早いものでもう2022年もひと月過ぎようとしている。
昨年末からの杞憂がやっぱり杞憂で済まなくなり、ものすごい勢いでオミクロンが近づいてきている(…いやもうその手中に収められてしまっているのかも
しれないが)のを感じている。
東京でジャズシンガーをしている親友から久しぶりにLINEが来た。秋に送ったサツマイモが最後の1本になったと彼女らしく日々の暮らしを楽しみながらも
歌う場所を奪われた日常に対する憤りをにじませていた。
休まざるを得ない業界と休むことを許されない業界 どちらにとっても今、せつない時。
2021.12.28 ニッキさんが虹の橋へ旅立った。もう長らくあまり体調の良くない状態が続いていたことを思うと、本当に良く頑張り立派な旅立ちだった。
画像を紐解いてみると、彼が現れたのはまだまだ藪がわちゃわちゃしていた2008年のこと。私のぼんやりした記憶では小さくて傷だらけでなんだか貧相な
猫だった印象なのだが、あらためて当時の画像をサルベージしてみると、それなりに筋肉質でキリッとした顔立ちの子だったのだと今更驚いた。
なぜかわが家のお庭番や藪っ子たちはみながっちりした体格だったから、その中においてはニッキさんが小さく見えたのだろうな。もじゃといっしょに
保護部屋で暮らすようになってからの彼の様子が私の当たり前になっていたから、そのたくましい表情がなんだか新鮮にも思えた。
ニッキさんは、どこから来たのか皆目見当がつかない。かるびやもじゃなど新顔の男の子たちが庭に出入りするようになり、小さな諍いごとが増えだした頃
フラっと姿を現した。他の子たちよりも近く、でも気を許しているわけでもないぞと言う距離感でしろりん食堂の常連になった。
最初はもじゃともあんまりうまくいかなくて、顔を合わせれば唸り声が絶えなかったのだが…。
なにがきっかけになったのか??いつからかボーイズラブなMNコンビが結成された。喧嘩っ早いかるびがニッキさんを襲ったのをみて、いつもはおだやかな
もじゃがかるびにとびかかっていきニッキさんを助けた様子は忘れられない。
ニッキさんはよくケガもした。一番ひどかったのは右額のフレグモーネ。額から血をダラダラ流しながらもまだかるびと唸りあっているニッキさんを素手で
キャリーに放り込んだ雨の日。たぶんあれが後に「知恵がないことをして…」と医者に言われることになる「猫のケンカの仲裁」をした初めてだ。
骨盤狭窄による便秘の管理のために保護部屋生活となったもじゃが元気をなくしていき、もじゃと離れたニッキさんがかるびに生活の場を追われていく様子に
なんとかニッキさんにもじゃとの同居をお願いできないか…と考えた。
そして2010.8月かるびの姿がないうちに…と勝手口にゴハンをねだりに来たニッキさんを(私のうろ覚えの記憶では…)抱き上げて身柄確保、3段に組み直して
置いたもじゃのケージに即入居。もじゃ、とっても喜んで食欲も戻って元気になったんだよね。ニッキさんも出せ出せもせず、アイスノンも使いこなして、
まぁちょっとの間スプレーとかしたけど、いつの間にかそれもおさまって…そうしてMNコンビの穏やかな時間が流れていった。
このころがニッキさんにとってももじゃにとっても一番幸せな時だったんじゃないのかな。
2016.6月ニッキさんはもじゃが息を引き取るその瞬間も、いつもと同じようにお気に入りのカゴにもじゃと一緒に居てくれた。もじゃは安心して眠れたと思う。
独りになってしまったニッキさんはさすがに元気をなくしていき、もじゃを探すように啼くようになった。そのころ隣の保護部屋にはうっしーとお嬢が居て
稀に部屋を行き来してはいた。賭けだった。うっしーとお嬢を隣のニッキさんのところへ移してみた。
すべてはこれこそ杞憂だった。すぐにうっしーとお嬢はニッキさんに寄り添い眠り、ゴハンを食べ新しい生活が始まった。
ニッキさんは、たぶんものすごい愛されキャラなんだと思う。外に居た時にも女の子たちに人気だった。誰ともつるまなかったココが唯一一緒に時を過ごした
相手もニッキさんだった。かるびとは犬猿の仲だったけどねw
そんなニッキさんも2017年に急性膵炎を発症したころから体調が思わしくないことが増え、痩せて小さくなっていった。同じころから時折大きな声でまるで
雄たけびを上げるように啼き続けるようになった。
正確な年齢は分からないが出会った時にもうそれほど若くはないと言われたニッキさん、これは認知症なのだと思った。
認知症は少しずつ進んで、同じ場所をクルクル回ったりベッドやトイレの場所が分からなくなることが増えた。けれど、お嬢もうっしーもニッキさんが大好きで
ニッキさんのカゴはいつもどちらかが一緒、2匹でぎゅうぎゅうなのは変わらなかった。
体力がないのでFVRの後遺症が悪化しやすく、そうなれば余計に食べられない。食べた量に応じてちゅーるを強制給餌して補食、投薬や時には水を背負わせたり。
ニッキさんにはさぞかし迷惑なことだっただろうが、それを大した抵抗もせず受け入れてくれた。痩せてさらに寒がりになったから…と服を着せてみた時も
トイレが分からなくなってあちこちに失禁してしまうようになり、マナーウエアをつけることにした時も、本当に粛々とその状況を受け入れてくれた。
ニッキさんを思う時、不思議なくらい楽しかったことしか浮かばない。ほっこりした気持ちになる。
たくさんの環境の変化にも時の流れにも逆らわず、けれど何があってもニッキさんはニッキさんで、いつでも誰からも愛されている。
様々なことが思うようにならない時だからこそ、そんな在り方を私もしたい。
年の瀬の青空にニッキさんは煙になって昇って行った。見えなくてもきっとその傍らにはもじゃが居たと思う。
空の彼方の虹の橋でMNコンビ復活。それはそれできっともじゃとニッキは幸せ。
こちらはしばらく寂しくなるよ。でもきっと、いつか、またね。
…とここで少しマナーウエアの考察。
仕事柄人間用のおむつは使い慣れているが、猫用のマナーウエアを使うのは今回が初めて。
使い始める前に現在使用中の猫友さんに相談、様々なアドバイスをもらった。そして実際に使ってみてなるほどねーの嵐。猫友さんとのやり取りの一つ一つを
まるで検証しているみたいだった。
まず、品質の良さにおどろいたね。人間用のおむつ開発の賜物なのだろうが吸収力やギャザー、テープの扱いやすさ、耐久性などにいやー本当に驚いたね。
素晴らしいと思った。
ただ残念だったのは、たぶん開発には元気な猫さんたちが協力してるんだろうなぁ…という点。もちろん若い猫さんであっても様々な状況でおむつを使うことが
あるわけでそれは問題ない。猫友さんとも話したのだが(彼女は某社の開発プロジェクトに参加させろとまで言っていたw) 少なからず若い猫とシニア猫では
オムツのカタチを変えることが必要だと思う。猫は生まれつき猫背だ。だがシニア猫はさらに猫背になる。そして大腿部から臀部が痩せていく。
この加齢による変化をクリア出来たらもっとフィット感の良い漏れないマナーウエアになると思うのだが…。ニッキさんが最後に教えてくれたこと。
開発チームのみなさま、ぜひよろしく。
昨年末からの杞憂がやっぱり杞憂で済まなくなり、ものすごい勢いでオミクロンが近づいてきている(…いやもうその手中に収められてしまっているのかも
しれないが)のを感じている。
東京でジャズシンガーをしている親友から久しぶりにLINEが来た。秋に送ったサツマイモが最後の1本になったと彼女らしく日々の暮らしを楽しみながらも
歌う場所を奪われた日常に対する憤りをにじませていた。
休まざるを得ない業界と休むことを許されない業界 どちらにとっても今、せつない時。
2021.12.28 ニッキさんが虹の橋へ旅立った。もう長らくあまり体調の良くない状態が続いていたことを思うと、本当に良く頑張り立派な旅立ちだった。
画像を紐解いてみると、彼が現れたのはまだまだ藪がわちゃわちゃしていた2008年のこと。私のぼんやりした記憶では小さくて傷だらけでなんだか貧相な
猫だった印象なのだが、あらためて当時の画像をサルベージしてみると、それなりに筋肉質でキリッとした顔立ちの子だったのだと今更驚いた。
なぜかわが家のお庭番や藪っ子たちはみながっちりした体格だったから、その中においてはニッキさんが小さく見えたのだろうな。もじゃといっしょに
保護部屋で暮らすようになってからの彼の様子が私の当たり前になっていたから、そのたくましい表情がなんだか新鮮にも思えた。
ニッキさんは、どこから来たのか皆目見当がつかない。かるびやもじゃなど新顔の男の子たちが庭に出入りするようになり、小さな諍いごとが増えだした頃
フラっと姿を現した。他の子たちよりも近く、でも気を許しているわけでもないぞと言う距離感でしろりん食堂の常連になった。
最初はもじゃともあんまりうまくいかなくて、顔を合わせれば唸り声が絶えなかったのだが…。
なにがきっかけになったのか??いつからかボーイズラブなMNコンビが結成された。喧嘩っ早いかるびがニッキさんを襲ったのをみて、いつもはおだやかな
もじゃがかるびにとびかかっていきニッキさんを助けた様子は忘れられない。
ニッキさんはよくケガもした。一番ひどかったのは右額のフレグモーネ。額から血をダラダラ流しながらもまだかるびと唸りあっているニッキさんを素手で
キャリーに放り込んだ雨の日。たぶんあれが後に「知恵がないことをして…」と医者に言われることになる「猫のケンカの仲裁」をした初めてだ。
骨盤狭窄による便秘の管理のために保護部屋生活となったもじゃが元気をなくしていき、もじゃと離れたニッキさんがかるびに生活の場を追われていく様子に
なんとかニッキさんにもじゃとの同居をお願いできないか…と考えた。
そして2010.8月かるびの姿がないうちに…と勝手口にゴハンをねだりに来たニッキさんを(私のうろ覚えの記憶では…)抱き上げて身柄確保、3段に組み直して
置いたもじゃのケージに即入居。もじゃ、とっても喜んで食欲も戻って元気になったんだよね。ニッキさんも出せ出せもせず、アイスノンも使いこなして、
まぁちょっとの間スプレーとかしたけど、いつの間にかそれもおさまって…そうしてMNコンビの穏やかな時間が流れていった。
このころがニッキさんにとってももじゃにとっても一番幸せな時だったんじゃないのかな。
2016.6月ニッキさんはもじゃが息を引き取るその瞬間も、いつもと同じようにお気に入りのカゴにもじゃと一緒に居てくれた。もじゃは安心して眠れたと思う。
独りになってしまったニッキさんはさすがに元気をなくしていき、もじゃを探すように啼くようになった。そのころ隣の保護部屋にはうっしーとお嬢が居て
稀に部屋を行き来してはいた。賭けだった。うっしーとお嬢を隣のニッキさんのところへ移してみた。
すべてはこれこそ杞憂だった。すぐにうっしーとお嬢はニッキさんに寄り添い眠り、ゴハンを食べ新しい生活が始まった。
ニッキさんは、たぶんものすごい愛されキャラなんだと思う。外に居た時にも女の子たちに人気だった。誰ともつるまなかったココが唯一一緒に時を過ごした
相手もニッキさんだった。かるびとは犬猿の仲だったけどねw
そんなニッキさんも2017年に急性膵炎を発症したころから体調が思わしくないことが増え、痩せて小さくなっていった。同じころから時折大きな声でまるで
雄たけびを上げるように啼き続けるようになった。
正確な年齢は分からないが出会った時にもうそれほど若くはないと言われたニッキさん、これは認知症なのだと思った。
認知症は少しずつ進んで、同じ場所をクルクル回ったりベッドやトイレの場所が分からなくなることが増えた。けれど、お嬢もうっしーもニッキさんが大好きで
ニッキさんのカゴはいつもどちらかが一緒、2匹でぎゅうぎゅうなのは変わらなかった。
体力がないのでFVRの後遺症が悪化しやすく、そうなれば余計に食べられない。食べた量に応じてちゅーるを強制給餌して補食、投薬や時には水を背負わせたり。
ニッキさんにはさぞかし迷惑なことだっただろうが、それを大した抵抗もせず受け入れてくれた。痩せてさらに寒がりになったから…と服を着せてみた時も
トイレが分からなくなってあちこちに失禁してしまうようになり、マナーウエアをつけることにした時も、本当に粛々とその状況を受け入れてくれた。
ニッキさんを思う時、不思議なくらい楽しかったことしか浮かばない。ほっこりした気持ちになる。
たくさんの環境の変化にも時の流れにも逆らわず、けれど何があってもニッキさんはニッキさんで、いつでも誰からも愛されている。
様々なことが思うようにならない時だからこそ、そんな在り方を私もしたい。
年の瀬の青空にニッキさんは煙になって昇って行った。見えなくてもきっとその傍らにはもじゃが居たと思う。
空の彼方の虹の橋でMNコンビ復活。それはそれできっともじゃとニッキは幸せ。
こちらはしばらく寂しくなるよ。でもきっと、いつか、またね。
…とここで少しマナーウエアの考察。
仕事柄人間用のおむつは使い慣れているが、猫用のマナーウエアを使うのは今回が初めて。
使い始める前に現在使用中の猫友さんに相談、様々なアドバイスをもらった。そして実際に使ってみてなるほどねーの嵐。猫友さんとのやり取りの一つ一つを
まるで検証しているみたいだった。
まず、品質の良さにおどろいたね。人間用のおむつ開発の賜物なのだろうが吸収力やギャザー、テープの扱いやすさ、耐久性などにいやー本当に驚いたね。
素晴らしいと思った。
ただ残念だったのは、たぶん開発には元気な猫さんたちが協力してるんだろうなぁ…という点。もちろん若い猫さんであっても様々な状況でおむつを使うことが
あるわけでそれは問題ない。猫友さんとも話したのだが(彼女は某社の開発プロジェクトに参加させろとまで言っていたw) 少なからず若い猫とシニア猫では
オムツのカタチを変えることが必要だと思う。猫は生まれつき猫背だ。だがシニア猫はさらに猫背になる。そして大腿部から臀部が痩せていく。
この加齢による変化をクリア出来たらもっとフィット感の良い漏れないマナーウエアになると思うのだが…。ニッキさんが最後に教えてくれたこと。
開発チームのみなさま、ぜひよろしく。
もじゃくん、虹の橋に渡ったのは2016年だったんですね…そこから6年近く…よく頑張ってくれました。
MNコンビは本当に穏やかなコンビで可愛らしく、大好きでした。
今頃お空でノンビリしているかな。
うっしー&お嬢ペア、近くにいたココちゃん、皆、元気にしてるでしょうか。
そして、しろりんさんも、オミクロン株が猛威をふるっていて、大変な思いをしていると思います。
寒い日が続いてますので、体調を崩しませんように。
それにしても、一枚目のお写真、ニッキさん、こんな感じだったの?と言うお写真ですね(笑)
ほんと、お外にいる顔してますね~やっぱりお家に入ると、目つきが変わりますね★
ニッキさん、ゆっくり休んでね。ありがとう。
オミクロンやら人手不足やらプライベートなごたごたやら…そしてブースター接種でとどめ刺されましたw
まあ生きていれば色々あるわけで…生きていればこそ…なんだよなぁと思いつつ日々過ごしてます。
ニッキさんが旅立って2ヶ月が経とうとしています。
ネコマンションのカゴの中にニッキさんの姿が無いことにようやくドキッとしなくなりました。
ニッキさんはどこに行ってもニッキさんなので、きっと虹の橋でもじゃと楽しくやっていることでしょう。たくさんの懐かしい顔がそろっているしね。
ニッキさん、外暮らしの頃と保護してからでは本当に表情が違っているよね。
女の子はあんまり変わらない気がするけれど、男の子たちは結構変わる気がします。
それだけ外で生き抜くということは厳しいのだなあとあらためて思います。
うっし-とお嬢はちょっと元気をなくしていましたけどなんとか復活、この頃は二匹でひとつのカゴに入っていたりします(笑)
ココちゃんもだいぶおうち生活に慣れてきましたよ。さすが、度胸が据わっている…と脱帽することが多いです(笑)
なんか知ってる名前を聞くたび、心がギュっとなります。
私がTNRに躍起になっていたころは、たくさんの猫ブロガーさんたちが毎日記事を上げていて
まるで自分の家の子たちみたいに、その暮らしぶりを喜んだり心配したりしたものです。
今はそうしたブロガーさんたちもエントリのペースを落としたり、あるいは別の媒体で活躍されたり…
私自身も生活スタイルが変わり以前のように拝見することが叶わなくなってしまいました。
久しぶりに覗かせていただくと、旅立ちのお知らせが多いのは私のところと同じです。
寂しいけれど、でもあたたかい人との暮らしの中でその生を全うできて良かったなぁと。
ホッとする…というのとはちょっと違う不思議な気持ちになります。