核・戦争のない世界!!

2024-08-22 11:13:14 | Weblog

山田朗講演会(講演、質疑応答、意見交換等)

・山田先生の講演を聞いた人の感想
化学兵器や生物兵器は天皇の戦争責任にどう関係したでしょうか?小泉親彦や橋田邦彦の自死、あるいは帝銀事件が東京裁判で天皇の責任が問題になりそうな時に起きているのが気になっています。
・山田朗先生の回答
昭和天皇が化学戦・生物戦について認識していたことは、大本営からの命令(大陸指)の発令や、731部隊の関係者と接触した三笠宮からの報告で動かしがたいものだと思われます。ご指摘のように、敗戦から1947・48年の間にどのような隠蔽工作が行われたのか、これはまだほとんど解明されておりませんので、しっかり取り組んでいこうと考えております。ご指摘、ありがとうございました。
 

 会場には、100名を超える人々が参加して、山田さんの講演を聞き、又意見交換もしました。

              三笠宮と731部隊員の記念写真
三笠宮は回顧録の中で、「多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し毒ガスの生体実験をしている映画」を見たのを憶えている、としている。彼は次の様にも述べている。
「その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった」、と語っていました。
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p227)
※三笠宮は紀元節復活に反対(ウィキペディアより)
1950年代後半から「紀元節」(神武天皇即位紀元(皇紀)に基づき、三笠宮自身の父系祖先と伝承される初代天皇・神武天皇が即位したとされる西暦紀元前660年2月11日を「日本建国の日」とするもの)の復活への動きが具体的なものになってくると、考古学者及び歴史学者としての立場から「神武天皇の即位は神話であり史実ではない」として、「『神話』と『史実』は切り離して研究されるべき」と強く批判し、皇族の身分でありながらも積極的に「紀元節復活反対」の論陣を張った。編著『日本のあけぼの』は、このときに刊行されたものである。

竹田宮と731部隊
竹田宮は、他にもっと直接的なつながりを、細菌兵器施設との間に持っていた。彼は関東軍司令部によって設置された、731部隊と100部隊の事業の監督をするための特別委員会の幕僚メンバーだった。彼の幕僚メンバーとしての最も重要な責務は、平房や他の支部施設を訪問する許可を与えるかどうかを決定することであった。関東軍に於ける医療行政官のチーフのように権力ある個人すら、平房(の施設)に立ち入る際には竹田宮・宮田(竹田宮は宮田武中佐と名乗っていた)が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れる時は、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p228)


 

       

 

     
 
 

「はだしのゲン」巡り揺れる広島 教材から削除、販売は急増―原爆忌 






















































「はだしのゲン」はなぜ削除されたのか
<iframe style="height: 100%; left: 0px; overflow: hidden; position: absolute; top: 0px; width: 100%;" title="Dailymotion Video Player" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x8pq9le" width="100%" height="100%" frameborder="0" allowfullscreen=""> </iframe>
 
<iframe style="height: 100%; left: 0px; overflow: hidden; position: absolute; top: 0px; width: 100%;" title="Dailymotion Video Player" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x8vky06" width="100%" height="100%" frameborder="0" allowfullscreen=""> </iframe>
2024年8月9日 
長 崎 平 和 宣 言  
原爆を作る人々よ!
しばし手を休め 眼をとじ給え
昭和二十年八月九日!
あなた方が作った 原爆で
幾万の尊い生命が奪われ
家 財産が一瞬にして無に帰し
平和な家庭が破壊しつくされたのだ
残された者は
無から起ち上がらねばならぬ
血みどろな生活への苦しい道と
明日をも知れぬ”原子病″の不安と
そして肉親を失った無限の悲しみが
いついつまでも尾をひいて行く
これは23歳で被爆し、原爆症と闘いながらも原爆の悲惨さを訴えた長崎の詩人・福田須磨子さんが綴った詩です。
 
 
広島・平和式典、公園全体を規制 表現の自由侵害と反発も
 

 
 
萩生田NO!!集会(2024年2月18日) 萩生田光一議員にNO!!ー裏金疑惑、市民に説明を 
安倍晋三 演説 | 統一教会
<iframe style="height: 100%; left: 0px; overflow: hidden; position: absolute; top: 0px; width: 100%;" title="Dailymotion Video Player" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x8e88in" width="100%" height="100%" frameborder="0" allowfullscreen=""> </iframe>
戦争の加害も忘れるな!!
 










長周新聞

記者座談会 語れなかった東京大空襲の真実-首都圏制圧のための大虐殺 130回で25万人殺傷

 


財閥やメディアも米軍占領下で地位守る
 
   司会 今回の安保法制まできて、対米従属構造こそ日本の平和を脅かす根幹であり、これとの対決なしには再び日本は戦場にされるというのが圧倒的な大衆世論になっている。第二次大戦の深刻な経験に根ざしているから党派をこえている。東京原爆展キャラバン隊の活動は、政党・政派、思想・信条にかかわらず都民の抜き差しならない経験に足場を置いて、これを発動するために奮斗するなら、壮大な基盤をもった平和運動を発展させうることを教えている。
 
 
 
※冊子『原爆と大戦の真実』に、本座談会の全編を資料とともに収録しています。


 
 

※カーチス・ルメイ・・・焦土作戦は東京・大阪・名古屋などの大都市を焼き払った後は、富山市・郡山市などの地方の中小都市も対象となった。これらの空襲は日本国民を震え上が

らせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名された。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 核・戦争のない世界!! | トップ | 核・戦争のない世界!! »

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事