細菌戦の系譜!!

2022-02-14 13:25:19 | Weblog

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
 

 

 
 

黒い太陽731(1)

 

 

 
 

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

 

実験医学雑誌第18巻雑報

 

18巻12号(1934年)

実験医学雑報18巻 1407頁 (1934年)

総説

満洲国に於ける見聞

    宮川米次

第4章 満洲医療機関

1、満洲国系

2、満鉄系

3、関東庁系

4、日本赤十字系

5、日本人団体系、北鉄系、ミッション系

6、個人経営病院

 

満洲国系官立医院

1、奉天市立医院(奉天)

2、新京吉林陸軍医院(新京)

3、ハルピン特別市立第1医院(ハルピン)

4、同       第2医院(同上)

5、東北防疫処付属濱江医院(同上)

6、吉林省立医院(吉林)

7、黒龍江省官医院兼全省陸軍医院(チチハル)

8、興安北分省官医院(ハイラル)

9、熱河承徳国立医院(承徳)

10、安東海港検疫所付属医院(安東)

11、営口海港検疫所付属医院(営口)

12、満洲里国境検疫所付属医院(満洲里)

13、山海関国境検疫所付属医院(山海関)

14、黒河国境検疫所付属医院(黒河)

 

 

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第1部 日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第2 被告の細菌戦

2 昭和14年(1939年)から昭和20年(1945年)にかけての被告の細菌戦

(4) 昭和17年(1942年)4月18日、米軍爆撃機が初めて日本本土を空襲した。米軍機は中国浙江省の都市を着陸予定地としていたため、同月30日大本営は急遽浙江省から江西省に通じる鉄道沿線の諸都市を攻撃し飛行場を破壊する作戦を決定し、「大陸命第621号」を発令した。陸軍中央と石井四郎(当時軍医少将)は、この作戦の中で細菌攻撃を実施することを決定し、石井四郎が陣頭指揮に当たった。

 7月には、ハルピンの731部隊派遣隊と南京・1644部隊の部隊員とが合流し(要員総数150名から160名)、8月初めには配備が終了した。第13軍など日本軍は飛行場破壊の所期の目的を達成し、同月中旬から一部の占領地を除いて撤退を始めたが、この撤退に際し様々な方法で細菌が地上撒布された。その目的は、日本軍撤退後に復帰する中国軍の行軍ルートや拠点都市に伝染病を流行させることによって、飛行場の再建を不可能にすることであった。江西省の上饒(旧称広信)や玉山では、ペスト感染ノミやペスト菌を注射した野ネズミが放たれ、同省の広豊でもペスト感染ノミが放たれた。更に玉山では、ペストの乾燥菌を付着させた米を撒いて、その米を食べたネズミを感染させる方法も試みられた。この江西省の衢州・麗水では、ペスト感染ノミの他、チフス菌やパラチフス菌が撒布された。更に同省の常山と江山では、コレラ菌を井戸に直接入れる、食物に付着させる、果物に注射するなどの方法が採られた。これらの謀略的な細菌地上撒布により、コレラやペストをはじめ多数の伝染病患者が発生した。

 
 
 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦



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