核・戦争のない世界!!

2024-05-27 10:49:41 | Weblog
戦争の加害も忘れるな!!
 

 

 

人命より社会インフラ
政府や国民に根付いている意識
 日本では新型コロナウイルス感染症は感染症法上の「2類相当」という扱いにしたことで当初、大きな病院や公立病院の現場は阿鼻叫喚の地獄と化した。症状が悪化した患者まで受け入れてくれる病院が見つからず、「たらい回し」にされて亡くなってしまうなんて悲劇も起きた。
 しかしその一方、個人経営のクリニックなどのいわゆる「町医者」の多くは、「地域医療を守るという使命がある」ということから、コロナ患者を受け入れることは少なかった。中には、外出を控えるムードから診療も激減して、閑古鳥が鳴くようなクリニックもあった。
 つまり、感染拡大で命の危険にさらされていた医療従事者や患者があふれていた一方で、地域医療は「社会インフラを守る」ということで市民に開放されなかったのである。
 戦時中の日本の構造と照らし合わせてみると、空から焼夷弾の雨が降る中で、命からがら逃げ惑う人々がいた一方で、地下鉄は「社会インフラを守る」ということで市民に開放されなかったことと瓜二つだ。
 では、なぜ日本の行政は「人命よりも社会インフラ優先」という方向に流れがちなのか。その謎を解く鍵も実は77年前の戦争にある。
 先ほど鉄道省の局長が、貴族院で地下鉄を避難場所に使わせないということを明言したことを紹介したが、これは何もこの局長が個人の独断で決めているわけではない。国家の「大きな方針」に沿っている。
 日本という国は、国民に「空襲から逃げず、恐れずみんなで消火せよ」と義務付けていた。スローガンや「お願いベース」などではなく、法律に基づいて「強制」していたのだ。
 

 

 
 
 
 
※カーチス・ルメイ・・・焦土作戦は東京・大阪・名古屋などの大都市を焼き払った後は、富山市・郡山市などの地方の中小都市も対象となった。これらの空襲は日本国民を震え上が
らせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名された。
 
勲一等旭日大綬章の授与
1964年12月7日に日本に返還されたばかりの入間基地で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。理由は日本の航空自衛隊育成に協力があったためである。12月4日の第1次佐藤内閣の閣議で決定された。叙勲は浦がルメイを航空自衛隊創立10周年式典に招待したことを発端とした防衛庁の調査・審査に基づく国際慣例による佐藤内閣の決定であることが明かされている。推薦は小泉純也防衛庁長官と椎名悦三郎外務大臣の連名で行われ、防衛庁から佐藤栄作首相・賞勲局へ叙勲が適当であるという説明があった。勲一等旭日章という種類の選定は大将という階級から慣例に基づいたものである。
 
授与への批判
ルメイが東京大空襲や原爆投下を行った部隊の指揮官だったことから授与に対して批判も大きく、現在でも「勲章は返還するべきである」と唱える者もいる。当時は日本社会党・原水爆禁止団体・被爆者などから国民感情として納得できないという声が上がった。
 
 

東京大空襲

 
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死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲。この3月10日の空襲だけで、
罹災者は100万人を超え、死者は9万5千人を超えたといわれる。
なお、当時の新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されていた。

 

重慶爆撃

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日中戦争の最中、中国の国民党政権の臨時首都となっていた重慶市にたいして、日本軍は、無差別爆撃をくり返し、多くの人々を殺傷しました。(中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究会編『重慶抗戦紀事』によると、爆撃は1938年2月~43年8月にかけて218回、被害は死傷者2万6千人、焼失家屋1万7千戸。ほかに41年6月5日、
防空壕で数千人から1万人以上が窒息死したといわれる惨劇がある)
 
 
 


 

 

 

 

 



日本は戦争の加害をきちんと伝えるべきだ!!


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第533回 反核座り込み行動 核も戦争もない平和な21世紀に!!

 
この映画では、元731部隊員(レントゲン班)の宮川正(東大教授)は協力している。
世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督)
膨張と忘却~理の人が見た原子力政策1
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膨張と忘却~理の人が見た原子力政策2
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汚染水放出反対!!(海の生態系の破壊!!)

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