細菌戦の系譜!!

2022-01-23 08:29:56 | Weblog

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

 

Ⅱ 関連部隊・支部

香港難民の大量虐殺

ゲルトネル菌を飲用湯に投入して・・・・

 

丸山茂

8604部隊

 

(経歴)

1917年生まれ

1938年 朝鮮・龍山の歩兵79連隊に教育召集

1939年 南支那派遣軍防疫給水部(波第8604部隊)に転属。細菌検索班に所属

1943年3月 除隊。帰国

1945年 再召集

1945年8月 朝鮮で除隊

1945年10月 帰国

■この証言は731研究会の学習会での発言(1993年11月)、『短歌草原』(1992年8・9・10月号)所収「いかなる美名でも戦争への道は悪だ」よりまとめられたもの。

 

戦後
戦後いくらか落ち着いた頃、人づてに福岡県庁の帰還者名簿を調べてもらいましたが、Mは未帰還でした。10年ほど前に福岡を訪れる機会があり、赤間市や同出張所を訪れて、Mの帰還を調べましたが、やはり未帰還でした。
 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

 

 

 

 

Ⅰ東北

 

2 華北

5  内蒙古

安達千代吉自筆供述書(1955年)

 まもなく7,8人の銃剣を持った兵士が一群の抗日軍戦士を取り囲んで、後ろから銃剣を突き付けて「早く歩け、早く」と叫んで、追い立てながら山を登ってきた。近づいてくるにつれ、「ガラ、ガラ」という異様な音が耳に入った。見れば、抗日軍戦士の両足には太い足枷が付けられており、既に素足は擦り切れて血と肉の区別がつかなかった。

 
 

 

 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか

4 日中戦争をめぐる陸軍中央の動向と毒ガス戦

不拡大方針を放棄した大規模作戦の実施と毒ガス戦

 このように、1938年4月11日にくしゃみ性・嘔吐性ガスの使用を許可する参謀総長指示(「大陸指第110号」)が出されてから、不拡大方針を覆して実施した徐州会戦での初使用を経て、大規模に使用された武漢攻略作戦が終了する11月までは、くしゃみ性・嘔吐性ガスの使用が始まり、積極的侵攻作戦期で有力な兵器として広範に使用されるようになった時期【第2期】である。

 

 

 

 

第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1

 
 

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

第8章 無辜の被害者

山西沁水県西山の毒ガス殺人

午後、日本軍は家屋に火を放った。見る間に、濃い煙がもくもくと立ち昇った。毒に当たり、傷を負い、それでもまだ息のあった人々が、火炎の中にうめき、もがき、生きながらに焼き殺されていく。火は数時間燃え続け、数十棟の家屋がすべて灰燼に帰した時、漸く日本軍は引き上げていった。

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

 

加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

 

 

 


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