日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
『細菌戦部隊』
731研究会編
序ー 731部隊がいかにして作られ、またいかにして歴史の闇に葬られたのか?
石井は母校京都大学の恩師木村廉(れん)、清野謙次などのルートを使い、また、各地の医科大学を勧誘して回り、思うがままの実験と豊富な研究費を条件に、助教授クラスの気鋭の医学者を確保していく。研究者の専攻テーマが尊重され、“医学報国”の大義名分のもとに、歯止めのない研究意欲と弱者に対するエリート意識とから、さらに相互批判の欠如と密室性が相まって、とめどなく人体実験が繰り返されていった。野外の特設実験場での実験を含めて被害の数は、毎年少なくとも約600名にのぼった(ハバロフスク軍事裁判での川島清の証言)とも、1939年以降終戦までに約3000名にのぼった(写真班員・徳留証言)とも言われている。
日本軍政下香港(1997.7.27)
事実、この略歴は、部隊の正式発足が1936年で、その後再編強化され敗戦時には支部も含め約2300名の隊員がいた事だけを明らかにしたものであり、人体実験については、全く言及されていない。それ故、書評者は次のように書いている。
多くの日本人は自分たちの戦争を泥酔状態、つまり、最悪の逸脱行為は翌朝には許され忘れられる状態とみなしている。健忘症を促進させるという日本の公式態度は、東アジアの国々を激怒させたが、その態度は日本における反戦精神の弱体化や軍事支出の拡大と軌を一にしている。しかし、歴史学を書き直す努力は、実際、数年前に始まった。ー家永三郎が歴史教科書の一部を書き直させる圧力に反対して起こした教科書をめぐる訴訟は、1960年代にさかのぼる(Ibid.,p165)。
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