細菌戦の系譜!!

2021-10-13 09:02:03 | Weblog

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

 

Ⅱ 関連部隊・支部

南京でもやっていた人体実験

血管が切ると心臓からものすごい勢いで血が・・・・

松本博

1644部隊

経歴

1926年生まれ

1943年中支那派遣軍防疫給水部栄1644部隊配属

この証言は1995年6月、8月、11月の聞き取りをまとめたもの。

 

昭和18(1943)年11月の末、17歳の時に志願して中国に行きました。まず南京の中央大学病院に連れて行かれました。衛生兵でしたから、病院に勤務するのかと思ったのですが、歩兵教育を受け、その後6ヶ月ほど衛生兵教育を受けてから、中支那派遣軍防疫給水部(栄1644部隊)に配属されたのです。軍隊に入ったのは、昭和19年の8月頃だったと思います。それまで1644部隊のことは一切知らされませんでした。

 入隊後私は部隊本部内にある7号棟の建物に連れて行かれました。コンクリート造りの4階建ての建物でした。その時私に言い渡された仕事は、“マルタ”の監視だったのです。

 
 
 

 

 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

 

 

 

 

Ⅰ東北

 

2 華北

1、河北

 

野田実自筆証書(1954年7月31日)

1944年5月上旬、私は河北省保定第63師団歩兵第66旅団司令部で衛生業務に従事していた。その時、同司令部が八路軍の捕虜を収容していると聞き、捕虜の生きた体を使って止血帯の医学実験を行いたいと考えた。そこで保定陸軍病院付軍医大尉長田文男と相談し、彼を通じて保定陸軍病院院長軍医中佐柴田長七の許可を得た。私はまた、第63師団歩兵第66旅団の高級副官林吾夫を通じて旅団長少将佐久間盛一の許可を得た。実験の場所は、林吾夫と相談して同司令部の空いた兵舎を使用することにした。

 
 
 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

4 毒ガス戦をめぐる 日米の確執 アメリカ軍の毒ガス戦論計画と日本軍

 

毒ガス戦の中止へ

 

 毒ガス使用禁止の指示は、7月14日に東條参謀総長が発した「大陸指第2061号」(件名は「特種煙、特種弾の使用の件」)と思われるが、原文は湮滅されて存在しない(『資料集Ⅱ』資料37‐24)。しかし、その内容をうかがい知ることができる資料が現存する。東京湾要塞司令官・大場四平中将は、7月23日に「自今化学戦に関しては左記に拠るべし」として次のように命令(東要作命甲第135号)している(「東京湾要塞歴史」付録1)。
1、特種煙、特種弾(手投「ちや」瓶、「あか」筒及び「あか」弾を含む)の使用は大本営より命令又は指示せらるる場合のほか禁止す
2、最近における敵の化学戦準備の動向に鑑み敵の瓦斯使用を考慮し速急防護の処置を完整すると共に敵の瓦斯使用の口実を与え化学戦を誘発するが如き事なき様厳に注意すべし 
 
 
 

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

第7章 残虐な毒ガス戦

 

動かしようのない事実

 

 

武漢戦役(1938.6.7~11.12)

同時に、日本軍は日本国内及び中国華北などから多数の化学部隊を移転させ、各参戦師団に配置した。その概要は次の通りである。

第11軍の長江両岸に沿った進攻

 

 

 同電報文には合わせて「毒ガスの性質の調査を行うことを重大任務とする」との指示が見える。10月17日午前10時、日本軍第9師団第19連隊第1大隊及び野戦ガス第13中隊が三渓口付近での戦闘中、毒ガス発煙筒100個を放出、中国側第53軍の部隊を後退させ、川を渡った。中国軍の被毒による死亡者は50余人。日本軍の第2軍は大別山北麓に沿って進攻。
 

加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

 

 

 


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