1985年8月12日 日航123便墜落!!
当時、首相だった中曽根の動きは全くおかしい!!なぜ、墜落現場の地元群馬にすぐ行かない??
「中曽根さんの1日」は、事故当初から1週間、次の通りであった 。
8月16日(金)
8時起床。検査と静養。
8月17日(土)
午前7時起床。
13時43分 退院。13時57分公邸着、15時53分 公邸発、16時8分 上野駅着、16時15分 「あさま 」65号 乗車。18時28分 軽井沢着。18時38分 ホテル「 鹿島ノ森」に到着。19時27分 軽井沢の中華料理店 「赤坂飯店」で実兄の中曽根 吉太郎氏夫妻と食事。 21時37分 ホテルへ戻る。
これらの行動からはどうしても首相らしさや誠意といったものを感じられない。
そして次のコメントがそれを決定的にしてしまった。
「戦後5番目の長寿、首相在職1000日」ということで受けたインタビューの記事である。
8月22日でちょうど1000日となった感想で、新聞各紙によると中曽根氏はこう述べている。
「国民の皆さんや党の協力などによって今日まで政治ができたのは望外の幸せである。特に声を出さない、あるいは声を出せない方々の声に耳を傾けて、謙虚に戦々兢々として、薄氷を踏む思いで、勤めさせていただきたい。 今は戦後政治の総決算、21世紀に向かう準備のための時期だ。
そのためにじっくりと充電をするから、今年の夏、週末は軽井沢で過ごし、健康優良児になるよ。まずゴルフだったが日航機事故以降は自粛している。そのあおりでゴルフ会談はできないが、代わりにテニスと水泳、読書三昧で過ごしている」と語る。
政治記者との会食に余念がなさそうだ。全く事故現場に行く気がないらしい。
声を出せない方々の声に耳を傾けるならば、軽井沢ではなく、すぐ隣の上野村に行くべきなのではないだろうか。それに対して何か反論があるならばぜひ聞いてみたい。
日本はアジアを侵略した!!それを賛美する靖国になぜ参拝するのだ!!
侵略戦争の反省はないのだろうか?
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