細菌戦の系譜!!

2021-08-13 10:09:04 | Weblog

 

 

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー

「声上げたら解雇」は許せない!〜「多摩労務管理事務所」に仮処分守れと申し入れ

情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」

 

3月3日の『化学学校記事』の傍聴

・SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!
・ミャンマーのクーデターを見ても、軍隊は国民を守らない!!
 
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!

(感想)

5月2日(日)

8、講演を途中まで聴講しました。徴用工が存在しそれが日韓問題の根源の一つとなっていると思っていました。だから請求権だけでは解決しないと考えます。徴用工問題の1つの事例、徴用工の人数など具体的に知りませんでした。日本政府がしたことに真摯に向き合って根本的な解決を図るべきと思いました。これによって日韓の本当の意味での正常な関係が結べると考えます。ありがとうございました。(男性、70代、市内、友人)

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

 

 

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎
 
 
自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

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細菌戦の系譜!!

2021-08-13 10:04:04 | Weblog
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

「731部隊と大連黒石礁事件」(お話:根岸恵子さん)

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 
1954ビキニ 被ばく漁船員の人生 岡村啓佐さんが写真集 過ち、繰り返させない
 
 
 
 
 1954年、米国が太平洋・ビキニ環礁で行った一連の水爆実験で、マグロ漁船員らが被ばくした。その当事者や遺族を撮った写真集「NO NUKES ビキニの海は忘れない」が9月、日本自費出版文化賞の大賞を受賞。高知市の平和資料館副館長、岡村啓佐(けいすけ)さん(68)が、国から健康調査すらされず高齢になった証言者たちの表情を切り取った。日本や核保有国が核兵器禁止条約への批准に足踏みする中、顧みられなかった被害の実相を突き付ける。
 
 収録したのは、水爆実験の周辺海域で操業していた高知、東京、神奈川、静岡在住の元漁船員や遺族ら50人。遺族は、乗組員時代の父や夫の遺影を手にレンズを見詰める。
〈食べるものを海水で洗い、汚染された魚を何も知らずに食べた。みんな放射能にやられて、帰ってきてから玄関で血を吐いて亡くなったとか、バタバタと若い仲間が亡くなっていった〉
 
〈結婚を約束し、出航時に見送ってくれた彼女はこの間一度も顔を見せることがなかった。(中略)差別の目に耐え切れず京都に逃げた〉
写真に添えられた証言は、核実験が乗組員らの下船後の日常に落とした影を映し出す。
 
 
 

隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置




 
 

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細菌戦の系譜!!

2021-08-13 10:00:25 | Weblog

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか? 宮川の支那漫談とは何か??
実験医学雑誌第15巻雑報

15巻第6号 【昭和6(1931)年】

雑報

◎5月中職員異動調

昭和6年6月1日

月日       異動事項                                 官職           氏名

4.30 伝染病研究所に於ける治療研究業務を嘱託す      高木堯夫          〃    〃                            中村茂一

〃    〃                                                                    川瀬五郎

〃    〃                                戸田又生

〃  伝染病研究所に於ける細菌免疫学研究業務を嘱託す          栗本珍彦

〃  伝染病研究所に於ける痘苗製造研究業務を嘱託す           佐藤久蔵

5.1  兼任名古屋医科大学教授
            叙高等官2等                                      教授                  河本禎助

〃  陛叙高等官4等                                     助教授                小島三郎

5.2  青森県下へ出張を命ず                        技手                   平山輝夫

〃  〃                                   同                 中込亘

〃  〃                                   同                 岡正

5.12 〃                                  技師                   城井尚義

5.14 叙勲4等授瑞宝章                          正5位                 河本禎助

5.18 医学博士の学位を授与せらる                 技手                  羽里彦左衛門

5.21 神奈川県下へ出張を命ず                         同                     菅野拓三

伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

埋もれた細菌戦調査書

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)


「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

第5部

731細菌戦裁判第1審判決までの軌跡 ー疾風迅雷の7年間―

(1)前史:人骨発見→731部隊展→ハルビン国際シンポまで(1989年~95年)1989年7月 東京都新宿区の旧陸軍軍医学校跡地から「人骨」発見される

1993年7月 日本の市民グループが日本各地で「731部隊展」を開催
                    今日まで続く

    8月  防衛庁保管の旧陸軍参謀本部員井本熊雄作成の業務日誌の中に細菌戦の
                   作戦に関する記述が
ある事が発見され、中央大学の吉見義明教授らが発
                   表

1994年10月 浙江省義烏市の崇山村民が、旧日本軍による細菌戦被害に対する謝
                   罪と賠償を求める連合訴
状を北京の日本大使館に提出

1995年8月  黒龍江省のハルビン市で、「国際731部隊シンポジウム」開催
                      同シンポジウムに参加した日本O市民グループが、直前に訪ねた崇山
                     村で、「連合訴状」
を入手し、シンポジウムで紹介される

 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 ●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 「1931」斉藤準太郎の日記

一月十三日

午前七時半起床す 晴 風なく暖 最低零下十三度煙台房身間往復徒歩  線路巡察 第二二列車帰隊す

一日寝て暮らしたかったが巡察では止むをえん 午前七時半起沫す 朝から三時至では寝台上にて三時より四名にて煙台に行く  第二八列車に小学生が非常に多く乗っている弁慶の七つ道具宜しく首にかけたるいろいろな品が面白い 先カバン 首を回してスケート用靴 手袋のヒモ 弁当箱 上バキ等々。 巡察は異常なけれども 只闇の中 犬の鳴き声はやり切れない 房身の丁場至徒歩で行く 第二二列車にて帰る ―夜一くさリガンコウばかり大隅。鳥井と枕を並べてあらゆる方面の話を戦はす 恋愛の女性の内幕 軍隊生活の社会 在満の正月 

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細菌戦の系譜!!

2021-08-13 09:57:12 | Weblog

軍都広島での物語

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅵ ひとりの正統的な人間


  被爆者に、あるひとつの症状が起こるとしよう。東京の医学者は、これがなぜ病学的に原爆と関係あるか?と反問するかもしれないし、実際、それに答える言葉が、広島の医師達に、準備されていないことは度々あったのである。しかも、医学の歴史は、やがて、それらのケースの幾つかが実は原爆と無関係であったと証明するかもしれない。しかし現実に広島の被爆者たちを救助してきたのは、原爆によってあらゆる症状が起こり得る、という自由な想像力をもつ医師達の地道な活動に他ならなかったのである。

 唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

Ⅱ 関連部隊・支部

 “特移扱”で中国人を731へ送った

憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった

 

三尾豊

憲兵

 

〈経歴〉

1913年生まれ

1934年1月~35年12月 歩兵第68連隊

1936年3月~45年8月 憲兵としてチチハル・牡丹江・大連の各憲兵隊に所属

1945年8月 捕虜となりシベリア抑留

1950年6月 中国戦犯管理所移管

1956年8月 起訴免除、釈放後帰国

■この証言は埼玉(浦和)731部隊展(1994年10月)の『報告集』に本人が加筆したもの。

どのようにして“特移扱”を集めたか 

 現在では、新聞記事に対する感想文だとか、その意見に対する反論なんていうのは、問題にならないですよね、軽犯罪にもならない。そんなものが当時、郵便検閲で発見されますと731部隊へ送られる対象者になったわけです。

 
 

 ●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開

糜爛性ガスの使用実験の指示

4、激烈な毒ガス戦の展開へ
 
日中戦争からアジア太平洋戦争へ
 
40、きい弾及びあか弾を稍々大規模に使用し優勢なる敵の包囲攻撃を頓挫せしめたる例
〇一般の状況
蒋介石は長沙作戦間我が宜昌地区一番の警部兵力の著しく減少しあるを知るや第6戦区長官陳誠に対し宜昌奪還を厳命せり
 
教訓
1、支那軍に対しては砲兵の瓦斯弾による迅速なる火力機動ににより広正面に亘り制圧効果を納め敵の企画を挫折せしめることを得、この際火力を併用すること肝要なり
2、あか弾及きい弾を併用する場合は遠距離にきい弾を近距離にあか弾を使用するを可とすること多し
 
出典:陸軍習志野学校篇「支那事変に於ける化学戦例証集」1942年11月3日、戦例40(『資料集』資料12)
 

 
 
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網

 

関東軍化学部

 

 このように、元の関東軍司令部の化学兵器の研究と実験の任務はこの技術部に移転し、化学兵器班を設立、最初の班長には砲兵中佐勝村が就いた。そして化学戦の教育と訓練は、関東軍参謀部第三課が責任を持つことになった。化学兵器班は設立後ただちに活躍を始め、中国東北地区で何回も化学毒剤の散布実験を行うとともに、ノモンハン戦争にも参加した。この部隊の実験をさらに便利にするため、陸軍軍部はチチハルに迫撃第2連隊を設立し、化学兵器の実験部隊とした。これによって化学研究部隊と実験部隊を結合する制度の基礎を固めたのである。

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-08-13 09:54:34 | Weblog

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

日本鬼子(リーベンクイズ)

女捕虜

乳房を銃剣で突く

新谷幸太郎(しんたにこうたろう)

分隊長、伍長

〈略歴〉

埼玉県の貧農の家に生まれ、高等小学校8年卒業、商店員を経て、元59師団53旅団第43大隊第4中隊伍長分隊長として終戦に至る。

 

「新谷、今度は俺がやる!!」

田原が横から女の乳房をブスッブスッと突き刺した。

女の頭にかけられたわらが激しく揺れ、女の体が左右にくねると、わらをはねのけた。

女の血に染まった頭が、再び突き刺そうとしている私の顔をキリッと睨んだ。

「アッ、畜生!!まだくたばらねえか!!」

「オイ貴様ら、何を見ているんだ、馬鹿野郎!!」

私は手を出そうとしない兵隊をがなり立てた。兵隊は慌てて銃を構え直した。

「貴様、何をふるえていやがるんだ!!」

田原はもじもじしている初年兵を引きずり出すと、

「貴様!!こいつの腹を突くんだ!!」

と初年兵を突き飛ばした。

「ハア、ハイ」

初年兵のふるえる声が消えると、ガサッとわらの音と共に、女の腹部に銃剣が突き刺さった。

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス

在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


 

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第19回)  11月  10日(水)11:00~703号法廷

●「衛生学校記事」情報公開裁判 (第30回)   8月25日(水)15:00~103号法廷

 

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

 

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

3 外交機密の生態

暗号電報の仕組み

 竹下長官のほうが、まだしもまじめに答弁していると判断すべきであろう。福田赳夫という人物は、官僚のミイラのように醜悪である。前掲東京地裁判決文は、「外務省においては、秘密指定の手続につき、その秘密文書取扱規程および官房長文回(ママ)章等により『極秘』、『秘』等の指定基準、その指定および解除の決定者、様式、方法など詳細に定めており、特に秘密電信文については、暗号保護の見地等から一層高度の秘密性を保持するため、特別の配慮がなされているほか、ほぼ右規程に準ずる手続が定められていて・・・・」(『判例時報』543号90ページ)と述べている。やはり竹下答弁にいわれているようなシステムなのである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

 

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

生物兵器の種類・使用方法

生物兵器の分類は、使用想定方法別に分類する方法と、一般的な分類とに大別されるが、使用想定方法から分類すれば次のようになる。

(a)対人兵器 ①細菌、②リケッチャ、③ウィルス、④毒素など

(b)対動物兵器 対人兵器と同じように分類されが、主として動物を対象とした生物剤が用いられる。

(c)対植物兵器 対植物兵器は、化学薬品のの一種で、更に次のように分類される。①発育抑制剤2・4-D  2・4・5・-T  1・P・C等 ②落葉剤 塩化亜鉛(ZnCl₂)、アンモニウム・チオ・シアナイド(NH₃SCN)など。

一般的な分類方法では、微生物(真菌類、原虫類、細菌、リケッチャ、ウィルス)、毒素(微生物毒素、植物毒素)、病害動物、対植物化学薬品という分け方になる。

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



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細菌戦の系譜!!

2021-08-13 09:52:23 | Weblog

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第16章 神秘性をとりもどす

 そして新平和憲法に触れた。天皇は対立の続く国際情勢に言及し、日本が危険にさらされるのではないかと憂慮した。マッカーサーは、世界はいずれ日本の新憲法を賞讚するだろう、100年後には日本は「世界の道徳的指導者」になっているだろうと予言した。天皇は続いて不穏な労働情勢に対する心配を語り、日本人はまだ教養が低く、「宗教心の足らない」現状にあると主張した。マッカーサーは心配はいらないと応じ、「日本人の健全性が、天皇に対する従来と変りなき尊敬と愛情とに依つて現わされて居」ると述べた。最後にマッカーサーは巡幸を続けるよう天皇を励ました。 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 

 

 

 

 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。

2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。

 

署名国・批准国

2021年1月22日現在の署名国と批准国。

 

署名国            署名日       批准日 (締約日)

 

ホンジュラス       2017年9月20日          2020年10月24日

インドネシア       2017年9月20日

アイルランド       2017年9月20日          2020年8月6日

ジャマイカ       2017年12月8日          2020年10月23日

カザフスタン       2018年3月2日          2019年8月29日

 

 

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

 

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

 
 

 

 
 
 

 

 
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