●昭和天皇と731部隊
1941(昭和16)年6月南部仏印進駐(侵略)!!
東南アジア進出(侵略)の機をうかがっていた日本は、フランスがドイツに降伏した直後の昭和16年7月フランスの植民地南部仏印に進駐(侵略)を開始した。これに対してアメリカは強く反発して、日本の在米資産を凍結、イギリス、オランダもこれにならった。米英中蘭によるいわゆるABCDラインの経済封鎖にによって、日本は苦境に陥った!!
昭和初期の日本(その5-終)
1941年12月8日
1941年 日本軍マレー侵攻
https://www.youtube.com/watch?v=QNBBSSQFmOU
太平洋戦争は、周到な練習を積み重ねて、奇襲攻撃で始まった!!
同時に永野海軍軍令部総長は、天皇に戦争の計画について詳細な説明をしていた。この「対米英蘭戦争海軍作戦計画」は、連合艦隊司令部により戦艦長門の艦上で起草され、指揮系統に沿って提出される前に海軍軍令部に直接、送られた。昭和天皇が真珠湾攻撃を最終的に裁可したとき、その場には閣僚はだれひとり同席していなかった。
『杉山メモ』によると、昭和天皇は(おおよその時間、場所、攻撃方法など、あらゆることを知っていた)、機密保持を心配していた。天皇は、攻撃部隊がいつ出撃態勢を整えることができるのかを知りたがっていた。永野は正確な日時がほどなく決まると奉答した。機密保持が重要であり、そのため部隊の前方展開が早くなりすぎないように細心の注意を払わなければならなかった。どんなに注意を払おうとも、このような大部隊による作戦を、どのくらい秘匿したままでいられるかを保証することは誰にもできないことだった。いつものようにソ連のことを心配する昭和天皇は、永野に対し、ことに北方ではソ連に感づかれように用心せよと注意していた。ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より
真珠湾攻撃
(細菌戦)
昭和天皇はまた、1940年中国で最初の細菌兵器の実験的な使用を許可した。現存する文書史料で、昭和天皇を細菌兵器と直接、結びつけるものはない。しかし、科学者の側面を持ち几帳面で、よく分からないことには質問し事前に吟味することなく御璽(ぎょじ)を押すことは拒絶する性格から見て昭和天皇は、おそらく自らが裁可した命令の意味を理解していただろう。細菌戦を担当した関東軍731部隊に参謀総長が発令した大本営の指令の詳細は、原則として天皇も見ていた。そして、このような指令、すなわち「大陸指」の根拠となった「大陸命」に天皇は常に目を通していた。中国での細菌兵器の使用は1942年まで続いたが、日本がこの細菌戦化学戦に依存したことは、第2次世界大戦が終了すると、アメリカにとって、にわかに重大な意味を持つこととなった。まず、トルーマン政権は大規模な細菌戦・化学戦の計画に予算を支出したが、それは日本の細菌・化学研究の発見と技術に基づいていた。次いで、それはベトナム戦争でアメリカが大量の化学兵器を使用することへとつながった。 ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より
・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
恐るべき遠足
死体を解剖して、肺臓、脾臓など各部分からそれぞれ検査用塗抹標本を作る手伝いをさせられたのだったが、与えられた仕事を理解しようとする心のゆとりもなく、ただ反射的に手を動かしていた。周囲の壁を通して悲痛なうめきが聞こえ、金網の外には、取り出した臓腑をかぎつけた蠅どもがうなっている。
わずか1時間足らずの時間だったろうが、私は体も神経も蒸されたようにふらふらとなって部隊に帰った。
は一週間ほどたって全部焼き払われた。中には生き残った者もあったろうが、極秘の実験であるから、実験後には一人残らず殺されたのだそうである。
「細菌戦裁判」の第1審の東京地裁で事実認定された日本軍の細菌戦
細菌戦部隊731
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)
常徳細菌戦
●日本や中国各地に毒ガスが遺棄されている!!生活に支障をきたさないのか?
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
自衛隊は防護のためと称して昭和20年代後半から毒ガスの研究をし、1964年にはサリンを合成し、VXガス、タブンも作った。最新の無能力化ガスBZは1973年に成功している。1970年日本政府ジュネーブ議定書締約、1993年化学兵器禁止条約日本署名、1994年6月松本サリン事件、1995年3月地下鉄サリン事件発生、自衛隊とオウムの関係は?
2013年度の「核・生物・化学兵器対処関連事業」費71億8200万円。何に使っているのだろうか?
死者13人、約6300人の被害者を出した地下鉄サリン事件(1995年3月20日発生)
1950年代に、自衛隊は秘密裡にアメリカ側のデータを下に毒ガス製造をはじめ、1964年(東京オリンピックの年)にサリンの製造に成功している。オウム真理教の土屋正美(事件発生当時30歳)だけの知識で果たしてサリンが製造できたのか?自衛隊のデータが漏れていなかったのか?それとも、自衛隊も事件に関わっていたのか??
「地下鉄サリン事件」ザ!世界仰天ニュース
・自衛隊では、サリン合成に成功したのは東京オリンピック(1964年)の年だった。
・1973年、自衛隊は、当時最新の毒ガスBZガスの合成に成功。
週間金曜日 2013年6月7日号
第4回
事件1報前に待機していた自衛隊。
・「解毒の方法を知っていますか?」
―事件発生数ヵ月前に化学学校に1本の電話が入った。
「・・・化学学校でサリンが製造されていることは自衛隊内部でも知られていないことなので、10人ほどの研究員はその電話に騒然となったようです。その数ヵ月後に地下鉄サリン事件が起き、あの電話はオウム(真理教の信者)からだったと再び騒然となったのです。・・・外部から直接電話が入ることもおかしいのですが、そもそも直通の番号を知っていること自体、あり得ない話なのです
・聖路加国際病院に、自衛隊中央病院の医師が突然現れた。「パムを使うといい」
・1報前に出動待機
実は、自衛隊は警視庁から防衛庁に「毒ガスらしきものが撒かれた」との1報が入る15分前に、すでに自衛隊中央病院に出動待機の連絡を出していた。
・・・以上の経緯を見れば、自衛隊は警視庁から事件の1報が入る前に原因物質がサリンであるとほぼ断定していたことになる。あるいは、この日のサリン撒布自体を事前に知っていたのではないかという疑問が生じる。事件後に称賛された除染活動も、こうして解毒剤をめぐる経緯を見ると、これまでとは違った色合いを帯びてこないか。
※サリンなどの毒ガス製造が「防護目的」であれば、つまり兵器として使用しなければその製造が許されるとしたら、同じ理屈で核兵器や生物兵器の「防護研究」も可能ということになる。
それとも、自民党も毒ガスの製造、貯蔵のことを知っていたが、嘘を言って国民をだましているのか?
戦争前は「防護目的」、戦争になったら大量生産?毒ガス兵器、生物兵器、核兵器!!
機密ばかりが多いと、国民はいつもだまされる?
・非核3原則も嘘だった!!
佐藤栄作の遺族は早く故人のノーベル平和賞を返上しろよ
本来、アメリカが出すべきお金を、日本政府が肩代わりして出していた現実!!
こんな問題もあった!!沖縄密約
沖縄毒ガス
日本軍の毒ガス被害
昭和天皇の“沖縄メッセージ”
●今の情報を公開しない姿勢は、戦前からずっと続いている!!
秘密保護法施行・・・何を政府はたくらんでいる?
防衛の名のもとに、軍事力は増強されている!!
特定秘密保護法はジャーナリズムに何をもたらすか(ラジオフォーラム#158)
ちょっと古いが、参考になる本なので紹介します。1972(昭和47)年10月9日初版藤井治夫著『日本の国家機密』より
第二章国家機密の構造
2安保体制の機密
憲法に優先する安保条約
しかも、これらの合意は法律に優先するのである。日米共同防衛義務を定めた新安保条約第5条について林修三法制局長官は次のように述べている 。 「条約が成立したあかつきにおきましては、 第5条の規定は、日本国全体についての効力があるわけでございまして、日本政府のみがこれに拘束されるわけではどざいません。日本の国会も、政府も、裁判所も、すべてこの条約が拘束する範囲においては拘束されるわけでございます」。「法律と条約との関係では、公法たる条約が勝つ」(衆院安保特別委60・4・11)。条約という名称がついていようといまいと、それは変わらない。
南京大虐殺があったことは国民に知らせず(これも国家機密であったのか?)、陥落を喜ぶニュース映像!
南京陥落 東京の風景
●南京大虐殺
・証言
1937年には、私は20歳余りで、日本軍が南京に来た時、難を逃れによそへ出ていました。帰って来た時に、尹順林の母親と尹順力の父親とが2人とも死んでしまっていて、屍の1つは沼の辺にあり、1つはあばら屋の前にあるのを見ました。2人と一緒に残って留守番をしていた人の言うのでは、尹順林の母親は日本人がその家の豚と鶏とを盗るのを見て、叫んで阻止したら、鬼に1発で撃ち殺されました。尹順力の父親の尹広生はその時47、8歳で、日本人が1軒1軒物を奪うのに道案内させようと強いたのに、肯ぜず、尹西村の大きな沼の辺まで逃げたのですが、日本人に追いつかれて、先ず鼻を打ち破られ、続いて発砲され撃ち殺されました。
南京大虐殺 世界記憶遺産登録で世界の教科書に掲載可能性も
●731問題
・「ABC企画NEWS第100号」より
―写真で学ぶ『高知と戦争』展―
関心を集めた「731部隊と高知」
平和資料館・草の家 副館長:岡村啓佐
・・・・
・四国4県出身兵士が731部隊を支えた事実に衝撃
『731部隊と高知』では、731部隊で安達(アンダー)での野外実験など様々な生体実験に関わった(故)尾原竹善さんの証言は参加者に衝撃となって、改めて戦争とは何かを感じ取っていただいたようです。尾原さんの証言をまとめた資料は追加印刷しその数は800セットを超えました。
また731部隊には6つの中心支隊・機関が存在し、その支隊に高知県人で編成されたハイラル支部(543部隊)があり、4名の部隊員の「ネズミを捕まえ、飼育する」「ネズミを入れる籠を作り、この籠にペスト菌を注射したネズミを入れて731部隊に送った」との証言も熱心に読んでいました。
そして、林口に「162部隊」(香川県出身)、孫呉に「673部隊」(徳島県出身)、海林に「643部隊」(愛媛県出身)などの各支部があり、731部隊が四国4県の兵士らによって支えられていた事実に皆一様に衝撃的に受け止められたようです。
終戦50周年731部隊1
終戦50周年731部隊2
・731部隊→ABCC(被爆者は治療もされずに、原爆の影響を調べられた。・・・731部隊員の協力)→放影研→重松逸造・・チェルノブイリ原発事故について・・・汚染地帯の住民には放射能による健康影響は認められない。→福島原発事故・・原子力を進めてきた人たちは、福島で今、甲状腺がんが多発しているけれども、それは被曝との因果関係はないと主張している。
なぜ、日本政府は、731部隊の生体実験、細菌戦を認め、謝罪しないのか?
731部隊のドキュメンタリー
アメリカは、将来の戦争で毒ガスや細菌兵器を有効な手段として使うかもしれないということで、東京裁判では、毒ガス・細菌戦などは追及しなかった!!
毒ガス戦はなぜさばかれなかったのか?
※しかし、これは、アメリカにとって「後日、深刻な問題をもたらす」ことになるのではないか?
・但是,如果这是不是成为“在以后的日子,造成了严重的问题”的事情对美国?
・그러나 이것은 미국에게 "나중에 심각한 문제를 초래"하게되는 것은 아닐까?
・However, if this is not to become "at a later date, resulting in a serious problem"thing for the United States?
・Однако, если это не становится "на более поздний срок, в результате чего серьезные проблемы" вещь для Соединенных Штатов?
・Jednakże, jeśli nie jest to, aby stać się "w późniejszym terminie, w wyniku poważnych problemów" rzecz dla Stanów Zjednoczonych?
・Wenn dies jedoch nicht, sich "zu einem späteren Zeitpunkt, was zu einem ernsten Problem", was für die Vereinigten Staaten?
・Toutefois, si cela ne veut pas devenir ≪à une date ultérieure, résultant en un problème grave" chose pour les États-Unis?
アメリカは、ハルピンの731部隊に於ける人体実験、生体解剖、奉天の捕虜収容所における731部隊員による米兵らに対する人体実験、また、化学戦部隊516、526部隊等と組んで行った悲惨極まりない毒ガスの人体実験を、東京裁判で裁くことなく見逃してしまったからだ!!
ドイツのニュルンベルクの裁判では、人体実験に加担した医学者が厳しく裁かれた。ところが、東京では、戦犯免責だ!!このダブルスタンダード!!
「結局、ワシントンは「国家の安全」を理由に731部隊の免責を是認した。免責付与是非を論じる米軍高官の覚書の中にはこんな一文がある。
彼(石井)らの人体実験は、本政府が目下ニュルンベルクで、ドイツの科学者および医学者をそれゆえに訴追している人体実験とはそう違わないものである」
(『731免責の系譜』太田昌克著より)
・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
夏草をふみしめ遺跡の前に跪(ひざまず)く
オバケ煙突の下、不気味に笑う悪魔の目鼻
ここで焼却されたマルタは虚空に消えた
その無念の粒子を今なお人々は呼吸する
この空間には癒されぬ死の怨霊がくすぶり続ける
だが誰もそのことを声高に語ろうとしない
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
沖縄失陥のあと
夜の講義には、講師がそれを裏付けるように、
「いまに、世界中をあっといわせる新兵器ができあがる。このくらいで、一億人の人間を殺すことができるのだ」
と、小指の先を示して、沈みがちな私達を励ました。それは確かに私達の大きな期待となった。
「高等官が言うんだから、間違いないよ」
というのが私達の共通な感情だった。
7月に入ってからは、何かとあわただしい日が続いた。飛行場のそばに輸送機のえんぺい壕を掘るために、千人近い苦力を動員したが、私達も一日、壕掘りに奉仕したことがある。
小枝雇員と一緒に、私と佐々、保坂の3人はボイラー室の横を通って第2部の飛行場をめざして進んだ。裸に素足という大勢の苦力たちが悠長な動作で土を掘ったり運んだりしている風景は、何か原始の人間の営みを見るようである。
(参考)
イレッサ訴訟
子宮頸がんワクチンの危険性 - Thinker
子宮頸がんワクチン接種、通学できぬ少女 推奨中断2年
ワクチンについて シェリー・テンペニー博士
厚生省・国民健康保険について(消えた細菌戦部隊より:常石敬一著より)
医務局長としての小泉の実績は、確かに先の、「意欲・鋭さ・執拗さ」という言葉に見合ったものとなっている。すなわち今日の厚生省及び国民健康保険法を作ったのが小泉であった。・・・・・・
健兵対策の一環として厚生省は設立されたのだった。こうした設立の経緯が、今日の厚生省の弱者に冷たく、福祉行政に消極的な理由となっているのかもしれない。
小泉親彦(ちかひこ)
※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。
真実を知ろう!!(権力側が流す情報にだまされるな!!)
中国細菌戦被害者の調査
ガン治療のウラ 6/8
「新医学宣言・医食住で『いのち』が決まる!」船瀬俊介の船瀬塾
医学革命!
軍陣医学(戦場医学)から「活人医学」へ
「悪魔の飽食」から「小食へ」(体質改善への道)
医師 甲田光雄6/6 ラジオ深夜便
●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(下)より
第13章 遅すぎた降伏
米軍の沖縄上陸の前々日、内閣更迭が差し迫っているという噂が、宮中グループの間に流れた。秘書官の細川護貞によると、近衛はこのとき、「陸軍は益々一人で玉砕論を振り廻すこととなる。而し木戸が宮中に居つて、すつかり阿南にまとめてゐるし、我国体から考へて申し上げても、御上が御許しなくば如何ともし難い。狂気に指導されてゐる今の状態を考ヘると、どうも厭世的にならぎるを得ない」と話している。
当時の近衛が、「狂気」のなかに昭和天皇を含めていたとしても無理はない。
昭和天皇が汪兆銘政権の元高官【小磯が強く支持した繆斌(ミョウヒン)】を通じて進めていた中国との和平工作の中止を命じて3日後、つまり沖縄戦開始から5日目の4月5日、天皇と小磯首相の間に見解の対立が生じた。昭和天皇はレイテ以来、硫黄島陥落に至るまで軍事的敗退を繰り返してきた小磯を叱責し、直ちに内閣を更迭した。次いで、天皇は、彼が信頼を寄せていた元従侍長で78歳の退役海軍提督、鈴木貫太郎を新しい政府の首班とすることにした。この時点では、天皇も鈴木も、戦争終結を意図して、何らかの政策の変更をしようとは考えていなかった。沖縄戦で甚大な損害を被り、アメリカ軍の焼夷弾爆撃により60以上の都市をあらかた焼け野原としてしまってから、ようやく昭和天皇は和平の希望を示唆し、戦争終結の方途を模索し始めたのである。
昭和天皇、東京大空襲後の御視察
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」
●『天皇の陰謀』
天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ 著
松崎 元 訳より
第三章
敗戦
(その1)
婦女と狼人間
特殊慰安施設協会とその付属組織は、 「一年一円」衆と称して天皇に仕える工業界人団体によって支援され成長した。この団体は、化学、海運業界の重鎮であり、過去十ヶ月、和平派に属し、木戸内大臣と幾度も会談を重ねてきた、山下太郎によって組織、統率されていた。山下とその賛同者は、二億円、およそ1,400万ドルの基金を集め、天皇に献上した。この贈呈が、その受け入れに木戸内大臣が二日を要したところからみて、何らかの見返りが要求されていたことが伺える(19)。
全文は「ノブのノート」で!!
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