●毒ガス戦
『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明 (2004年発行)
Ⅱ 満州事変と毒ガス問題 1931―1936
1 満州事変と催涙ガス使用問題
満州事変開始と陸軍
1931(昭和6)年9月18日、関東軍(司令官・本庄繁中将)は、自らの謀略により南満州鉄道(満鉄)の線路を爆破し、これを中国側の仕業だと言って対外限定戦争を開始し、短期間に中国東北部(いわゆる「満洲」)を占領した(満州事変)。
海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳
第13章 毒ガスは消えず
死の谷踏査記
当時、国連の軍縮会議化学兵器特別委員会では化学兵器禁止条約調印を巡って慌ただしく作業が進められているところだったため、このニュースはすぐさま世界の世論の注目を引き起こした。各国代表は地図を取り出して、「敦化」がどこにあるのか探した。まもなく、中国代表は1992年2月18日に、国連軍縮会議に1つの資料を提出し、次のように指摘した。
1993年1月13日、パリに於いて、130カ国の代表が新しい「化学兵器兵器禁止条約」に署名し、10年後には完全に化学兵器を消滅させることを定めた。この条約の署名のために、各国の代表はすでに24年間にもわたる交渉を行ってきた。その実、1915年にドイツが初めて化学兵器を使用して以来、国際的には化学兵器使用禁止を巡って既に何度も協定が結ばれてきたのだが、多くの国にとっては、拘束力を持たないものだったのである。78年後のこの新しい条約は化学兵器の禁止及び焼却について厳格な規定を加えるもので、特に「締結国は他の締結国の領土に遺棄した化学兵器を焼却しなければならない」と強調している。これが第2次世界大戦中大量に化学兵器を使用した日本とドイツを指して言っているのは明らかである。
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く
加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用
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