不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

南京大虐殺=国家犯罪!!

2017-01-11 11:44:40 | Weblog

※Internet Explorer よりグーグルクローム(Google Chrome)で見るとスムーズに画面が動きます。
●731部隊(1)
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●731部隊(4)
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●マレーシアの旅
●九大生体解剖事件



●ご案内
秘密国家日本!!
日本だけの無期限秘密(『日本の国家機密』藤井治夫著 1972年)
アメリカではニュヨーク・タイムズによるベトナム秘密文書公表事件いらい、世論の批判が高まったためもあって72年6月1日、秘密文書取扱規則が改正されている。これにより一般秘密文書は、一定期間とに秘密区分をダウンレードし、10年後にはすべて公開することになった。また、国家安全保障にかかわる文書についても、30年を経過したときは自動的に秘密解除されることになった。ただし国務省、国防総省、CIAの文書および外国政府と取り交わした、とくに重要な文書については、関係官庁の長官が必要と認めたときは例外措置がとられる。
このほか各国の状況をみると、学術研究者には全く制限を付さないのがアラブ連合、25年ないし35年で原則的に解除するのが東ドイツ、ハンガリー、アイスランドなど6ヵ国、50年で制限を解くのがイギリス、イタリアなど16ヵ国、100年で解除されるのがスペイン、バチカン、ベルギーの3ヵ国となっている(総理府調べ)。無期限なのは日本だけで、スペインやバチカンより悪質ということになる。政府資料は、とうぜん国民に帰属する。そうした観念を全くもたないのが、わが支配階級なのである。


過去の侵略戦争を全く反省しない自民党政権!!
安倍氏「真珠湾犠牲者を哀悼」…中国「本当の和解望むなら南京に来い」



地底からの叫び声が聞こえませんか??(「八紘一宇」のスローガンのもと行われた残虐行為!!)
731勿忘
731遺跡は日本軍国主義が細菌戦を行ったことの証しであり、
また、日本軍国主義がその犯罪行為の証拠を隠滅しようとしたことの証しでもある。
ー金成民(侵華日軍第731部隊罪証陳列館館長)

侵華日軍第731部隊本部遺跡CG復元映像 

常徳細菌戦


こんなことまで起こっている!!
外務省は、安倍内閣の顔色を窺ったのか、政府からの指示があったのか、中国人細菌戦被害者遺族のビザを発給しなかった!!
これからも、アジアの戦争被害者や遺族の入国を拒否するかもしれない!!

当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者なぜいない?


ビザ発給拒否・集会妨害裁判について 
次回の裁判は、㋂2日(木)14:00~東京地裁、傍聴よろしくお願いします。




12月21日(水)『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の公開を求める裁判が東京地裁522号法廷でありました。
最初は、情報公開法でその2点を開示請求していたのですが、保有していないことを理由に、行政文書不開示を防衛省は決定しました。それに対し、原告は、行政不服審査法に基づき異議申し立てをしました。その審議会が、防衛省の意向に沿って、不開示は正当であるとの結論を出すまでに、4年も年月をかけているのです。全く何もやっていなかったのではと思ってしまいます。防衛省と審査会とのやり取りはどんなことがあったのか、4年間の経過をきちんと説明してくださいと、弁護士は切実に訴えました。また原告は、いまだに、細菌戦被害・毒ガス被害で悩む中国の被害者のためにも、きちんと公開すべきだと陳述しました。
化学学校記事の第12号には、杉田論文「自衛隊員が語る旧軍技術研究」として次のような細菌戦に関する記述があります。
「-日本は1931年(昭和6年)満州に細菌戦遂行のため〈731〉部隊を編成した。研究所、部隊は逐次整備され1935年(昭和10年)には、ねずみ2000匹を使用してノミを飼育し、ペスト菌の培養量だけでも毎日10㎏に及んだ。
1938年 華中戦線 細菌大量使用
1939年 ノモンハン 細菌大量使用
1940年 重慶爆撃 ペスト菌、コレラ菌使用
1941年 湖南省 細菌作戦
1943年 華中、華北 細菌作戦
その戦績は、衛生部隊としてかつてない大きな成果をあげたとして感謝状36回授与にみられる」

今、現在の研究では、細菌戦を始めたとされるのは1939年のノモンハン事件の時です。この論文が確かだと、ノモンハン事件の前に細菌戦が38年に華中で行われていたこと、また、重慶でも細菌戦が実施されていたこと、1942年の浙贛作戦以降の43年にも細菌戦が行われていることになります。

今、まさに、この『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』『衛生学校記事』そして『731部隊関連資料』の全面公開を実現させ、細菌戦・化学戦の戦中・戦後の実態を解明し、今の日本の現状でいいのかを考える時に来ています。
自衛隊はA(核兵器)B(生物兵器)C(化学兵器)の研究をどのようにしているのか、国民にその実態を明らかにしなければなりません。
憲法9条はないがしろにされ、軍事研究がどんどんとスピードアップされている現状を打破しなければと強く思います!!



次回裁判は、㋂1日(水)午前11時~東京地裁522法廷、傍聴よろしくお願いします。



・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
当時、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)



・中国外務省の陸慷報道局長は7日の記者会見で、南京大虐殺記念館のほか、満州事変の発端となった柳条湖事件を記念した博物館や731部隊跡地を挙げ、「日本が深刻に反省し本当に謝罪したいなら、中国には多くの弔うべき場所がある」と述べた。 
中国にも「弔う場所ある」=安倍首相の真珠湾訪問

「米国が真珠湾を忘れられないように中国も南京大虐殺を忘れることができない」

安倍総理の真珠湾訪問に対し 中国外務省が牽制

「今の日本にもう黙っていられない!」マレーシア 


アジアフォーラム 



糸数慶子参議院議員挨拶(沖縄の風)




パネル展『戦争の加害』プレイベント(横浜)
戦争の加害と教科書記述の変遷 






●南京大虐殺
・南京大虐殺から80年、今年の12月13日は、80年前の日中戦争で南京が陥落した日だ。そして、虐殺が始まる。(もちろん、南京に至る過程でも、残虐行為を繰り返していた!)

3、南京国際安全区(約20万人の難民がいた)


日本政府は、なぜ中国へ行って謝罪しない??パールハーバーよりも先ではないか!!

当時、南京にいたアメリカ人牧師マギーがとらえた南京虐殺
フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」


マギーフィルム(日本語訳付き) 



フィッチ
フィッチ(George Ashmore Fitch)が中国の蘇州で1883年に生まれたのは、長老教会の宣教師ジョージ・フィジーとメアリー・マックレランとの子としてであった。1906年にウースター・カレッジで文学士号を得、続いてニューヨークのユニオン神学校に進んだ。1909年に按手礼を受けて中国へ戻り、上海青年会で働いた。
南京虐殺の時期には、フィッチは南京青年会の責任者だった。南京安全区国際委員会の働きに積極的に参与し、安全区の総幹事となった。南京大虐殺に関する彼の日記が、1937年12月13日に南京が陥落した後初めてこの地を離れる許可を得た外国人によって上海へ持ち出された。フィッチが書いているように、「私の物語が上海でセンセーションを引き起こしたのは、首都失陥後のそこの情況についての最初のニュースだったからで、コピーされ印刷されて広範囲に伝わった」。
1938年にフィッチはアメリカ各地を旅行し、南京大虐殺を紹介し記録フィルムを放映した。中国に戻ってYMCAや国際連盟の救援本部で奉仕し、続いて朝鮮と台湾のYMCAで働き、1961年に隠退した。
本書には彼の日記と友人宛の書簡2通が収録してある。

日記(1937年12月10日~1938年1月下旬)
帰りに乗ったのは、ヤニール提督が按配してくれたアメリカの軍艦「ワーフー」号で、何事も無かった。着いてみたら、日本軍側の食言だったとわかり、貨物を下ろさせないのには、全くがっかりさせられた。船はそのまま蕪湖まで行き、談判の結果待ちとなった。幸運にも又もや許可が得られて、僕らの船が引き返し、貨物を城内に運び入れたが、何の妨げも受けなかった。これはひょっとして、日本人が城内中に張り巡らした、ポスターのしからしめたものかも知れず、彼らが今や人々の福祉を心がけているところだと、掲示が吹聴してござるのだ。あるポスターには、ほほえんでいる中国人婦女と子供とが、日本兵士の前にひざまずいていて、兵士がパンを手渡ししているさまが描かれている。ある小さな星がいっぱいみたいなポスターには、標題にこそ「日本軍が被災民を慰撫して、南京市一帯に穏やかな気分が立ち込めている」とあるものの、それに続くのたるや、南京人民がいかに抗日軍隊に迫害されたかに関した、徹頭徹尾デタラメばかりで、食べるものがなく、医療も受けられなかったが、「幸いなことに皇軍が入城し、銃剣をしまって、慈悲の手を伸ばし・・・優良なるまともな住民に恩恵の露をふるまい、幾千幾万もの難民が、これまでの荒唐無稽な反日的態度を振り捨てたのは、生活が保障されたからで、群がり競って喜び合っている」ときて、さらにまた、へどが出そうな文字がくだくだと続き、最後が「日本兵士と中国の子供たちとが、公園で一緒にたわむれている。南京は今や、あらゆる国々の注目すべき最良の地であり、ここでは誰しも、生活が安寧で仕事が愉快な雰囲気に浸っていられる」といった美辞麗句で結ばれている。これは我が職員の翻訳になるもので、誰にも信用されないみたいだが、僕には、少しも間違いの無いものだと保証できる。



しゃべってから死ぬ!南京大虐殺



南京大虐殺:侵華日軍南京大 南京電影制片庁 21分 




昭和天皇・皇族はすべてを知っていた!!
ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より

第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第9章 聖戦

日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台がこの時期に築かれた。・・・・・
1929年には、枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約(1929年調印の「捕虜の処遇に関する条約」)の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎて実行できないという。陸海軍大臣と外務大臣の主張を容れたのである。・・・p171
・・・・・・・・

(南京大虐殺)『昭和天皇』(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫より)
東京から突きつけられた厳しい条件に中国政府の回答は遅れ、1938年1月16日、近衛は予定通り日本は今後、国民党政府を相手とはしないとの声明を宣言した。2日後、これを補足する声明が出され、国家承認を撤回した真の目的は蒋介石の政権を「抹殺」することにあると明言された。それは、米内海相がとりわけ強く支持した目的だった。重要なのは大本営政府連絡会議でも、その後の御前会議でも、昭和天皇は和平交渉の継続という重要事項について、参謀本部を支持しなかったことである。その代わり、天皇はより強硬な海軍の方針を支持する傾向があった。

軍と政府が一体となって実施した慰安婦制度!!
(勿論、警察も見て見ぬふりをした!!)

お粗末な日本政府の情報公開 



※南京事件の悪評に苦慮した日本軍上層部は、杉山元陸相、梅津美治郎(よしじろう)中将、今村均(ひとし)中将らを中心に1938年3月4日、日本軍のいる所に「慰安所」の設置を決め、通達した。しかし、日本内地の娼婦だけでは到底間に合わず、ついには朝鮮半島の若い女性たちが生贄(いけにえ)にされた。その発端は、「朝鮮の若い女性は性病がなく、危険が少ない」という麻生軍医の上申書であった。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)




世界初の「南京大虐殺辞典」出版される



・日航機墜落事故に自衛隊は関与していなかったのか??
日航機墜落事故(空白の16時間) 



森永卓郎さん解説









●ニュース
安倍首相の真珠湾訪問を中国が非難――「南京が先だろう!」

安倍氏「真珠湾犠牲者を哀悼」…中国「本当の和解望むなら南京に来い」

「安倍首相はまず南京に来るべきだ。我々は寛容の心で受け入れる」
<中国>南京大虐殺の追悼式典 安倍首相の訪問求める声も

「米国のほかにも戦争被害者数千万人… 彼らも慰霊する計画はあるのか?」 戦争責任を終わらせようとする思惑を指摘

実際のところ、その日に日本が攻撃した場所は真珠湾だけではありませんでした。その約1時間前には日本陸軍はマレー半島の北東沿岸を攻撃、同日にはアジア太平洋地域の他の幾つかの英米の植民地や基地を攻撃しています。日本は、中国に対する侵略戦争を続行するために不可欠な石油や他の資源を東南アジアに求めてこれらの攻撃を開始したのです。

それなら、中国や、朝鮮半島、他のアジア太平洋諸国、他の連合国における数千万にも上る戦争被害者の「慰霊」にも行く予定はありますか。
真珠湾訪問にあたっての安倍首相への公開質問状

次期大統領選挙の有力候補10人とも「慰安婦合意の無効化・再交渉」

[インタビュー]「日本の進歩派メディアですら韓日合意の一方的な報道がひどい」

慰安婦像の撤去は困難、朴槿恵政権はもはや対応能力なし―中国メディア

「少女像」対立、米が仲介へ ケリー氏、電話会談を検討

「韓日米3カ国での対潜合同演習、韓国が反対」

東京MXテレビが沖縄ヘイト 高江抗議に「日当」「暴力」 辛淑玉さん、BPO申し立てへ

米兵、葉タバコ畑に降下ミス 伊江島でパラシュート訓練中

パキスタンが潜水艦ミサイル実験、「核の連鎖」の緊張強まる

米海兵隊のF35 配備先の岩国基地に向け出発

判決が確定する場合、外交部は日本との交渉で日本軍と官憲の強制連行を認めるかどうかを協議した文書を公開しなければならない。第1~12回の局長級協議の全文などが該当する。
日本との慰安婦合意交渉文書 一部公開命じる判決=韓国裁判所

黒柳徹子さん、辺野古・憲法9条改憲に反対を表明。


なぜ今、甲状腺検査見直し?

日本は正しい歴史観に基づいて自国民を教育せよ―中国外交部

[寄稿]1★9★3★7

産経新聞が日テレの「南京虐殺」検証番組を「裏付けなしの謀略宣伝」と攻撃! でも捏造と謀略は産経の方だった

三笠宮は、731の生体実験・細菌戦・毒ガス戦・南京大虐殺も全て知っていた!!
三笠宮さま斂葬の儀 軍人、歴史学者…多彩なご生涯
天皇は知っていた!! 

日本軍の生体実験や南京大虐殺に怒った三笠宮崇仁、無かったことにしたい安倍晋三
今月2日に百歳になった三笠宮が陸軍少佐とした赴任した南京で見聞した日本軍の数々の残虐行為に驚愕し、南京大虐殺に怒った事は意外と知られていない。
その事実は兄の昭和天皇にも知らされており、兄弟共に暴走する日本軍への不信感を募らせていたことがうかがわれる。

昭和天皇の弟・三笠宮崇仁親王は、南京事件に

日本人としての内省~三笠宮文書を読み直す

「架空の歴史を信じない」。戦時に軍部を批判した皇族、三笠宮さまが注目される理由

日テレが産経に「厳重抗議」 ギャラクシー賞「南京事件番組」検証記事めぐり

村上春樹氏「歴史を書き換えれば結局は自身を傷つけることに」

核兵器禁止条約 決議案が国連の委員会で採択 日本は反対

極右稲田朋美防衛相「南京大虐殺を事実と認定しない、日中戦争は侵略と断言出来ない」→韓国人「中国尖閣諸島周辺で活動範囲を拡大」

「核」で過去の発言追及…稲田氏に集中砲火



稲田防衛相らの「白紙領収書」問題


韓国、大揺れ 安倍首相「慰安婦へ謝罪の手紙」拒否に政府板挟み

[特派員コラム] 12・28合意と決別しよう

高速増殖炉「もんじゅ」廃炉へ



韓国で少女像「移転してはならない」が76%

韓国国民の63%が「慰安婦問題再交渉すべき」、少女像移転反対も76%


核兵器禁止、「本音」と「建前」に揺れる日本政府、オバマ大統領の「核先制不使用」には反対


核兵器禁止条約 決議案が国連の委員会で採択 日本は反対




潜在的核保有国化を目指す日本は、「核廃絶」決議を棄権!!
日本は、世界に「核廃絶!!」とは叫んでいないのだ!!

「Iam not ABE に込めた警告 ひとりひとりの挑戦こそが民主社会をつくる」


これが自民党の実態だ!!
憲法改正で自民党が目指すもの!!
国民主権、基本的人権、平和主義の3つを無くし、
国防軍創設、国体護持!!
全く、戦前の日本と同じではないか!!

自民党の目指すもの?? 




●731問題
横倉氏は政府・与党との連携を重視!!(731のことなど頭にない??)
日本医師会 会長選挙 現職の横倉氏が3選


ドイツはまだ、戦争責任を追及している!!日本は全く忘れようとしている!!いや、あの戦争を肯定している!!
アウシュビッツ元看守に禁錮5年=94歳、殺人ほう助―独

南京大虐殺や原爆開発の反省をしないまま戦後突き進んだ結果が福島原発事故だ!!
木村守江(元軍医で南京戦に参加、元福島県知事。元日本医師会会長の武見太郎との関係は??木村の方が年配だが、同じ慶応大学医学部出身だ!!)と南京大虐殺と原発!!

木村守江と南京、福島原発



昭和天皇(当時は大元帥であり、現人神と教えられた)の名で始めた戦争!アジアで何千万人が犠牲になったのだろうか?
そして敗戦!!昭和天皇は責任を取らなかった!!謝罪もしない!!

あの戦争は明らかに侵略戦争であり、自衛の為の戦争ではなかった!!
安倍晋三と日の丸と戦闘機と「悪魔の飽食」731

安倍晋三のおじいさん岸信介と731の関係は??

岸信介・・・1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満州国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した星野直樹らとともに、満州経営に辣腕を振るう。同時に、関東軍参謀長であった東條英機や、日産コンツェルンの総帥鮎川義介、里見機関の里見甫の他、椎名悦三郎、大平正芳、伊東正義、十河信二らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「弐キ参スケ」の1人に数えられた。また、山口県出身の同郷人、鮎川義介・松岡洋右と共に「満州三角同盟」とも呼ばれた。

岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より

岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。

岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。

岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。



船瀬俊介の本を紹介 世の中はペテンに支配されている




従軍慰安婦を娼婦呼ばわりし、今回の閣僚・議員の靖国挑発を画策し、アメリカ様よりお叱りを受けて、侵略は国によって異なるとか、靖国や歴史認識、慰安婦の政治問題化は望んでいないなどの噴飯の見苦しい詭弁や言い訳を吐き続ける安倍晋三。親子揃ってそっくりではないですか?

第61・62・63代内閣総理大臣佐藤栄作は実弟。また長女・洋子は安倍晋太郎に嫁いだ。洋子の次男は第90・96・97代内閣総理大臣安倍晋三、三男は政治家岸信夫。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 南京大虐殺=国家犯罪!! | トップ | 南京大虐殺=国家犯罪!! »

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事