細菌戦の系譜!!

2021-01-29 11:27:55 | Weblog

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

四月七日

 

丁度中隊の惨敗を憐れむかの如き 実に涙が出る様な吹雪だ ゴルフ山の中腹に来た時分であった突如でもないが東北から流れて来た一塊の雪が頭の上に来たと思うと恐ろしい。風と共に花泣かせの雪が五尺三寸八分の体と一七貫の体が四十度ぐらい横に吹き飛ばされて 其の冷たさというより痛さのほうが百倍。中隊に帰るまでには雪だるまのごとく 泣き出して帰った。

 

 

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 


 

 

 
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅲ モラリストの広島

 しかし、それにしても、彼の新薬趣味は度を越えていた。老婦人の観察によれば、老医師は、新薬の諸々の成分が胃の中で新たに分解合成しあった挙句に発生した猛烈な毒に、内臓をドロドロに溶かされて死んでしまった。今、やはり被爆者の老婦人は、健康がすぐれないが、断固として新薬を拒否し、毎月5千円の漢方薬を飲んで、悪漢赤い血を批判し続けているのである。市内の病院が原爆症の治療に漢方薬を採用してはいないので、彼女の被爆者手帳ををもってしても、国の補助に頼ることはできない。

 

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

小笠原 明(おがさわら あきら)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1928年生まれ。

1943年4月 731部隊少年隊に入隊

1944年4月 第2部(実験部)第2課田中班に配属。ペスト菌などを宿らせ伝染させるためのノミ増殖に従事。

1945年8月 日本への撤退途中で中国人民解放軍に入隊、4年間従軍

1949年 帰国。

■この証言は石川(金沢)731部隊展(1993年11月)、栃木(宇都宮)同展(94年9月)、沖縄(那覇)同展(94年1月)、広島同展(94年3月)の『報告集』よりまとめたもの

 

 死体焼却

 

それを裏付けるように、人体の焼却炉が私達田中班と本部の研究室の前にあって、その焼却炉から毎日毎日黒い煙が出ておりました。田中班のペスト攻撃による、死体がどんどん焼かれていったんだなあと、その時はっきりと自分で判断することが出来ました。

 

 

 

 

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

 

六 第731部隊の各支隊

中国協和医学院教授    張学徳

中央衛生研究院副研究員  方剛

1956年5月28日   撫順にて

(1)119-2、8、1、第17号

 

 1945年8月11日、大熊が4名の日本兵を率いて、飼育中の動物を焼き捨て、各種文書や書籍も全てボイラーで燃やした。

 このほか、2645部隊(民衆は東倉庫と呼んでいた)の建設が、偽康徳6年に開始され、8年に完成した。総責任者は不詳であるが、実験室責任者は中村(少尉)で、部下が5人いた。鼠飼育班長は「サガイ」という名で、部下が7人いた。製薬室及び実験室として15部屋が使われ、鼠飼育室は10部屋あった。培養していた種類としては、「蘇雀」50羽余り、白鼠、赤鼠、灰鼠などが約200匹、兎40匹余り、「江猪」50匹ほどがいた。毎週1回の順番に血を採った。更に3000名以上の労働者からも血を採った(身体検査のための採決だという名目で)。

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第3章

2 国内民間人の防毒訓練

 毒ガスに対して無防護状態の日本

 

これらの実験が示すように、日本の家屋は毒ガスが室内に侵入しやすく、空襲時には防空壕の替わりにもなる地下鉄構内も安全ではなかった。また、一般の防空壕では気密性が低い為にガスマスクの着用が求めれらているが、前述したように全国民に行き渡るだけのマスクを交付することは到底不可能だったし、糜爛性ガスを防護する防護服(全身をすっぽり覆うゴム引きの防毒衣)も不足していた。

 



 



 

 

 

 


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