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この世の地獄!!南京・原発・登戸・731!!

2012-03-28 08:59:30 | Weblog

日記@BlogRanking

1937年12月13日
南京陥落!!

南京大虐殺
河村・石原両氏の発言には全くあきれる!!
日本民主党訪中団、中国との友好関係維持を強調
対日戦争で身内に犠牲者=中国党幹部、異例の言及
<河村市長発言>中国・武漢、住民交流中止に 影響続く
中国外務省、南京大虐殺否定問題で「日本国内の正義の声に注目」
南京大虐殺否定発言 日中友好協会、名古屋市長に撤回要請
歴史問題の解決こそ日中外交の優先課題(1)=中国人有識者
名古屋市河村市長南京発言を検証する緊急市民集会 3月31日
日本企業家が南京市民に謝罪、大虐殺生存者支援に100万円寄付
名古屋の河村たかし市長、南京大虐殺の「発言は撤回しない」と表明
「河村たかし名古屋市長の南京事件を巡る発言」

河村たかし名古屋市長による
南京大虐殺否定発言に対する抗議声明

1 河村たかし名古屋市長の発言
  名古屋市の河村たかし市長は2月20日、姉妹都市である南京市の共産党市委員会の訪問団に対し、1937年12月の「南京大虐殺事件」について、「通常の戦闘行為はあったが南京事件というのはなかったのではないか」と南京大虐殺を否定する発言を行った。その後も河村市長は同趣旨の発言を繰り返し、中国国内で大きな反発を呼び起こすとともに、各種交流事業が中止になるなど、日中間の友好関係に多大なる支障をもたらしている。
 しかし南京大虐殺の事実があったことは、多数の目撃者や幸存者が現実に存在しており、南京市民の「民族の記憶」として記憶され、日本、中国及び欧米の膨大な資料がその事実を裏付け、歴史学界の定説ともなっており、第3次家永訴訟では①南京事件が組織的に行われたこと、②大量のレイプが行われたことを認めている。加えて、当弁護団が関与した幾多の判決においてもその存在が認定されている紛れもない歴史の事実である。

2 判決の認定した事実
 731・南京・無差別爆撃訴訟事件において1999年9月22日に東京地方裁判所が言い渡した判決は、「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告李秀英がその被害者であることも明らかである」と認定している。
 この李秀英さんは、南京大虐殺当時妊娠7ヶ月だったが、日本兵の強姦に抵抗したことで全身を29箇所37回も銃剣で刺され、流産したが自身は奇跡的に生き残ったという体験をした。この李秀英さんを“ニセ被害者”呼ばわりした著者と出版社を訴えた「李秀英名誉毀損訴訟」で、2002年5月の東京地裁判決は、著者と出版社の責任を認めて損害賠償として150万円の支払を命じている。
 同じく南京大虐殺の当時8歳で、家族7人を含む11人が日本兵によって虐殺され、母親や姉がレイプされ殺された現場に居合わせた夏淑琴さんについて、“ニセ被害者”と中傷した大学教授と出版社を訴えた「夏淑琴名誉毀損訴訟」でも、2007年11月に東京地裁判決は、「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と断罪し、400万円の損害賠償を夏淑琴さんに支払うよう命じた。
 そして、上海から南京に進軍中の二人の日本軍少尉が中国人に対するいわゆる「百人斬り競争」を行ったとの毎日新聞報道や、それに対する本多勝一記者による検証論稿等が名誉毀損に問われた「南京百人斬り訴訟」で、2006年5月に東京高裁判決は、「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては『百人斬り競争』として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず」として、その実態が無抵抗の捕虜や農民らに対する「据えもの百人斬り」であったことを実質的に認めている。

3 撤回及び謝罪要求
 これら裁判所が認定した事実は、いずれも「通常の戦闘行為」ではない日本軍による虐殺行為である。河村市長による今回の発言は、我が国の裁判所でも認定している「南京大虐殺」の事実を否定するものであり、何らの根拠のない妄言であることは明らかである。
 河村市長が、こうした妄言によって中国国民を深く傷つけたこと、それによって日本国民全体の名誉も毀損したこと、さらに日中友好を大きく妨げたことは看過できない。即座に、南京大虐殺の事実を否定した発言を撤回し、中国国民及び日本国民に対し、公式に謝罪することを求めるものである。

2012年3月19日

中国人戦争被害賠償請求事件弁護団
731・南京・無差別爆撃訴訟弁護団
李秀英名誉毀損訴訟弁護団
夏淑琴名誉毀損訴訟弁護団
南京百人斬り訴訟(本多勝一)弁護団

南京事件「生き証人」の証言を残せ、口述史分会を発足へ―江蘇省南京市
「ノブの日記」(seesaaブログ)に寄せられたコメント
河村は本当に馬鹿な男だ、数年前実名で河村に抗議したが返事なし、30万は毛沢東の宣伝で過大だが蒋介石は3万人以上と国連に報告、虐殺は有った、私は中国から復員してきた友人の父親の軍医から聞き15年前南京を訪問現地の資料をみて恐ろしくなった。(sakai)
石原都知事:「河村君正しい」 南京事件否定発言を擁護
南京事件発言、河村市長を大村知事が批判
藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明
「河村名古屋市長の父は南京大虐殺を知るはずない」=中国報道

南京大虐殺74周年、日本は沈黙
“南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国
南京大虐殺、新たな証拠品
南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈
南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り

3月28日 南京に中華民国維新政府成立。南京事件終焉する。
4月 1日 国家総動員法公布。 
【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】
「南京事件」143枚の写真  
  
  
       
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
マギー
マギー
夫人への手紙
(1937年12月12日~1938年2月5日)
木曜日に、下関にいたとき、兵士たちが興中門外の家屋を焼いていたが、大橋ホテルが今焼けてしまっているかどうか、僕にはわからない。アーチーの家の後ろの。姜家園の建物に火がついたんだ。兵士たちがアーチーの家の近くをうろうろしているのが、僕には見えていて、僕がいなくなってすぐ家が焼かれたというのは、そのちょっと後にフィッチがそこを通ったときに、家が燃えているのを見かけているからなんだ。あくる日には壁しか残っていないほど、焼けてしまっていた。僕がそこにいたら、郭子爽が、僕らの表門の近くのあの土地を拒否して売ってくれなかったあの男が、持って歩けるだけのものを持って。道端に立って泣いていたが、自分の家が燃えているのを指差しながら、城内に入れてもらえないんだと言っていた。僕と一緒に歩かせて、できる限り助けてあげるからと言ってあげた。だけど歩哨は僕まで入れさせようとしなかった。郭はあきらめて帰って行った。もしも僕が将校を見つけるまで待っていられたら、彼を連れて城内へ入れただろうに。一般市民の住まいを焼き払うなんて、全く無情だし、全くばかげている。

12月17日 南京入城式
『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』
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・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!!
・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?
南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯
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南京大虐殺マギーフィルム)1
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/E_6ZtBAEElU" frameborder="0" width="380" height="315"></iframe>
南京大虐殺
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日中戦争 (1937-1938)
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南京大 ( Nanking Massacre )
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兵士たちが記録した南京大虐殺1
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「南京!南京!」が見られる映画サイト
映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14
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日本の戦争 2
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南京大虐殺5
南京大虐殺



日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!!
原発輸出反対!!

日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!!
遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!

きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 
  「怨」
No More 731!! No More Nanking!!
No More Noborito!! No More War!!
No More Fukushima!!
武器よ!原発よ!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!

新しい日本!! 

世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!
原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!!
税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!!

※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!!


沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!

日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!!


●731・原爆・原発
東電のカネに汚染した東大に騙されるな!
日本を導く頼もしい学者先生方
医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって...
[証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 ~愛知・半田~
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/AKeH9lRIG4M" frameborder="0" width="380" height="287"></iframe>
「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!!
731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書
<iframe src="http://www.dailymotion.com/embed/video/xkca1f" frameborder="0" width="480" height="360"></iframe>
封印された原爆報告書
広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。
番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。
*SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。
<iframe src="http://www.dailymotion.com/embed/video/xolo73" frameborder="0" width="480" height="270"></iframe>
20120211 原爆投下 活かされなかった極秘情報

天皇制維持条件にポツダム宣言受諾
 ソ連は、アメリカの原爆投下の意図が日本を単独占領し、ソ連を脅して戦後世界政治の指導権を確保することにあると察知しました。ヤルタ協定で約束した対日参戦の時期を早め、8月8日、日本に対する宣戦布告を通知して、ソ連軍は9日未明から中国東北部(旧満州)と樺太への進攻を開始しました。ソ連を仲介者として戦争終結を模索していた日本の戦争指導者たちはポツダム宣言受諾を余儀なくされました。しかし、その通告を行う余裕もなく、2発目の原爆が長崎に投下され「この世の生き地獄」が繰り返されてしまいました。

 8月9日の御前会議で、軍部は広島に投下された爆弾を原爆とは認めず、戦争継続を主張しましたが、国体護持を条件にポツダム宣言受諾は決まりました。8月10日、日本政府は「天皇の国家統治の大権に変更を加えるいかなる要求をも包含していないという諒解の下に」ポツダム宣言受諾を申し入れました。この申し入れに対し、当初、アメリカのバーンズ国務長官は、70%の米国民が天皇を戦争犯罪人として何らかの処罰を望んでいることを理由に、承認に反対しました。けれども、バーンズは、進攻を始めたソ連が日本本土に到達し、日本の占領管理に発言権を要求するようになることは、アメリカの利益を損なうというスチムソン陸軍長官の意見を受け入れて、暗に占領下の天皇存続と将来の天皇制存続の可能性を示した回答文を作成しました。この回答文を受け取った日本では8月14日の御前会議で、天皇が「敵は国体を認めると思う」として、軍部の反対を退けてポツダム宣言受諾を決めました。

 こうした経過をたどってみると、アメリカ政府の原爆投下は戦争終結を早めるためだったという原爆投下正当化論は歴史的真実ではありません。

111006肥田舜太郎氏インタビュー
<iframe style="border-width: 0px; border-color: transparent;" src="http://www.ustream.tv/embed/recorded/17706098" frameborder="0" scrolling="no" width="380" height="240"></iframe>
第26回 原爆被害の隠ぺい(1)

日本政府の秘密主義・隠蔽体質を理解するための注目動画3題

731部隊と山下俊一
山下俊一トンデモ発言
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/PuwFrNEgDTg" frameborder="0" width="380" height="223"></iframe>
山下俊一のお師匠さん、重松逸造とは?
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/38_WxoUE6Bc" frameborder="0" width="380" height="287"></iframe>
広瀬隆氏が山下教授や高木大臣、東電幹部らを刑事告発
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/mvACnnfalRw" frameborder="0" width="380" height="287"></iframe>
福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新)
【170】 医療崩壊か? ... 医師の自重を求める / 武田 邦彦
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/CpnTbjs3ezY" frameborder="0" width="380" height="223"></iframe>
長崎大学:チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん
甲状腺がん手術症例数の年次推移
このスライドはベラルーシ共和国のがん登録数で、年齢別に手術された甲状腺がん患者10万人あたりを年次推移としてあらわしたもの。
ここで、福島原発事故後に福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一・長崎大学教授がチェルノブイリ原発事故後10年をピークに、被ばく時年齢0から15歳未満の甲状腺がん手術数が激増していると解説している。
山下教授は、アドバイザーに就任以降、後に計画的避難区域に設定さた福島県飯舘村で行った講演等で、「健康へのリスクは低く、心配する必要はない」などと発言しているが、飯舘村はベラルーシの強制移住の基準を超えている。
【177】専門職が立ち上がって欲しい(1) 医学の良心と医師の倫理 / 武田邦彦
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原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/EbK_OlzTaWU" frameborder="0" width="380" height="287"></iframe>

2011年12月22日 「国の放射能の『除染に効果はない』」神戸大教授 山内知也
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/_YO-U577pJo" frameborder="0" width="380" height="223"></iframe>

原発と再エネの実現可能性が同列に議論される不思議
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【208】 首長逮捕??瓦礫の放射能評価...データに基づいて考える / 武田 邦彦
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/yaIAZgbV-vQ" frameborder="0" width="380" height="223"></iframe>

武田 邦彦 『 大飯原発再稼働に向けた動き 』 2012.03.25
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身勝手な体質(○`ε´○)

講演:子供の被曝減らせ 原子力容認、大人に責任--小出・京都大助教 /京都

汚染水、また海に流出=80リットル、ストロンチウムも―福島第1原発・東電

2号機格納容器 非常に高い線量(3月27日 22:10更新)


●陸軍登戸研究所
・陸軍登戸研究所とは
1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。
 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。
 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。
【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】

動物慰霊碑
①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。
碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。
②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。
③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。
 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。
 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。
④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。
「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日)
【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】

動物慰霊碑1
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/lyAM44fXl90" frameborder="0" width="380" height="223"></iframe>
動物慰霊碑2
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/oq7vPXreb4M" frameborder="0" width="380" height="223"></iframe>

秘密戦関係
秘密戦関係
記念写真
記念写真(中央 三笠宮)
偽札
偽札(登戸研究所で作っていた)
風船爆弾
(模型)登戸研究所で製造していた!!

●731部隊
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第3部
魔の廃墟のあとに
彼らがもし、研究所への出入を許されていたのだったら、当然殺されてしまっていたろうに・・・・と、私は複雑な気持でその光景を眺めた。
 食糧品を八分目くらいの高さに積んでから、その上に畳をかぶせた。そしてわずかな、貨車の天井との間に、私達が乗るのである。
 ハルビンの郊外にソ連の落下傘部隊が降下したのは、その夜半であった。照明弾照下に、20km以上離れているはずの忠霊塔が、意外な近さでくっきりと浮き出し、そぼ降る雨を通して、舞い降りる落下傘の群がまるで大粒な牡丹雪のように見えた。上空での空中戦は、ますます熾烈を極め、照明弾が恐怖に青ざめている私達の顔を意地悪く照らし出した。
 私達は、もはや逃げられないものと秘かに観念のほぞを固めた。部隊に留まって最後まで戦うんだと力む雇員もいた。そのために積込みはしばらく忘れられたかたちであった。
 そうした最中に、1人の軍属姿の者が軍刀を杖にして石炭の小山の上に上り、塑像のようにじっと立ち尽くしていた。この凛々しさが、ことさら人目を惹く美しさに見えたのだろうが、よく見ると、それは女であった。事務員のほかには女の軍属がいるとは聞いていなかったので、私達は誰だろうと不思議がっていた。浜中は総務部にいたのだから知っているだろうと思ってたずねてみたが、彼も知らなかった。

731部隊8月9日 証拠湮滅・日本帰還!!
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/dp6XNFoMH7k" frameborder="0" width="380" height="287"></iframe>

『金子順一論文集(昭和19年)』紹介

4月15日(日)13:30~16:30 (於)東京ウィメンズプラザ・ホール
「731部隊のすべて」↓(クリックすると拡大します)

4月15日(日)731部隊のすべて

日本「731部隊」の細菌戦で2万6000人がペスト菌感染

<731部隊>関係者リストの作成作業に協力要請

医学界とは731部隊そのものである

※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。
南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。

※満州の満人をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。
フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。
今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ)

※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。

 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。

 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)

731部隊員の証言 1
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/CHluHFD2VVU" frameborder="0" width="380" height="287"></iframe>

細菌戦の新発見資料について
精魂塔(表)
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/SErkVMG3HSo" frameborder="0" width="380" height="223"></iframe>
精魂塔(裏)
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/et5iRfiTAHE" frameborder="0" width="380" height="223"></iframe>
精魂塔(これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
黒い太陽731部隊
殺人工廠(1)
731の最後 死亡列車0
「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする)
“戦争を語る”人々

戦犯たちの戦後
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/i7sBYWkwh0I" frameborder="0" width="380" height="287"></iframe>
証言ー侵略戦争1
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北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか?
中国人強制連行1
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