核・戦争のない世界!!

2024-07-12 09:18:22 | Weblog
 
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
                             1995年8月15日

敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

 

南京大虐殺 
 
南京大虐殺(マギーフィルム) パネー号撃沈



        
 重慶爆撃               






原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)

  



 原爆    

 
広島に原爆投下された理由は?
広島の原爆被害
広島市の原爆による被害状況は以下のとおりです。
死者 約140,000人
重軽傷者 79,130人
人口に対する被災者比 約63%
出典:ながさきの平和*11)
当時広島に住んでいた人は36万人いましたが、実に4割弱の人が原爆で亡くなり、死者・重軽傷者を合わせると6割もの人が原爆の被害にあった計算になります。
たった1発の爆弾で都市が壊滅的打撃を受けました。このとき、核分裂反応を起こしたプルトニウムは使用量の約16%でした。*9)
 

 
 
<iframe style="height: 100%; left: 0px; overflow: hidden; position: absolute; top: 0px; width: 100%;" title="Dailymotion Video Player" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x90ctf6" width="100%" height="100%" frameborder="0" allowfullscreen=""> </iframe>
 
 
 

原爆が使用されたのはなぜ?

<iframe style="height: 100%; left: 0px; overflow: hidden; position: absolute; top: 0px; width: 100%;" title="Dailymotion Video Player" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x9017m2" width="100%" height="100%" frameborder="0" allowfullscreen=""> </iframe>
 
 
日航123便の怪(1985年8月12日)
 
     
 
●東京帝国大学伝染病研究所
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
 ●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか? 精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
 ・実験医学雑報20巻 第7号(1936年) 本所職制改正 この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。 *特別研究室とは何だ??
・中込亘は、731部隊で細菌に感染して死んだのだろうか?
 
雑報6号(23巻、1939年)
伝染病研究所創立41周年記念日に当り医学界を展望して所感を述ぶ
                     宮川米次
 
(チ) ウィルス病としての白血病
 人工的に哺乳獣も実験的に白血病を喚起させる事が出来た。Lignaeは大黒鼠にBenzol, Indol,Skatol の反復注射により、Bernard は大黒鼠に石炭タールにより、Storti は白鼠に、Gaetani,LanzaはマウスにBenzpyren を用いて腫瘍発生と共に白血病と見なすべきものを喚起させることが出来た。健体に移植が出来血管内注射によって、白血病を起こし、皮下注射によって腫瘍が形成せられるという興味ある所見を報告している。この種の事実が何程人体のそれを解説するに利用し得られるかは、容易に付言することは出来ないが、人体に見る慢性骨髄性のものと、急性淋巴球性のそれとが、完全同一のものなりや否やは疑いの存するところであって、急性のそれを見る時は如何にも、何かウィルスの如きものによって、喚起せられている疾病ではないかとの感を深くするものである。
 
 
 
 
 
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 吉田裕監修  
2001年ピュリッツァー賞受賞 
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。
 
好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
 戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!   
 
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年  
 
第7章 満州事変
 
当時の証言は、翌日、天皇がひどく気分を害していたことを伝えている。2月11日、〔前年〕新たに着任したジョゼフ・C・グルー・アメリカ大使は、宮中午餐会で昭和天皇に会っているが、「天皇は非常に神経質になっており、いつもより顔が引き攣(つ)っていた」とその日のことを記している。午後、斎藤首相は、もし熱河侵攻を実施すれば日本は連盟から除名されるかもしれないと参内して天皇に奏上した。斎藤首相は熱河作戦を止めようとしていたが、「既に軍部は御裁可を得居るとて主張強く」、作戦を止めることができなかった。
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




























 

































































































































コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 核・戦争のない世界!! | トップ | 核・戦争のない世界!! »

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事