5時だよ、ゴハンだにゃん

(元)外ねこさんに支えられる日々と、
野良猫さん一家TNRの記録

穏やかな日々と悔恨と

2022年04月07日 | つれづれの日々

      冷たい風の吹く夜を、棚上の背負いかごのなかでやり過ごしていた去年までの冬  
 
    今年の冬は、はじめてのホカペにとろけたね 
    
      15年の距離感がいつのまにか縮まって
 
    一歩が退いちゃうくらいの甘えっぷり全開  

    
   
    奇跡だと思えたあの日、ココは自らの意思でトラップケージに入ったのだと思う。
  
どんなに願っても保護出来る子とできない子がいる。人馴れの度合いとか、タイミングとか、様々な要素がそこにはあるが、でもそれだけではないと思っている。
かつてぶらっきぃを保護しようとしていた時、体力の落ちたぶらっきぃは食欲もなくなかなか姿を見せてくれなかった。でも私が近所のモータースの廃車置き場で
ぶらっきぃを探し当てることができたのは、彼のそばを離れることがなかった菊千代のおかげだ。
ぶらっきぃが保護部屋で息を引き取った後、菊千代もまた、輪禍に遭い命を落とした。
菊千代の亡骸を火葬に運びながら不憫でならなかったし、あの時一緒に保護するという選択肢はなかったのか?と悔いる私に猫の大先輩が言った。
「人も猫もそれぞれに役割をもって生まれてくる。菊千代はぶらっきぃを私に引き渡す役割をもって生まれてきた。そしてそれを全うして逝ったのだから
悲しむよりも褒めてあげなさい」と。

同じように外で暮らし、私たちと年月を重ねてきたココとミミ なにが違ったのかな。どうしたらよかったのかな。
ココが自らの意思で私たちに猫生を委ねてくれたと思うように、ミミはそうすることを潔しと思わなかったのかもしれない。
答えは見つからず、ミミの姿を見失ったことを悔み続けている。
でも猫の大先輩の言葉を借りるなら、ミミは得意の「おあがんなちゃい」で何匹もの子たちをしろりん食堂に招き入れた。そうして仲間の命を繋ぐことが彼女の
役割で、それをサポートするのが私たちの役割。
ミミを見失ったということは、ミミも私たちも互いに役割を全うしたということなのかな…とも思っている。




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