細菌戦の系譜!!

2020-11-11 10:45:41 | Weblog

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

釘うち拷問

残忍極まりない取り調べ

 

原田左中(はらださちゅう)

憲兵軍曹

〈旧部隊名〉

元関東軍第一特別警備隊第五大隊第一中隊

 

男は両手をバタバタさせ、ぐるぐると2,3回 回りながら天井に吊るしあげられた。男は顔を歪め、歯を噛みしめて痛さをぐっとこらえている。1秒2秒、みるみる男の顔は蒼白となり、脂汗は全身ににじみ出た。その汗は血と混じり、胸から腹を伝わって両足からぽたぽたと土間に滴り落ちた。両手首の麻縄はぐんぐん肉に食い込んでいった。男は全身の力で体を支えている。

「苦しいか。苦しければ言えッ」私は男の腰を棍棒で殴りつけた。男の体は左右に大きく揺れ動いた。男はカッと両眼を見開き、≪鬼子ッ、もっと殴れ、俺は殺されても何も言わないぞ≫と言わぬばかりに私を睨みつけた。

 

 

 

 

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第2『衛生学校記事』裁判の問題点と争点

その金原資料は1995年に全てが防衛研究所に移管されその時点で金原文庫は廃止されました。

 しかし翌1996年に防衛研究所は欲しい資料だけを取って残りの金原資料前部を再び衛生学校に戻してきました。

 現在、被告国は裁判の中で、当初の金原資料2028点について、防衛研究所が「金原節三業務日誌」17冊の現物など64点を保管し、衛生学校の彰古館がタイトルが一致する資料641点を保管し、合計約3分の1の所在は判明しているが、それら以外の約3分の2は行方不明だと主張しています。

 

 

 



 

 

 

 

 

DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」

 



 

 

・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は

12月16日(水)11:00~になりました。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

2、ベトナムにおける生物・化学兵器使用とその背景

枯葉作戦とその被害

南ベトナムでは致死性の化学薬品が使用されているが、国防総省は全くデータを公開していない。ハーバード大学の教授たちは66年はじめ、対穀物用の化学薬剤使用に抗議したが、この作戦の責任者の1人ダビソン中将は次のように回答してきた。

「24Dや245Tなどは通常は農業用の除草剤として使われているものである。人間や動物へ害があるかどうかという点は水や土地に集中的な使用をした時には、害が生ずるかもしれない」と。

 けれども、これらの砒素系薬剤は有毒であることが立証されている。

「犬に対する致死量は1㎏の体重に対して1gである」(メルク社『化学薬品インデックス』-ゴールストン著〈ヤール大学動物学者))

 

 

 

●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



13章 遅すぎた降伏

終戦詔書は、天皇の新たな国民的イメージを平和主義者であり、反軍国主義者であり、完全に受け身の戦争の傍観者―いずれも過去の実体とは異なるのだが―として再定義した最初の文書である。周到にも、詔書は、天皇の「仁慈」を強調し、断固として大権を主張する一方で、天皇が戦争終結にみずからのイニシアティブで具体的な行動をなかなか取ろうとはしなかったことをあいまいにしていた。しかし、玉音放送を聞いた者にとって、それは衝撃的な体験であり、まさに青天の霹靂(へきれき)だった。

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 


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