No more war!
No more 731!
No more Nanking!
No more Fukushima!
廃炉への道、遠し!!
原発はこわい!!
汚染水保管など廃炉へ課題多く 福島第一原発
福島民報 6月12日(水)9時58分配信
東日本大震災から2年3カ月となった11日、東京電力は廃炉作業が続く福島第一原発を報道陣に公開した。現場では、汚染水を保管する地上タンクの設置が進むが、増え続ける汚染水を一次保管する以外に対応策はなく、廃炉に向けた課題の多さがあらためて浮き彫りになった。
地下貯水槽での汚染水漏れを受け、地上タンクへの移送を開始し、9日に終了した。東電は平成27年9月までに汚染水を保管する地上タンクの総容量を70万トンに増やす計画で、敷地南側のエリアにはタンクがずらりと並んでいた。
汚染水の発生を抑えるため、建屋内に流れ込む地下水をくみ上げる「地下水バイパス」の井戸も公開した。東電は地下水に放射性物質が含まれていないか調べ、安全性を確認して海に放出する計画。ただ、現時点で漁業関係者ら地元の理解は得られていない。
11月にも使用済み燃料プールから燃料取り出しを開始する予定の4号機では、大型クレーンを使い、建屋を覆うカバーの建設工事が進んでいた。政府と東電などでつくる廃炉対策推進会議は10日、1~3号機の溶けた燃料の取り出しを従来計画から最大1年半前倒しする改定案を公表したが、溶け落ちた燃料の状態はいまだ不明。さらに、3号機タービン建屋海側ではこの日、毎時1・5ミリシーベルトを計測するなど依然として高線量のエリアがあり、作業の妨げとなっている。
東電は今月下旬から、原子炉への注水に使用する水の主水源をタービン建屋海側にある復水貯蔵タンク(CST)に切り替える計画も明らかにした。現在、原子炉から離れたバッファタンクの水を使用しているが、建屋周辺にあるCSTを水源にすることで屋外に張られた配管の全長が1キロ短縮され、3キロになる。配管からの水漏れのリスクが低減されるという。26年度末を目標に建屋内の水循環のみで原子炉を冷却する水循環システムを導入する方針。
IMAGINE 9
01
想像してごらん、
軍隊のお金をみんなの
暮らしのために使う世界を。
Imagine,
A world that spends money
not on armies,
but on people's lives.
文 星川淳、河崎哲 合同出版より
●ドイツの日本の違い
ドイツの医学会の謝罪や脱原発はドイツ国民が「生命への畏敬の念」に目覚めたからか?
それに引き換え日本の派遣社員の現状は「お前のスペアはいくらでもいる。いやならやめな!」
会社に掲げられた標語には「かけがえのない一人ひとりを大切に!」
かつて軍人勅諭にこんな言葉があったっけ!!
「死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ!!」、
人間を人間として見ずモノとして扱う体質!!
ワタミ・渡辺会長「365日24時間死ぬまで働け」について。- 2013.06.06
Unit 731: Japan's biological force
王選と日本人の友人達 part1
カスタマー・レビューより
第二次世界大戦時の医師の責任を問う, 2002/4/29
レビュー対象商品: 人間の価値―1918年から1945年までのドイツの医学 (単行本)
現在この「人間の価値 -1918年から1945年までのドイツの医学-」は、ドイツですべての医学生に読むことが義務付けられている(?)著書だ。この著書はドイツでの同名の展示会のおりに刊行された書物(カタログ)の中心的部分をまとめたものである。
著書の中で、ドイツ人医師が身体障害者、ユダヤ人、ポーラがンド人、精神薄弱者、遺伝病の子供などを、ナチズムという名のもとにおいて公然と人体実験、殺戮した罪を問う。
この著書が出版されたのは1989年と戦後から44年も経っている。著書によると、1945年から西ドイツでは、中途半端な「非ナチ化」かしか行われてこなかったが、民主主義が成熟し、1980年代になると個人、社会に戦争責任が問われるようになる。 この著書はドイツ人自らが行った過去への反省と、未来への固い誓いとも言えるだろう。
最近、日本でも医療問題や、戦争に回帰するような発言や動きが絶えない。こんな時代にこそ誰もが読んでほしい著書だ。
『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
1938年11月9日*を思う
*「水晶の夜」 *「水晶の夜」
ベルリン医師会の声明
ベルリン医師会はいま、ナチズムの中で医師層がはたした役割と、忘れることができない犠牲者の苦しみを思い起こす。医師組織を結成する我々は、我々地震の過去とナチズムに関与した医師の責任を問題にしないわけにはいかない。
ナチス政権掌握の何年も前から、医師たちも人間の社会的差別と少数者の迫害を奨励する思考をはっきりもっていた。遺伝優生学や人種的遺伝体質、遺伝的に劣る人間、人生の余計者、生きる価値のない人生、といった思考であり、ナチス保健政策の基礎を築いた思考である。これが社会的に自明のものとされ、差別を正当化したのである。それが人間の絶滅を可能にしたのである。
ユダヤ人の医者は「アーリア人」の治療をすることが許されなくなり、1938年、法律によって、彼らの新規採用と開業が禁止され、また彼らの既得の営業許可が消滅されられた。ユダヤ人および異なる思想を持つ人々が排除されたことに対して、同僚の医師サークルやその団体からはほとんど抗議の声が挙がらなかった。
医師たちは「遺伝病の子どもの出生を予防する」法律を準備するのに関与し、無数の病気の人々、身体障害者に対する不妊。断種手術をおこなった。
医師たちは選別と殺戮の官僚機構に協力した。専門家として彼らは選別の鑑定を行い、国家医療行政機構に協力して、強制収容所へ患者を移送させた。
医師たちは「安楽死病院」で働いた。彼らによる「認定」がヨーロッパのユダヤ人の工場的規模の殺戮の基礎になった。
医師たちは強制収容所、研究所、大学病院で残酷な人体実験を行った。
ごくわずかの医師たちが彼らのキリスト教的、社会主義的、共産主義的世界観にしたがって抵抗したにすぎない。
ベルリン医師会はその過去の重荷を負う。我々は悲しみと恥を感じている。(以上)
■処方箋による4分の1リットルのミルク
・・・・・・・
戦争が終わった時、ドイツには100万の住居が不足していた。労働者の住まいは過密でひどい状態にあり、肺結核、チフス、赤痢が蔓延していた。ベルリンの学童の77%が自分のベッドを持っておらず、開放性結核にかかっているベルリン市民の66%は自分たちの寝室すら持っていなかった。その後1918年にスペイン風邪が大流行した時、人々の肉体的抵抗力がどれほど失われていたかが明らかになった。「若い人々は朝病気になると、夕方にはもう死亡してしまった。」当時シャリテ病院(ベルリン・フンボルト大学付属病院)の医局医だったケーテ・フランケンタールは彼女の回想録に次のように書いている。
「1918年6月5日、ベルリンでは1週間の割当食糧は1ポンドのジャガイモと1キロのパンだった。わたしが本物の飢餓水腫をみたのはこのときだった。医者たちは毎日4分の1リットルのミルクを『治療薬』として処方することが許された。人々が闇値で医師の診断書を得ようとしたのを不思議に思う人がいるだろうか。飢餓はあらゆるモラルを破滅させた。わたしは診療時間にいつも文字通り恐怖を覚えていた。わたしたちはもう医者ではなく、予審判事であった。」
3.[結核が結核菌によって感染するものであり、どのような場合に感染するかを伝える啓蒙的なパンフレット]
1918年にドイツでは約143000人が結核で死亡した。これは戦争直前の年に比べると1,5倍であり、1897年の結核死亡率に相当する。
※第1次世界大戦(1914年~1918年)
ドイツ精神医学会の謝罪
ドイツ精神医学会は公式に謝罪しました。では、日本の精神医学会は
パネル集「戦争と医の倫理」
中国の特別軍事法廷(1956年)
発行「戦争と医の倫理」の検証を進める会
発売三恵社より
No more 731!
No more Nanking!
No more Fukushima!
廃炉への道、遠し!!
原発はこわい!!
汚染水保管など廃炉へ課題多く 福島第一原発
福島民報 6月12日(水)9時58分配信
東日本大震災から2年3カ月となった11日、東京電力は廃炉作業が続く福島第一原発を報道陣に公開した。現場では、汚染水を保管する地上タンクの設置が進むが、増え続ける汚染水を一次保管する以外に対応策はなく、廃炉に向けた課題の多さがあらためて浮き彫りになった。
地下貯水槽での汚染水漏れを受け、地上タンクへの移送を開始し、9日に終了した。東電は平成27年9月までに汚染水を保管する地上タンクの総容量を70万トンに増やす計画で、敷地南側のエリアにはタンクがずらりと並んでいた。
汚染水の発生を抑えるため、建屋内に流れ込む地下水をくみ上げる「地下水バイパス」の井戸も公開した。東電は地下水に放射性物質が含まれていないか調べ、安全性を確認して海に放出する計画。ただ、現時点で漁業関係者ら地元の理解は得られていない。
11月にも使用済み燃料プールから燃料取り出しを開始する予定の4号機では、大型クレーンを使い、建屋を覆うカバーの建設工事が進んでいた。政府と東電などでつくる廃炉対策推進会議は10日、1~3号機の溶けた燃料の取り出しを従来計画から最大1年半前倒しする改定案を公表したが、溶け落ちた燃料の状態はいまだ不明。さらに、3号機タービン建屋海側ではこの日、毎時1・5ミリシーベルトを計測するなど依然として高線量のエリアがあり、作業の妨げとなっている。
東電は今月下旬から、原子炉への注水に使用する水の主水源をタービン建屋海側にある復水貯蔵タンク(CST)に切り替える計画も明らかにした。現在、原子炉から離れたバッファタンクの水を使用しているが、建屋周辺にあるCSTを水源にすることで屋外に張られた配管の全長が1キロ短縮され、3キロになる。配管からの水漏れのリスクが低減されるという。26年度末を目標に建屋内の水循環のみで原子炉を冷却する水循環システムを導入する方針。
IMAGINE 9
01
想像してごらん、
軍隊のお金をみんなの
暮らしのために使う世界を。
Imagine,
A world that spends money
not on armies,
but on people's lives.
文 星川淳、河崎哲 合同出版より
●ドイツの日本の違い
ドイツの医学会の謝罪や脱原発はドイツ国民が「生命への畏敬の念」に目覚めたからか?
それに引き換え日本の派遣社員の現状は「お前のスペアはいくらでもいる。いやならやめな!」
会社に掲げられた標語には「かけがえのない一人ひとりを大切に!」
かつて軍人勅諭にこんな言葉があったっけ!!
「死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ!!」、
人間を人間として見ずモノとして扱う体質!!
ワタミ・渡辺会長「365日24時間死ぬまで働け」について。- 2013.06.06
Unit 731: Japan's biological force
王選と日本人の友人達 part1
カスタマー・レビューより
第二次世界大戦時の医師の責任を問う, 2002/4/29
レビュー対象商品: 人間の価値―1918年から1945年までのドイツの医学 (単行本)
現在この「人間の価値 -1918年から1945年までのドイツの医学-」は、ドイツですべての医学生に読むことが義務付けられている(?)著書だ。この著書はドイツでの同名の展示会のおりに刊行された書物(カタログ)の中心的部分をまとめたものである。
著書の中で、ドイツ人医師が身体障害者、ユダヤ人、ポーラがンド人、精神薄弱者、遺伝病の子供などを、ナチズムという名のもとにおいて公然と人体実験、殺戮した罪を問う。
この著書が出版されたのは1989年と戦後から44年も経っている。著書によると、1945年から西ドイツでは、中途半端な「非ナチ化」かしか行われてこなかったが、民主主義が成熟し、1980年代になると個人、社会に戦争責任が問われるようになる。 この著書はドイツ人自らが行った過去への反省と、未来への固い誓いとも言えるだろう。
最近、日本でも医療問題や、戦争に回帰するような発言や動きが絶えない。こんな時代にこそ誰もが読んでほしい著書だ。
『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
1938年11月9日*を思う
*「水晶の夜」 *「水晶の夜」
ベルリン医師会の声明
ベルリン医師会はいま、ナチズムの中で医師層がはたした役割と、忘れることができない犠牲者の苦しみを思い起こす。医師組織を結成する我々は、我々地震の過去とナチズムに関与した医師の責任を問題にしないわけにはいかない。
ナチス政権掌握の何年も前から、医師たちも人間の社会的差別と少数者の迫害を奨励する思考をはっきりもっていた。遺伝優生学や人種的遺伝体質、遺伝的に劣る人間、人生の余計者、生きる価値のない人生、といった思考であり、ナチス保健政策の基礎を築いた思考である。これが社会的に自明のものとされ、差別を正当化したのである。それが人間の絶滅を可能にしたのである。
ユダヤ人の医者は「アーリア人」の治療をすることが許されなくなり、1938年、法律によって、彼らの新規採用と開業が禁止され、また彼らの既得の営業許可が消滅されられた。ユダヤ人および異なる思想を持つ人々が排除されたことに対して、同僚の医師サークルやその団体からはほとんど抗議の声が挙がらなかった。
医師たちは「遺伝病の子どもの出生を予防する」法律を準備するのに関与し、無数の病気の人々、身体障害者に対する不妊。断種手術をおこなった。
医師たちは選別と殺戮の官僚機構に協力した。専門家として彼らは選別の鑑定を行い、国家医療行政機構に協力して、強制収容所へ患者を移送させた。
医師たちは「安楽死病院」で働いた。彼らによる「認定」がヨーロッパのユダヤ人の工場的規模の殺戮の基礎になった。
医師たちは強制収容所、研究所、大学病院で残酷な人体実験を行った。
ごくわずかの医師たちが彼らのキリスト教的、社会主義的、共産主義的世界観にしたがって抵抗したにすぎない。
ベルリン医師会はその過去の重荷を負う。我々は悲しみと恥を感じている。(以上)
■処方箋による4分の1リットルのミルク
・・・・・・・
戦争が終わった時、ドイツには100万の住居が不足していた。労働者の住まいは過密でひどい状態にあり、肺結核、チフス、赤痢が蔓延していた。ベルリンの学童の77%が自分のベッドを持っておらず、開放性結核にかかっているベルリン市民の66%は自分たちの寝室すら持っていなかった。その後1918年にスペイン風邪が大流行した時、人々の肉体的抵抗力がどれほど失われていたかが明らかになった。「若い人々は朝病気になると、夕方にはもう死亡してしまった。」当時シャリテ病院(ベルリン・フンボルト大学付属病院)の医局医だったケーテ・フランケンタールは彼女の回想録に次のように書いている。
「1918年6月5日、ベルリンでは1週間の割当食糧は1ポンドのジャガイモと1キロのパンだった。わたしが本物の飢餓水腫をみたのはこのときだった。医者たちは毎日4分の1リットルのミルクを『治療薬』として処方することが許された。人々が闇値で医師の診断書を得ようとしたのを不思議に思う人がいるだろうか。飢餓はあらゆるモラルを破滅させた。わたしは診療時間にいつも文字通り恐怖を覚えていた。わたしたちはもう医者ではなく、予審判事であった。」
3.[結核が結核菌によって感染するものであり、どのような場合に感染するかを伝える啓蒙的なパンフレット]
1918年にドイツでは約143000人が結核で死亡した。これは戦争直前の年に比べると1,5倍であり、1897年の結核死亡率に相当する。
※第1次世界大戦(1914年~1918年)
ドイツ精神医学会の謝罪
ドイツ精神医学会は公式に謝罪しました。では、日本の精神医学会は
パネル集「戦争と医の倫理」
中国の特別軍事法廷(1956年)
発行「戦争と医の倫理」の検証を進める会
発売三恵社より
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開?/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! ヴォートリン 日本軍占領下の最初の10日間(12月13日~23日) いつ日本兵たちの第1陣が城内に入ったかは、まだはっきり分かっていません。早くも12月10日に、小人数の舞台が昔の東直門、今は光華門と呼ばれているところから入ってきたと、聞いています。何日もそこで激烈な戦闘が繰り返され、日本の部隊が何度も城内に入っては撃退され、双方ともに損害が大きかったと、言われています。ある若い日本の将校がわたしに、実際は12月13日の朝4時に入城したのだと、言っていました。12日の夜通し、撤退していく中国兵たちが、わたしたちの校門を通っていき、ある者たちは一般市民の衣服を欲しがり、ほかの人たちはその軍服や武器を、キャンパスに投げ捨てていきました。その不気味な静けさから、わたしたち何かが起こったんだと知ったのでした。12月13日の午後2時ごろに、わが南山教員宿舎の世話をしている用務員が、わたしのところにまで駆け下りてきて、日本兵たちが西山―わが主要なキャンパスのもう一方の端ーにいるのが見えると、告げてくれましたが、それとほとんど同時にもう1人の用務員が走って来て、ある兵士が家禽試験場を見つけて、鶏を2羽よこせと言っていると、知らせてくれました。 中国各紙、好意的に報道 鳩山氏の南京大虐殺記念館訪問 「河村市長を訴える」再度の南京大虐殺否定発言で生存者が怒り=中国 毎日中国経済 2013年04月04日19時52分 名古屋市の河村たかし市長が再度、南京大虐殺を否定する発言をしたとの報道を受け、中国の墓参りの日である清明節の4日、南京大虐殺の生存者で84歳になる夏淑琴さんは「大虐殺を否定するというのであれば、河村を訴える」と怒りをあらわにした。中国新聞網が伝えた。 夏さんはこの日、南京大虐殺記念館を訪れ、犠牲者追悼の碑に花をたむけた。夏さんは毎年清明節にここを訪れているという。 日本の政治家がまた南京大虐殺を否定していることを知った夏さんは同記念館の朱成山館長に対して、「河村を訴える」と激しく怒りながら語った。 共同通信によれば、河村市長は1日、名古屋市長選の公開討論会の席で昨年の南京大虐殺否定発言について質問を受け、改めて「撤回する考えはない」と発言した。夏さんは「私は認めない。河村を訴える。あれだけ多くの人が死んだ事実がありながら、なぜ否定するのか」と、激しい反感を隠さなかった。 夏さんは南京大虐殺をめぐって何度も日本で証言し、2008年の裁判では日本の歴史研究者の著書をめぐって勝訴した。 日本銘心会南京友好訪中団の松岡環団長は4日、現地で行われた「清明祭」に出席。松岡氏は「河村市長は歴史的研究から南京大虐殺を否定する結果を導き出したわけではない。右派の政治家としてこうした観点が必要で、それを維持している。政治的利益のためで、これも政治の右傾化の危険な点だ」と指摘した。 (編集翻訳 恩田有紀) 脱原発 足尾から水俣、反原発へ 没100年を生きる田中正造 六つの墓 廃村から100年 小出裕章氏講演 "田中正造アースデイ ひとに夢、地球に愛" 1 もう一度知ってみよう。福島原発汚染水問題について(5/29/2013) 20130608 ラジオフォーラム 第22回 小出裕章ジャーナル 断層上の原発 VS 生活の窮状 RCサクセション サマータイムブルース~LOVE ME TENDER |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます