●「731部隊資料開示請求裁判」進行中!
●前川喜平講演「つながりあえる社会へ 排外主義を乗り越えるために」
●「敬蘭芝さんと牡丹江事件」鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)のお話
●「まともな働き口はどこに?」上西充子さん講演
●731部隊関連資料の公開を求めて!!
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●ABC企画委員会パネル展
●『主戦場』上映会のお知らせ!!
●第5回 三多摩平和交流会
●もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
●沖縄と枯葉剤
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●北支那防疫給水部留守名簿
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊・100部隊展
19日・20日はブログをお休みします。
日本は唯一の被爆なのに、なぜ核兵器禁止条約を批准しない??
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
●人類の生存を危機にさらす核兵器と気候変動(デイビッド・クリーガー核時代平和財団会長インタビュー)
DK:しかし、こうも言えます。全人類にとって意味のあるこうした目標のために活動してきたことに満足してきましたし、そうした活動を行うことによって、アベリーさんも含め、ノーベル平和賞に値する多くの献身的な人々に出会うことができました。平和・核兵器廃絶運動には、能力があり熱心な多くの人々がいますが、彼らの活動には頭がさがります。ノーベル賞受賞で認知度が高まり前進がもたらされることも事実ですが、何よりも大事なのは、賞や、ましてノーベル賞ではなく、核廃絶を目指す活動そのものなのです。私が当初から加わり長年にわたって共に活動してきたICANについてもそう言えます。ですから、この賞を共に受賞できて、嬉しく思っています。
●核実験
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
アメリカ合衆国
アムチトカ島での核実験
・1965年から1971年までにアラスカのアムチトカ島で3回実験が行われた。1971年11月6日の"CANNIKIN"は地下実験最大の5Mt(迎撃ミサイル「LIM-49A スパルタン」のW71核弾頭を使用)であり、各国の抗議を引き起こした。グリーンピースは、この実験を契機として発足した。
その他の核実験
1955年5月14日 ウィグワム作戦 カリフォルニア州サンディエゴ南西500マイルで行われた、核爆雷の検証を目的とする実験。 1961年から1973年まで、衝撃波の測定や天然ガス採掘など、平和利用の実験のために小規模(150kt未満)の原爆実験がアメリカ各地で行われた(プラウシェア計画、Operation Plowshare)。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
●天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ
天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!大嘗祭反対!!
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
「大嘗祭」の秘密の儀式とは! 新天皇が寝座のある部屋に一晩こもり…秋篠宮は“宗教色”の強さを指摘し国費支出に異議
日韓対立、手詰まり状態 軍事情報協定、近づく失効
「首長九条の会」結成 安倍政権の改憲阻止目指す
桜見る会「なぜ私」「1度来た」 安倍首相事務所、招待誰に
#大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-11-15)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!
憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除
全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。
アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 ~JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌~
日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。
南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
●核兵器廃絶
安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す
2019 所沢市 平和祈念資料展
ヒロシマ 私たちの心の傷
<iframe src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x7nf775" frameborder="0" width="480" height="270"></iframe>
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!大嘗祭反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
中国への細菌戦・毒ガス戦をきちんと謝罪しないばかりか、アメリカの原爆投下をも容認してしまった!!
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記
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昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記
昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年・
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
49.戦争により無意識、有意識を問わず、加害していく様子など心に残る展示です。(男性、70代)
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
6月28日(金)
144.なんで琉球が悪いことをしていないのに処分されるのか、不思議でした。沖縄戦は胸がいたくなり涙がにじみ、読むのがつらかった。沖縄県民は素直な気持ちは悲惨な戦争の道具である基地は沖縄に置くことは耐えられない。人を殺していけない!平和を求めていることでしょう!(70.市内.東京新聞)
●【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
新京陸軍病院衛生兵から731部隊員へ
写真班は、正門門衛所を通ってすぐの本部第1棟の1階右側にあった。玄関を入って右に折れると、中央の廊下を挟んで、左手が憲兵詰所、右手が兵要地誌班。そして、その先を両側とも写真版が占めていた。
左側は手前から、写真スタジオ、現像、焼付け室、プリンター機室、右側は、同じく、写真班長室、事務室、16mmフィルム水洗い・乾燥室となっていた。ここで廊下は壁にさえぎられ、その奥は、企画室である。
通常、私は、朝8時半に出勤して、事務室内の自分の机につき、何もなければ、班内で写真の複写などして、夕方5時に勤務を終えた。何もなければと書いたが、それは、夜中に行なわれることがあった各種実験の撮影や、泊りがけでの安達(アンダー)実験場への出張があるときは、別だったからだ。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第8章 無辜の被害者
山西沁水県西山の毒ガス殺人
毒ガスにどうにも耐えられなくなった一部の人々は、苦しみながらやっと屋外に這い出した。日本兵は彼らを次々と飛びかかって殺していった。雨の降る中庭は、それらの人々の亡骸が無造作に散らばり、見るも無残な光景だった。血と雨が交ざり、それが棟々の裾うぃ、さらに庭の外の土地を、道路を、染めていった。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況
1、直接参加した犯罪行為
当時の状況:・・・・内部の機密業務、例えば研究器材の運搬、解梱、据え付け、特に7,8棟(生体実験所)の各種内部建設や器材の設置などは、いかに労働力が安くても中国人を雇うわけにはいかなかった。石井が我々同郷人を募集したのが、何よりも秘密の漏洩を防ぐためだったことは言うまでもない。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■犠牲者を使った研究
81 1940年にボン大学の神経科の教授クゥルト・ポーリシュがつくった患者書類用ラベル。
ポーリシュ自身は同時に「安楽死」鑑定者で、患者の生死を決定した人物である。〔ラベルには「教育・研究用/重要症例/出版は差し控えるようにとポーリシュ教授からの要望あり」と書かれている。〕
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
4、日本本土も汚されている
三沢基地のガス爆発事件
米軍は、この事件を水道消毒用の塩素ガスが洩れたため射爆場で爆破処理したと説明した。塩素ガスボンベからガス洩れがあっても、これを爆破処理をするということはこの時の場所と状態からは考えられないことで、あまり被害を受けた範囲が大きく、その被害の程度も高かったことなどから現地では、毒ガス戦の訓練だろうという疑いがもたれている。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
Ⅰ
1ターリンはロシア極東の国境の安全を確保し、そして、日独枢軸国がソ連を犠牲にしてさらに勢力の伸張をはかろうとすることをすみやかに阻上しなければならないと感じていた。また、スターリンは、近衛内閣が条約締結に向けて新たな主導権を発揮することに呼応することで、日独と2正面で対峙するという悪夢を回避することができた。 スターリンは、北サハリンにおける石炭、石油採掘権のソ連への譲渡を日本が誓約することと引き替えに日本との中立条約に同意した。日本の注意をソビエト極東から、アメリカが権益を持つ東南アジアや南太平洋方面へそらすことに狙いがあった。
●小泉親彦と昭和天皇
憲法9条を生かそう!!
●前川喜平講演「つながりあえる社会へ 排外主義を乗り越えるために」
●「敬蘭芝さんと牡丹江事件」鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)のお話
●「まともな働き口はどこに?」上西充子さん講演
●731部隊関連資料の公開を求めて!!
●「731部隊資料開示請求裁判」進行中!
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●ABC企画委員会パネル展
●『主戦場』上映会のお知らせ!!
●第5回 三多摩平和交流会
●もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
●沖縄と枯葉剤
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●北支那防疫給水部留守名簿
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊・100部隊展
19日・20日はブログをお休みします。
日本は唯一の被爆なのに、なぜ核兵器禁止条約を批准しない??
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
●人類の生存を危機にさらす核兵器と気候変動(デイビッド・クリーガー核時代平和財団会長インタビュー)
JA:世界中の軍産複合体が、その莫大な軍事予算を正当化するために、危険な対立を必要としています。その結果として引き起こされている瀬戸際的な政策の危険についてコメントがありますか。
DK:ええ。世界の軍産複合体はきわめて危険な存在です。瀬戸際的政策そのものが問題であるというだけではなく、医療や教育、住宅、環境保護などの社会政策から莫大な資金を奪い取っているという意味においてもそう言えます。多くの国々で軍産複合体に向けられている資金の量は、とりわけ米国においては、悲憤慷慨すべきものだといえましょう。
●核実験
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
アメリカ合衆国
ニューメキシコ州での核実験
2010年11月18日 Zマシン(サンディア国立研究所)と呼ばれる核融合実験装置/X線発生装置を使い、核爆発を伴わない「新型核実験」に成功している(この実験はマスメディアなどでは一応臨界前核実験とは区別して新型核実験と呼ばれている)。これは強力なX線を発生させ、超高温、超高圧の核爆発に近い状況を再現し、プルトニウムの反応をみる実験である。この実験は2014年11月まで続いており計12回行われている。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
●天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ
天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!大嘗祭反対!!
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
「大嘗祭」の秘密の儀式とは! 新天皇が寝座のある部屋に一晩こもり…秋篠宮は“宗教色”の強さを指摘し国費支出に異議
桜を見る会問題 枝野氏 ホテル側の国会招致も
萩生田文科相、就任したらやっぱり認可を諮問した「幸福の科学大学」とは?
#大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-11-15)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!
憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除
全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。
アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 ~JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌~
日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。
南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
●核兵器廃絶
安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す
2019 所沢市 平和祈念資料展
ヒロシマ 私たちの心の傷
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徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!大嘗祭反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
中国への細菌戦・毒ガス戦をきちんと謝罪しないばかりか、アメリカの原爆投下をも容認してしまった!!
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記
<iframe src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x7gj875" frameborder="0" width="480" height="270"></iframe>
昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記
昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年・
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
48.731部隊については聞いていましたが、100部隊について今回パネルを見て初めて知りました。戦争は二度と起こしてはいけません。子供たちの未来のために伝えていきたい。(70代)
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
6月28日(金)
143.内容に満足。重点事項を強調して大きな文字で文字数を少なく表現してはいかがでしょうか。集団自決、日本軍の住民への悪態、国民が知らない実態はpoint?(80.東京新聞)
●【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
新京陸軍病院衛生兵から731部隊員へ
731部隊総務部調査課写真班は、佐官級の技師I課長、O班長の下に、若干の入れ替えがあったが、だいたい8名ほどの班員で構成されていた。この8名で、事務関係、スタジオ、現像、焼付け、引き伸ばし、資料整理、内部担当、外部担当と、すべてをまかなわなければならないのである。私が主に従事した外部担当は、2、3名というところだった。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第8章 無辜の被害者
山西沁水県西山の毒ガス殺人
敷地内に閉じ込められていた廉坡村の崔鳳国の一家7人は、既に5人が殺され、妻は負傷しながらも8歳の息子、崔学恭の手を引いて、無我夢中で家を飛び出し、表門に飛び込んだところで日本兵の一刺しに遭い、あえなく倒れた。息子は驚いて引き返し、張老人と一緒に干しわらの山に身を潜めた。日本軍はここにも2度来て、わら山にめちゃくちゃに剣を突き刺したため、崔学恭は傷を負った。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況
1、直接参加した犯罪行為
当時の状況:・・・・当時私は21歳で、長期雇用の労働者となり、日給は2、8円であった。大工、左官の日給は3,5円から4,5円、雑役は2,8円から3,2円で、私は雑役の中で最低の賃金だった。
当時の部隊は外部工事が基本的に完了し、滅菌器その他の研究器材が、プラットホームに山のように積み上げられ、内部設備の据え付けにかかっている段階だった。外部工事は松村組が請け負ったらしい。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■犠牲者を使った研究
1945年にユーリウス・ハラーフォルデンを尋問したアメリカ軍将校に、彼はこう供述している。
「わたしはそういったことが行われると聞いたのです。そこで私は彼らのところへ行き、こう言いました。『なあ、君達、君達が彼らをみんな殺してしまうんだったら、脳だけは取り出してくれ。こいつは利用できるからね。』彼らは私に聞きました。『どれくらい調査にご入り用ですか?』『いくら多くてもいい。多ければ多いほどいいんだ。』それから私が彼らに標本屍体固定材と箱を都合してやりましたので、彼らはそれを、まるで家具のようにして、届けてくれました・・・・それは実にすばらしいものでした。私はその脳を受け取りました。それがどこから来たものであるか、私にはどうでもいいことでした。本当にすばらしい、精神薄弱児の奇形と幼児罹病者の標本でした。」
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
4、日本本土も汚されている
三沢基地のガス爆発事件
65年6月28日、青森県の米軍三沢射爆場で米軍が演習中、異常な爆発音とともに折からの南東の風に乗って幅400mにわたる煙と刺激臭が約3㎞に達するという事件が起きた。近くの平沼では約50haの野菜畑と約20haの水田に農作物被害が出て、豚や鶏が死亡し、住民の中にはノドを痛め、吐き気、頭痛を訴える者も出たと言われる。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
Ⅰ
1941年初頭までに、天皇を含め日本の政策決定者は、手詰まりとなった日中戦争とヨーロッパの一連の事件を結びつけ ることに魅了されていた。とりわけ独ソ関係に注意がいっていた。1939年8月、不可侵条約の締結により、この2つの大国は表面上、ヨーロッパをさらに分割したように見えた。しかし、この両者の関係の裏で、隠された思惑が動いていた。スターリンはヒトラーがソ連西側の国境沿いに部隊を集結させていることを知っていた。しかし、西部戦線におけるドイツ機甲部隊のおそるべき迅速な勝利、バルカンにおけるドイツ軍の作戦、独ソ関係の全般的な悪化を熟慮しながらも、ドイツの侵攻が差し迫っていることを見抜くことはできなかった。
●小泉親彦と昭和天皇
憲法9条を生かそう!!
●前川喜平講演「つながりあえる社会へ 排外主義を乗り越えるために」
●「敬蘭芝さんと牡丹江事件」鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)のお話
●「まともな働き口はどこに?」上西充子さん講演
●731部隊関連資料の公開を求めて!!
●「731部隊資料開示請求裁判」進行中!
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●ABC企画委員会パネル展
●『主戦場』上映会のお知らせ!!
●第5回 三多摩平和交流会
●旧日立航空機(株)変電所ほかフィールドワーク
●もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
●沖縄と枯葉剤
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
日本は唯一の被爆なのに、なぜ核兵器禁止条約を批准しない??
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
●人類の生存を危機にさらす核兵器と気候変動(デイビッド・クリーガー核時代平和財団会長インタビュー)
DK:しかし、こうも言えます。全人類にとって意味のあるこうした目標のために活動してきたことに満足してきましたし、そうした活動を行うことによって、アベリーさんも含め、ノーベル平和賞に値する多くの献身的な人々に出会うことができました。平和・核兵器廃絶運動には、能力があり熱心な多くの人々がいますが、彼らの活動には頭がさがります。ノーベル賞受賞で認知度が高まり前進がもたらされることも事実ですが、何よりも大事なのは、賞や、ましてノーベル賞ではなく、核廃絶を目指す活動そのものなのです。私が当初から加わり長年にわたって共に活動してきたICANについてもそう言えます。ですから、この賞を共に受賞できて、嬉しく思っています。
●核実験
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
アメリカ合衆国
ネバダ州での核実験
1957年8月7日ネバダ核実験場における核実験(プラムボブ作戦)で破壊された米海軍の飛行船。この飛行船は軍事効果実験のため爆心地点から5マイル以上離れた地点を無人で浮遊中だったが、爆発の衝撃波で崩壊した。
南太平洋での実験は費用が掛かるため、トルーマン大統領の提案により1951年にネバダ州の砂漠にネバダ核実験場 (NTS,Nevada Test Site) が設置された。その後、フォールアウト(放射性降下物)の測定や建物・動物などへの影響を調べるための実験が地上・地下含めて928回行われた。
核実験の振動がラスベガスの建物に影響を与えたため、核出力5Mtの爆発実験の前段階として、1968年1月19日にラスベガスの北130kmにあるトノパー近郊で1Mtの地下実験"FAULTLESS"が行われた。これがアメリカ合衆国本土で行われた最大の核爆発であった。その結果、衝撃で地上に大きな断層ができてしまったために本土で実験は行わないことになり、5Mtの実験はアラスカのアムチトカ島で行うことになった。
1997年7月2日 地下実験場で初の臨界前核実験が行われた。
928回繰り返された核実験の放射能で、多くの人々がガンになって死んでいるというドキュメンタリーがある。
詳細は「ネバダ核実験場」を参照
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
●天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ
天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!大嘗祭反対!!
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
一代に一度の祭祀…「大嘗宮の儀」が終了|
大嘗祭、もったいないの心 特産品、地中に埋めずに活用
内閣府、質問資料要求の当日「名簿捨てた」 国会・国民軽視の異常事態
「桜を見る会」と首相 中止するより実態説明を
#大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-11-15)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!
憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除
全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。
アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 ~JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌~
日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。
南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
●核兵器廃絶
安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す
2019 所沢市 平和祈念資料展
ヒロシマ 私たちの心の傷
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徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!大嘗祭反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
中国への細菌戦・毒ガス戦をきちんと謝罪しないばかりか、アメリカの原爆投下をも容認してしまった!!
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記
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昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記
昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年・
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
47.充実したパネル展、ありがとうございます。見終わって改めて心が重くなりましたが、このような企画に力を尽くして下さった主催者の皆様に心打たれました。感謝の思いでいっぱいです。私は旧満州黒竜江省黒河で生まれました(今回黒河での毒ガス被害者の記録を拝見し、やたら衝撃を受けました)1945年8月9日、ソ連参戦の翌日10日父と別れて母、弟と共に引き上げの旅に出発、1946年秋葫蘆島から船で佐世保に着き、日本での生活が始まりました(弟は旅の始まりで死亡)父はシベリア抑留11年目に帰還、帰る前年まで生死不明でした。後、私は社会科教師となり日本近代史担当を長くいたしました。その間、柳条湖ををはじめ日中戦争の舞台となったいくつかの場所を訪れ自らが生まれた町(黒河)行きました。平房731跡なども。私の人生はおそらくコツコツと日本の行った侵略戦争を学ぶことであったように思います。今、老年となりましたが友人知人に語り又、戦争資料館巡りなど、個人活動をしています。この先どのくくらい出来るかは分かりませんが…。皆様のこのような活動に大変励まされ慰められております。本当にありがとうございました。乱筆で失礼しました。(女性、70代)
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
6月28日(金)
142.南西諸島の自衛隊配備は、あまり報道されていなくて、このパネル展で良く分かりました。琉球処分の講演では、このような手口で当時の日本は琉球を日本のものにしたのだと説明を受けました。「おきなわ」は独立すべきだと思います。日本から離れたほうがいいと思います。(女.70.市内.チラシ)25.27.28日に来ました。
●【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
新京陸軍病院衛生兵から731部隊員へ
昭和17年5月、除隊した私は、一週間の予定で3年ぶりの郷里にあわただしく帰省した。そして、両親の元気な顔を見ると、再び満州へとってかえした。ハルピンに着いたのは、一週間の予定を2日超過した9日目のことだった。
ハルピン駅には、O大尉が出迎えてくれた。驚いたことには、O大尉は、一週間目から3日間、毎日、ハルピン駅に出ては、私の帰りを待っていてくれたのだった。連絡なしで3日も遅れたことを悪く思った。その日は、ハルピン市吉林街にあった。731部隊の宿舎白樺寮に泊った。2階建ての建物の、半地下式になった1階だった。2階は隊員の家族宿舎ということだった。
私は、その後も何回か、ハルピンに出た時に、この白樺寮に泊ることになるが、ここは、一部に言われているように、秘密の連絡機関的なものではなく、実務的なものだった。
こうして私は731部隊員となった。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第8章 無辜の被害者
山西沁水県西山の毒ガス殺人
極悪非道の日本軍は、毒ガスで人々との息を止めるだけでなく、数人の兵はさらに一部屋ずつ探索し、人がいれば老若男女を問わず刺し殺した。西山村のある家主の次男とその妻は、オンドルの上で、息も絶え絶えになっていた自分たちの乳呑み児を、何とか救おうと必死になっていたところに、日本兵に踏み込まれ、2人そろって胸を一突きに貫かれ、残された乳呑み児がその血の海の中でもがいていた。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況
1、直接参加した犯罪行為
当時の状況:・・・・募集当初の契約では、みな石井部隊の職工と規定されていたが、ハルピンに到着すると、20人全員が、1人の例外もなく鈴木組に引き取られることになった。作業現場の平房に送られてからは、仕事の手配、賃金の支給などもすべて鈴木組を通して行われた。身分的には石井部隊の臨時雇いの待遇を受け、食事の賄い、作業服の支給など皆そうであり、宿舎も陸軍官舎内にあった(のちに部隊と共同生活することになった)。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■犠牲者を使った研究
所長はフーゴー・シュバッツであった。シュバッツとブーフの同研究所脳組織部長のユーリウス・ハラーフォルデン教授は、「安楽死」を利用するいくつかの研究プロジェクトを実行した。彼らは殺害する医師に解剖の手ほどきをし、ブランデンブルグ=ゲーデン施設と協力して、とりわけ子ども達を殺させてその脳を手に入れたが、殺す前に徹底的な診察をし、テストをしておいた。彼らが特に関心を抱いたのは、自分たちの受難の理由を知らない人々であった。脳の標本は現在もマックス・プランク研究所脳研究部に保存され、学問的に利用されている。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
4、日本本土も汚されている
姫小島の毒ガス事件
化学兵器を破壊する方法には通常、物料及び器材の焼却、機械的破壊、爆発物による爆破、または水中投機の4つの方法のうちの1つまたはその組み合わせにより破壊するか処分するか、または使用不能にする(自衛隊各種化学器材教範14-2-3)などがある。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
早くも真珠湾攻撃の直前までには、統帥部は、天皇に十分な情報を提供するよう膨大な時間を費やすようになっていたが、このため作戦や戦略立案に携わる軍高官の能率は下がり始めていた。例えば、第1部長はその職務の大半を昭和天皇が事態の進展についてゆけるようにするために費やしていた。そのため、作戦や戦略の立案という本来の職責に没頭することができなかった。1941年から陸軍参謀本部に勤務していた井本熊男は、このような天皇の戦争指導の体制が、意図せざる結果として日本の敗因となったと見ている。昭和天皇に情勢を報告しつづけるには、超人的な労力が必要であり、このため第1部長は「課長以下」に、本来の職務を委任することになる。ところが、その「課長以下」も、やがて「部長の戦争指導の動きに捲(ま)き込まれる。これでは事務はできても、大本営の統帥はできない。その点について、大きな欠陥を生じた」というのである。
●小泉親彦と昭和天皇
憲法9条を生かそう!!
●前川喜平講演「つながりあえる社会へ 排外主義を乗り越えるために」
●「敬蘭芝さんと牡丹江事件」鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)のお話
●「まともな働き口はどこに?」上西充子さん講演
●731部隊関連資料の公開を求めて!!
●「731部隊資料開示請求裁判」進行中!
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●ABC企画委員会パネル展
●『主戦場』上映会のお知らせ!!
●第5回 三多摩平和交流会
●旧日立航空機(株)変電所ほかフィールドワーク
●もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
●沖縄と枯葉剤
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●北支那防疫給水部留守名簿
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
日本は唯一の被爆なのに、なぜ核兵器禁止条約を批准しない??
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
●人類の生存を危機にさらす核兵器と気候変動(デイビッド・クリーガー核時代平和財団会長インタビュー)
JA:ICANは核禁条約の成立につながる取り組みを行ったとして、ノーベル平和賞を受賞しました。核時代平和財団はICANを構成する468団体の一つであり、その意味では、あなたは既にノーベル平和賞受賞者だと言ってよいでしょう。私はこれまでにも個人的に、あなた自身を、そして核時代平和財団をノミネートしたことがあります。この賞を受けるに値するこれまでの活動について振り返っていただけますか。
DK:アベリーさん、私と財団をこれまでノーベル平和賞にノミネートしてくださったことを感謝申し上げます。私のこれまでの最大の成果といえば、この財団を創設しリードしてきたこと、平和と核兵器の完全廃絶に向けて着実に、たゆみなく行動してきたことぐらいでしょうか。これがノーベル平和賞に値するかどうかわかりませんが、満足のいく活動をしてきたことを誇りに思っています。私はまた、私の財団の活動は国際的なものではありますが、概して米国に焦点を当てたものであり、この国は進歩をもたらすことがとりわけ難しい国だと感じています。
●核実験
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
アメリカ合衆国
マーシャル諸島での核実験
1946年7月1日からアメリカ軍占領下にある日本の委任統治領であるマーシャル諸島のビキニ環礁で核実験を行い、1947年にアメリカ領となった後も核実験を継続し、エニウェトク環礁と合わせて67回の核実験を行った。
1946年7月、原爆実験クロスロード作戦では、日本の戦艦長門など約70隻の艦艇が標的として集められ、そこを原爆で攻撃して効果を測定した。1回目は7月1日に実験(エイブル)し、2回目(ベイカー)は7月25日に行なわれた。
その後、太平洋核実験場として指定され、1954年3月1日ビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)では、実験計画では数Mtクラスの爆発力と見積もっていたものが、実際には15Mtの爆発力があったため予想よりも広範囲に死の灰が拡散して、多数の被曝者を出した。
ビキニ環礁の島民は、強制的にロンゲリック環礁へ移住させられ、現在に至るまで帰島出来ていない。
日本のマグロ漁船第五福竜丸など数百~千隻の漁船が、死の灰で被曝した。
240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り、実験の3日後に住民全員が強制避難させられた。
ビキニ環礁面積の80%のサンゴ礁が回復しているが、28種のサンゴが原水爆実験で絶滅した。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
●天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ
天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!大嘗祭反対!!
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
不連続の連続 大嘗祭
詳しく解説 非公開の秘事、「大嘗祭」の中身と論点
首相事務所ツアー、バス車内受付 荷物検査なし、身内優遇の実態
野党、「公選法違反」疑念強める 桜を見る会の安倍首相夕食会
東電の日本原電支援 無理を重ねる原発延命策
大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-11-08)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!
憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除
全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。
アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 ~JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌~
日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。
南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
●核兵器廃絶
安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す
2019 所沢市 平和祈念資料展
ヒロシマ 私たちの心の傷
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徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!大嘗祭反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
中国への細菌戦・毒ガス戦をきちんと謝罪しないばかりか、アメリカの原爆投下をも容認してしまった!!
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記
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昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記
昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年・
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
46.見てよかった。今の時代これらの日本がおかした事実を知らない人々があまりに多いと思います。全日本国民がもっと知ってほしいと思う。(女性、70代)
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
6月28日(金)
141.明治時代から沖縄に対する支配が始まっていたのを学びました。それが沖縄戦の犠牲になり今もまた米軍基地そして新たな基地を造ろうとしているのは本当にひどいと思います。国は沖縄の民意を尊重すべきだと思います。(女.60.市内.チラシ)
●【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
新京陸軍病院衛生兵から731部隊員へ
O大尉が、なぜ私を誘ったのか、よく分からなかったが、おそらく、私が衛生知識があり、またカメラ好きと知っての上のことだったろう。
私は、731部隊だろう、と直感した。私たち関東軍の、それも衛生関係の兵隊の間では、731部隊というのは、石井式濾水機でかなり有名な存在だった。とはいうものの、どういう部隊か、はっきりしていたわけではない。しかし、食指が動いた。
「何をしているところですか」という私の問いに、O大尉は、「石井式濾水機の製造と、植物を枯らすいろんな実験をしている部隊だ」と、たしか答えたと思う。
私は、O大尉と一緒に731部隊に行くことにした。ただし、1つ条件をつけた。それは、除隊した上で軍属として勤務したいということだった。もう召集されるのはいやだったのだ。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第8章 無辜の被害者
山西沁水県西山の毒ガス殺人
廉坡村の崔鳳安の妻、馬喜鳳は12歳の娘を連れ牛の囲いに隠れていた。母子は毒ガスにむせて息がつけなくなり、湿った牛糞で鼻を防ぐしかなかった。これを見つけた日本兵は憎々しげに2人を足蹴にし、さらに銃床で殴りつけ、牛糞を放せとと脅した。必死に抵抗する馬喜鳳を日本兵は3度続けざまに銃剣で刺し、さらに娘の腹にも剣を突き立てた。娘は一声絶叫し血の海の中に倒れた。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況
1、直接参加した犯罪行為
当時の状況:・・・・私も青柳と石井の勧誘があったので、父母の同意を得て応募した。というのも、私は小作農の長男で、家族の生活を少しでも楽にして、自分の代で自作農になりたいとひたすら願っていたからである。
1937年8月から9月の間に、私はほかの20名応募者と一緒に東京都牛込区の軍医学校で試験を受け(試験はたんに形式的なもので、落伍者はなかった)、1938年、我々一行20人は満洲にに到着した。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■犠牲者を使った研究
ドイツの解剖研究所の半数以上が「T4安楽死行動」に公式に協力し、また、身体障害児をリストアップすることによって、場合によっては患者を殺害することを任務とした全国委員会に協力した。ベルリンで、政府官房に置かれた全国委員会に「フリーの協力者」として奉仕したのは、ルドルフ・フィルヒョウ病院のベルトルト・オースターターク教授であった。彼はベルリン=ヴィッテナウで殺された子供たちを解剖し、その写真を撮らせた。
しかし「安楽死局」と最も密接な協力をしたのは、ベルリン=ブーフのカイザー・ヴィルヘルム脳研究所である。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
4、日本本土も汚されている
姫小島の毒ガス事件
68年7月12日、午後4時から約20分にわたって、山口県岩国市に白い霧状のガス体が漂い、多くの市民の眼やノドを刺激するという事件があって、県議会で問題になった。目撃者の話をして県議会で明らかにされたところでは、岩国米軍基地の沖合約4㎞の地点にある姫小島付近から白い煙が上がったという。姫小島は以前から米軍の砲弾爆破場として使用されているところで、この日の白煙は化学兵器の破壊処分によるものに間違いないというのである。(政府は、発煙弾等を処理したものと答弁している)
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
最後に昭和天皇は通常、1週間に2、3回宮中にスクリーンを設けて国内外のニース映画や映画を見る習慣を続けていたという事実を指摘しておこう。天皇は検閲を受けていた日本の日刊紙に目を通しており、軍指導者に新聞で読んだことについて、しばしば厳しい質問をしていた。このようにして、天皇は戦争の真相のみならず、検閲後の報道や徹底的に「洗脳されていた」日本人が受け取っていた報道についても知っていたのである。
●小泉親彦と昭和天皇
憲法9条を生かそう
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●前川喜平講演「つながりあえる社会へ 排外主義を乗り越えるために」
●「敬蘭芝さんと牡丹江事件」鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)のお話
●「まともな働き口はどこに?」上西充子さん講演
●731部隊関連資料の公開を求めて!!
●「731部隊資料開示請求裁判」進行中!
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●ABC企画委員会パネル展
●『主戦場』上映会のお知らせ!!
●第5回 三多摩平和交流会
●旧日立航空機(株)変電所ほかフィールドワーク
●もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
●沖縄と枯葉剤
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●北支那防疫給水部留守名簿
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
日本は唯一の被爆なのに、なぜ核兵器禁止条約を批准しない??
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
●人類の生存を危機にさらす核兵器と気候変動(デイビッド・クリーガー核時代平和財団会長インタビュー)
JA:2017年7月7日、核兵器禁止(核禁)条約が国連総会の圧倒的多数の支持を受けて採択されました。これは、核兵器による大量殺戮の脅威を世界から取り除く闘いにおける大きな勝利でした。核禁条約の現状について教えていただけますか。
DK:核禁条約はまだ、署名と批准を獲得するプロセスにあります。50カ国目が批准書を寄託するか、条約に加盟してから90日後に条約が発効することになっています。現在、署名国は69、批准・加盟国は19ですが、この数字は頻繁に変わります。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)とパートナー組織は、各国政府へのロビー活動を行い、核禁条約への参加を呼びかけています。
●核実験
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
アメリカ合衆国
ニューメキシコでの核実験
1945年7月16日にアメリカ合衆国がマンハッタン計画で人類史上初めて行った核実験(トリニティ実験)では、長崎に投下したファットマン」と同型のプルトニウム爆縮型原子爆弾(ガジェット)をニューメキシコ州アラモゴードにある実験場で炸裂させた。
爆発で火球の中に舞いあげられた砂漠の砂が溶けて液体になって降り積もったガラス質の緑色鉱石(トリニタイト)が生成され、今なお中レベルの放射能を帯びている。ほとんどは1952年に埋め立てられ、持ち出し禁止になっている。
実験から50年以上が経過した現在でも、実験場跡地では通常環境の約10倍の残存放射線が検出される。
詳細は「トリニティ実験」および「マンハッタン計画」を参照
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
●天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ
天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!
●ニュース
「27億円」秋篠宮さまが公費支出に疑問 大嘗祭の秘儀と費用
米軍、日米韓の同盟弱体化に危機感 中朝に対抗、自衛隊強化を
【独自】英語民間試験、9月に有識者ら「見切り発車」懸念…文科省押し切る
桜を見る会、来年度中止…政権内「不透明感否めず」野党「ふたをしたと思ったら大間違い」
元慰安婦訴訟の初弁論 日本「主権免除」と出廷せず
弾劾調査に大きなヤマ場、反トランプ証言を全米にライブ中継
大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-11-08)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!
憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除
全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。
アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 ~JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌~
日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。
南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
<iframe src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x4c228q" frameborder="0" width="480" height="270"></iframe>
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
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2019 所沢市 平和祈念資料展
ヒロシマ 私たちの心の傷
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徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
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水俣病
●731部隊
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日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
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真実を隠すために死刑にしたのでは??
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京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
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●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
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NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記
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昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記
昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年・
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
45.いろいろな加害の事実を改めて確認した思いです。相手を同じ人間と見ていないからできた事なのでしょう。相手を同じ人間と見なくさせたものは何なのか、そういったものが現在まで繋がっていはしないか。自省を込めて考えないといけませんね。このような展示を実施していただきまして有難うございました。(男性、60代)
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
6月28日(金)
140.日本の中で「周辺」(辺境)とされる地域の視点を総合的に見る機会を作ってくれてありがたい。地道な活動の輪が少しづつ広がることを期待する。南西諸島での自衛隊の展開の最新情報を総合的に知ることができて良かった。中国が海での軍事基地を強める中南西諸島を防波堤としていいと安易に考えないような議論が日本全体で必要だと思わされた。いろいろな選択肢を考えられるようにメディアが情報を出し、議論する場が広がることを願う。みんなで討論することのできる民主主義の国であるなら。(女.50.市内.メール)
●【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
新京陸軍病院衛生兵から731部隊員へ
私は、小さい時から、カメラをいじるのが好きだった。中学生の頃には、当時12円もしたカメラを買って、自分で現像、引き伸ばしなどをして楽しんでいたものだった。
私は、3年の満期で軍隊を除隊するつもりでいた。ところがその3年目がきた時、私の教官でもあり、レントゲン室主任でもあったO大尉にある誘いを受けた。O大尉が、写真班長として、ハルピン郊外の石井大佐(当時)の率いる部隊に転属するので、一緒に行かないか、というのである。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第8章 無辜の被害者
山西沁水県西山の毒ガス殺人
瞬時にして窒息性の毒ガスが住居内に充満し、人々は息苦しさを感じ始めた。この時、完全武装した日本軍は、獰猛な狼のような吠え声をあげ、外に出ようとする人々を押し返した。毒ガスにむせ返り戸口から走り出た人々は、銃剣ですぐさま刺し殺された。各部屋は毒ガスでいっぱいになり、哀れな民衆は生死の境でもがき、湿した布で口と鼻をふさいだ者もあったが、それを見た日本兵は部屋に飛び込んで猛然とその布を奪い取り中庭に投げ捨てた。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況
1、直接参加した犯罪行為
当時の状況:・・・・五常から郷里に戻った人々は機密の漏洩を厳禁され、家族、親戚たちにも石井部隊での仕事の状況を話すことは許されなかった。彼らはその後ずっと農業に従事していたが、1938年に再度石井部隊の職工の募集があった時、青柳、石井、萩原はともに率先してこれを応募した。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■有能な社会的メンバー
78. 1940年から児童手当は「成長して有用な国民になる」見込みがある者にだけ与えられた。この書類で問題にされている子どもは、この後すぐにアンスバハで「安楽死」させられた。
〔この書類は身体障害児ハンス・Kが「有能な国民となる見込みがあるかどうか」を、バイエルンのナイラ国立保健局からの問い合わせを受けたDr.A.Brなる医師が、彼の所見を同保健局へ報告しているものである。〕
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
当時、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
4、日本本土も汚されている
防衛庁長官の珍答弁
68年2月の衆議院予算委員会で、増田防衛庁長官が「クロルアセトフェノンは、日本の法律の毒劇物取締法に入っておりません。したがって毒ガス問題ではないし、催涙ガスである、こう考えております」という珍答弁をしているわけだが、これと同じ考え方である。
「毒性」があるのか、ないのかという質問に対して、法律で規定していないから毒ガスではないといったような馬鹿げた答弁が国会の場で大臣の口から出るくらいだから、相模原補給廠での毒ガス問題は一向に解決されるはずもないのであろう。国内法がそれを劇毒物に指定しようがしまいが、第1次世界大戦におけるイープルの闘いの塩素ガスによる2万人に上る死傷の事実と、塩素ガスの持つ激しい毒性に何らかの変化も起こるはずが無いのである。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
昭和天皇は、報告の正確性を確認することに加え、しばしば、正規の報告経路以外から情報を得るため、陸海の侍従武官や弟たちをよく各地の前線に派遣していた。1942年2月から1945年11月まで侍従武官を務めた尾形健一によると、昭和天皇は「戦地によく武官を御差遣にならせられたが、この場合も、なしうる限り、前線に近く、かつ将兵の最も苦労しておる季節を御選びにならせられ、また帰還後の復命は殊のほか御期待遊さたかの如く拝謁された」という、国務大臣や統帥部に質問をする際、天皇は、頻繁にこうした報告を引用していた。このようにして昭和天皇は、常に司令官たちに眼を光らせていたのである。
●小泉親彦と昭和天皇
憲法9条を生かそう!!
●前川喜平講演「つながりあえる社会へ 排外主義を乗り越えるために」
●「敬蘭芝さんと牡丹江事件」鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)のお話
●「まともな働き口はどこに?」上西充子さん講演
●731部隊関連資料の公開を求めて!!
●「731部隊資料開示請求裁判」進行中!
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●ABC企画委員会パネル展
●『主戦場』上映会のお知らせ!!
●第5回 三多摩平和交流会
●旧日立航空機(株)変電所ほかフィールドワーク
●もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
●沖縄と枯葉剤
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●北支那防疫給水部留守名簿
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
日本は唯一の被爆なのに、なぜ核兵器禁止条約を批准しない??
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
●人類の生存を危機にさらす核兵器と気候変動(デイビッド・クリーガー核時代平和財団会長インタビュー)
DK:核時代平和財団は、9つの核武装国(米国・ロシア・英国・フランス・中国・イスラエル・インド・パキスタン・北朝鮮)に対する訴訟についてマーシャル諸島政府と協議しました。ハーグの国際司法裁判所(ICJ)における訴訟では、核軍拡競争を終結させ核軍縮を達成する交渉をNPT第6条の下で行う義務を果たさなかったかどで最初の5カ国が訴えられ、NPT加盟国でない他の4つの核兵器国に関しては、交渉を行わなかったという理由は同じですが、慣習国際法に違反するとして訴えられました。さらに、米国は米連邦裁でも提訴されました。
9カ国のうち、英国とインド、パキスタンだけが、ICJの強制的管轄権を受諾しました。これら3つの国の事案に関してICJは、当事者間に十分な争いが存在しないとして、実質的な審理に入る前に門前払いしました。16人の裁判官の投票は僅差でした。英国の事案では裁判官は8対8に分かれ、フランス人裁判長の投票によって決したのです。
米連邦裁の事案もまた、実体的審理を行わずに棄却されました。マーシャル諸島政府はこれらの訴訟において9つの核兵器国を訴えようという意思を持った世界で唯一の政府であり、訴訟はトニー・デブルム氏の勇敢なリーダーシップによって遂行されたものです。残念ながら、デブルム氏は2017年に逝去してしまいましたが、これらの訴訟に関してデブルム氏と協力できたことは光栄なことでした。
●核実験
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
●天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ
天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!
●ニュース
桜を見る会ツアー、首相事務所から案内 地元有権者語る
【報ステ】池袋暴走で元院長を書類送検 遺族が会見
玉川徹氏「桜を見る会」で二階幹事長の「配慮は当然」発言に「完全に火に油を注いだ形に…」
「桜を見る会」参加の山口県議ら、ブログ削除相次ぐ
大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-11-08)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!
憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除
全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。
アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 ~JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌~
日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。
南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
●核兵器廃絶
安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す
2019 所沢市 平和祈念資料展
ヒロシマ 私たちの心の傷
<iframe src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x7nf775" frameborder="0" width="480" height="270"></iframe>
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
中国への細菌戦・毒ガス戦をきちんと謝罪しないばかりか、アメリカの原爆投下をも容認してしまった!!
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記
<iframe src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x7gj875" frameborder="0" width="480" height="270"></iframe>
昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記
昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年・
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
44.昨日、慰安婦の束神道さん、金福童さん、金学順さんのお話を都内で聞いてきて改めて慰安婦のパネルでその時の様子を見ました。(女性、50代)
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
6月28日(金)
139.戦争に正義はない。勝っても負けても救われる人はいない。私たちはとても弱い。差別も人の高低もないはずなのですが、本当にそうなのか。今2019年現在においても大いに不平等を感じるが、声高くに叫べない弱い私がいる。(女.60.市内.会場で)
●【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
新京陸軍病院衛生兵から731部隊員へ
最初の4ヶ月は、衛生教育ということで、人体構造、外傷、疾病、調剤、包帯術などを学んだ。教育が終わると、調剤や病室勤務、レントゲン写真などの実技があった。軍隊での教育は、厳しいものではあったが、その分だけ、みっちりといろんなことに習熟することができた。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第8章 無辜の被害者
山西沁水県西山の毒ガス殺人
この日、西山には西関、廉坡、楊山などの村から80余人が避難してきており、各家の部屋は避難民でいっぱいになっていた。日本軍は村に入るや、銃器を組み立て表門を封鎖し、3人の日本兵が中庭に「飛び込み、その庭の真ん中で、衆人環視の中で女性を強姦した。この日本軍の野獣のような蛮行を目撃した数十人の民衆は激怒した。3人の日本兵は暴行がすむと、防毒マスクを被り、強姦した女性を衆人の中に追いやって中庭に2つの毒ガス弾を投げて込んだ。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況
1、直接参加した犯罪行為
当時の状況:・・・・石井は五常研究所で、生体を実験材料にして大きな研究成果をあげた。そこで研究所を拡大し、ハルピン平房付近の広大な農地を占領して、数十棟の建物を備えた大規模な研究所と付属の飛行場を建設した。建設用地の状況(1938年)は付属資料2,3を参照されたい。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■有能な社会的メンバー
1941年8月、「T4」虐殺の第1段階が終わった後、虐殺者たちはみずからバランスシートを示した。「これまで個々の施設で実施もしくは消毒されたもの」という表題で、彼らは70237人の患者を殺戮(消毒)することによってどのような物質的節約が可能にされたかという陰惨な統計を、算出している。この統計は10年後までの予測をしており、ここの項目や個々の食料品に細分化されている。1942年にこの統計表を示したのは統計学者のエドムント・ブラントである。ブラントは戦後連邦内務省の官僚であった。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 11月13日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、次のように主張する。「昭和35年4月以降は、編集は化学学校が行うものの、発行は大宮修親会業務とされている。昭和43年以後の「化学学校史」には学校記事の記載は無いものの、廃刊に関する記載は無く、化学学校記事が発行されていなかったことは確かであるが、昭和42年発効の第12号が最終号であるかは不明であると。」
何で、自分の所が出している機関誌がいつ廃刊したのか分からないのか?
こんなことでは、税金の無駄遣いである。
それ以後の「化学学校記事」16号は存在しているのである!!
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
4、日本本土も汚されている
防衛庁長官の珍答弁
しかも問題の調査に当たった相模原労管さえ「塩素ガスは爆発性のものではないので火災の心配などはないから・・・」「塩素ガスは国内法の劇物指定になっていない」などという木で鼻をくくったような回答で問題を処理しようとしていることが全駐労相模原支部の68年度定期大会に報告されている。
いわゆる国内法の劇毒物指定については、機動隊や自衛隊が使用しているCN(クロルアセトフェノン)催涙ガスも「毒物」でないことになっている。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
前線から報告された 「事実」が不正確であれば、天皇の情報はいつわりの情報ということになる。しかし、山田によれば、天皇へ報告した者たちは、その情報を「みずからも『事実』と認定」していたのである。たしかに、上奏の目的は天皇を欺くことではなく、軍の兵員、装備の損失についての正確な数値や、敵に与えた損害を報告することであった。天皇が受け取っていた情報は、時宜にかなった、詳細で質の高いものだった。実際、そのようにすることが義務づけられていた。というのは、天皇は戦争遂行の基本的な戦略展開を指導しただけではなく、参謀や現地司令官による不可避な事故や見込み違いについても解決するよう要求したからである。
●小泉親彦と昭和天皇
憲法9条を生かそう!!
●前川喜平講演「つながりあえる社会へ 排外主義を乗り越えるために」
●「敬蘭芝さんと牡丹江事件」鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)のお話
●「まともな働き口はどこに?」上西充子さん講演
●731部隊関連資料の公開を求めて!!
●「731部隊資料開示請求裁判」進行中!
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●ABC企画委員会パネル展
●『主戦場』上映会のお知らせ!!
●第5回 三多摩平和交流会
●旧日立航空機(株)変電所ほかフィールドワーク
●もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
●沖縄と枯葉剤
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●北支那防疫給水部留守名簿
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
日本は唯一の被爆なのに、なぜ核兵器禁止条約を批准しない??
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
●人類の生存を危機にさらす核兵器と気候変動(デイビッド・クリーガー核時代平和財団会長インタビュー)
JA:核時代平和財団はマーシャル諸島政府と協力して、NPTに署名し現在核兵器を保有しているすべての国々を、核不拡散条約第6条に違反しているとして訴えました。この訴訟について教えていただけますか。マーシャル諸島のトニー・デブルム外相は、この訴訟で果たした役割に対して「ライト・ライブリフッド賞」を受賞しました。このことについても教えてもらえますか。
DK:核時代平和財団は、9つの核武装国(米国・ロシア・英国・フランス・中国・イスラエル・インド・パキスタン・北朝鮮)に対する訴訟についてマーシャル諸島政府と協議しました。ハーグの国際司法裁判所(ICJ)における訴訟では、核軍拡競争を終結させ核軍縮を達成する交渉をNPT第6条の下で行う義務を果たさなかったかどで最初の5カ国が訴えられ、NPT加盟国でない他の4つの核兵器国に関しては、交渉を行わなかったという理由は同じですが、慣習国際法に違反するとして訴えられました。さらに、米国は米連邦裁でも提訴されました。
●核実験
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
歴史上重要な核実験
歴史的重要度の高い核爆発・核実験
年月日 名称(実験名) 核出力 (kt) 実施国 重要性
1998年5月28日 チャガイ-I 9-12? パキスタン パキスタンによる初の原子爆弾実験
2006年10月9日 北朝鮮の核実験(2006年) 1.5-15? 北朝鮮 北朝鮮による初の原子爆弾実験
2010年11月18日 ポルックス ? アメリカ合衆国 アメリカによる「Zマシン」と呼ばれる装置を使った初の臨界前核実験 このZマシンに関してはこの後2014年11月までの間に12回の実験が繰り返されている
2013年2月12日北朝鮮の核実験 (2013年) 10-45? 北朝鮮 北朝鮮による初の強化原爆実験?
2016年1月6日北朝鮮の核実験 (2016年1月) 10? 北朝鮮 北朝鮮による初の水素爆弾実験(懐疑的な意見もある)
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
●天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ
天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!
●ニュース
池袋暴走事故 飯塚元院長を書類送検 過失致死傷容疑
明治大学駿河台キャンパスに国内唯一の「拷問博物館」がある歴史的背景
安倍首相主催の「桜を見る会」、統一教会関係者も招待客に<政界宗教汚染~安倍政権と問題教団の歪な共存関係・第23回>
「不自由展」 補助金不交付は暴力の追認だ
元慰安婦訴訟、13日に弁論 日本政府は「主権免除」で欠席へ
大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-11-08)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!
憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除
全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。
アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 ~JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌~
日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。
南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
●核兵器廃絶
安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す
2019 所沢市 平和祈念資料展
ヒロシマ 私たちの心の傷
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徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
中国への細菌戦・毒ガス戦をきちんと謝罪しないばかりか、アメリカの原爆投下をも容認してしまった!!
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記
<iframe src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x7gj875" frameborder="0" width="480" height="270"></iframe>
昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記
昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年・
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
43.重いです。あの戦争を本当に反省するのであれば、国がこういううことを教育の場で伝え続けなければいけないと思うが、、戦後この国では全く行われていない。最近では美化すらしている。デモに参加したり、SNSで発信することしかできないのがもどかしい。(女性、60代)
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
6月28日(金)
138.6月23日の日を日本国民一人ひとりが知る事で沖縄県民に心から寄り添えると思う。清国がアヘン戦争等で国力が弱くなったことも琉球処分、明治政府に助けを求めた。ハワイがアメリカに併合されることに似ていないか!!日本人の悪い癖で歴史を知ろうとしない。4人に1人の県民が命を落とした沖縄戦、戦中沖縄県民が受けた、日本軍の差別等、今の沖縄の歴史を学ぶことなく観光地沖縄で何も考えようとしていない、日本人の意識が問題であろう。私は1964年東京オリンピックの時代の切手ブームで琉球切手を集めていて、切手から沖縄のことを勉強し何度か沖縄を訪れた。この戦争はアメリカ(ルーズベルト)がしかけたもの、沖縄をアジア進出の場所として手に入れようとした?。(男.60.川崎.会場で)
●【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
新京陸軍病院衛生兵から731部隊員へ
私の郷里の人間は、徴兵されると、郷土師団、それも第45連帯に入営するのが、まず普通だった。ところが、私だけが、満州へ行けという。よほど睨まれたに違いないと思ったが、従うよりほかはなかった。そして、今にして思えば、この偶然が、私を731部隊につなぐことになったのだ。
大阪に全国から集合させられた私たち総勢50名は、満州の新京にある大隊の本部に入った。そこで3ヶ月の歩兵訓練を終えると、私は、今度は、新京陸軍病院に衛生兵として配属されることになった。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第8章 無辜の被害者
山西沁水県西山の毒ガス殺人
山西省沁水県西山村は県城の東南に当たる山の中腹に位置し、県城から約20華里(約10㎞)、1つの中庭の40余の家が軒を並べる小さなである。辺鄙な場所だったため、日本軍の進攻後は、周囲の民衆がよくこの村に避難していた。
1940年4月12日、日本軍の第41師団は沁水を占領すると、その魔の手を西山村に伸ばした。同年7月9日午前8時頃、飴が降る中、県城に駐屯していた日本軍の5部隊は、内通者の私服の案内で、毒ガス弾、防毒マスク、銃器を携え、殺気立った様子で西山村に乱入した。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況
1、直接参加した犯罪行為
当時の状況:・・・・その他、石井は自分の親戚の鈴木茂(当時臨時雇の大工)を五常に呼び寄せ、各種の建築業務に従事させ、鈴木も大きな利益を上げた。後に鈴木は、企業を徐々に拡大し、土木建築請負の鈴木組を設立してその組長になった。彼は石井部隊の建築工事を請け負うほか、別の企業へも投資していた。
五常研究所で働いた叔父の石井、母方のおじ青柳、いとこの萩原などは農家の大黒柱だったので、満洲で1年間働いた後郷里に帰った。しかし母方のおじの瓜生、伯父の萩原薫らは、そのまま満洲に残って引き続き働いた。勿論鈴木もその中の1人だった。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■有能な社会的メンバー
7.〔表は食糧品別に、じゃがいも、肉、パン、小麦粉、バター、マーガリン、ベーコン、脂肪、チーズ、穀物食品、パスタ、コーヒー、マーマレード、砂糖、等々を項目別に挙げ、、その量(kg)と金額(ライヒマルク)を示して、73273人の「消毒」によって、1日245955.5ライヒマルク、1年で88543980ライヒマルクが節約できることになり、10年経てば計885439800ライヒマルクが節約できるとしている。〕
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 11月13日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、次のように主張する。「昭和35年4月以降は、編集は化学学校が行うものの、発行は大宮修親会業務とされている。昭和43年以後の「化学学校史」には学校記事の記載は無いものの、廃刊に関する記載は無く、化学学校記事が発行されていなかったことは確かであるが、昭和42年発効の第12号が最終号であるかは不明であると。」
何で、自分の所が出している機関誌がいつ廃刊したのか分からないのか?
こんなことでは、税金の無駄遣いである。
それ以後の「化学学校記事」16号は存在しているのである!!
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
3、沖縄―核だけなく毒ガスも
4、日本本土も汚されている
防衛庁長官の珍答弁
この人身事故があって間もなく横浜港の米軍基地から塩素ガスボンベが姿を消しているわけで、相模原補給廠へ密かに移動されたものであろう。
塩素ガスが抱え込んでいることを知った相模原全駐労と基地の軍当局との交渉が68年9月に行われた。軍当局は、問題のガスが塩素ガスであることを認めたが「軍用ではない」の一点張り。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
太平洋戦争勃発後、戦闘報告や戦況報告は、毎日、宮中に届けられ、昼夜を問わず昭和天皇に提示された。それらの
報告には、戦闘による死傷者数の項目、各部隊の展開場所での戦況、そして沈没した輸送船やそれにより失われた物資といった詳細までもが、含まれていた。ときには、「第一線部隊から大本営にあてられた電報」が、交替で24時間仕えていた陸軍3名、海軍5名の侍従武官により、天皇に届けられた。これら侍従武官の職務の中には、定期的に昭和天皇の手元にある作戦地図を更新することも含まれていた。太平洋戦争の間、大本営海軍部は「戦況二関シ御説明資料」と題された正式な報告書を昭和天皇に提出していた。その他の情報源とあわせると、天皇のもとにはかなり多くの情報が寄せられていた。しかし、この情報システムの欠点は、陸海軍がそれぞれ別個に機密情報を用意し、昭和天皇に提出していたことだった。そのため、情報の全体像、ことに敗北については、天皇だけが把握していたのである。
●小泉親彦と昭和天皇
憲法9条を生かそう!!
●前川喜平講演「つながりあえる社会へ 排外主義を乗り越えるために」
●「敬蘭芝さんと牡丹江事件」鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)のお話
●「まともな働き口はどこに?」上西充子さん講演
●731部隊関連資料の公開を求めて!!
●「731部隊資料開示請求裁判」進行中!
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●ABC企画委員会パネル展
●『主戦場』上映会のお知らせ!!
●第5回 三多摩平和交流会
●旧日立航空機(株)変電所ほかフィールドワーク
●もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
●沖縄と枯葉剤
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●北支那防疫給水部留守名簿
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
日本は唯一の被爆なのに、なぜ核兵器禁止条約を批准しない??
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
●人類の生存を危機にさらす核兵器と気候変動(デイビッド・クリーガー核時代平和財団会長インタビュー)
JA:放射性降下物による影響についてはどうでしょうか。ビキニ核実験がマーシャル諸島や近隣の島々の人々に与えた影響について教えていただけますか?
DK:放射性降下物は、核兵器に独特な危険の一つです。1946年から58年の間に米国はマーシャル諸島で67回の核実験を行いましたが、これは広島型爆弾1.6発を12年にわたって毎日爆発させ続けるのに匹敵する破壊力です。これらの実験のうち23回がマーシャル諸島のビキニ環礁で行われました。
これらの実験の一部は、実験場から数百マイルも離れた島々や漁船を汚染しました。一部の島は依然として汚染されており、住民が帰還することができません。米国は恥知らずにも、放射性降下物の影響を被ったマーシャル諸島の人々をモルモットのように扱い、人体の健康に放射線が与える影響を調査するために利用したのです。
●核実験
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
歴史上重要な核実験
歴史的重要度の高い核爆発・核実験
年月日 名称(実験名) 核出力 (kt) 実施国 重要性
1967年6月17日 実験 No. 6 3,300 中国 中国による初の水爆実験
1968年8月24日 カノープス 2,600 フランス フランスによる初の水爆実験
1974年5月18日 微笑むブッダ 12 インド インドによる初の核分裂爆発実験
1998年5月11日 シャクティ I 43 インド インドによる初の潜在核融合増幅兵器実験(正確な核出力は25 kt~45 ktの間で議論されている)
1998年5月11日 シャクティ II 12 インド インドによる初の原子爆弾実験
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
●天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ
天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!
●ニュース
文大統領、与野党5党代表と会合「強制徴用の大法院判決を尊重しなければ」
青木理氏、安倍首相の国会でのヤジに「あえて言えばネトウヨ的。非常に低劣」
英語民間試験 123億利権に群がった役人・教育者・企業たち
特報! 関西電力の調査委員長が積水ハウスでも暗躍
東電、展望なき原電支援=東海第2再稼働見通せず―破綻回避を優先
安倍首相主催「桜を見る会」で後援会関係者をおもてなし。許されない公金の私物化
大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-11-08)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!
憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除
全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。
アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 ~JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌~
日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。
南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
●核兵器廃絶
安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す
2019 所沢市 平和祈念資料展
ヒロシマ 私たちの心の傷
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徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
中国への細菌戦・毒ガス戦をきちんと謝罪しないばかりか、アメリカの原爆投下をも容認してしまった!!
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記
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昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記
昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年・
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
42.在日コリアンへのヘイトスピーチが報道されるたび、関東大震災時の虐殺や朝鮮半島での植民地政策をを思い出します。関東大震災の虐殺からわずか14年後には南京大虐殺が起きています。ともすれば「被害」が戦後の平和教育と言われていますが「加害」こそ本質です。「民族排外主義と差別こそが、戦争への道」とあるように、今こそ子の加害の事実と向き合い反省し、アジア諸国に対しは心からの謝罪と補償が問われています。(男性、60代)
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
6月28日(金)
137.沖縄は常に「捨て石」として都合よく利用されてきた。日本の政治家、政府は明治150年記念、改元etc.とさわいでいるが、もっと別の視点でものを見てほしい。最もそんなことは「死んでもイヤだ!!」というかもしれないが。また沖縄のことは、教科書でも取り上げていないので、特に関心のない人は知らないか、誤解していることが多い。このような展示会をもっともっと多くの地域でやって欲しい。(男.60.大磯.新聞)
●【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
新京陸軍病院衛生兵から731部隊員へ
ところが、その後がいけなかった。巡査合格を理由に徴兵猶予の証明書を申請したところ、拒否されてしまったのだ。どうやら、私が徴兵逃れをもくろんでいると邪推した窓口の係官の怒りを買ったらしい。
あげくの果てには、翌昭和14年3月1日付けをもって、満州にある関東軍独立守備第7大隊に直接入営せよ、という通知を受け取る羽目になってしまった。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第8章 無辜の被害者
山西沁水県西山の毒ガス殺人
辛酸を極めた8年にわたる抗日戦争において、日本の侵略者は中国を滅ぼし、中華民族を根絶することを目的に、人間性のかけらもない「殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす」という三光政策を実行し、山西の同胞に対して前代未聞の多大な災難をもたらした。以下は日本軍が山西省において一般民衆に毒ガスを使用した2つの例である。中国共産党山西省委員会・党史研究室の同志らが『中国侵略日本軍の山西における蛮行』を編纂するなかで明らかになったものである。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況
1、直接参加した犯罪行為
当時の状況:・・・・石井部隊の拠点は東京都牛込区の軍医学校に置かれていた。はじめ石井はこの軍医学校で細菌の研究に従事していたが、後に研究所を満洲国浜江省五常県に移し、そこで同様の細菌研究を行っていた。
五常に研究所が設置された時(1934年頃)、石井の郷里、千葉県山武郡千代田村加茂の人々(約20人)が、石井に動員されて満洲へ渡り、石井部隊の職工として各種の業務活動に加わって、多額の財産を手にした。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■有能な社会的メンバー
〔コラー教授の生誕80年を祝う1988年2月2日付の新聞。コラー教授によってドイツで医学統計の本格的な研究所がマインツに初めて設立されたとして、その業績を讃えている。〕
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 11月13日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、次のように主張する。「昭和35年4月以降は、編集は化学学校が行うものの、発行は大宮修親会業務とされている。昭和43年以後の「化学学校史」には学校記事の記載は無いものの、廃刊に関する記載は無く、化学学校記事が発行されていなかったことは確かであるが、昭和42年発効の第12号が最終号であるかは不明であると。」
何で、自分の所が出している機関誌がいつ廃刊したのか分からないのか?
こんなことでは、税金の無駄遣いである。
それ以後の「化学学校記事」16号は存在しているのである!!
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
3、沖縄―核だけなく毒ガスも
4、日本本土も汚されている
防衛庁長官の珍答弁
米軍相模原補給廠での塩素ガス流出事件は更に問題が大きくなった。というのは、同補給廠に塩素ガスボンベは運び込まれる以前に、横浜港で人身事故を起こしていた事実がその後の調査で明らかになったのからである。
事件は相模原市での農作物への毒ガス流出事件の1年前に起こっていた。1963年9月1日、横浜港内で作業中の清掃船「新和丸」(新和海運所属)の乗組員が、現場から100m離れた米軍基地から流出した塩素ガスによって中毒症状を起こして倒れた。ガスの被害を受けた6人の乗組員の内4人は、1週間の入院加療を行うほどの重症であったが、この事件も全駐労の調査が無ければ表面に出ることなく闇から闇に葬られて行く運命のもとにあった。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
1941年以降、統帥機構は、確実に精緻になっていった。昭和天皇はまさにあらゆる軍事情報に関わり、その範囲はより広範で、より深いものとなった。詳細な想定問答集が、作戦課の将校により準備され、天皇のもとには戦況報告が毎週、毎日、ときには1日に2回届けられていた。戦況の評価は、また毎月、そして毎年、天皇が吟味できるように用意さていた。歴史学者山田朗によると、昭和天皇は日常的に、作成中の戦争計画の原案や作戦に関して十分な説明を受けており、詳細な地図とともに、その作戦が行われる理由や作戦を遂行する部隊について、説明を受けていた。
●小泉親彦と昭和天皇
憲法9条を生かそう!!
●「敬蘭芝さんと牡丹江事件」鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)のお話
●「まともな働き口はどこに?」上西充子さん講演
●731部隊関連資料の公開を求めて!!
●「731部隊資料開示請求裁判」進行中!
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●ABC企画委員会パネル展
●『主戦場』上映会のお知らせ!!
●第5回 三多摩平和交流会
●旧日立航空機(株)変電所ほかフィールドワーク
●もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
●沖縄と枯葉剤
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●北支那防疫給水部留守名簿
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
日本は唯一の被爆なのに、なぜ核兵器禁止条約を批准しない??
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
●人類の生存を危機にさらす核兵器と気候変動(デイビッド・クリーガー核時代平和財団会長インタビュー)
JA:核兵器がオゾン層や地球温暖化、農業に与える影響について教えていただけますか? 核戦争は大規模な飢餓を引きおこす可能性はありますか?
DK:私の理解では、核戦争によってオゾン層が破壊され、大量の紫外線が地上に降り注ぐことになるでしょう。加えて、核戦争によって地球上の温度は極端に下がり、地球にあらたな氷河期をもたらしかねません。核戦争が農業に与える影響は計り知れないものになるでしょう。
大気科学者は、インド・パキスタン両国がそれぞれ50発の核兵器を使用し合う比較的「小規模」な核戦争ですら、大気中に煤をまき散らして太陽光を遮り、作物の成長期間を短くして、20億人が飢える大規模な飢餓につながりかねないことを指摘しています。大規模な核戦争ならば、地球上の最も複雑な生命を破壊する可能性も含めて、もっと厳しい状況が生まれることでしょう。
●核実験
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
歴史上重要な核実験
歴史的重要度の高い核爆発・核実験
年月日 名称(実験名) 核出力 (kt) 実施国 重要性
1955年11月22日 RDS-37 1,600 ソビエト連邦 水爆(ソビエト連邦による初の多段階、実用兵器)
1957年11月8日 グラップル X 1,800 イギリス 水爆(イギリスによる初めて成功した多段階)
1960年2月13日 ジェルボアーズ・ブルー 70 フランス フランスによる初の原子爆弾
1961年10月31日 ツァーリ・ボンバ 50,000 ソビエト連邦 人類史上最大の水爆実験
1964年10月16日 596 22 中国 中国による初の原子爆弾実験
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
●天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ
天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!
●ニュース
池袋暴走「自信あったがおごりも」
独首相「どんな高い壁も打ち破れる」 ベルリンの壁崩壊30年式典
大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-11-08)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!
憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除
全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。
南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
●核兵器廃絶
安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す
2019 所沢市 平和祈念資料展
ヒロシマ 私たちの心の傷
<iframe src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x7nf775" frameborder="0" width="480" height="270"></iframe>
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
中国への細菌戦・毒ガス戦をきちんと謝罪しないばかりか、アメリカの原爆投下をも容認してしまった!!
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記
<iframe src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x7gj875" frameborder="0" width="480" height="270"></iframe>
昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年・
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
41.過去を隠さない。過去を歪めない。過去をないことにしない。過去を直視する。過去に学ぶことが大事。現政権のやっていることはあまりに危ない。(男性、60代)
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
6月28日(金)
136.琉球処分について知りたくて来たが、あまりなくて残念だった。(女.60.市内.ウエブ)
●【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
新京陸軍病院衛生兵から731部隊員へ
私は大正7年にK県K市の郊外で生まれた。昭和13年、当時、郷里で産業組合〈現在の農協〉の書記をしていた私にも、徴兵検査が迫ってきた。そのころ、朝鮮で勤務する巡査を募集するという話が持ち上がった。これに合格すれば、徴兵が猶予されるとのことだった。
どうせ兵隊にとられるのなら、この際、朝鮮という未知の土地でひと働きしてみるのも悪くないな、と思った私は、早速、巡査試験を受けることにした。結果は合格だった。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第8章 無辜の被害者
河北井シン(チンシン)県老虎洞 毒ガス殺人事件
九死に一生を得た生存者、范羊羔の回想
我々は老虎洞から退却するしかなかった。1日おいて、私は再び洞に入り、死体の始末にかかった。どの死体も誰が誰だか班別できない。動かすのもはばかれるほど、死体は腐乱しており、つかもうとすると肉が崩れて骨が手に残った。その死に様から見て、人々はガスでいぶされると、我先に奥に向かい、人が人を圧しつぶし、重なり合ったのだろう。あまりにも悲惨な情景であった。老虎洞において、わが無辜の民衆150余人が毒ガスで殺された。我が家だけでも6人が死んだ。私の祖母、母、嫁、兄弟、弟の嫁、そして私の4歳の息子も。」(『河北惨案史料選編』)
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況
1、直接参加した犯罪行為
実施者:萩原英夫ら約50人(付属資料1参照)
被害者:中華人民、日本人民
当時の状況:石井部隊は表向き関東軍防疫給水部と称していたが、実際は部隊長、石井四郎の指揮の下に置かれ、各種細菌を研究及び培養し、飛行機上もしくは地上で細菌を散布し、細菌戦を実施することを主要任務としていた。他方、石井式濾水器の使用その他の方法によって、細菌戦対処の作業展開していた。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■有能な社会的メンバー
最後の章に著者たちはこう書いている。「われわれの学問的知識によれば、共同体生活不能者は、劣等価値の素質を持ちながらも、行動し、この素質を平均以上とはいえないまでも平均的な規模でしか遺伝しないようにすることができる。そのような遺伝の危険がある場合には、彼らから民族的公民権を奪うことによって対処しなければならない。」彼らがここで考えていたのは、障害児は教育を施すのにふさわしくないとすること、強制的に断種・不妊の手術を行うこと、結婚を禁止すること、現在結婚している者たちを強制的に離婚させることであった。「すべての権利がそれにふさわしい尊厳を持つための前提である」公民権を、クランツとコラーは「名誉、生命、労働の権利」と呼んでいる。1945年4月4日、ベルリン大学はジークフリート・コラーを民族衛生学の教授に招き、フリッツ・レンツの講座主任にした。
〔コラー教授の生誕80年を祝う1988年2月2日付の新聞。コラー教授によってドイツで医学統計の本格的な研究所がマインツに初めて設立されたとして、その業績を讃えている。〕
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 11月13日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、次のように主張する。「昭和35年4月以降は、編集は化学学校が行うものの、発行は大宮修親会業務とされている。昭和43年以後の「化学学校史」には学校記事の記載は無いものの、廃刊に関する記載は無く、化学学校記事が発行されていなかったことは確かであるが、昭和42年発効の第12号が最終号であるかは不明であると。」
何で、自分の所が出している機関誌がいつ廃刊したのか分からないのか?
こんなことでは、税金の無駄遣いである。
それ以後の「化学学校記事」16号は存在しているのである!!
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
3、沖縄―核だけなく毒ガスも
4、日本本土も汚されている
塩素ガス流出事件
塩素ガスに襲われる場合の症状は、ガスの濃度によっても違いはあるけれども、最もひどい状態だと呼吸困難となって数秒間で死亡する程の激しい毒性を持っている。口や鼻から吸い込んだ場合肺を傷害し、酸素欠乏によって死亡させる効果をもった窒息毒性ガスなのである。
ベトナム戦争で塩素ガスが使用されたかどうかについては全く分からない。しかしアメリカのハドソン研究所ハーマン・カーン所長が69年3月18日の米下院外交委員会の科学の発展と米国の対外政策に関する分科会で生物・化学兵器の恐るべき実態を説明した後「この種の兵器は、誰がいつ使用したかが突き止めにくい」とその脅威を強調していることからも、在日米軍基地に塩素ガスが大量に貯蔵されている事実は、現に今激しく戦われているベトナムでの殺し尽くし、焼き尽くす作戦と全く無縁のものであると考えることの方が無理というものである。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●宮川正
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
他方、昭和天皇は政策の審議過程がどのように機能しているかを知悉していた。天皇はほとんどの陸海軍や外務省の重要な局長、部長、課長の名前とキャリア、その傾向を把握していた。宮中にある侍従武官府は、天皇の質問を迅速に伝えたり、侍従武官自身の質問を伝えるために、参謀本部作戦課や軍令部作戦課、あるいは参謀本部と軍令部の第一部との間に直通電話を敷いていた。昭和天皇は、作戦の実施と部隊配置に責任を持つ参謀本部第一部を統轄しているのが誰か、そして、その中で誰が第20班(戦争指導)や第2課(作戦)の責任者かを把握していた。さらに重要なことは、天皇が連絡会議で審議され、天皇により検討された「国策」に関する文書の原案が作られる官僚的な手順のひとつひとつに詳しかったことである。
●小泉親彦と昭和天皇
●福沢諭吉
●「敬蘭芝さんと牡丹江事件」鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)のお話
●「まともな働き口はどこに?」上西充子さん講演
●731部隊関連資料の公開を求めて!!
●「731部隊資料開示請求裁判」進行中!
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●ABC企画委員会パネル展
●『主戦場』上映会のお知らせ!!
●第5回 三多摩平和交流会
●旧日立航空機(株)変電所ほかフィールドワーク
●もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
●沖縄と枯葉剤
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●北支那防疫給水部留守名簿
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
日本は唯一の被爆なのに、なぜ核兵器禁止条約を批准しない??
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
●人類の生存を危機にさらす核兵器と気候変動(デイビッド・クリーガー核時代平和財団会長インタビュー)
JA:人類と生命圏が、すべてを破壊する熱核戦争の脅威に晒されています。それは、技術や人為的な過ちによって、あるいは、通常兵器による戦争が制御不可能な形でエスカレートすることによっても起こり得るのです。この大きな危険について何かコメントはありますか。
DK:核戦争が始まるきっかけはいくつもあります。5つのMについてお話ししましょう。すなわち、悪意(Malice)、狂気(Madness)、過失(Mistake)、計算違い(Miscalculation)、操作(Manipulation)です。この5つのうち、核抑止によって防げる可能性があるのは『悪意』だけです。しかもそれに関しても確実ではありません。また核抑止(核報復の威嚇)は、狂気・過失・計算違い・操作(ハッキング)に対しては全く効果がないのです。
あなたがおっしゃるように、核時代のあらゆる戦争は、核戦争に発展する可能性があります。核戦争は、それがどのように始まるにせよ、人類が直面する最大の脅威を与えるものであり、核兵器の完全廃絶によってのみ達成できるのです。そのことは、段階的で、検証可能で、不可逆的で、透明な交渉を通じて達成できます。
●核実験
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
歴史上重要な核実験
歴史的重要度の高い核爆発・核実験
年月日 名称(実験名) 核出力 (kt) 実施国 重要性
1949年8月29日 RDS-1(ジョー1) 22 ソビエト連邦 ソビエト連邦による初の原子爆弾
1952年10月3日 ハリケーン 25 イギリス イギリスによる初の原子爆弾
1952年11月1日 アイビー マイク 10,400 アメリカ合衆国 人類史上初の多段階熱核反応兵器実験(非実用兵器)
1953年8月12日 RDS-6(ジョー4) 400 ソビエト連邦 ソビエト連邦による初の水爆(非多段階、実用兵器)
1954年3月1日 キャッスル ブラボー 15,000 アメリカ合衆国 水爆(人類史上初の多段階、実用兵器)、放射性降下物事故(第五福竜丸が被曝)
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
●天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ
天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!
●ニュース
蓮舫氏「桜を見る会」の実態に無回答の安倍首相に「税金で行われている」
ベネッセと文部科学省の関係に都内の校長が呆れ 進研ゼミの通信講座を運営
大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-11-08)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!
憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除
全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 〜JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌〜
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。
南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
●核兵器廃絶
安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す
2019 所沢市 平和祈念資料展
ヒロシマ 私たちの心の傷
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徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
中国への細菌戦・毒ガス戦をきちんと謝罪しないばかりか、アメリカの原爆投下をも容認してしまった!!
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記
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昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年・
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
40.知識としては知っていましたが、個人個人、名前のある一人の人写真の被害者を見て、それがどれほど残酷で悲惨だったか身に迫ってきました。生き抜いて語ってくれた。畏敬の念しかありません。本当に申し訳ない。父は中国戦線に出征しました。暗号班で戦闘には加わらなかったと言い、ほとんど戦のことか語りませんでしたが、こういう状況だったのですね。歴史修正主義者は許せません。平塚美術館に行ったことがあります。平塚が大空襲を受けたとその時聞きましたが、何故とも思わず、今日その理由が分かりました。うかつなことです。掛の獣医学部も隠されたねらいがあったとは!なんと邪悪な政府か!!(60代)
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
6月28日(金)
135.自民党の国会議員が辺野古の工事業者から献金を受け取っていたという新聞記事を先日読みました。また菅官房長官の息子が大成建設の社員であるという噂も聞いています。政治家が自らの利益のため貴重な自然を破壊し、取り返しのつかないことになるのはとても愚かしいことだと感じています。最近安倍は「中国包囲網」などという中国敵視政策を止めたかと思っていましたが、中国を意識して、南西諸島で基地を造っていると今回知りました。歴史的に琉球は中国・アジアと平和的に交易をしていたと習ってきましたが、日本政府の下、いまや対中国の国防の最前線となってしまったことは悲しい限りです。時間の都合で、ゆっくりい見られなくて残念でしたが、新しい発見があり良かったと思います。家族にも話します。(男.40.市内.神奈川新聞)
●【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
新京陸軍病院衛生兵から731部隊員へ
できれば、そうしたことについては、このまま黙っていたい。だが、731部隊については、これほど関心が高まっている今となっては、正確な記録を残してほしいという思いも強い。
迷いながらも、私はこうして筆をとった。私は、カメラのファインダーを通して、私が目撃した事実だけを、これから思い出すままにつづってみる。カメラの眼と私の眼が重なって、記憶というネガに焼きつけられた光景だけを・・・・。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第8章 無辜の被害者
河北井シン(チンシン)県老虎洞 毒ガス殺人事件
九死に一生を得た生存者、范羊羔の回想
しかし、私はもう半歩も歩くと、息がつまり、仕方なく内洞を急いで出ねばならなかった。この時、外洞へまた何人か入っていった。私は一息ついてもう1度入ろうとしたが、その人が私を止めた。『入るな。皆死んでいる。行ってどうする。死人が増えるだけだぞ!』。誰かが、着物に小便をかけて湿らせ、それをくわえて入ろうといった。だが皆2日も3日も飲まず食わずで、小便など出るわけがない。仕方ない。そうしているうち外洞さえも十分息苦しくなった。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況
1、直接参加した犯罪行為
石井部隊の生体実験所の内部設備、研究機材の輸送及び設置に参加した。
時間:1938年1月から1939年1月まで
場所:ハルピン平房
指示者:石井部隊長、軍医大佐(当時)石井四郎
作業監督者:石井部隊建築班建設技術員、工藤某
同上:請負者の鈴木組責任者、静木茂
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■有能な社会的メンバー
ドイツの医学統計局は1963年になって初めてマインツにつくられたものではなく、1941年2月にベルリンにつくられたものである。当時、全国保健指導者のレオナルド・コンティが「大学付属病理統計研究所」をつくった。これは彼に直属して仕事をする研究所で、その所長は、私講師のジークフリート・コラーであった。コラーは、以前ギーセン大学遺伝・人種研究所の統計部長として働き、ヘッセンのナチス党の人種政策局にも協力していた人物であり、1930年以降、遺伝病理学統計の仕事で名を成していた。
1943年、彼は履歴書にこう書いている。「これまでの主な業績分野は、統計方法論、個別的病気統計、遺伝病理統計、反社会的患者統計、医学統計の組織化であり、社会医学、民族衛生学、衛生学ならびに民族保健衛生を密接に関連づけたことである。」ベルリン大学人種衛生学の教授であるフリッツ・レンツはコラーを「病理統計学の分野における第1人者」と呼んでいる。
1941年、コラーは彼の先生であるハインリッヒ・ヴィルヘルム・クランツとの共著で、『共同生活不能者』という著書を発表した。
この本では、アーリア人種の中で「絶滅されるべき」「共同生活不能者」の数は100万人とされており、その「特別処置」が勧められている。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 11月13日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、次のように主張する。「昭和35年4月以降は、編集は化学学校が行うものの、発行は大宮修親会業務とされている。昭和43年以後の「化学学校史」には学校記事の記載は無いものの、廃刊に関する記載は無く、化学学校記事が発行されていなかったことは確かであるが、昭和42年発効の第12号が最終号であるかは不明であると。」
何で、自分の所が出している機関誌がいつ廃刊したのか分からないのか?
こんなことでは、税金の無駄遣いである。
それ以後の「化学学校記事」16号は存在しているのである!!
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
3、沖縄―核だけなく毒ガスも
4、日本本土も汚されている
塩素ガス流出事件
ガス攻撃を受けた連合軍側は、たちまちにして大混乱に陥った。連合軍将兵の数千人が死亡し、1万4~5、000人が重傷を負い、2478人が捕らえられた。この時使用した塩素ガスは数千本のボンベであったと言われている。戦用ガスには①貯蔵上安定であること②原料入手が安易で大量生産しうるもの③使用、輸送、取扱いが容易であること④少量で効果が大きいこと⑤防護が困難であること、などの具備すべき条件が厳しく要求されるものである。この点塩素ガスは、これらの条件を満足させるに十分な毒ガスであり、いわゆる費用対効果比の見地からもしても経済性に優れた兵器であることは、ベトナム戦争などのように相手側にほとんど防護対策のない職場では特に言えることである。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●宮川正
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
対英米戦争の危険が迫るにつれ、そして参謀本部の上層部(よく叱責された杉山参謀総長のように)が、昭和天皇の性格や天皇の軍事知識の広さを知るようになるにつれ、天皇のための説明資料を作成していた中堅将校たちは、彼らの直接の上官がどうすれば天皇の叱責や自分たちに都合の悪い天皇の質問を避けることができるかを学んだ。命令を決定 (あるいは却下)する判断材料として昭和天皇に提出された資料の中には、少なくとも、歪曲とまではいかないまでも、陸海軍の駆け引きの結果として作られたものがあることは否定できない。複雑な意思決定機構は、しばしば、優先順位をつけたり、単純化する手段であればまだしも、意図的なごまかしを招いたのである。
●小泉親彦と昭和天皇