろうと今は思う。

2002年にしろとぶちとくぅ、そして風になってしまったちゃってぃーの4兄妹と出会って始まった猫たちとの暮らしとTNR 
何も終わっていないし、これからも変わらず続けていくのだけれど、それでもなにか自分の中でひと区切り。
それは淋しさよりもあの日母ネコから預かった仔猫たちを時を経て、空へ還すことができた安堵感のほうが大きいかもしれない。
「死」はだれもが往く道。どんなに悲しくても淋しくても、いつか自分も必ず往くのだと思えば、しばしのお別れに過ぎない。
だからさよならは言わない。くぅちゃん、一緒に暮らしてくれてありがとう。その日まで、またね。

いっくん またね!

2019年11月05日 | つれづれの日々
11月3日 いっくんが虹の橋を渡りました。
急速に脱水が進んでいることに気づいてから、わずか4日目の朝でした。

食欲にはムラがあったものの「お腹空いたー!」とゴハンを要求して啼くこともあったし、焼きかつおなども食べるようになって
食の幅も拡がってきていた。
保護当時は食べて出してひたすら寝る…だけだった生活が、「だせー!だせー!」とケージのすき間から前足を出したり大きな声で
啼いたり。トイレ掃除の際にケージから逃走したりw時にはダンナと一緒にソファでテレビを見て過ごしていた。

               

        

保護当時、敷物に尿失禁が続いていたが体調の回復とともに消失、ひと安心していたが、「だせーだせー!」と騒ぎ始めた頃から
また時々敷物に粗相をするようになった。
特別体調が悪そうでもないのに…いわゆる拘禁反応的なもの?元々外で過ごしていた子だからそういう苛立ちを敷物への排尿という
形で表しているのか???

大急ぎで保護部屋を再編成。まだしばらくは様子をきちんと見たいから…やはりいっくんはひとり部屋がいいだろう。
ぽぽとゴローの部屋を空けていっくん部屋に。
ぽぽとゴローにはこれまで荷物を置いていたスペースを整理して与え、隣接するふわり部屋と行き来できるようにした。

久しぶりに気持ちよく晴れた日で、部屋にはいい風が通っていた。
移動したいっくんは、新しい部屋に最初少し啼いてしまったけれど、ラティス越しにぽぽのすけと鼻ちょんをして、隣のニッキ部屋を
覗いて、そのあとは窓から外を眺め、風に当たり夕方までの数時間を過ごした。

その夜、それぞれの子にゴハンを与えていったが、いっくんの食欲がない。動きはそれほど悪くないが…少し脱水なのかな?と。
急きょ支度をし、水を背負わせようと背中をつまんで驚愕した。皮膚が硬い…本来あるべき皮下のスペースがまるでなくなり
ピタッとくっついてしまっていると言ったらよいのかな…。かるびやぶらっきぃで経験した、脱水末期の状態がそこにあった。
「なんで?どうして?」「何をいつ見落とした?」と頭の中でぐるぐるぐるぐる。

猫は皮下のスペースを使って水を背負ってもらう。だがこうなってしまうと穿刺をすること自体が本当に困難になる。
少しでも皮膚の柔らかい部分を探してなんとかなんとか祈るような気持ちも一緒に背負わせた。

翌朝になっても事態は好転せず、食べられない。出せ出せと暴れていた姿はない。
保護時の血液データが頭を掠めた。来るべき時が来たのだと、思った。
思い返せば、僅かずつ食べる量が減っていた。それでも元気があったし、口内炎が悪化した様子もなかったから食ムラの範囲内と
考えていた。
だがこうなってみると敷物への粗相が再燃したのも、実際は体からの声なきサインだったのだろう。
元気そうに見えていた。ちょっとした奇跡が起きたみたいに!元気になってきたと思いたかったんだ、私。

極度の貧血と末期的腎不全
かつて兼続がそうだったように、猫は貧血を補完しようとするのかギリギリまで食べ、動く。だが…一定のラインを越えると
急速に食べられなくなり動けなくなる。
これを改善するためには輸血しかないが、貧血の進行ですでに心臓に負担がかかっているから、その負荷に耐えられないかも
しれない。また抗体を産生するから繰り返し行うことはできない。
VETが「余生をしろりん家で…」と言ったのは、この日が近い将来来るであろうこと、そして来た時に打てる手はないということ
なんだよな…とあらためて思った。

何度も猫を看取ってきた友人がずっと心配してくれていた貧血の進行による「呼吸苦」
おなじ貧血でも急速に進んだ兼続は本当に本当に苦しんだが、かるびやぶらっきぃ、ちゃっぷのように緩徐に進んだ場合には
強い呼吸苦が起きないことが多いように思う。年齢や心臓の強さなども関係しているのかもしれない。
幸いにもいっくんは、穏やかな呼吸のまま逝った。

殆ど意識がないのかな…と思うほど眠っていたのに、保護部屋のドアを開けるとニッキやうっしーたちと一緒に啼いて呼んだ。
からだを撫でる手に顔を押し付けて眠った。
少しずつ少しずつ体温が下がっていくなかでも、声をかけると返事をしてくれた。
もっといろんなもの食べさせたかった。もうちょっと時間があると思ってた。

お気に入りだったあご枕を一緒に持たせた。焼きかつおやウェットパウチやドライを体が隠れるくらい持たせた。
ここ数年ですっかり馴染みになってしまった出張火葬の担当さんは毎回「大丈夫だから、たくさん持たせてやって」と言ってくれる。
友人も遠くから一緒に祈ってくれた。

そしていっくんは、山ほどのゴハンとともに煙になって、現れたときと同じ我が家の庭から青空へ昇っていった。

わが家で過ごした6週間が、いっくんにとって幸せな日々であったかどうかわからないが、新しい仲間を迎えたチームしろりんの
下僕として楽しく楽しみな毎日だったことは間違いない。

いっくん、わが家を終の棲家に選んでくれてありがとう。私たちに看取らせてくれてありがとう。いつか、また会おうね。

               

それからのいっくん

2019年10月21日 | つれづれの日々
さて、チームしろりんの一員になった「いっくん」順風満帆とはいかないが、なんとなく右肩上がりな感じかな?
             

多飲多尿はもちろん変わらないが、食欲はそれなりに保てている。
腎サポは仕方なしに食べている感アリアリだけど、20歳以上の超シニア向けのウェットでなくても食べられるように
なった。
そしてなによりも…あの顎関節が軋む音がしなくなったことが嬉しい。
これからのことは皆目検討がつかないが、少なからずあの時の危機は脱したということだからね。それで充分だ。

      

基本的には本当に静かな子で、お腹が空いたとき以外は啼かない。あとは…遊びたいときかな(笑)
このごろは店の一部に作ったダンナのテレビ部屋で、ちょっとだけフリータイムを楽しむようになっている。

             

小部屋の中をグルっと一周すると、ソファに乗ってウトウトし始める。
まだ被毛が生え揃わないので…若干アレな姿ではあるがw 表情はだいぶ良くなったんじゃないかと思う。

      

そうはいっても食欲や動きにはムラがあるので、4~5日に1度程度水を背負ってもらうが保定もほとんど必要がない。
想像以上のかなり良い子なのだ。

ねぇ、ぽぽのすけ…いっくんはいい子だよ?   聞いてる?ぽぽのすけ???   てか、聞けよっ!ぽぽのすけ!

      

先日もニッキさんとお嬢を脅しているところを止めに入って、左の手のひらに10cm以上の切り傷。ニッキさんとお嬢は
無事だったので良しとするが、仕事に支障をきたすことこの上なし。デカいんだよ、ぽぽのすけ。そろそろそれに気づいてくれ。

そんなぽぽのすけ。合計1か月半の投薬 めでたく無事終了。

              
 
             

名付けてちゅーるガン(笑)
 
50本入りのちゅーると極小5号サイズのカプセル
大変…大変お世話になりました。私も大変でした(笑)

ようこそ!いっくん

2019年09月26日 | 口腔内トラブルとケア
先の台風で被災された地域の停電がようやっと復旧したとニュースが入る。
これからやらなくてはならないこと、どうしたらよいか悩むこと、不安ばかりが募ること、たくさんたくさんあると思います。
平穏な日常が、一日も早くみなさまのもとに戻りますように。

日頃ほぼ料理をしない私だが、たまには…気が向けば作ることもある。そんな激レアな気分の日にその子はやってきた。
気持ちの良い風が通る日で、勝手場のドアを開け放して(我が家の勝手場は土間)ダンナからリクエストされた煮物などを仕込んでいた。
「にゃあ」と声がして振り向くとドアのところに茶トラの猫が座っていた。10年ほど前は茶トラや茶白の子が多かったが、トラちゃんが
プイッと姿を消して以来、わが家の庭で茶トラの猫を見かけることは殆どなくなった。

出会ったころのぎんちゃんよりは少しだけマシなくらい痩せこけている。みれば体は毛玉とノミだらけでどこからか膿臭?がうっすら。
お腹が空いているようだったので、ウェットを出してみると食べだすがすぐにやめてしまう。気に入らない?別のウェットを出すが
おなじ塩対応。ドライもミルクも。口が痛い?痩せているし口内炎で食べられないのかも。
その後出してみたちゅーるはなんとか半分ほど舐めたが結局やめてしまい、気づくと勝手場に入り込んで、私の足元に座り込んでしまう。
右耳にカットが入っているさくら猫。大人しい子のようだから餌場からはじかれてしまったのか…。それにしても人馴れしており、
人恋しくて堪らないという感じにさえ見える。
庭に留まるのは一向に構わないし、今後のことはまた考えることにしても…そのノミだらけなのは些かマズい。が、こんな時に限って
手元にあるのは小分けしなくちゃならないデカいサイズのフロントラインだけ。
急ぎ市内の猫友に尋ねてみるが、みんな多頭飼いだもんね、状況はおなじ(笑)しかもかかりつけの動物病院が定休。で、初めての病院へ
突撃。レボリューションをゲトして大急ぎで帰宅したら、ダンナと茶トラ猫が勝手場でしっかりココロを通わせていた。
人懐こい茶トラの猫が庭に居る→いつもいるはずの時間に私がいない→この猫のために出かけている とダンナは判断したらしい。
取り急ぎレボを滴下して、さて…どうするか…とThinking-timeに入るところで口を開いたのはダンナだった。
                   「入れてやるしか無くね?こんなに人恋しいのに」
様子も見てやりやすいし、少なからずノミが落ちないと保護部屋には入れにくいので、ケージを店のスペースに設置して茶トラをin。
少しだけ啼いたけど、上段の敷物に落ち着いたところで、改めてじっくり観察。
             

明らかなるい痩状態。膿様の眼脂多量。口周囲に血液混じりの汚れがこびりついており、流延と悪臭あり。透明鼻汁(+)咳(-)発熱(-)
痩せてはいるが目立った創や病変はなさそう。肛門周囲の汚染(-)、膀胱緊満(-) 背~腰にかけて毛玉多数で部分的に脱毛を認め、
ノミ寄生あり。

抗生剤の目薬を点眼。大人しくほとんど抵抗なし。やはり少なからず口内炎があって食べにくい状態になっている様子。。
腎機能が分からないから、とりあえず手持ちのジスロマックを少しずつでも口にしてくれることを期待して高カロリーチュールに
混ぜて出してみる。ガリガリゴリゴリと具合の悪いネコ特有の嫌な音がする。だが、えづいたり、前肢で口を掻いたりしながらも
なんとか1本食べられた。よしっ!!もう1本、また1本足して…と計4本食べ、うとうとし始めた初日の夜。

翌朝、敷物は涎と尿でびしょびしょ。表情は決して良くないが多少動けるようになってきた。
             
水はたくさん飲んであるが、残った水は口腔内からの出血でうっすらピンク色になっている。トイレに降りた様子はない。
体力的な問題で失禁したのか、そういう癖の猫なのか、あるいはトイレが気に入らないのか…。
食欲はあるから、体力的なものならいずれ収まるだろう。問題はそうでなかった時だ。
夜になってもその傾向は変わらず、夜遅く仕事から戻ったその足でド〇キへ急ぎ、木質ペレットから鉱物砂に変更。日付が変った頃、
しっこを吸ったペットシーツをトイレに突っ込み、しっこでびしょびしょの猫をごしごし拭き、敷物を替え、ケージも丁寧に拭き上げた。
すると何がヒットしたのかわからないがの夜にはうん〇トイレに発見。そのウン〇を敢えて片付けずに置き、翌朝しっこだま2個発見。
下僕感涙。目指せ!部屋ネコへの希望のひと山を越えた瞬間だった。

              

         

病院の休診日と下僕のシフトがどうにも合わず、やっと受診できたのは保護から5日目。キャリーの中で少しだけ啼いた。
BW3.0㎏ 口腔内には口内炎の所見があるが、それほど酷くはないとの由。年齢的には…10歳overくらいかな?とのことで。
触診では、両腎臓の固さと表面の凹凸があること、腸内には硬便が溜まっているという所見。
血液データは、まぁ想像通り良くない。WBC30500 Ht17.2% Hb5.9 BUN128 Cre5.1 K4.9 FeLv(-)FIV(-)
輸液と抗生剤、消炎剤を皮下注。腎機能が悪いので、ジスロマックを量を控えて内服継続することになった。
「この感じでよく食べ始めたね」とVET  ホントホントと頷くスタッフと私。
「結構立派なデータだもんね」と私  うんうんと頷くVETとスタッフ。
「ま、いっか。このままわが家で余生ってことで」と私
「そうそう。せっかく助けてもらったんだから、それでいいんじゃない」とVET

そんなわけで、茶トラ猫 コードネーム「いっくん」がチームしろりんに新加入。

         

ちゅーるを卒業し、三ツ星グ〇メちょっと混ぜの腎サポをポリポリやってます。
出せ出せもせず、食べて出して寝る ひたすらその繰り返しだけど、表情はだいぶ緩んできた。 ま、ボチボチ行こう!


         

同僚の長崎旅行のお土産 「桃カステラ」 元は桃の節句由来のお菓子らしいが、慶事一般に使われるとのこと。
いっくんのニャン生がおいしくたのしくありますように! と願いつつ食す。 

ぽぽが、熱を、出した

2019年09月06日 | 猫の黄疸
暦の上では残暑のはずなのに、まだまだ暑中感満載だった数日のあと それは起こった。
残業で深夜に帰宅した私を迎えてくれた保護部屋の子たち。ぽぽのすけもゴローと一緒にいつものようにそばに寄ってきた。
あれ?なんだか動きが悪くね?表情もなんだかスッキリしないし、鼻が乾いて若干体温も高めに思える。食欲もいまひとつで
わずかに口をつけただけで「もういいや…」とコテンと横になる。
暑い一日だったからなぁ…いくらクーラーを使っているとはいえ、終日室温を確認しているわけではない。暑さにやられたかなぁ
なにしろデカいし。
とりあえずアイスノンやクールパッドを増量。明日以降の様子では早めに受診も考えることにした。

翌朝、それほど様子に変化はなく…ただ食欲はあまりないぽぽのすけを一番涼しいふわり部屋に移動させておいた。意外にも
ふわりともめない。お互いにちょっと威嚇の声を出すのだけれど、それ以上にはならないので様子見。
しかし夕方帰宅したころには、ぽぽのすけの鼻も肉球も真っ赤で明らかに高熱を出しており、食欲も廃絶。少量の嘔吐の跡が1カ所
あった。時々口をくちゃくちゃさせて気分も悪そう。感冒症状はなく、今のところ今のところ表立った兆候はない。
しかし、この体型の子が食べないのは原疾患であれ、二次的であれ要注意だ。翌日の受診を決めた。

そして翌朝。最悪の予想が当たった。
トイレトレイを引き出してため息が漏れた。
         

ビリルビン尿。画像はペットシーツの裏面、比重の関係で表面よりも下部の色が濃い。友人曰くペーパークロマトグラフィー。
昨夜は異常はなかったぽぽのすけの耳。日光に透かしてみるとうっすら黄色い。大急ぎで診療前のVETにメール、画像を添付して
朝一で受診したい旨を伝えた。

さすがに元気のないぽぽのすけをキャリーに入れる。…が、思い直してネットに入れてからキャリーへ再度イン。

診察室でキャリーから出そうとするが威嚇するわ、突っ張るわで出せないので、キャリーを分解して診察台へ。
ネットに入れてきたと告げると、VET&スタッフ一様にホッとした表情。うん、まあ、そうだよね。でもね、今日のぽぽのすけは
ぽぽのすけ史上一番元気がないと思うよ?ととりあえず付け足してみる下僕。
まずBWチェック。「ん?」VETが二度見する。「そんなはずないよね?」と私を振り向く。いや…たぶん事実です(汗)と思う私。
ゼロ点合ってなかったかな?と合わせ直して再計測。驚愕の10.55㎏  
そう…ぽぽのすけはとにかくデカいのだ。太っているというよりも個体としてデカいといったらいいか…。たるんたるんではなく
硬いのだ。そして、それだけの大猫だから当然と言ってはなんだが力も強い。
なにはともあれ、採血をする。VETもスタッフも私も緊張Maxで変な汗が噴き出てくる。
なぜなら…ぽぽのすけにはいくつもの武勇伝があるから。興味のある方は…ほんの一部ですがドゾ
            こちら こちらも

巨猫で俺様だけどホントはノミの心臓なのだ。だからめっちゃ暴れる。41.0℃の高熱で具合の悪い今回も火事場のバカ力?を
必要以上に発揮。
ネットを破り、エリカラを吹き飛ばして大暴れ。日頃、私が持ち込む外の子たちを難なく扱っているVET&スタッフさんたちもどーにも
手をこまねく。最終的にVET二人、スタッフ二人と下僕の計5人がかりで採血。診察台の上でバスタオルを掛けられ、私の腹に顔を
うずめてようやく大人しくなったぽぽのすけを抱えたまま、データ分析を待つ。
   採血データ: WBC 9000 / Hb 10.7 /GOT 45 /GPT 100 / T-Bil 4.2 /Cre 1.4 /BUN 10
やっぱり…な高ビリルビン血症。Hbの著明な低下はないから溶血性ではなさそう。GPT値が高いが以前のもじゃの時に比べればそれほど
でもない。ここで持ち堪えるのか?これからまだ上がるのか?
…とりあえずデータからは、肝リピや三臓器炎などの肝胆管系(肝性)もしくは胆石や腫瘍などの物理的な閉塞性(肝後性)の黄疸が疑われる状態。
本来ならX-Pや腹部エコーで肝臓と周辺臓器の様子を確認したいところだが…採血だけでこの有様。これ以上の検査もましてや入院など
とんでもなく無理な話。
なにか他の疾患が隠れているかもしれないけれど、とりあえず三臓器炎に対する治療に反応するかどうか、それで切り分けていくしかない。
輸液200mlと抗生剤&ステロイドを皮下注。抗生剤とプレドニン10mgとウルソ100mgを処方され帰宅した。

食欲は全くない。水も飲まない。高ビリルビンによる食欲不振で食べられない。が、こんな時ぽぽのすけの巨体がさらに状態の悪化を
後押しする。とにかく食べさせて肝リピドーシスへの移行だけは防がないといけない。
一度にたくさん入らない。様子を見ながら回数でカロリーを稼ぐしかない。高カロリーチュールがいい仕事。1本ずつ、嘔吐しないことを
確認しながら2時間おきに入れていく。
病院ではあんなに大暴れだったぽぽのすけも、自宅に戻ったら不調全開。爪切りも強制給餌も案外できる。様子を見ながら水を背負わせる。
回復しているのか、いけるのか…は食欲の改善と尿色で推測していくしかない。
※以下サムネイル表示。シーツについているモロモロしたものは尿を吸って崩れた木質ペレット

受診当日夜  食欲廃絶。飲水せず。高熱持続し寝ていること多い。

二日目 朝  ゴハンの皿に興味を示すが食べず。強制給餌続け、水200背負わせる。日中少し解熱傾向も夜になって再び高熱。

三日目 朝  銀スプを数粒+チュールを自ら舐める。強制給餌続け、水200背負わせる。日中ほぼ解熱、少し動き始める。夜発熱あり。

三日目 夜  ウェット・ドライ共に食べ始める。チュール減数して強制給餌、水100背負わせる。動き良くなってくる。夜発熱あり。

四日目 夜  食欲かなり改善する。チュール減数して強制給餌、自力飲水OK。終日発熱なし。

最初に処方してもらった薬は5日分。なんとか飲み切った。ビリルビン尿もすっかりなくなり治療に好反応を示したと言えるだろう。
もちろん油断はできないし、決して本調子ではないのはわかっている。
ゴローちゃんとうっしーがふざけあっていてもぽぽのすけは参加しない。ゴハンを食べてコテン。部屋を移動してコテンとすぐに 休んでしまう。
継続してデータを追えない以上推測するしかないが、おそらくあの後、肝機能データはさらに上昇していたのだろうと思う。
幸いにもビリルビン血症が改善、食欲も戻り最悪の事態は避けられたが、肝臓はそれなりにダメージを受けている。
今回、潜在的な肝臓疾患の関連があったのか、外因による食欲廃絶が肝リピドーシスを引き起こしたのかはわからない。
ただ、今回の病態がこれから先もぽぽのすけの体調を左右する大きな因子であり続けることだけは確かだ。
                 
これは多頭飼いあるあるだと思うんだけど…1匹調子悪くなると必ず後に続く子が出る。
体調を崩したくぅ姐さんの受診の際に今後のぽぽのすけの治療方針を相談する。もちろんみんなの平和のため再受診はしない方向w
とはいえ再発しやすい病態なので、可能ならあと1か月の投薬を…とVET。
わかりましたと返しながらどうやってこの投薬期間を乗り越えようかアタマの中はぐーるぐる。
あの時ホントに具合悪かったんだよね、ぽぽのすけ。
最初の2日は抵抗もせず薬を飲めたのに、食べられるようになればなるほど全力で拒否だよ。
いくら爪を短く切ってもなにしろ力が強いしデカいのだ。なかなか手に負えない。抱えたところで弾き飛ばされる。
一日2回の投薬は正直キツイ…
せめて1度にしてもらえないかとお願い。プレドニンを10→5mgに減量し ウルソ50mg×2回を100mg×1回/日に変更、抗生剤は
1回/日で継続。でも結局3錠飲ませるのが大変で…朝)プレドニンとウルソ 夕)抗生剤 という感じでなんとかなんとか。
確実に飲ませるため苦くて内服させにくいプレドニンははじめからカプセル詰を選択。抵抗が強く口腔内に放り込めなくなってからは
投薬用の粘度の高いチュールも使った。猫の投薬には、その子に応じて毎回無い知恵をしぼりださなくてはならず、下僕はマジ疲弊する。
とはいえ、飲ます方も飲まされる方も息があってきたというか、割とすんなり飲める方法を新たに生み出しつつある。
手元の薬はあと2週間分。一生モノの病態を背負わせてしまった申し訳なさを抱えて、下僕はひたすら頑張るのみ!なのだ

これから

2019年08月13日 | つれづれの日々
          
見えてても気づかないフリするのが礼儀よ? の ちょびこ@最近とてもフレンドリー

そろそろ季刊なblogカテでも無理めになってきた、ここ。
書いてはいませんが、みなさまのところへは「ランチの友」としてコッソリお邪魔させていただいてます。


日々変わらずドタバタでクタクタ。ですが、ご褒美といってはなんですがっ、行ってきました埼玉。ええ…東海地方から(笑)

          

          たまアリでかっ!その姿を写真に収めながら…
          今はこうして巨大イベントスペースとして在るここが、被災地外の避難所であった日々のことをふいに思い出す。

                君の好きな 故郷の街に また あの日々が戻って きますように

          

          古くからの友人が「行っておいで」と急遽譲ってくれたチケット。
          本当に長い長い家族ぐるみの付き合いの間柄なのだけれど、お互いに小田さんファンだったとは知らず…。
          この数年、実は自分の周りにたくさんの小田さんファン(しかも筋金入りの!)が居たことが次々判明し、
          縁の不思議を感じている。
          友人たちも私も、みんなそれぞれに人生の折り返しを過ぎた。変わらないように見える日々は奇跡の積み重ね。
          行きたいところに行き、会いたい人に会い、見たいものを見る。いつか…じゃなく、今。


友人が「運がよければわりといい席のような気がする」と言っていたが、巨大スペースの中に探し当てた席は「わりと」どころではなく
私的には間違いなく「神席」※画像お借りしてます
          


          サブステージの斜め前、花道の真横  
          かなりの曲数をサブステージのピアノで歌ってくれて、ベスポジでがっつり見入り聴き入る。
          撮影用のクレーンが反対側のブロックだったのもラッキーだった。
          花道で立ち止まって歌ってくれたのもホントにすぐそこで…え?今、目合ったよね???
          かなり序盤のうちに完全に冷静さを失うwww

アンコールを含めて30曲以上(収録の関係上、やり直しがあったからね・笑)を一緒に歌いまくる。全体に観客の平均年齢は高いけど
3時間みんな頑張った!が、私の斜め前の男の子はなんと5歳。まわりのおばちゃん観客たちから「小田さん好き?」「渋いねぇ」と
かわるがわる声をかけられる。「愛を止めないで」のあたりまではノリノリだったがさすがに5歳児。終演時には父親に抱っこされて
爆睡で退場。小田さんのファン層の広さに感涙&安心したわ。

そして小田さんも71歳とは思えない走りっぷり。
「キラキラ」を歌いながらオンステージの客席に突入していったと思ったら「あれ?消えた!」同時に上がる短い悲鳴
かなり派手にコケたらしいけど、日ごろの鍛錬が違うんだろうね、すぐに立ち上がってその後も走る走る走る。
ライブの最後に「みなさん、元気で暮らしてください」と小田さん。
「これからも元気で歌っていてください」と願いながら、たまアリを後にした。

帰路は深夜ということもあってか…東海地方まで2時間半ちょいで帰り着くwいやあー意外と近いんじゃね?埼玉。

行きたいところも見たいものも体験したいこともまだまだたくさんある。
とりあえず、大好きな元同僚に 会いに行く。2年来の約束果たすために、行くよ埼玉!!待ってろ、埼玉!


下僕が近づくコンサートの日を指折り数えていたころ、離れのネコ部屋で異変。
どんなに朝早くても、私の帰りが遅くても、ラティスから3匹顔を出して待っているニッキさんとうっしーとお嬢。
前夜、疲れてしまって早めにお世話をして休んでしまった私。その時点では特に違和感を感じることはなかったのだけど
翌日のネコ部屋は、ドアを開けた瞬間からおかしかった。なんかやけに静かじゃね?
ざわざわする気持ちで見まわすと、ラティスから覗いている猫あたまが足りないじゃないか。またニッキさん具合悪いのか?と
思ったら…あれ?居るやん。あ…うっしー、うっし-が居ないから、いつもみたいに大声で啼いていないから静かなんだと気づいた。
とにかく落ち着きがなくていつも走り回っているうっし-。なにかあったのかと慌てて部屋に入り、ネコマンションのカゴのひとつに
ちんまり収まっているうっしー発見。顔を上げてはいるが動く気配がない。
   おかしい  これはおかしい  うっしーが部屋から脱走を試みない…てか一つ所で動かないなんてアリエナイ

見回せば あちこちに嘔吐の跡。食残から水様物まで様々。トイレの中をさらうが下痢はなし。トイレトレーのペットシーツの
尿色にも目立った異常はないように見える。

とりあえず声をかけてみる。「にゃ」返事をするが表情に活気がなくこころなしか顔色悪い感じがする(感じが…ね)
大好きなシーバにも一切反応しない…どころか顔をそむけて食欲廃絶
眼をのぞき込む、ついでに耳を光に透かしてみる。どうやら黄染はない。眼脂は増えていない、鼻汁もない。
さわった耳は熱くない。むしろ全体に体温が低い印象をうける。
口を開けて覗く。肉球の色を見る。貧血や低酸素の兆候はない。
カゴに収まって動こうとしないけれど呼吸の回数・深さなどは普段とかわらない。喘鳴も咳もない。
からだのあちこちをさわってみる。腹部が水っぽい感じはしない、膀胱も少なからず緊満はしていない。
いつもならひっくり返って腹モフ要求のうっしーが「う゛ーう゛ー…」と小さく唸った。
左の腰のあたりに吐物がこびりついており、さらに異常な状態が起きていることを察した。
痛みがあるのか、痛みがあったのか、せつないのか、もっとせつない瞬間があったのか? いずれにせよこれは緊急事態だ。

幸いにも遅番だったので「遅れたらごめん」と同僚にLineして、うっしーをキャリーに放り込みVETのところへ向かう。
車中、不安そうに啼いていたものの、途中でだるそうに横になってしまい私も久々に焦る。
しかもなんとかたどり着いたびよいんの待合室にはやたらと吠えまくる先客犬がいて、うっしー、さらにビビりまくる。
うっし-の体温を測りながら「あ…それでもなんとか38℃はあるのか…」とVET 
そうなんだよね、なんだか低く感じるのが気持ち悪いんだよね…と独り頷く私。
触診でも聴診でもこれといった異常は見つからずとりあえず採血とX-P
採血の結果 WBC 35200 TP7.8 と感染を疑う所見 Hb13.1 ととりあえず貧血はなし。
X-Pでは肺野に気になる影 気管支炎を起因とするびまん性の肺炎 もしくはリンパ腫も除外できない。
腹部には取り立てて気になる所見はなく、ガスの貯留も多くない。
エコーでも異常は見つからず。嘔吐は一過性の中毒の可能性が高いのでは?とVET。とはいえ完全室内飼いで同部屋の2匹に
異常がないため確定はできないが、私が異常に気づいて以後の嘔吐はないことからも推定。
こちらは制吐剤対応で経過をみることとし、気になるのはWBCとTP そしてX-P
思い返せば時々咳をすることがあったうっしー。抗生剤の内服で効果があれば気管支炎~肺炎など感染由来のWBC増加 
効果がなければ感染は除外される。
仕事の都合上1泊入院、翌朝1W分の抗生剤を処方されて帰宅。案外上手に内服できたうっしーにココロの中でガッツポーズ。
が…ネコの投薬はそんなに甘くない。分かってる分かってる。
徐々に食欲が戻ると抵抗も激しく逃げ足も速くなり、出勤前から毛だらけ汗まみれの1W後 再検したWBC 17900 やたっ!
下がってきてるけどまだ微妙に高いから…ともう1W分追加の処方をもらいうれしいやら、若干悲しい気もしたり(笑)
それから1か月半 残暑もなんのその。
         
うっしー元気です! やっぱりこうして3匹で並んでいてくれないとね!



今日は8月13日  夕方、庭で迎え火を焚く。

昼間ダンナと話した。「ぶっちゃん、帰ってくるかな」「来るよ、みんなで。てか…ぶちはちょいちょい来てるんじゃない?(笑)」
「列作ってくるのかな?」「いやー押し合いへし合いで来るんじゃない?(笑)おいっ!押すなよーとか言いながら」
「虹の橋から滑ったらどうすんだよ?みたいな?(笑)」「そうそう!きっとそんな感じでみんなで帰ってくるよ」

ここだよー戻っておいでー 名前を呼びながら迎え火を焚く。
ダンナと私を、きみたちの最後の下僕にしてくれて、ありがとう。
 

かいせんくん またね!

2019年04月07日 | つれづれの日々
3月16日 かいせんくんが虹の橋へ旅立ちました。
保護してからちょうど1年4か月 頑張りぬいた日々でした。

うっかり?入ってしまったトラップケージから始まったかいせんくんの家猫修行生活。
もともと触れる子ではなったから、時間はかかるだろうなぁ…と思っていたが、流石!のかいせんくんは
自分の流儀を貫き通した。

今思えば、保護当時が一番体力的にも安定していたのだろう。
ケージの上段でしゃーしゃー言いながらも本当に良く食べ、飲んだ。本格的な寒さが来る前の保護だったが
おそらく初めてのホカペの温かさにとろけた表情が、外にいた時とは全く違って嬉しかったな。
トイレも失敗することなくすぐに使いこなすようになり、水入れもゴハンのお皿も一度だってひっくり返すこともなく
ワタシとの距離は全く縮まることはなかったが、かいせんくんは保護ケージでの暮らしにすぅーっと馴染んでいった。
当初の予定では体調の観察も兼ねて1か月位ケージで、その後は陽当りの良いふわり部屋でケージフリーに。
大好きな日向ぼっこをして、できればふわりと仲良くなってもらえたらいいなと思っていた。

でも…かいせんくんは頑としてケージから出なかった。扉をフルオープンにしておいても出なかった。
外に出るといっても所詮は保護部屋の中だ。かつて闊歩していた庭とは風も匂いも違う、けれど狭いケージより
良いだろう?と思ったのはワタシだけだったのか…。
保護してみて初めて知ったことがたくさんある。殊に驚いたのはかいせんくんがとてもビビリな猫だったということ。
迫力ある面構えなのに、ニンゲンが怖くてビビリしょんまでしてしまうほど怖がりだということ。
百戦錬磨の子だと思い込んでいたけれど、実際はそうではなく、争いを好まず避けて通っていたのかもしれない。
少なからず、我が家の庭にたどり着いた晩年の彼は。

ようやく手にした自分だけの場所。
暖かく涼しく、探さなくても食べるものがあって、大嫌いなニンゲンが時々覗くのは嫌だけど、敷物を替える時以外は
特段こわいこともされないから「まぁいいか」って思える、そんな場所。
二段ケージの、上段の、四つ折りのケットで一杯になっちゃうような、ほんのわずかなスペース。
そこはかいせんくんにとって、外への興味を凌ぐほどの安心できる場所になったのだろう。

体調の波は激しかった。保護後調子よく食べることができていたのはほんの1か月足らずで、そこから先は薬を変えたり
その薬をどう飲んでもらうか、食べられるものはどれか、好きなものはなにか、どうしたら食べられるか…思考の日々。
かつて同じ難治性口内炎で苦しんだぎんちゃんのことが頭をよぎった。
口腔内潰瘍の痛みと出血と排膿。食べられないことで栄養不良となり、緩徐に貧血が進み、じわじわと体力を落とす悪循環。
食べて体の中に栄養を取り込むという、当たり前にしていることにも実は相当なエネルギーと体力が必要だ。だから本当に
体力が落ちてしまうと食べられないし、貧血が進み低酸素で機能低下した消化管組織では消化吸収することができなくなる。
食べることは生きること。食べてくれることは希望。けれど、食べさせることが苦痛を招く状況も存在する。

かいせんくんの最期の日々をどうすごしてもらうか…考え続けた最後の平成の3か月。
目指したのはソフトランディングであり、死への行程に逆らわない ということ。それがしろりん家流のおくりかた。

                  


かいせんくん。
陽だまりのマシュマロクッションで昼寝してる姿、見たかった。
お刺身ワシワシもっと食べて欲しかった。
ミルクまみれの顔で「にゃ」って声聞かせてほしかった。ホントはとってもかわいい声なんだよね。
おひさまの匂いのするふわふわケット大好きだったね。

ホントはね、もっともっと仲良くなりたかったよ。
食べてもらおうと思って買い込んだゴハンがたくさん残っちゃったじゃないか…全部、全部持っていくんだよ。
ミルクも焼きかつおも銀スプも。大好きなもの全部。お腹いっぱいになってゆっくり眠るんだよ。
そして、かいせんくん。いつの日か、またね!