●日本軍が戦時中、中国でやった事 瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」
1956年の瀋陽特別軍事法廷で裁かれた旧日本軍人など45人の供述調書より
10、日本人戦犯城野宏の中国侵略罪行自供の抜粋を公開した。城野宏戦犯の1955年1月の自白書によると、彼は1914年に日本の長崎市に生まれ、1938年に中国を侵略した戦争に参加するために中国の東北に向かい、1949年4月に逮捕されたという。
城野が自供した重要な罪行として、以下のものが挙げられる。 1941年、中国の資源を略奪し、日本帝国に対する鉄などの軍事物資の供給を強化した。 1943年11月から1945年8月までは、「四回一千五百余人の機動兵力を派遣して日軍作戦に参加せしめ(中略)二個大隊を馳せしめて(中略)石炭、鉄の採掘収奪を援護し」、鉄約20万トン余りと食糧約15万トンを日本軍に供給した。 1946年から1949年までは、「私は五回の閻錫山の反人民作戦に参加し解放軍に抵抗し(中略)解放軍に対し二千数百名の損害と居民の生命財産に対し巨大な損害破壊を与えた」 1948年10月、「私は今村方策と共謀画策し第十総隊を太原東山戦闘に投入し解放軍に約一千余名の損害を与え太原の解放を妨碍した」。「私は解放軍陣地に落下する十数発のガス弾の炸裂を目撃した」(編集MA)
●憲法9条 世界各国に平和憲法を広めるために、日本国憲法、特に第9条、を保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください
●気になるニュース なぜ、靖国神社や天皇制が残っているのか私にはわからない!! 戦後も、元軍人やA級戦犯容疑の政治家が数多く日本の政治の中枢にい続け、現在もその流れが力を持っている。 国民にそしてアジア諸国等対戦相手に多大な犠牲を負わせたあの戦争。日本もアメリカも正義の戦争をしたのではなかった。日本はアジア諸国を侵略し、略奪を重ねた。アメリカは、日本をまねて、無差別空襲を実施し、最後は2発の原爆投下!! そして、天皇とアメリカは取引をし、天皇と皇族たちは誰1人裁かれることなく、アメリカは戦争ビジネスでもうけ、731部隊員を裁くことなく、そのデータを買収した。一方B・C級戦犯は証拠も不十分で、弁護も受けることなく、命令者の罪を被されたまま処刑された!! 韓国、靖国参拝を批判 「慨嘆禁じ得ない」
本島さんの不屈の精神には驚きました!!ご冥福をお祈りいたします!! この人は、日本軍の加害の事実をきちんと認識していた!!(ウィキペディア本島等)より(私は、原爆も非常に非人道的な兵器だと思うが!!) [質問]原爆の持つ非人間性は。 [回答]『原爆による死には『極限の残虐』という言葉が使われるが、拷問で死ぬ前の隠れキリシタンの恐怖は、いかばかりだったか。南京大虐殺や731部隊も残虐の極致だ。日本人の非人間性、野蛮が出ている』 [質問]原爆や空襲、沖縄戦の犠牲者に責任があるのか。 [回答]『戦争責任は昭和天皇をはじめとする戦争指導者だけでなく、マスコミにあおられて狂信的に戦争を進めた一般民衆にもある。全国民を裁くわけにはいかないので、東京裁判で指導者が裁かれた』 「天皇の戦争責任はあると私は思います」「戦争終結を早く決断していれば沖縄、広島、長崎はなかったと思う」 訃報:本島等さん92歳=元長崎市長 (参考)中国では731部隊は生体実験、生体解剖、細菌戦をやり、中国にあった日本の陸軍病院では当たり前に手術演習として麻酔もかけずに生体手術演習が行われていた(残酷)!! 消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」
・天皇制を考える ノーベル物理学賞受賞者・益川敏英博士にインタビュー
田原総一朗:自民党のテレビ各局への要望は「介入」ではないか
辺野古工事変更 仲井真知事、任期中に承認の意向
遺棄化学兵器 新たな処理施設が来月稼働へ
あなたは~♪もう~♪わすれたかしら~♪(´・_・` みんな詐術だった!(`・ω・´)
韓国政府、抗日戦士・安重根の遺体発掘資料を日本側に求める―中国メディア
第97・98回小出裕章ジャーナル:7つの社会的罪(`・ω・´)
第97・98回小出裕章ジャーナル:7つの社会的罪(`・ω・´)
台湾で「慰安婦の物語展」が開催=世界中から「日本政府に謝罪してほしい」と訴える作品―中国メディア
【衆院選2014】共産党の議席倍増の可能性について。- 2014.11.27
日韓の竹島領有権問題、米政府「特定の立場持たない」との姿勢改めて示す―中国メディア
日本に合意文書の順守要求=日本政府「尖閣に領有権問題なし」答弁書に反発―中国外交部
<竹島問題>日韓は平和的な解決を、米ホワイトハウスが声明―中国メディア
「松代大本営」案内板、強制動員について両論併記に・・韓国ネット「自覚してるのに…痛々しい」「日本の民族性を示すことわざは…」
カジノのギャンブル依存症被害は住民の8人に1人へ及び当事者自殺5倍超増、子ども蝕み家族の自殺も3倍増
過去の自分の国が為した間違いを「謝る」こと、自分たちの「誤り」を認め、それと向きあうことが、戦争の死者の「無駄死に」に応え、自分たちの道義の「強さ」「まっとうさ」「未来性」のカギとすることで、彼らの「死」を弔うことにもつながる。 慰安婦、日韓併合、中国侵略…「謝罪は戦争の死者たちを哀悼する行為でなければならない」―日本を代表する思想家
脱原発!!六本木に米軍基地がある?!憲法より上位の安保法体系がある!!日本の最高決定機関で決めた事よりも日米合同委員会の決めた事の方が上位? 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治・孫崎享 対談
この記事は何を意味しているのか?自衛隊は、731部隊の流れを受けて十分な生物兵器の研究をしている? 米太平洋軍元司令官、デニス・ブレア氏 エボラ対策こそ自衛隊の本懐
エボラウイルス発見の博士「優先すべきは医療従事者の訓練」 (参考)ワクチンについて(731の流れが続いているのか?鳥インフルエンザウィルスを作ったのは東大の先生??) 731以降、医の倫理は廃れ、医学界は生物戦のマッチポンプ? ベンジャミン・フルフォード×内海聡×三上丈晴「医療マフィアのタブーと真実」ダイジェスト2013.10.27
中国軍も生物戦に強くなってきているのだろうか?中国医学界ではないぞ!!中国軍と書いてある!! 西アフリカのエボラ対策支援に中国軍が積極参加 国防部報道官
日韓議員連盟の国会議員290人、「慰安婦被害者の名誉回復に努める」―韓国メディア
歴史を否定する国が尊敬を勝ち取ることはできない
●安倍のつながり!! 安倍首相がフジテレビ「いいとも」出演したのは田布施の輪
●皇室の秘密 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?より 1946年より1948年までの極東国際軍事法廷で、各国より選抜された判事による二年間の審問によって認められた数字によれば、最終的には、南京では、2万人の女性が強姦され、市の民間人の少なくとも四分の一に相当する、二十万人以上が殺された(###)。市の三分の一は(137)火災によって灰燼と帰した。価値あるもののすべては廃墟から搬出され、日本軍の倉庫に納められた。
南京での犠牲は、明らかに、偶発的なものではない。十万人の人が二十万人を殺すことは、不注意や、酒酔いや、違法行為があったとしても、容易になせることではない。
しかし、世界中からの抗議にも拘わらず、当時の日本政府によって、そうした犯罪者の誰も、何の処罰も受けなかった。戦地における部隊が狂暴となり、それには手の施しようがない、というのが東京の公的見解であった。
しかし、いったん南京から兵の帰還が始まると、その多くはそれとは異なった見方――彼らが見、そして行った、胸を悪くする話――を語った。「強姦と強盗以外に軍隊で学んだことはない」とか、ただ機関銃の効果を試すために捕虜を撃たなければならなかったとか、中国女の扱いについて、上官から「ことをすました後は、金を払うか、辺鄙な場で殺すか、とちらかにせよ」と命令されたとか、と苦言をこぼした。
堀江貴文 「天皇は戦争の責任を負うべき」神をも恐れぬビッグマウス!そして池上彰ディスり!! 日本人を大量虐殺した天皇家の皇太子妃・雅子の一族 水俣病Q&A
水俣病
2.26事件は天皇兄弟の謀略 旧陸軍士官が語った歴史の真実(2.26事件はヤラセ?)
●昭和天皇は極秘ルートで、広島・長崎の原爆投下、ソ連の参戦の情報を知っていた? 畑元帥と高野広島県知事はなぜ無事で、第2総軍は畑元帥の指示で8月3日から広島市内に出動していたのだ!?
・広島原爆投下時の真相(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より) 畑俊六は8月6日の原爆投下のことを知っていた!! この原爆で、第2総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。 8月6日朝8時頃に、多数の第2総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。有末精三は畑俊六元帥のことを書いている。
山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥(俊六、第12期、元侍従武官長、支那派遣軍総司令官)に敬意を表し、今夕、仁科博士等の到着を待って調査に着手する旨申告した。将軍は被爆当時日課として朝のお祈りで、神棚に向かっておられたため、幸いに被害はなかったとのことであった。
有末精三は「それぞれ頭や頸元や胸に包帯をしていた岡崎清三郎参謀長(中将、第26期)、真田穣一郎少将(参謀副長、第31期、前大本営陸軍部作戦部長)、井本熊男作戦主任参謀(大佐、第37期、後の陸将)、同参謀橋本正勝中佐(第45期、後の陸将)などが草の上に胡坐(あぐら)をかいたり横になったりして論議しているところへ挨拶否見舞に行った・・・・」と書いている。生き残った第2総軍のトップクラスも全員負傷して、草の上で胡坐をかいていたのである。 この日、間違いなく、第2総軍の全員は、8時頃に集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。ほとんどの第2総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。 ひとり、畑元帥のみが理由はともあれ、この総司令部に行っていないのである。 「山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥」と有末精三は書いている。 私は東郷茂徳外相の依頼か、他のヨハンセン(吉田反戦)・グループの依頼を受けた松本俊一次官が原爆投下前のある日、秘かに畑元帥と会談し、8月6日午前8時すぎころの広島に原爆を落とす計画を打ち明けたと思う。そのときに松本俊一外務次官は、この日の8時過ぎに、第2総軍の全員が集合するようにして欲しいと依頼したとみる。この第2総軍を全滅状態におけば、陸軍の反乱の半分は防げるからである。・・・・ ・・・・・・・・・・・ 学徒を殺し、一般市民を殺し、第2総軍の軍人を殺し、木戸幸一は大井篤の尋問に答えている。
陛下や私があの原子爆弾によって得た感じは、待ちに待った終戦断行の好機をここに与えられたと云うのであった。特に皇室や上流階級にも身命の危険が及んで来たからではない。 ※ウキペディアには 畑俊六は「昭和20年8月6日の広島市への原子爆弾投下により、国鉄広島駅付近で被爆するも奇跡的に難を逃れた。被爆直後から畑は広島市内で罹災者援護の陣頭指揮を執り、広島警備命令を発令した。その職にて終戦を迎える。」と書いてある。真実を書いていないのではないか? 高野源進広島県知事は県下福山に出張中だった。
高野 源進(たかの げんしん、明治28年(1895年)3月15日 - 昭和44年(1969年)1月4日)は、日本の内務官僚、弁護士。官僚としては主として警察畑を歩き山梨県知事・警視総監などを歴任したが、特に原爆被災時の(官選)広島県知事を務めたことで知られる。 福島県北会津郡北会津村で農業を営む高野源八の長男として生まれる。 ヒロシマ壊滅 その時 知事は 高野源進氏の書簡見つかる
畑 俊六(はた しゅんろく、明治12年(1879年)7月26日 - 昭和37年(1962年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は元帥陸軍大将。偕行社会長。位階勲等は従二位勲一等功一級。陸相在任中に戦陣訓も考案した。 終戦間際の昭和20年(1945年)8月14日10時、昭和天皇は御前会議の開催に先立って元帥会議を召集し、俊六(第二総軍司令官)、杉山元(第一総軍司令官)、永野修身(元軍令部総長)の3元帥より意見を聴取した際、杉山と永野が主戦論を張るなか、畑のみは「担任正面の防御については敵を撃攘し得るという確信は遺憾ながらなしと申上ぐる外ありません」と率直に現状を説明、これが本土決戦の不可能を昭和天皇に確信させることになった。
父は旧会津藩士・畑能賢
これも天運であると共に明治大正を通じて温醸された弊害が積り積って潰滅した結果に外ならない。
※どんな因縁があるのか知らないが、ご両人とも福島県出身。会津藩は幕末には薩長にやられ、敗戦間際には天皇の命令により第2総軍の壊滅計画の役を買わされ、その後の原爆被害の対応、そして2011年には最悪のレベル7の福島原発事故!! (畑は、南京大虐殺後の昭和13年(1938年)には松井の代わりに中支那派遣軍司令官となり、徐州戦、武漢作戦を指揮している。)
(参考) 大木操の『大木日記』の8月7日を見ることにしよう。大木操は当時、衆議院書記官長であった。
8月7日(火)晴 10時半登院、間もなく警報、小型機空襲。 議長、副議長と雑談。 正午過ぎ、岡田厚相来訪。広島に原子爆弾を6日午前8時半頃投下。十数万の死傷の報、大塚地方総監爆傷死、畑元帥健在、高野知事は出張中にて助かる。成層圏より落下傘にて投下、地上2,3百メートルにて爆裂、直径4キロ全滅全焼、エライことなり。 直ちに依光代議士は日政の幹部会にこれを伝える。一座愕然。
では、『広島県史(近代Ⅱ〕』の「原爆と敗戦」を見ることにする。
広島地区司令部の強い要望により、中国地区司令部の強い要請により、中国地方総監および広島県知事は8月3日から連日義勇隊約3万人、学徒隊1万5千人の出動を命令した。
この2つの本を読んで、私は次のように推論する。 8月初旬に広島県庁に入った畑元帥は、高野源進広島県知事と中国地方総監を説得した。第2総軍を動員し、8月3日から連日、義勇隊3万人、学徒隊1万5千人を出動させよと命じた。畑はひそかに、高野知事に真相を打ち明けた。高野知事は広島を去った。こうした中で8月6日の朝8時15分を迎えた。第2総軍の軍人たち、義勇隊、学徒隊の多くが死んだのである。 ・・・・・ もう1度、米内海相の直話を記す。天皇も木戸も、この米内の話に賛意を示したのである。
私は言葉は不適当と思うが、原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めるということを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなくて収拾出来るというのがむしろ幸いである。(「米内海相直話」昭和20年8月12日)
まさに、米内海相が語るがごとく、数十万の死者を出した原爆より、ソ連参戦で満洲で数十万の軍人や民間人が死んだことより、国内情勢の憂慮すべき事態が重要であると、天皇や米内たちは考えたのである。その1つが広島にある第2総軍であったというわけである。 その第2総軍は壊滅した。西日本の軍の反乱はこれによって鎮圧された。残るは関東一円となった。その中心の皇居を舞台に、偽装クーデターを起こしたというわけである。
●天皇はなぜ広島・長崎の原爆忌に参列しない?天皇と原爆は関係ない? 天皇批判した小川、謝罪も炎上 小川未菜は100%正しい! 「日本人は昔,天皇のせいで苦しみ、命がたくさん奪われた」
日本は戦争中、世界で初めての2発の原爆投下を、経験した。 これは、アメリカが莫大な費用をかけて開発したものだった。 アメリカは実戦の効果を知りたかった。 原爆の子 最初の原爆はドイツが作ったと言う説もある!! スパイ ”ベラスコ” が見た広島原爆の正体 (高橋五郎)
日本が、本当に「自衛のための戦争」をしていたならば、敗戦後この非人道的な核兵器の被害を、国際社会に訴えることができたはずだ。 ところが、日本は戦争中、中国大陸において、驚くべき残虐な人体実験、細菌戦、毒ガス戦等を展開していた。アメリカは再三日本に「この非人道的な細菌戦、化学戦(毒ガス戦)はやめろ」とと警告を発していた。 日本は自国の戦争犯罪を隠すことに汲々として、アメリカとの取引をし、そして、原爆被害を世界に訴えることなく、全面的に核兵器の効果を調べるためのアメリカの調査に協力した。その結果、その調査によって被爆者は全く治療されなかった。 封印された原爆報告書
1997年の平和宣言で広島市長平岡敬氏は「アメリカの核の傘から日本は抜け出すべきだと政府に要求する」と唱えた。 すると橋本首相は平岡氏に歩み寄ってきた。 「あなたの気持ちはわかるけれども、そんなことはできない。あなたはアメリカの怖さを知らない」と言ったという。 やんばるの白ひげ ~核の傘の下で~(3)
私の想像:もしも日本政府が、アメリカの核戦略から抜け出し、この非人道的な核兵器の廃絶を世界に訴えたら、アメリカは「日本が中国で行った非人道的な人体実験、細菌戦、毒ガス戦、三光作戦等をばらすぞ!!」と脅しているのではないかと思う。そしたら今の天皇制はすっ飛んでしまうだろう。 追記:アメリカの怖さとはこれかな? 橋本龍太郎は、1986年7月22日、第3次中曽根内閣の運輸大臣に就任した。 このドラマの最初の方で事故調査報告書を受け取っている。 ボイスレコーダー ジャンボ機墜落20年目の真実 米軍が墜落させた?それとも、自衛隊? 「御巣鷹山JAL123便墜落事件の真相について!」佐宗邦皇代表
ザ・エデン 【JAL123便撃墜事件の真相】 狙いは日本のOSトロンの技術者だった? 中曽根康弘元首相のつぶやき 日本航空123便の墜落事故 29年目の真実(2014年)より マスコミ・政府は真相を必死に隠す!! 『日航機墜落30回目の夏生存者が今明かす32分間の闘い』
【ワールドフォーラム代表・佐宗邦皇変死事件】 (参考)【天皇は偽物】現皇室の秘密を暴くと、早死します
橋本首相は続けて言う。 「日米安全保障条約によって支えられている安全保障の仕組みがこの国にとって必要だ。」
私の解釈:だからお互いに過去の非人道的な過ちは隠しておいて、未来志向で、放射能の怖さや遺伝子組み換え操作の怖さにも触れず、日本はアメリカの核戦略・生物化学兵器開発(もちろん日本も密かにやっているのでは?)を危険と知りつつ、進んでいきましょう。そしたら、天皇制も安泰です!!(何時まで続くこの身分差別!!) 原爆を浴び、放射能の恐怖を体験したはずの日本が、原発を50余機持っている。そして文殊はじめ原発関連の施設の維持費は膨らむばかり。国家財政は破綻寸前!!(破綻しているのかな?)、若者の貧困化も深刻!!
・内部被曝を日本の司法は認めているが、日本政府は認めていない? ・日本の医療・教育で、本当に「人間を人間として見る医療・教育がされてきているのだろうか?」 ※日本は、戦後東京裁判で731部隊の罪業が裁かれることなくきたために、教育界・医療界でも戦争の反省をすることなく進んでしまった。 その結果、歴史認識の問題や放射能の怖さについても、まともな研究が疎まれ、今の政治状況が生まれている。 広島・長崎で2発の原爆投下を受け、悲惨な状況を経験し、また福島であれだけの原発事故が起き、これまた悲惨な状況にあえいでいるにもかかわらず、原発再稼動に日本は突っ走ろうとしている!!なぜなのか? 日本では、「人間を人間として見る」教育などされていないのでは? いつも権力者の言うことに慣れ親しんいる。
広島・長崎の被爆者はアメリカや天皇家・財閥から賠償金をもらったら!! (高橋五郎氏の親族は、第五福竜丸に乗っていて、被曝したらしい) 「天皇のスパイ」 高橋五郎氏 ダイジェスト版 2009年8月
●731部隊!!
聞け、この沈黙の慟哭を 平房の涙、地底の叫びを 見よ、この虐げられた大地を 名も知れぬ鳥たちが番人のように私を見下ろしている 記憶は人間の地底を永劫に流れ続ける 【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
・『731部隊 細菌戦の医師を追え(今も続く恐怖の人体実験)』(高杉晋吾著 徳間書店)
細菌戦争の実態
湘桂(しょうけい)作戦―コレラ作戦で味方も罹病
これはインパール作戦どころではない巨大な犠牲の上に行なわれた。11軍9個師団36万という膨大な動員で戦われたこの作戦の中で「傷病兵の大半が伝染病や栄養失調である」という「笹舟記」の指摘するコレラの日本軍への蔓延の事実を引用してみよう。 「11軍は戦車隊を先鋒に6月長沙、8月衢陽を占領、さらに桂林、柳州を目指して快調に進撃を続けたが、その頃より伝染病患者の後送入院(漢口病院への―著者注)が激増」、「伝染病棟は常に満員の状態であり、死亡患者は連日10~15名、殊に8月、9月には毎日50名を下る日の方が少なかった」
湘桂作戦
|