細菌戦の系譜!!

2022-02-03 12:29:58 | Weblog

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

Ⅱ 関連部隊・支部

シンガポールの細菌戦部隊にネズミを輸送

“難民区の華僑を虐殺”

 

大快良明(たいかいよしあき)8604部隊

<経歴>

1917年生まれ

1938年 臨時召集により輜重兵として第14連隊に入隊。第7防疫給水部に編入

1940年 現地召集解除。雇員として中支那派遣軍防疫給水部“原善部隊”に転属

1942年 南方軍岡第9420部隊に編入

1946年6月 帰国

◆この証言は1993年6月~95年までの聞き取りをまとめたもの。

 

私は宇都宮輜重第14連隊にいたので、自動車の運転免許を持っていました。そのためすぐに軍隊で使えると思われたのでしょう。第2補充兵でしたが、すぐに召集されました。8月23日には東京の目黒にあった輜重第1連隊に編入され、私たちと第2師団から東北方面出身の輜重隊特務兵、大阪や四国の善通寺という病院からの衛生兵、そして軍属は東京の軍医学校から7,8名が来ていました。軍属の方たちは専門教育を受けてから来たようです。私たちは品川の荏原小学校に集められ、部隊が編成されました。

 
 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

 

 

 

 

3 華中

石本正夫自筆供述書(1954年8月13日)

1943年2月中旬、私は湖北省宜昌県高家店(39師団233連隊1大隊)に勤務する伝令役の上等兵だった。大隊長牧野毅大尉が私と15名の兵士を連れて本部の裏山約300mの地点に行き、山川軍医中尉に命じて1名の抗日ゲリラ隊員(鄒連山の部下で25歳くらい、体は頑丈で青色の長い中国服を着ていた、何処で誰が捕らえたかは不詳)を解剖させた。

山川軍医は動脈に注射し、メスで腹を10㎝程切り、腸を取り出して「盲腸の手術はこうするんだ」と言った。またメスでのどに穴を開け、「呼吸困難の時にはこういう手術をする」と言いながらゴム管を、苦痛の為低く呻いている愛国者の喉に差し込んだ。大隊長は河村州善男上等兵に命令して、銃剣を胸に突き刺して男を虐殺させた。私はこの間、柳川某副官の命により、20m離れた少し高い所で警戒と監視に当たっており、山川軍医とともに虐殺に参加した。死体は穴に埋めた。

(1)119―2、493、1、第5号

 

*訳注:鄒連山―国民党軍の遊撃隊長と思われるが、詳細は不明。

 

 ●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか

4 日中戦争をめぐる陸軍中央の動向と毒ガス戦

日中戦争の戦略的持久戦から「好機南進」へ傾く中での毒ガス戦

 

 
中国戦線で毒ガスを使う意図は、毒ガス戦教育の中でも現れている。北支那方面軍特種教育隊による1940(昭和15)年12月の毒ガス戦教育で教官は、「化学戦の見地に於ける価値」を「1兵力の減耗を避く/2洞窟壕内の敵/3兵力の節約」と説明している(北支那方面軍特種教育隊「北支那方面軍第2次化学戦幹部集合教育演習記事」内藤裕史『毒ガス戦教育関係資料』)。更に、陸軍習志野学校「支那事変に於ける化学戦例証集」の緒言では、中国戦線では歩兵部隊などに「あか筒」を装備携行されることで「個々の部隊に相当の突破力と自衛戦闘力とを具備せしむ」とし、攻撃要領の中では「化兵に〔毒ガス〕の利用により兵力の弱小を補い突破力を増長す」るとはっきり謳っている(『資料集』資料12)。これらには、日本軍が中国戦線で毒ガスを使う理由がはっきり示されている。
 

 

 

 

第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1

 
 

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

第9章 戦犯の証言

 

「中国帰還者連絡会」

 

 

それによると、1957年9月、これら元「戦犯」たちは、侵略戦争に反対し、日中友好を推し進めることを宗として、自分たち団体―「中国帰還者連絡会」(以下「中帰連」)―を設立した。自らの行動によって日本の侵略行為の罪を明らかにし、若い世代に戦争の教訓を伝え、日中間の平和と友好を促進することを始めたのである。選挙により、会長は暫定欠位、有馬虎雄と宮崎弘を副会長、国有俊太郎を常任委員長兼事務局長、五十嵐基久、小山一郎、三輪敬一、小羽根健二、遠谷之雄、稲葉積、富永正三、泉毅一を常任理事、高橋哲郎と金井貞直を会計検査と決めた。同時に機関紙『前進、前進』を創刊した。

 

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

 

加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 細菌戦の系譜!! | トップ | 細菌戦の系譜!! »

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事