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南京大虐殺=国家犯罪!!

2017-02-11 09:39:51 | Weblog
三原じゅん子は過去の日本が「八紘一宇」のスローガンのもとに行った残虐行為の数々を認識しているのだろうか??
まずは、安倍と中国各地を巡ったらいいと思う!!
【国会】三原じゅん子『【八紘一宇】を語る? 2016年年3月16日 



地底からの叫び声が聞こえませんか??
731勿忘
731遺跡は日本軍国主義が細菌戦を行ったことの証しであり、
また、日本軍国主義がその犯罪行為の証拠を隠滅しようとしたことの証しでもある。
ー金成民(侵華日軍第731部隊罪証陳列館館長)

侵華日軍第731部隊本部遺跡CG復元映像 

常徳細菌戦


なぜ日本人は、アメリカに原爆投下の責任を問わないのか??


核兵器禁止条約制定目指す決議案 日本は反対 批判の声も



こんなことまで起こっている!!
外務省は、安倍内閣の顔色を窺ったのか、政府からの指示があったのか、中国人細菌戦被害者遺族のビザを発給しなかった!!
これからも、アジアの戦争被害者や遺族の入国を拒否するかもしれない!!

当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者なぜいない?


ビザ発給拒否・集会妨害裁判について 
次回の裁判は、3月2日(木)午後2時~東京地裁、傍聴よろしくお願いします。




莫大な防衛費を使って、化学学校、衛生学校ではどんなことが行われているのであろうか?
米軍と共同でCBR兵器の開発を密かに行なってはいないのか?防御のためと言いつつ、裏で何を行っているのだろうか。明らかにしたい!!
〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器=細菌兵器等)、R(放射能兵器=核兵器)〕

12月21日(水)『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の公開を求める裁判が東京地裁522号法廷でありました。
最初は、情報公開法でその2点を開示請求していたのですが、保有していないことを理由に、行政文書不開示を防衛省は決定しました。それに対し、原告は、行政不服審査法に基づき異議申し立てをしました。その審議会が、防衛省の意向に沿って、不開示は正当であるとの結論を出すまでに、4年も年月をかけているのです。全く何もやっていなかったのではと思ってしまいます。防衛省と審査会とのやり取りはどんなことがあったのか、4年間の経過をきちんと説明してくださいと、弁護士は切実に訴えました。また原告は、いまだに、細菌戦被害・毒ガス被害で悩む中国の被害者のためにも、きちんと公開すべきだと陳述しました。
化学学校記事の第12号には、杉田論文「自衛隊員が語る旧軍技術研究」として次のような細菌戦に関する記述があります。
「-日本は1931年(昭和6年)満州に細菌戦遂行のため〈731〉部隊を編成した。研究所、部隊は逐次整備され1935年(昭和10年)には、ねずみ2000匹を使用してノミを飼育し、ペスト菌の培養量だけでも毎日10㎏に及んだ。
1938年 華中戦線 細菌大量使用
1939年 ノモンハン 細菌大量使用
1940年 重慶爆撃 ペスト菌、コレラ菌使用
1941年 湖南省 細菌作戦
1943年 華中、華北 細菌作戦
その戦績は、衛生部隊としてかつてない大きな成果をあげたとして感謝状36回授与にみられる」

今、現在の研究では、細菌戦を始めたとされるのは1939年のノモンハン事件の時です。この論文が確かだと、ノモンハン事件の前に細菌戦が38年に華中で行われていたこと、また、重慶でも細菌戦が実施されていたこと、1942年の浙贛作戦以降の43年にも細菌戦が行われていることになります。

今、まさに、この『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』『衛生学校記事』そして『731部隊関連資料』の全面公開を実現させ、細菌戦・化学戦の戦中・戦後の実態を解明し、今の日本の現状でいいのかを考える時に来ています。
米軍と共同で自衛隊はCBR兵器の開発を密かに行なってはいないのか?非核3原則を唱えながら、防御のためと言いつつ、裏で何を行っているのだろうか。防衛省はきちんと国民に説明する義務があります!!
憲法9条はないがしろにされ、軍事研究がどんどんとスピードアップされている現状を打破しなければと強く思います!!

次回「衛生学校記事情報公開裁判」は、2月28日(火)午後 2時~東京地裁419号法廷 傍聴よろしくお願いします!!
次回「化学学校記事情報公開裁判」は、3月 1日(水)午前11時~東京地裁522号法廷 傍聴よろしくお願いします!!




・中国外務省の陸慷報道局長は7日の記者会見で、南京大虐殺記念館のほか、満州事変の発端となった柳条湖事件を記念した博物館や731部隊跡地を挙げ、「日本が深刻に反省し本当に謝罪したいなら、中国には多くの弔うべき場所がある」と述べた。 
中国にも「弔う場所ある」=安倍首相の真珠湾訪問

「米国が真珠湾を忘れられないように中国も南京大虐殺を忘れることができない」

安倍総理の真珠湾訪問に対し 中国外務省が牽制

「今の日本にもう黙っていられない!」マレーシア 


アジアフォーラム 





●南京大虐殺
・南京大虐殺から80年、今年の12月13日は、80年前の日中戦争で南京が陥落した日だ。そして、虐殺が始まる。(もちろん、南京に至る過程でも、残虐行為を繰り返していた!)

24、虐殺数
・虐殺数5
スマイス調査
南京安全区国際委員会秘書で金陵大学社会学部教授のルイス・S・C・スマイスは、南京占領後の1938年3月から4月にかけて、南京市部と農村部の戦争被害調査を実施し、南京城区の一般市民の不法殺害は3250人、拉致されて殺害された可能性の大きい者4200人を算出、さらに城内と城壁周辺の入念な埋葬資料調査から1万2000人の民間人が殺害されたとしている。近郊区では4県半の県城を除いた農村における被虐殺者数は2万6870人と算出している。この調査は、1938年3月の段階で自分の家に戻った家族を市部で50軒に1軒、農村で10軒に1軒の割合でサンプリング調査したものであるから、犠牲の大きかった全滅家族や離散家族は抜けている。それでも、同調査は当時行われた唯一の被害調査であり、犠牲者は間違いなくこれ以上であったこと、および民間人の犠牲は城区よりも近郊農村の方が多かったという判断材料になる。
・虐殺数6
数千~2万
偕行社編『南京戦史』では「不法殺害とはいえぬが」「捕虜、敗残兵、便衣兵のうち中国人兵士約1万6千、民間人死者15,760人と推定した。編集委員は畝本正己、原剛(防衛研究所調査員)、板倉由明など。
【『南京大虐殺否定論 13のウソ』より】以下引用
『偕行』編集部は、事実を明かにするという立場で、否定だけでなく肯定の証言をあえて掲載するという立場を取った。そして連載の最後に、編集部の責任(加登川幸太郎執筆)で、「その総括的観察」という文章を載せた。そこでは、遺憾ながら日本軍はシロではなくクロであった、不法殺害の犠牲者は3000から1万3000という説があるけれど、たとえ3000でも途方もない数である、として「旧日本軍につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった」と謝罪した。『偕行』編集部がこのような態度をとったことで、全面否定論は完全に崩壊したのである。
・虐殺数7
「虐殺」否定説
虐殺否定派は、日本軍は戦時国際法に違反した殺害をしておらず、安全区の外国人の記録も公正さに疑問あり、などととして、30万人の市民の虐殺はなかったと主張している。主な主張者は、新しい歴史教科書をつくる会・日本「南京」学会・南京事件の真実を検証する会のほか、田中正明 (元拓殖大学講師)、東中野修道(亜細亜大学教授)、冨澤繁信(日本「南京」学会理事)、阿羅健一(近現代史研究家)、勝岡寛次(明星大学戦後教育史研究センター)、渡部昇一(上智大学名誉教授)、中川八洋(筑波大学名誉教授)、杉山徹宗(明海大学名誉教授)、早坂隆(ノンフィクション作家)など。


外務省は、持っている情報をきちんと開示せよ!!
ある書物には、こう書いてあるが、この真偽はいかがなものか?
「1938年の1月17日に、廣田弘毅外務大臣は東京からワシントンDCの連絡員に次のような電文を転送したが、それをアメリカの情報機関が傍受し、暗号を解読してから、1938年2月1日に英語に翻訳した。

数日前に上海に戻ってから、私は南京やその他の地区で日本軍によって行われていると報告されている虐殺行為を調査した。信頼できる目撃者の口頭の説明と、信頼性について疑念の余地のない人たちの手紙により、日本軍がフン族のアッチラを思わせるような態度で振舞ってきて、現在もそういう風に振舞っているという確証を得ることができる。30万人を下ることがない中国の民間人が殺戮された。そのほとんどは血も凍るようなことだ。」


南京の情報を遮断するために、海軍はパナイ号は故意に撃沈した?

「そこで電報を(漢口にいる蒋に)打ち、同時に東京へ一通送る必要があった。電文が起草され、ベイツと僕とでそれを携えて“パナイ”号へ行ったのだが、・・・・・・その翌日“パナイ”号はさらに上流へと出発し・・・時ならぬ終着駅でもある処へと向かった。あらゆる通信がかくして切断され、僕らはそれ以上停戦を促す何事もなしえなかった。(ミルス:「夫人への手紙」より)

パナイ号撃沈 


安倍首相は、なぜ中国へ行って謝罪しない??パールハーバーよりも先ではないか!!

当時、南京にいたアメリカ人牧師マギーがとらえた南京虐殺
フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」


マギーフィルム(日本語訳付き) 



フォースター(Ernest H. Forster)は1895年にフィラデルフィアで生まれ、1917年にプリンストン大学を卒業した。バルティモア聖ボーロ小学校で校長の助手を2年務めた後、聖公会の宣教師[Episcopal missionary]として中国へ行き、揚州の馬関学校で教えた。1936年に名高い弁護士タウンゼントゥ(Irving U. Townsend)の令嬢クラリッサとボストンで結婚した。フォースター夫妻は一緒に中国へ戻り、揚州に駐在した。南京が陥落する1ヶ月前に、2人は揚州から南京へ移り住み、聖公会の聖ボーロ礼拝堂に仕えた。1937年11月末にクラリッサは南京から漢口へ撤退し、1938年1月中旬に香港を経て上海に着いた。フォースターはもう1人の聖公会の牧師マギーと、南京に留まり大虐殺の全歳月を過ごした。
フォースター夫妻のイェール神学校に保存されてきた文献の中の手紙やレポートや写真が、南京大虐殺の全般的で目に見えるような記録となっている。



夫人への手紙
(1937年11月23日~1938年2月13日)※
ここからがフォースター氏の書簡の抄録で、その後の南京に関わる消息が記載されている

12月3日、金曜日

大使館が最後の警告を発して、アメリカ人に南京を出るよう要求し、(1)自分で撤収する、(2)アメリカの「パナイ」号に乗って撤収する、(3)城内に留まる、の3つの道から1つを、僕らに選択させると言う。マギーと僕とは最後の道を選んだ。中立区の計画が順調に実施できるように、できるだけ多くの外国籍の人たちが協力すべきであって、それが僕ら働き人や信徒たちに与えられている唯一の道だと、僕らは思うんだ。それに、僕らが留まるという決定は、看護婦や衛生員たちの職務に忠誠を尽くす励みにもなる。僕ら気持ちを翻(ひるがえ)してはいられないんで、こういう危急存亡の関頭にあっても、少なからざる人々が援助の手を差し伸べるのに、僕らの存在が助けとなっている。バクストンさんからたった今電話があり、アルスィアにスティーヴにレスリーが11月28日に上海に着いたそうで、ほんとに喜ばしい。







しゃべってから死ぬ!南京大虐殺



南京大虐殺:侵華日軍南京大 南京電影制片庁 21分 




昭和天皇・皇族はすべてを知っていた!!
ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より

第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第9章 聖戦

日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台がこの時期に築かれた。・・・・・
1929年には、枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約(1929年調印の「捕虜の処遇に関する条約」)の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎて実行できないという。陸海軍大臣と外務大臣の主張を容れたのである。・・・p171
・・・・・・・・

(日中戦争)『昭和天皇』「上」(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫より)
序章

皇位と天皇自身をこれらの脅威から守るため、彼は過去20年間に日本国家の主権者として行った行為を弁明しておく必要があった。その弁明は、あるいは認めないで済むかもしれないが、逃げることはできない非難から、身を守ることになるはずだった。またそれは秘密でなければならなかった。その自己弁護は、戦争と敗戦の責任を必然的に彼の忠臣たちに負わせることになるからである。当時それが漏れたりすれば、ただでさえ弱まっている天皇と日本国民との精神的絆は失われ、ダグラス・マッカーサーにとっての天皇の効用もなくなってしまうだろう。




軍と政府が一体となって実施した慰安婦制度!!
(勿論、警察も見て見ぬふりをした!!)

※南京事件の悪評に苦慮した日本軍上層部は、杉山元陸相、梅津美治郎(よしじろう)中将、今村均(ひとし)中将らを中心に1938年3月4日、日本軍のいる所に「慰安所」の設置を決め、通達した。しかし、日本内地の娼婦だけでは到底間に合わず、ついには朝鮮半島の若い女性たちが生贄(いけにえ)にされた。その発端は、「朝鮮の若い女性は性病がなく、危険が少ない」という麻生軍医の上申書であった。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)



お粗末な日本政府の情報公開 








※南京大虐殺があったことは国民に知らせず(これも国家機密であったのか?)、陥落を喜ぶニュース映像!
南京陥落 東京の風景



※しかし、溥儀が恐れるほど関東軍が強くないことを証明したのが、1938年の張鼓峰(ちょうこほう)事件と1939年のノモンハン事件である。いずれもソ連との国境紛争で、関東軍は惨敗した。両事件ともソ連軍の戦車・航空機・大砲・兵員が、質量とも圧倒的に勝っていた。日本軍は2度の敗戦をひた隠しに隠した。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)

※日本は、ノモンハンの敗北を封印することに腐心する。帰還した将兵には緘口(かんこう)令を敷き、戦闘に参加した将校を自決させ、作戦を立案した参謀を更迭した。


 
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