細菌戦の系譜!!

2021-07-27 10:38:33 | Weblog

 ●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

一月六日

夜はペジかかかえ?で満期の話に娘の話に点呼を迎へる  呑気だね  首山の娘から炭坑から遼陽煙台はては武田の家迄  兵隊なんて他愛ないものだな
年賀状は少ない 出さないところから来るのは少々閉口だが こないよりよい
正月も此れで終りだ 又勤務でしばられるんだ   やり切れないな・・・・・


軍都広島での物語

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅵ ひとりの正統的な人間


重藤博士からも、僕は、山脇氏の論文が、学位を勝ち得るに際して出会わなければならなかった困難と、博士の心配について聞いたものだった。この論文の重要な意味合いについて考えれば(論文が発表されるとたちまち反響は激しかったし、博士はこの若い医師の政治的な波はもとより、ジャーナリズムの襲撃から守るために気を使わねばならなかったほどだ)それは異様だが、ともかく当時の血液学会において、この論文は、あまり妥当な評価を受けたとは言えなかった様である。そして、それは直接、原爆が引き起こした奇怪な様々の災厄が、人類の眼に、なかなかその実体の全てを明らかにしなかった事に由来している。

 
 

 唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅱ 関連部隊・支部

 “特移扱”で中国人を731へ送った

憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった

三尾豊

憲兵

〈経歴〉

1913年生まれ

1934年1月~35年12月 歩兵第68連隊

1936年3月~45年8月 憲兵としてチチハル・牡丹江・大連の各憲兵隊に所属

1945年8月 捕虜となりシベリア抑留

1950年6月 中国戦犯管理所移管

1956年8月 起訴免除、釈放後帰国

■この証言は埼玉(浦和)731部隊展(1994年10月)の『報告集』に本人が加筆したもの。

731部隊の状況

 まず最初に、石井が731部隊を創設した当時の状況ですが、1933年に背蔭河という所で実験を始めたわけですが、私はその翌年の34年に、掖河(えきか)という所に侵略しました。牡丹江のすぐそばに掖河という所があります。私がここに侵略しました当時、国境地帯は既に陣地構築が始まっていました。陣地構築、それはソ連に対する要塞ですね、そしてこの一帯は軍の煉瓦造りの永久兵舎が連立するような状態でありました。

 
●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

序言

本書の原著は、1989年に中国の中華書店から出版された『日本帝国主義侵華档案資料選編』第5巻『細菌戦与毒気戦』である。原著は3部から構成されており、第1部は731部隊など旧日本軍細菌戦部隊の実施、部隊が行なった人体実験や細菌作戦について、第2部は日本軍の毒ガス作戦について、そして第3部は主に軍医が捕虜を対象に行なった生体解剖について扱っている、何れも日本人戦犯や中国側告発者の証言、及び関連する公文書を収録している。このうち本書は、「残忍非道な生体解剖」と題された第3部を全訳したものである。引き続き第1部が『人体実験ー731部隊とその周辺』及び『細菌作戦ー旧日本軍細菌戦の実態』として刊行される予定である。

 ●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開

糜爛性ガスの使用実験の指示

4、激烈な毒ガス戦の展開へ
 
華中での糜爛性ガスの大規模使用
 
 一方、第11軍主力が長沙に出撃したのを見た中国軍は、日本軍の守備兵力が手薄になった宜昌方面に対して大規模な反撃を開始したので、宜昌を守備する第13師団(師団長・内山英太郎中将)は包囲されて全滅寸前の危機に陥り、師団長の自決場所まで用意されたが、最後の手段として同師団は毒ガス戦を実施した。10月7日~11日にかけて「きい弾」約1000発・「あか弾」約1500発を射撃した結果、「敵の攻撃企図を挫折したるのみならず密偵報その他の諸情報を総合するに瓦斯の効果は□(「極」か)めて大なりしものの如し」と中国軍に大打撃を与えたと分析している(陸軍習志野学校「支那事変に於ける化学戦例証集」戦例40『資料集』資料12)。
 
 
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

 

重要な実験場

 

 付記・日本陸軍習志野学校跡考察記

 

ここからさらに東に向かうと、すでによくならされた空き地があった。縄を張って範囲が表示されているので工事の場所だと分かる。歴史家として、歴史的意義のある遺跡の消失を残念だと思う気持は勿論ある。しかし、これからこの場所に建物がそびえたって、平和な住民と生活を共にし、そして彼らが悪魔と同じような習志野学校の遺跡と一緒にいることを思うと、又1つの新しい考えがわいてきた。さらに大きな建設計画を持ち、今見たばかりの習志野学校の一切の遺跡を容赦なく消滅させてしまうことを希望する。

 ※過去の負の遺産をきちんと記憶することの方が大事ではないかと思う!!

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


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