細菌戦の系譜!!

2018-04-17 08:20:41 | Weblog
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●731部隊の実態
●『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」
●自衛隊と日航機墜落事故の関係は??
●サリン事件と自衛隊の関係は??
●不二越強制連行問題!!
●「福島の今」
●結核予防接種と人体実験
●731部隊(2)
●731部隊(3)

中国・北朝鮮脅威論を超えて 2018.3.28 緊急市民集会
731部隊の構成全容明らかに!!
731部隊将校の学位の取消しを!!

731部隊の構成全容明らかに 国立公文書館が名簿開示
4/14(土) 22:31配信 京都新聞


約3000人の隊員実名が記載された関東軍防疫給水部(731部隊)の留守名簿。国立公文書館が公開した


ペストを投与した人体実験の疑いがある論文の検証を要請している「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」(京都市中京区)が14日、京都大で記者会見し、国立公文書館から関東軍防疫給水部・731部隊「留守名簿」の開示を受けたと発表した。
軍医や技師、看護婦など役種と階級、留守宅を記載したもので、3607人が実名で記されていた。研究者は「731部隊構成の全容が分かる第1級の資料。政府が詳細な公文書を保管していたことが戦後70年以上たって初めて明らかにできた」と話している。
今年1月に公開されたのは、敗戦約半年前に作成された名簿。2016年に開示請求した際は「親族や戦犯とその親族を特定する情報」だとしてほぼ黒塗りの部分開示だったが、引き続き開示を求めていた。同会事務局長の西山勝夫滋賀医科大名誉教授が分析したところ、軍医52人、技師49人、雇員1275人、衛生兵1117人など731部隊の構成が判明。戦後に京都大医学部長を務めた故岡本耕造教授(戦前は講師)は「技師4等」の処遇だった。
また同会では、京都大文書館から、戦後に京都府立医大学長を務めた故吉村寿人・京大医学部講師ら京大医学部の講師クラスの研究者6人が731部隊派遣を発令された日時や旧陸軍での階級を特定できる文書「学報」(1938年・京大庶務課作成)も発掘した。同会は今月、京大に対し、731部隊所属者に関係する文書の開示請求を行っている。
14日は同会主催の講演会「研究者が戦争に協力する時 731部隊の生体実験をめぐって」があり、約150人が参加。常石敬一・神奈川大名誉教授が京大出身の731部隊軍医少佐が博士論文として提出したペスト菌特殊実験について講演し、「ペストに感染させたノミが石井部隊の主要な生物兵器だった。人体実験した論文を得難い実験として評価したのは京大に問題がある」と指摘した。

●情報公開!! 特定秘密保護法撤廃!!
731部隊関連資料の情報公開裁判
・裁判は『衛生学校記事』『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の情報公開を求めている。『衛生学校記事』は2013年11月に提訴して4年、第16回公判が昨年の12月21日に開かれた。14年9月に防衛医科大図書室から28冊発見・公開されて以降進展はない。『記事』が発行元の衛生学校に1冊も無いとは納得いかない。
『化学学校記事』は2016年9月に提訴、第6回公判が18年1月17日に開かれた。職員延べ98973名で調査したが1冊も保管されていないと主張している。
防衛省の「海上自衛隊たちかぜ」いじめ問題文書、「PKO日報」そして現政権による「森友、加計学園」等の防衛省、政府の文書資料隠蔽体質を追究する形で行って来た。そして今又、1年以上の隠蔽事実が明らかになった「イラク日報」、これらの状況を知ると「アメリカから返還された731部隊資料」は必ずあるはず!民主主義の基本である全ての情報公開実現を目指す。(『ABC企画NEWS113号』より)
・戦時中、支那派遣軍作戦主任参謀であった、井本熊男の『業務日誌』も、防衛省は、井本氏個人のプライバシーに関わるとして、公開を拒否している。この日誌は、井本本人も『業務日誌』としているように、個人的な日記ではなく、作戦主任参謀としての業務を記録したものであり、公文書の範疇に含まれる。これも公開してもらいたい。

“日報”1年分以上新たに発見 小野寺防衛相「不適切な対応」

命がけの活動の記録、「日報」の廃棄などあり得ない

・次回情報公開裁判(「化学学校記事」)第6回 2018年4月18日(水)11:30~東京地裁522号法廷
・今、憲法9条の第2項:「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。)が大きな問題になっている。
自衛隊の化学学校が、防護を前面に出して、毒ガス兵器の開発。研究をしているのではないかと考えてしまいます。
自衛隊の化学学校で、発行されていた『化学学校記事』ついて、防衛省は、いつまで発行していたのかが分からないという。全くおかしな話だ。作っている防衛省が、いつまで作っていたのか、分らないというのだ。
国民の税金をつぎ込んで作った化学学校の中で行われている研究がどんなものなのか、国民には、全く分からないのである。
最近、テレビなどでテロ対策として毒物の処理をする防毒マスクを付けた自衛隊員の光景を見るが、新たな毒物・毒ガスの研究は進められていないのだろうか?

1957年・・・化学学校創立
1959年12月・・・『化学学校記事』創刊。
1964年・・・サリンの製造に成功
1968年・・・『化学学校史』の中に、この年まで『化学学校記事』の記載があり、その後は確認できないと防衛省は、言っている。
1970年・・・『化学学校記事16号』が発行されている。
1977年・・・化学学校『20年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。
1994年6月27日・・・松本サリン事件(この時に自衛隊は使われた毒物がサリンであることをいち早くつかんでいた、)
1995年・・・この年は、戦後50年で、革新勢力が政権(1994年6月30日~1995年8月8日)を取っていたが、自衛隊を容認するのか決断を迫られていた。 村山首相は、自衛隊の合憲、日の丸・君が代の容認した。3月20日、地下鉄サリン事件発生、その前から警察・自衛隊はオウム真理教でサリンを製造していることは分かっていた。オウムの信者の中に多数の自衛隊員がいた。化学学校の情報が洩れてはいなかったのか。解毒の仕方を教えろと直接化学学校に電話があった?事件発生後の、素早い化学学校の対応。オウムが事件を起こすことを知っていた?化学学校の知名度、自衛隊の評価が上がる。日本の国会で「化学兵器禁止条約」批准可決・決定。

1997年・・・4月29日「化学兵器禁止条約」発効。2017年現在加盟国192か国。化学学校『40年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。

1999年・・・7月30日、北京にて日本政府と中国政府による共通認識8項目を記載した「日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」が取り交わされた。
だが、遺棄弾処理は遅々として進まず、「化学兵器禁止条約」で規定された「10年以内の廃棄処理」(2007年)は実行できず、5年延長、さらに10年延長を申請し、2022年までにハルバ嶺30~40万を含む各地の遺棄化学兵器は処理しなければならない。
現在、遺棄化学兵器が発見・確認され保管されている地域は51カ所、OPCW(化学兵器禁止機関)に日本政府が申告した中国遺棄化学兵器総数は約56,149発である(ハルバ嶺の推定30~40万発は含まず)。 

ABC企画委員会ホームページ、中国の遺棄毒ガス問題の項

※日本はかつて自衛のための戦争と言って、中国で大量の毒ガス兵器を使用した。そして、その事については、731部隊と同じく公式にきちんと謝罪していない。
そして、又、防護のためと称して毒ガス製造をしている。(化学兵器禁止条約に批准後も)

※1959年の『化学学校記事』の創刊号には次のような文言がある。
「今次大戦を境にあらゆる科学進歩には目覚ましいものがあり、今後益々躍進すると思いますが我々はこの機運に遅れないようあるいは先達としてCBR防護訓練に万全の努力を致す覚悟であります。その努力の一端として又化学学校創立2周年記念の意義を含めて、この度化学学校記事の発刊を計画した次第であります。」

オウム真理教のサリン合成に自衛隊の情報が洩れていなかったのか?信者に自衛隊員が多数いた。
また、サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。サリン製造と自衛隊の関係をきちんと調べていない!!
松本教祖ら死刑囚13人 死刑執行焦点に
地下鉄サリン事件から23年、真相を語らなかった松本死刑囚 森達也氏「麻原裁判は、やり直されるべき」

●サリン事件と自衛隊の関係は??



長春にあった軍馬防疫廠100部隊で人体実験をした獣医たちの戦後の流れはどうなっているのだろうか?まさか加計学園に流れている??

・「衛生学校記事」情報公開裁判
裁判長も被告防衛省側の期間・人員を多く使って調査した概括的な報告書の具体的な説明を求めたが、防衛省側は具体的な説明はしなかった。
また、「衛生学校記事」の後継である「ふかみどり」の編集に携わった人に、いろいろと問い質したら、いろいろな事も分かるだろうと原告側は主張し、被告側も応じる姿勢を見せた。次回は、4月24日(火)15:00~東京地裁419号法廷。
防衛省内の機関で正式に予算を取って、作られていた機関誌を、簡単に行政文書でないからと言って、廃棄していいものだろうか??
防衛省は言う、「確かに,発刊当時の昭和32年当時においては最新ともいえる医学領域等を中心とした学術情報も掲載されていた可能性はあり得る。しかしながら,学術・科学が日進月歩する中にあって、半世紀前に発刊された機関誌をなお、組織として保秘しておくべき要請は全くなく」と。
然し、国民の税金で作ったれっきとした機関誌であり、公文書である。どんな研究をしてきたかを書いた大事な機関紙である!!
自衛隊の研究成果は、国民にもきちんと知らせるべきである。

防衛省は強いて言えば「衛生学校記事」「化学学校記事」を図書であると言いながら、行政文書として扱って捜し、図書館・図書室などをきちんと探していないようだ。自衛隊の機関の研究内容は、より透明性が必要だ!!また、衛生学校長であった金原節三氏の遺族から寄贈された資料に関して、衛生学校や防衛研究所図書館への資料の移管に関する記録も存在しないと公然と主張する!!寄贈されたものを、こんな杜撰な管理の仕方でいいのだろうか??機関誌を情報公開法の行政文書として扱うのではなく、歴史的に価値ある公文書として扱い、国民に公開してもらいたい。

30年経過したらきちんと情報を公開してください!!
米国は、放送局の電波停止権限を規定する放送法など「メディアに対する規制枠組みを懸念」しているとして、政府から独立した監督機関の設立を提言。
日本の「報道の自由」に懸念=5年ぶり審査で国連人権理

公文書の在り方


自民党が、憲法に「自衛隊」を明記すると言っているが、その自衛隊で今何が行われているのだろうか??
北朝鮮に経済的・軍事的圧力を日米軍事同盟の枠の中でアメリカと一緒にやれば、日本は、北の標的になるのではないか?

日米軍事同盟の中でどんな協力・研究開発が進められているのか、国民には全く説明がない!!すべて機密??
今回の空自のヘリの事故原因やF4戦闘機の事故の説明はきちんと公表されるのであろうか??
自衛隊の中にも、緩みやあるのではないか??ヘリに何があったのか、防衛省は果して原因を公表するであろうか??
憲法9条では、「戦力の不保持」と謳いながら、現実には、9条をないがしろにして、着々と強力な兵器を開発、保持しているのではないか??

『衛生学校記事』情報公開裁判


森友・加計問題と同じように問題となる証拠は全て廃棄したことにする??


国民が知りたいことは、今の防衛省の機関で、どんな研究がされているかという事なのだ!!防衛省・自衛隊でやっていることは全くの秘密では、シビアリアンコントロールなで出来やしない!!
防御の為と言って、生物兵器・毒ガス兵器・核兵器の開発がされているのではないかという疑念にしっかりと防衛省は答えてもらいたい!!
時間をいたずらに伸ばすことなく、防衛省にはしっかりとした説明責任が求められている!!


海底700mから自衛隊機を引き上げられるのだから、日航機も引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落

自衛隊と日航機墜落事故の関係は??

加計問題!!証拠を隠すな!!

サリン事件と自衛隊の関係は??

陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年



●中国人細菌戦被害者ビザ発給拒否裁判
内閣人事局撤廃!!忖度政治は、やめてくれ!!
3月9日(金)10:30~東京地裁415号法廷
9日の第8回ビザ発給拒否裁判では、裁判長は変わった。これで3人目。前回の裁判長は、外務省になぜ今回だけビザ発給をしなかったのか強く理由を求めたが、
今度の裁判長も、この事を、国側に、きちんと回答するように求めてもらいたい。
9日の裁判では、外務省は、はっきりしたストレートな回答をしなかった。今まで同様、ビザ発給は外務省の裁量であるとか、身元保証の問題を口にする。
2015年の集会の前までは、中国の細菌戦被害者遺族を日本に招くことが出来たのに、なぜ2015年の11月の集会には、外務省はビザ発給をしなかったのか?
外務省の官僚が、2015年9月に安倍政権が強行した戦争法成立に忖度して、集会のチラシにある「戦争法の廃止を求め、・・・」に敏感に反応したのか?

それとも歴史の改ざんを目論む安倍政権が、これまで日本政府が細菌戦を公式に認めて、謝罪していないことから、政権側の指示で外務省が細菌戦被害者遺族のビザを発給をやめたのか。次回裁判では、当時、ビザ発給に関わった外務省の官僚を証人として証言を求めたい!!


安倍政権の、歴史修正主義の影響を外務省は受けていないのか??
ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟
・次回裁判 2018年6月8日(金) 10:30~東京地裁415号法廷

《ビザ発給拒否》裁判!!

ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!!

外務省が集会参加予定の中国人12人にビザ発給せず――細菌戦被害者ら入国拒否

当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者遺族は、なぜいない?







●軍学共同反対!!
岡山大、東海大、東京工科大、東京農工大へ抗議しよう!!


軍学共同反対連絡会のニュースレター18号

防衛装備庁助成の研究中止求める 岡山大に反対団体が申し入れ

●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!!

政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!!

・南京大虐殺の証言

日本軍が人を殺し火を放ったあの日の晩、私は身に重傷を負いました。そのわけは日本兵2人が「火を消しに」捕まって行かされ逃げ戻った人達2人(1人が徐と言い、1人は劉と言った)を追いかけ、家の戸口まで追って来た時に、劉と言うのが見えなくなり、日本兵が家に闖入して来て、私をあの劉というのとみなし、襟をつかんで、私は好い人ではないと言い、頭ごなしに一太刀くれました。続いて私を外まで引きずり出し、私が既に傷を受けて歩けなかったら、日本兵は背中を2太刀突っつき、私は地に腹ばいになって、そばの破れ篭の中に潜り込みましたが、その時又背中に2太刀見舞われ、痛くて横向きになると、日本兵は又左の耳の下とももとを2太刀ずつ刺したのです。その時、徐というのも既に10太刀余りも斬られて歩けませんでした。日本兵は彼を私の面前まで引きずって来て、顔と頭を突き合わすような形で2人を腹ばいにさせ、彼の体から血の付いた刀を抜き取り、ついでに又私の尻を一太刀突っついたのです。日本兵は私たちがもう死んだと思い、行ってしまいました。徐というのは頭が突っつかれて腐れ西瓜みたいになり、腸も出て来てしまって、その場で死亡しました。私は母に手を貸されて家に戻り、急いで鼓楼病院に送られ医者にかかり、九死に一生を得ましたが、体に残った刀の痕が今もあります。(以上:楊素玉と馬雲鵬が記録)


驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!!
日中戦争全史年表

南京大虐殺80ヵ年

日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた

村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国

2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!
戦争の反省の無い頭!!

33、村瀬守保の写真集
村瀬守保は、1937年7月に応召して上海派遣軍兵站自動車第17中隊に従軍し、中国を約2年間転戦した。その間、2台のカメラを持つ彼は中隊の非公式写真班員として、様々な光景を撮影し、写真の数は3000枚ほどになったという。

村瀬守保の写真で、南京事件に関するものは6枚ある。撮影場所は揚子江岸と、城壁外の壕あるいは支流の土手である。写真28~31は、そのうちの4枚である。村瀬は写真を撮影した時の様子を次のように述べている。

当時、朝日新聞記者だった今井正剛が目撃したのは、12月15日深夜から16日にかけての事件と思われる。15日夜半、長い中国人の列を追って下関桟橋橋まで行くと歩哨に止められたが、機関銃の連射音の後に岸へ出ると、そこには死体が折り重なっていたという。その時の光景を今井は次のように回想している。
とみれば、碼頭一面は真っ黒く折り重なった死体の山だ。その間をうろうろとうごめく人影が、50人、百人ばかり、ずるずるとその死体を引きずっては河の中へ投げ込んでいる。・・・やがて作業を終えた“苦力たち”が河岸へ一列に並ばされた。ただだっと機関銃の音。ひっくり返り、踊るようにしてその集団は河の中へ落ちて行った。


●重慶大爆撃裁判


重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。


爆撃の効果


「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真

背景
1937年の第二次上海事変の結果、日本軍は中華民国の首都南京を攻略し占領した(南京攻略戦)。これに対して、蒋介石の中国国民党政府は首都機能を南京から漢口に移転した。しかし漢口も陥落したため、さらに内陸である四川の重慶への首都移転を実行した。
大本営は地上軍による重慶の攻略を計画したが、重慶が天然の要害の地である事や、兵站の問題もあり、即時攻略は困難であるという結論に達した。


不当判決!!
中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京
2017.12.15(毎日)

日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支
持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。

判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。

祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。



●憲法9条を世界へ普及させよう!!
イラク日報、空幕にも

オスプレイ 横田基地に5機到着 横浜の米軍施設から

9条の碑、沖縄に次々建立 「命どぅ宝」戦争体験者刻む

9条とあまりにもかい離した演習!!戦争をしないと憲法で謡っても、自衛の為の戦争はする??
隊員も、疑問を感じながら、演習しているのだろうか??

自衛他の為の戦争と言っても一旦戦争になれば、お互いに壊滅的な破壊がある!!地球全体の環境が脅かされる!!

日本版海兵隊、2020年代前半に沖縄へ 米部隊移転後

世界を変えるジェネレーションZ「もうたくさん。銃規制を」立ち上がるアメリカの高校生

【フロリダ高校乱射】「もう二度と」 米国の若者立ち上がる

「おびえる生活嫌だ」銃規制求め高校生ら大規模デモ(18/03/25)


米で高校生ら銃規制訴え大規模デモ 各国に広がる(18/03/25)



軍隊は肥大化し、世界の紛争に巻き込まれる!!(アメリカの軍事戦略を支持し、過去にしてきた犯罪をまた犯す!!)
自衛隊を無制限の武力を持つ軍隊に変容させる絶好の口実になります!!
9条に自衛隊明記は不要で極めて危険

日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


●「天皇制」を考える

昭和天皇の731部隊を設置を裁可した責任、細菌戦・毒ガス戦を命じた責任、太平洋戦争の開戦を裁可した責任、敗戦を遅らせた責任はないのか??

大嘗祭反対!!
宮内庁 大嘗祭は来年11月14日、15日に

<新天皇即位>式典準備委の議事概要公開

昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼


「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版


公文書偽造で始まった明治維新! 現在も続く「官軍教育」の中で描かれた「偉人」たちの姿は「ウソ」ばかり!? 岩上安身による作家・歴史評論家・原田伊織氏インタビュー


平成の「大嘗祭」 政教分離との整合性で議論に


●ニュース
加計問題 愛媛県など官邸訪問 文科省に内閣府がメール

<安倍政権>苦肉の財務次官更迭先送り 影響拡大避け

財務省、異例の要請 告発の女性記者に調査協力呼びかけ 識者「報道の鉄則、理解ない

陸自イラク日報「戦闘拡大」 防衛省、435日分を公開

「会っていないとは言えない」 柳瀬氏、愛媛職員と 昨年7月周辺に

昭恵氏の記載「佐川氏は認識」 太田理財局長が答弁

日本外務省ホームページ「韓国は最も重要な隣国」削除

金子勝:安倍総理の「膿を出す」という発言と行政機関の崩壊



●森友・加計問題!!
昨年は、改ざんされた文書で、国会は質疑をしていた!!この責任は誰にあるのだ??
森友・加計問題 2017年11・12月論戦
加計学園問題と新たな軍学共同 (池内 了 名古屋大学名誉教授)


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