国家犯罪!731から福島まで!!

2014-11-13 09:08:26 | Weblog

秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!

グーグルクロムで見るとスムーズに画面が動きます。

権力側の都合の悪い情報を「国益を損なう」と言って隠すことはあってはならないことだと思う。
情報をもっとオープンに公開せよ!!

「日本では戦争について反省をしていない人々が権力を握っており、これが日本とアジアの人々にとって非常に深刻な問題になっている」

安倍さん!!72年の日中共同声明を完全に忘れたのですか?

共同声明は、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と明記している。

第1次世界大戦から100年、安倍首相への10の質問―中国メディア

戦争させない・9条壊すな!11.11総がかり国会包囲行動



作家の村上春樹氏はこのほど日本メディアの取材に答え、第2次世界大戦や福島原発事故などに関して、日本は責任を回避していると批判した。
村上春樹氏「日本人は自らを第2次大戦の被害者と認識」―中国メディア

敗戦70周年に向けての第1歩
日本人の多くが知らないか、忘れていること?
日本各地で空襲があり、多くの人が犠牲になりましたが、日本軍は戦時中中国各地を同じく無差別に空襲をしていました。
重慶大爆撃もその一つです。
今日本で、この裁判が行われています。志のある方はご賛同よろしくお願いします!!

1941年6月5日、日本軍が重慶市に対する連続5時間余りに及ぶ大規模な爆撃を行い、較場口の防空トンネルにいた多くの市民が窒息死し、「六五大トンネル事件」となった。
「侵華日軍重慶大爆撃殉難同胞記念園」の設立、専門家が呼びかけ―中国メディア
重慶大爆撃
重慶大爆撃 対日民間賠償請求訴訟
重慶大爆撃とは①

もちろん、無差別爆撃もあった!!
陸軍航空隊の爆撃行(日本のプロバガンダ映画)



731で研究された生物戦のデータはアメリカ・ソ連に渡り、戦後の日本でも研究が継続されている!!
だから、日本政府はまったく細菌戦について調査をする気がない!!(もちろん隠す目的)
2003年川田議員に対する小泉首相の答弁
「お尋ねの細菌戦に係る事実調査等については、本件の性格や時間的な経過に鑑みれば、更なる調査を行い、明確な形で事実関係を断定する事は極めて困難と考えるが、新たな事実が判明する場合には、歴史の事実として厳粛に受け止めていきたい。」

七三一部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問主意書
答弁本文情報

政権が変わっても全く同じ!!(医学界・旧軍人・天皇側の圧力が加わっている?)
2012年服部議員に対する野田首相の答弁
(細菌戦の効果を論文にまとめた「金子論文」が見つかっているのに、こんな答弁しか出来ない!!ほとんど小泉と同じ官僚の作文!!)

七三一部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問主意書
答弁本文情報


マスメディアに騙されるな!!オバマ大統領・ケリー国務長官はユダヤ人?なぜ、日本政府はアメリカのシリア侵略に追従するのだろうか?
イラク戦争と同じような過ちをくり返すな!!
化学兵器・シリア侵略①【ユダヤアメリカと犬コロ安倍】


・・・・・・

731部隊は今でも生きている!!731のデータはアメリカ・ソ連(ハバロフスクでソ連も追及していた!)にわたり、そしてもちろん日本においても生物戦・化学戦の研究は継続されている!!
化学兵器・シリア侵略③【化学兵器・生物兵器と731部隊】

中国で細菌戦は実戦され、多くの被害者を出した!!。陶器爆弾は作られたが、実戦はされなかったようだ。実際にやったのはペストノミを混ぜた小麦、米の粒、紙片、木綿の詰め物などと一緒に落として、ペストを蔓延させた。また、井戸や饅頭などに細菌を混入して、細菌戦をした!!
細菌戦被害の人々


731での研究を悔やんだ医学者もいた!!(自殺した医学者もいた!!)バイオテクノロジーが魔の手に渡った!!
知ってるつもり「731部隊と医学者たち」



自衛隊は、戦時中の化学・生物戦の研究を進め、今でも最先端の技術を持っているのでは?
シリアの化学兵器廃棄に向けた我が国の協力

※石井四郎は戦後大学の教授や製薬会社の役員にはなってはいない!!
石井隊長の戦後1 


ミドリ十字・・・731部隊員であった内藤良一らによって設立された。アメリカに支社を置き、生物戦などの情報をアメリカとやり取りしていたのでは?

ライシャワー事件

日本政府は生物戦・化学戦に多くのお金を使っている!!

今、世界の生物兵器開発研究所(もちろん日本にも立派な施設があるだろう)は、競ってエボラ出血熱やデング熱等の生物兵器を開発し、また、ワクチン研究もしているのであろうか?
下の写真は最盛期の陸軍軍医学校新宿)。戦時下日本の医学界は、国家総動員法により戦争に全面協力した!!
防疫の名の下、中国アジアの多くの実験施設と連絡を取りながらいったいどんな事が行われていたのだろうか!!(現在その跡地に建てられた研究所で秘かにどんな研究が日夜続けられているのか不安が募る!!)
日本政府は、未だ731部隊の罪業を隠し続け、人体実験、細菌戦の事実すら認めていない!!そして今日でも研究所や自衛隊などの研究施設で生物戦の研究の流れは脈々と受け継がれている!!

(参考)質問主意書
政府は、二〇〇〇年度補正予算案の中に、厚生省分として六五億円の生物・化学兵器テロ対策の整備費を計上しようとしている。 
政府、防衛庁の進める核・生物・化学兵器対処研究が、大都市部で公然と行われることに対し、基地や研究施設などの周辺地域住民を始め、多くの国民は不安を持っている。生物・化学兵器の禁止が世界の流れとなっている中で、なぜ今、生物・化学兵器対処研究が必要なのか。 ・・・・・


自衛隊の「隠された実力」 中国は日本のライバルにもなれない=中国メディア
・・・・さらに日本国内には多くの原子力発電所が存在するとし、そのため「日本はすでに核兵器を製造するための能力があるのではないか」との懐疑的な見方もあると指摘した。

お知らせ

なんで、ドイツと日本ではこんなに戦争犯罪人の戦後が違うのか?石井四郎は細菌兵器をアメリカに売り込む事に成功したから?
ヒトラーと6人の側近たちⅡ 第2回 「ヨーゼフ・メンゲレ」3 3 





●気になるニュース
なぜ、靖国神社や天皇制が残っているのか私にはわからない!!
戦後も、元軍人やA級戦犯容疑の政治家が数多く日本の政治の中枢にい続け、現在もその流れが力を持っている。
国民にそしてアジア諸国等対戦相手に多大な犠牲を負わせたあの戦争。日本もアメリカも正義の戦争をしたのではなかった。日本はアジア諸国を侵略し、略奪を重ねた。アメリカは、日本をまねて、無差別空襲を実施し、最後は2発の原爆投下!!
そして、天皇とアメリカは取引をし、天皇と皇族たちは誰1人裁かれることなく、アメリカは戦争ビジネスでもうけ、731部隊員を裁くことなく、そのデータを買収した。一方B・C級戦犯は証拠も不十分で、弁護も受けることなく、命令者の罪を被されたまま処刑された!!
韓国、靖国参拝を批判 「慨嘆禁じ得ない」


本島さんの不屈の精神には驚きました!!ご冥福をお祈りいたします!!
この人は、日本軍の加害の事実をきちんと認識していた!!(ウィキペディア本島等)より(私は、原爆も非常に非人道的な兵器だと思うが!!)
[質問]原爆の持つ非人間性は。
[回答]『原爆による死には『極限の残虐』という言葉が使われるが、拷問で死ぬ前の隠れキリシタンの恐怖は、いかばかりだったか。南京大虐殺や731部隊も残虐の極致だ。日本人の非人間性、野蛮が出ている』
[質問]原爆や空襲、沖縄戦の犠牲者に責任があるのか。
[回答]『戦争責任は昭和天皇をはじめとする戦争指導者だけでなく、マスコミにあおられて狂信的に戦争を進めた一般民衆にもある。全国民を裁くわけにはいかないので、東京裁判で指導者が裁かれた』
「天皇の戦争責任はあると私は思います」「戦争終結を早く決断していれば沖縄広島、長崎はなかったと思う」
訃報:本島等さん92歳=元長崎市長
(参考)中国では731部隊は生体実験、生体解剖、細菌戦をやり、中国にあった日本の陸軍病院では当たり前に手術演習として麻酔もかけずに生体手術演習が行われていた(残酷)!!
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」


・天皇制を考える
ノーベル物理学賞受賞者・益川敏英博士にインタビュー

日比谷公園で男性が焼身自殺、抗議文見つかる

過去の自分の国が為した間違いを「謝る」こと、自分たちの「誤り」を認め、それと向きあうことが、戦争の死者の「無駄死に」に応え、自分たちの道義の「強さ」「まっとうさ」「未来性」のカギとすることで、彼らの「死」を弔うことにもつながる。 
慰安婦、日韓併合、中国侵略…「謝罪は戦争の死者たちを哀悼する行為でなければならない」―日本を代表する思想家


脱原発!!六本木に米軍基地がある?!
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治・孫崎享 対談


お知らせ と 「北海道の少女の涙の訴え」「悪の凡庸さについて」





本当に群馬県はどうなっているの?
小渕優子 安倍内閣の目玉もまだまだ出てくる政治資金で買っていた「不適切グッズ」
小渕氏政治団体、観劇会の収支1億円が不記載

群馬県、中曽根氏と小渕氏
・中曽根康弘氏の存命中に慰安所設置のことと、日航ジャンボ123号機墜落事故について聞きたい!!
・中曽根に菅はきちんと聞いたらいいではないか?中国の史料も検討したら!!
慰安婦問題 菅官房長官、河野氏の発言「大きな問題だ」
・読者の方から貴重なコメントをいただきました!!
たくさんの国家犯罪を示す貴重な資料の提供ありがとうございます。ねじ曲げられつつある歴史的事実が隠蔽されることなく公開されるため、できることは何かを考えていかなければと思ってるとこです。私の父は、関東軍で慰安婦斡旋の任務だったことを生前話してくれました。国家の政策であったはずです。
中曽根元首相と海軍慰安所(1/2)


自民党議員の中には慰安婦問題に力を注いだ議員もいた!!
クローズアップ現代 2014 山口 淑子 ~ 李 香蘭 94年の 人生 2/2 NHK


慰安婦問題に熱心な自民党議員!この史料も検討したら!!
新発見の日本軍文書:慰安婦が日本政府の行為だった

「戦争受け入れる下地づくり」

慰安婦問題に言及=日本に「遅滞なき解決」求める―国連総会で韓国

慰安婦問題、脅迫に対し声明 日本ペンクラブ

・日航123便の怪!!多くの疑問を早く解いて下さい!!
中曽根は地元なのに事故現場視察や慰霊に行ってない!!地元なのにおかしい!! しかも首相の頃の事故!!

この人に、この月例会の後何があったのか?


日本航空123便墜落テロから28年目特集3 (123便テロ総まとめ。 ちなみに佐宗邦皇<さそう くにお>さんが、「アメリカ軍によって撃墜された」と2009年8月8日の月例会で語った翌日に死亡。おそらく暗殺)

【ワールドフォーラム代表・佐宗邦皇変死事件】
(※本「消された闇! 封印されたタブー」の123便陰謀特集より引用)

「自衛隊が射殺された? NHKが流した謎の大誤報」 
「20:00 上野村三岐待機自衛隊一群到着。待機命令に反して怪我人救助を急いだ自衛隊員1人射殺」 
その後の放送では、アナウンサーがこのように伝えている。 
「──ただいま長野県警から入った情報です。現地に救助に 向かった自衛隊員数名が、何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様です。続報が入り次第お伝えします」 
衝撃的なニュースである。しかしその後、NHKは誤報であったとしている。事故当日、情報が錯綜していたのは確かだろう。しかし、国営放送たるもの、あまりに突飛に思えるこの報道を、何の検証もなしに垂れ流すだろうか? そこには事実を裏付ける、何らかの根拠もあったはずだ。NHKはその上で、自衛隊員銃撃のニュースを流し、その直後に働いた巨大な力により、誤報としなければならなかった……。その、巨大な力とは何であったのか。 
(※引用終了。救助を急いだ正規の自衛隊は、隠蔽工作をしていた闇の自衛隊<或いは闇の米軍>によって銃撃されたと思われる) 


日本航空123便の墜落事故 29年目の真実(2014年)より
『日航機墜落30回目の夏生存者が今明かす32分間の闘い』




●皇室の秘密
君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?より
まやかし裁判
時代錯誤とはこのことを言う。大手メディアがそろいもそろって首相の行動をいさめるのに天皇の言葉を持ち出すとは、とても主権在民の憲法を持つ国の出来事とは思えない。これは明らかに「天皇の政治利用」にあたる。
そもそも、マスメディアのメモ解釈には無理がありすぎる。
昭和天皇が戦後も続けていた靖国神社への参拝を、A級戦犯の合祀(78年)を理由にとりやめたのは事実であろう。ただしそれは「戦争への痛切な反省と世界平和への思い」からではない。自身の戦争責任追及を昭和天皇が恐れたからだ。
A級戦犯を神と崇める神社に参拝などしたら、苦労して築き上げた「平和主義者・天皇」のイメージが一瞬にして瓦解する。
つまり昭和天皇は天皇家の延命という観点から、靖国神社の勝手な行動に激怒した--こう考えたほうが自然である。
昭和天皇が松岡洋右元外相らに開戦責任を押しつける発言をしていたことは他の史料でも明らかになっている。戦犯連中にしてみれば、「本来なら最高責任者の陛下こそ戦犯じゃないか」というツッコミをあの世から入れたい気分ではないか。
【昭和天皇「靖国メモ」 / スクープの背後に財界の意向 / 結局は「第2の靖国」づくり】


相対的な価値感に囚われると本質が見えなくなる

スポーツを利用した「世界統一」という洗脳
世の中のあらゆる事象に対して価値を判断する基準が存在し、勝ち負けを判断できるとする考え方です。それがチームやホテルなどの格付けであり、ブランドであり、勝ち組であり負け組なのです。ノーベル賞も同じです。まったく異なる科学技術において、それぞれの学者の成果をランク付けできるという発想だからです。ある一つの基準を用いることで、「この人は偉い」と決めること自体が間違っています。

天皇家はこうして儲かる~赤十字社を通じて世界の貴族と連帯~
血液利権、輸血は堂々と行われた生物化学テロである。

天皇家が悪魔崇拝に関わっているとしか思えない幾つかの理由。
悪魔崇拝と創価学会との関連性について。これまでの簡単なまとめ。
天皇家という闇。日本赤十字社という闇。田布施システムという闇。悪魔崇拝者という闇。
エボラワクチンは殺人兵器。投与した人のみがエボラに感染する仕組みです。
天皇がどこからどう見ても悪魔崇拝者であるという証拠。
天皇家の守り人組織は暴力団!
天皇家の秘密―再掲

コメント
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国家犯罪!731から福島まで!!

2014-11-13 09:07:27 | Weblog
●昭和天皇実録!!
権力側が情報を操作して「遅すぎた聖断」の弁明をいくらしても、何にもならないのでは。
本当に真実の歴史を書こうとすれば、情報を全て公開し、第3者が書かなければならないと思う。
もちろんこの本には秘密部隊731については一言も書かれていないだろう?

西園寺八郎

昭和天皇の出生の疑惑

昭和天皇ヒロヒトの父親は西園寺 八郎、朱貞明皇后咬合との子堕った、昭和の醜卑喰ら卑闇


国民は赤紙一枚で召集され、戦地でリンチを受けながら軍隊教育をされ、人殺しを命じられ、果ては敵に殺され、時には味方によって殺され、または病死したり、餓死したり(全て「名誉の戦死」として片付けられる)惨憺たる状況に置かれたが、軍の上層部、東条や岸などの満洲を取り仕切った連中はアヘンなどでぼろ儲けをし、天皇は戦争で「マネーゲーム」をしていた?
731の建設もアヘンの取引(満業)のお金で作られたのか?
戦後の731のデータの取引も天皇とマッカーサーの間で極秘裏に多額の金が動いたのではないか?
細菌戦部隊731 

大連衛生研究所:目黒正彦さんの証言(1:03過ぎ)
23,4年頃、すごいよ。私の聞いている人は200万もらっているよ。すごくもらっている。それは大したものだ。その金はどっから出たのか私も知りたいのだけれども。そんな金どこにもあるはずがないはずだけれども、23.4年頃ね、実際のとこ。
石井さんがどっからその金を引き出してきたのか知らないけれども。
(インタビュアー)23,4年頃は、もうアメリカとの取引が終わって
その辺で、アメリカからポンと出たのかね?その辺はわかりません。
そう、みんなもらってますわ。ほとんど1人残らず。ん。
一番就職口もよかったと思うね。

どこでも入れたんと違いますかね。ほとんど大学の先生みたいな、みな元石井部隊にいた人が多かったですね。
特に上の方の、その当時の厚生省のワクチン、くらうち先生とかね。田宮先生もそうだけれども。みんな石井部隊に関係あったからね。多少でもほとんどの人が、石井部隊に足を突っ込んでいる人が多いんですよ。表向きは黙っていますけどね。みんな石井部隊から金を少しずつ嘱託でもらっているんですよ。そういう人がみんな日本の基礎を作ったでしょ。


『日本のいちばん醜い日』474ページより
満州国がアヘンの国であったことを示すデータの1つが細川護貞の『情報天皇に達せず』の中に出てくる。細川護貞は近衛文麿の秘書をしていた。近衛の娘婿、元首相細川護煕の実父である。1944年10月15日の「日記」である。

・・・・・・

1945年10月にGHQが発表した皇室財産は37億2000万円。当時の皇室財産を日銀物価価格(1990年)で計算すると、311倍となり、7912億円。東条の10億円とか15億円がいかに天文学的数字であるかがわかる。
今の貨幣価値で数千億円の金を、東条はアヘン取引で稼いでいたことになる。これが戦争なのである。国民の大半が飢餓線上にあり、住む家も焼かれていたとき、天皇から首相に任命された男は天文学的な利益を上げていたのである。・・・・たとえ流言にしても、近衛文麿の言である。たんなる流言ではあるまい。・・・

同483頁
細川護貞が語らんとしているのは、戦争を終結させるために、東条英機を首相の座から降ろそうとした岸信介は立派だという風評があがったが、本当は、今の金で数百億から数千億の国家の機密資金の奪い合いの結果、岸が大室寅之祐一族の力を利して東条英樹を捨てた。東条英機は“田布施に敗れたり”ということで、これはもうあきれて物も言えない・・・・“ということである。東条英機や岸信介は国家存亡の秋(とき)に、いかに自分の懐(ふところ)に金を入れ込むかの競争をしていた・・・と細川護貞はあきれ返っているのだ。・・・



アヘンのことは瀋陽の裁判でも取り上げられている!!
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」 


昭和天皇ヒロヒト&財界の為の戦争 アヘン事業 侵略ビジネス


明治以降 偽天皇家の実態 動画メモ

日本のいちばん醜い日/鬼塚英昭 、読書日記(海軍どころか外務省も最初から腐敗していたようです)





●終戦の詔勅
天皇裕仁は自分で決断し始めた戦争を終わらせるのに、天皇制にこだわり、多くの日本人に犠牲を強いた!!
「義は山獄よりも重く、死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ。」(軍人勅諭
我々の命は鴻(おおとり)の羽毛よりも軽い命だった!!
天皇は外国の軍隊より、国内の反乱を恐れていた!!

(口語訳)(1)戦争の大義
私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。
私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。
そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。

鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
天皇ヒロヒトが戦争を開始した、と見事に宣誓している文章である。誰が始めた戦争でもなかったのである。「アジアの安定」も偽りであることは、すでに書いた。朝鮮や中国の領土を侵略した。特に満州国の創立はアヘンによる「満業」であった。その満州国の維持費の半分以上はアヘン密売からの収入であった。

・・・・・・・・

(口語文) (4)かくて私は国体を護持した
私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。
ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。

鬼塚氏による解説(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
この中の「国体を護持し得たとともに」に注目したい。この終戦の詔書は、敗北宣言ではなく、「国体護持宣言書」なのである。この詔書の中のどこにも、日本は敗北したとは書いていない。まことに調子の良い文章に出来上がっている。
あの玉音放送は天皇ヒロヒトの発案である。・・・
かくて「鶴の一声」は全国津々浦々のみならず、海外にまで流れ、日本人は戦争の終わったことを知らされたのである。・・・・・
「天皇が日本を救った」という神話が戦後になって登場する。その神話を実現するために『日本のいちばん長い日』は創作され、映画化された。この本の欺瞞性を私は徹底的にあばいた。半藤一利に個人的な恨みなど少しも無い。そして、多くの神話が今日でも創作され続けている。私は「聖断」そのもの自体が虚構であると主張したい。天皇は国体護持のためにのみこだわり続け、戦争を長引かせたのである。戦争を長びかせたもう1つの理由を、私は天皇の財宝のスイスへの移しかえの中に見た。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このロベール・ギランの物の考え方と松浦総三の考え方は、ほぼ一致する。
「天皇は日本の救世主であるばかりでなく、いかなる残虐行為にも反対する、人間文明の防衛者たらんと欲せられたからだ・・・・」の中に、私は、天皇とアメリカとの間にあったであろう密約を連想する。
天皇はたった一度だけの原爆批判を、終戦の詔書の中でのみ赦(ゆる)された。しかし、天皇は死ぬまで一度も原爆投下の批判をしなかった。天皇と深く結び付いたヨハンセン(吉田反戦)・グループも同様であった。
天皇とヨハンセン(吉田反戦)・グループは原爆投下の残虐行為を追及しないことによって、原爆を中心とする、米・ソの見せかけの冷戦に協力し続けたのである。それこそがロスチャイルドを中心とするユダヤ国際資本家たちが狙っていた戦略だった。原子力発電への傾斜もそのような戦略の中で推進されていった。



この写真はやらせか?


詳しくは下記のブログで!!
昭和20年8月15日の皇居前の写真は ' やらせ ' だった

第2次世界大戦の真実① 昭和20年8月15日宮城前ヤラセ事件

木戸幸一内大臣のこの観察日記の中に真実が書かれている。戦争を嫌っていた国民が皇居前広場に集い、「天皇陛下万歳」ではなく、ただ、「万歳!」「万歳!」と叫んだのである。




●天皇は原子爆弾の悪口を一生語らず、生涯を終えた!!
1975年10月31日の天皇の記者会見
昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」【「日本のいちばん醜い言葉」の一つ(鬼塚氏)】

中村康二(ザ・タイムズ):天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。

天皇陛下:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。・・・・・

(鬼塚氏のコメント)
これについては批評の書きようもない。「日本のいちばん醜い言葉」の一つであるとのみ書いておく。

秋信利彦(中国放送):天皇陛下におうかがいいたします。陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲をムダにすることなく、
平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。

天皇陛下:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。


[天皇家の秘密]より
広島、長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中、天皇は自分の蓄財を海外に次々と逃がす事に専念していたのです。
この問題を調査したマーク・ゲインは、海外に天皇が逃した蓄財は累計で5~10億ドルに上るとしています。(マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)
 

(鬼塚氏のコメント)
私は「エ・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、エ・・・・・エ・・・・」の中に、直感的に、天皇が8月6日午前8時15分の広島への原爆投下の件を知っていると思った。この考えに私は拘泥し続け、この考えの正しさを証明しようと追求し続けたのである。
・・・・・・・・
天皇はたった一度だけの原爆批判を、終戦の詔書の中でのみ赦(ゆる)された。しかし、天皇は死ぬまで一度も原爆投下の批判をしなかった。天皇と深く結び付いたヨハンセン(吉田反戦)・グループも同様であった。

(松浦総三の著書より)
裕仁理論=「終戦の詔書」によれば、アジア諸国に対する“侵略”も“防衛戦争”の一環となる。裕仁らはこの“理論”を盾にとって、南京大虐殺、シンガポール虐殺、重慶大爆撃、朝鮮人強制連行、慰安婦問題などを黙殺しようとするのだ。
そのような「防衛戦争」つまり“正義の戦争”も「敵は新に残虐なる爆弾を使用してしきり(頻)に無辜を殺傷す・・・・」というわけで原子爆弾によって「終戦」にせざるを得なくなる。この部分は、裕仁の『昭和天皇独白録』で「ソビエトはすでに満洲で火蓋を切った。これではどうしてもポツダム宣言を受諾せねばならぬ」と本音を言っていることと完全に矛盾する。
歴史的事実としては裕仁がポツダム宣言を受諾したのはソ連参戦によって、ソ連の発言権が強まれば国体・天皇制が危うくなるからである。原子爆弾を投下された8月6日や8月9日には、裕仁は「なるべく早く講和を」といっている。それが、「ソ連参戦」で即時御前会議が開かれるのだ。
というわけで、「正義の戦争」は終戦となる。では戦死者、戦災者、その遺族はどうなるのか。それを思うと朕は「五内為に裂く」とオーバーなことをいう。が、「時運のおもむくところ」「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」というのだ。「五内為に裂く」といっているが、その内容は、被爆者援護法や空襲の補償はしないぞ、ということであろう。


※昭和天皇は極秘ルートで、広島・長崎の原爆投下、ソ連の参戦の情報を知っていた?
畑元帥高野広島県知事はなぜ無事で、第2総軍は畑元帥の指示で8月3日から広島市内に出動していたのだ!?

広島原爆投下時の真相(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
畑俊六は8月6日の原爆投下のことを知っていた!!
この原爆で、第2総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。
8月6日朝8時頃に、多数の第2総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。有末精三は畑俊六元帥のことを書いている。

山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥(俊六、第12期、元侍従武官長、支那派遣軍総司令官)に敬意を表し、今夕、仁科博士等の到着を待って調査に着手する旨申告した。将軍は被爆当時日課として朝のお祈りで、神棚に向かっておられたため、幸いに被害はなかったとのことであった。

有末精三は「それぞれ頭や頸元や胸に包帯をしていた岡崎清三郎参謀長(中将、第26期)、真田穣一郎少将(参謀副長、第31期、前大本営陸軍部作戦部長)、井本熊男作戦主任参謀(大佐、第37期、後の陸将)、同参謀橋本正勝中佐(第45期、後の陸将)などが草の上に胡坐(あぐら)をかいたり横になったりして論議しているところへ挨拶否見舞に行った・・・・」と書いている。生き残った第2総軍のトップクラスも全員負傷して、草の上で胡坐をかいていたのである。
この日、間違いなく、第2総軍の全員は、8時頃に集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。ほとんどの第2総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。
ひとり、畑元帥のみが理由はともあれ、この総司令部に行っていないのである。
「山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥」と有末精三は書いている。
私は東郷茂徳外相の依頼か、他のヨハンセン(吉田反戦)・グループの依頼を受けた松本俊一次官が原爆投下前のある日、秘かに畑元帥と会談し、8月6日午前8時すぎころの広島に原爆を落とす計画を打ち明けたと思う。そのときに松本俊一外務次官は、この日の8時過ぎに、第2総軍の全員が集合するようにして欲しいと依頼したとみる。この第2総軍を全滅状態におけば、陸軍の反乱の半分は防げるからである。・・・・
・・・・・・・・・・・
学徒を殺し、一般市民を殺し、第2総軍の軍人を殺し、木戸幸一は大井篤の尋問に答えている。

陛下や私があの原子爆弾によって得た感じは、待ちに待った終戦断行の好機をここに与えられたと云うのであった。特に皇室や上流階級にも身命の危険が及んで来たからではない。
※ウキペディアには 畑俊六は「昭和20年8月6日の広島市への原子爆弾投下により、国鉄広島駅付近で被爆するも奇跡的に難を逃れた。被爆直後から畑は広島市内で罹災者援護の陣頭指揮を執り、広島警備命令を発令した。その職にて終戦を迎える。」と書いてある。真実を書いていないのではないか?
高野源進広島県知事は県下福山に出張中だった。

高野 源進(たかの げんしん、明治28年(1895年)3月15日 - 昭和44年(1969年)1月4日)は、日本の内務官僚、弁護士。官僚としては主として警察畑を歩き山梨県知事・警視総監などを歴任したが、特に原爆被災時の(官選)広島県知事を務めたことで知られる。
福島県北会津郡北会津村で農業を営む高野源八の長男として生まれる。
ヒロシマ壊滅 その時 知事は 高野源進氏の書簡見つかる 


畑 俊六(はた しゅんろく、明治12年(1879年)7月26日 - 昭和37年(1962年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は元帥陸軍大将。偕行社会長。位階勲等は従二位勲一等功一級。陸相在任中に戦陣訓も考案した。
終戦間際の昭和20年(1945年)8月14日10時、昭和天皇は御前会議の開催に先立って元帥会議を召集し、俊六(第二総軍司令官)、杉山元(第一総軍司令官)、永野修身(元軍令部総長)の3元帥より意見を聴取した際、杉山と永野が主戦論を張るなか、畑のみは「担任正面の防御については敵を撃攘し得るという確信は遺憾ながらなしと申上ぐる外ありません」と率直に現状を説明、これが本土決戦の不可能を昭和天皇に確信させることになった。

父は旧会津藩士・畑能賢

これも天運であると共に明治大正を通じて温醸された弊害が積り積って潰滅した結果に外ならない。

※どんな因縁があるのか知らないが、ご両人とも福島県出身。会津藩は幕末には薩長にやられ、敗戦間際には天皇の命令により第2総軍の壊滅計画の役を買わされ、その後の原爆被害の対応、そして2011年には最悪のレベル7の福島原発事故!!
(畑は、南京大虐殺後の昭和13年(1938年)には松井の代わりに中支那派遣軍司令官となり、徐州戦、武漢作戦を指揮している。)



(参考)
大木操の『大木日記』の8月7日を見ることにしよう。大木操は当時、衆議院書記官長であった。

8月7日(火)晴
10時半登院、間もなく警報、小型機空襲。
議長、副議長と雑談。
正午過ぎ、岡田厚相来訪。広島に原子爆弾を6日午前8時半頃投下。十数万の死傷の報、大塚地方総監爆傷死、畑元帥健在、高野知事は出張中にて助かる。成層圏より落下傘にて投下、地上2,3百メートルにて爆裂、直径4キロ全滅全焼、エライことなり。
直ちに依光代議士は日政の幹部会にこれを伝える。一座愕然。

では、『広島県史(近代Ⅱ〕』の「原爆と敗戦」を見ることにする。

広島地区司令部の強い要望により、中国地区司令部の強い要請により、中国地方総監および広島県知事は8月3日から連日義勇隊約3万人、学徒隊1万5千人の出動を命令した。

この2つの本を読んで、私は次のように推論する。 
8月初旬に広島県庁に入った畑元帥は、高野源進広島県知事と中国地方総監を説得した。第2総軍を動員し、8月3日から連日、義勇隊3万人、学徒隊1万5千人を出動させよと命じた。畑はひそかに、高野知事に真相を打ち明けた。高野知事は広島を去った。こうした中で8月6日の朝8時15分を迎えた。第2総軍の軍人たち、義勇隊、学徒隊の多くが死んだのである。
・・・・・
もう1度、米内海相の直話を記す。天皇も木戸も、この米内の話に賛意を示したのである。

私は言葉は不適当と思うが、原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めるということを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなくて収拾出来るというのがむしろ幸いである。(「米内海相直話」昭和20年8月12日)

まさに、米内海相が語るがごとく、数十万の死者を出した原爆より、ソ連参戦で満洲で数十万の軍人や民間人が死んだことより、国内情勢の憂慮すべき事態が重要であると、天皇や米内たちは考えたのである。その1つが広島にある第2総軍であったというわけである。
その第2総軍は壊滅した。西日本の軍の反乱はこれによって鎮圧された。残るは関東一円となった。その中心の皇居を舞台に、偽装クーデターを起こしたというわけである。



●天皇はなぜ広島・長崎の原爆忌に参列しない?天皇と原爆は関係ない?
天皇批判した小川、謝罪も炎上
小川未菜は100%正しい! 「日本人は昔,天皇のせいで苦しみ、命がたくさん奪われた」


日本は戦争中、世界で初めての2発の原爆投下を、経験した。
これは、アメリカが莫大な費用をかけて開発したものだった。
アメリカは実戦の効果を知りたかった。

原爆の子
最初の原爆はドイツが作ったと言う説もある!!
スパイ ”ベラスコ” が見た広島原爆の正体 (高橋五郎)


日本が、本当に「自衛のための戦争」をしていたならば、敗戦後この非人道的な核兵器の被害を、国際社会に訴えることができたはずだ。
ところが、日本は戦争中、中国大陸において、驚くべき残虐な人体実験、細菌戦、毒ガス戦等を展開していた。アメリカは再三日本に「この非人道的な細菌戦、化学戦(毒ガス戦)はやめろ」とと警告を発していた。
日本は自国の戦争犯罪を隠すことに汲々として、アメリカとの取引をし、そして、原爆被害を世界に訴えることなく、全面的に核兵器の効果を調べるためのアメリカの調査に協力した。その結果、その調査によって被爆者は全く治療されなかった。
封印された原爆報告書


1997年の平和宣言で広島市長平岡敬氏は「アメリカの核の傘から日本は抜け出すべきだと政府に要求する」と唱えた。
すると橋本首相は平岡氏に歩み寄ってきた。
「あなたの気持ちはわかるけれども、そんなことはできない。あなたはアメリカの怖さを知らない」と言ったという。
やんばるの白ひげ ~核の傘の下で~(3)


私の想像:もしも日本政府が、アメリカの核戦略から抜け出し、この非人道的な核兵器の廃絶を世界に訴えたら、アメリカは「日本が中国で行った非人道的な人体実験、細菌戦、毒ガス戦、三光作戦等をばらすぞ!!」と脅しているのではないかと思う。そしたら今の天皇制はすっ飛んでしまうだろう。
追記:アメリカの怖さとはこれかな?
橋本龍太郎は、1986年7月22日、第3次中曽根内閣の運輸大臣に就任した。
このドラマの最初の方で事故調査報告書を受け取っている。
ボイスレコーダー  ジャンボ機墜落20年目の真実
米軍が墜落させた?それとも、自衛隊?
「御巣鷹山JAL123便墜落事件の真相について!」佐宗邦皇代表

【ワールドフォーラム代表・佐宗邦皇変死事件】
(参考)【天皇は偽物】現皇室の秘密を暴くと、早死します

橋本首相は続けて言う。
「日米安全保障条約によって支えられている安全保障の仕組みがこの国にとって必要だ。」

私の解釈:だからお互いに過去の非人道的な過ちは隠しておいて、未来志向で、放射能の怖さや遺伝子組み換え操作の怖さにも触れず、日本はアメリカの核戦略・生物化学兵器開発(もちろん日本も密かにやっているのでは?)を危険と知りつつ、進んでいきましょう。そしたら、天皇制も安泰です!!(何時まで続くこの身分差別!!)
原爆を浴び、放射能の恐怖を体験したはずの日本が、原発を50余機持っている。そして文殊はじめ原発関連の施設の維持費は膨らむばかり。国家財政は破綻寸前!!(破綻しているのかな?)、若者の貧困化も深刻!!

・内部被曝を日本の司法は認めているが、日本政府は認めていない?
・日本の医療・教育で、本当に「人間を人間として見る医療・教育がされてきているのだろうか?」
※日本は、戦後東京裁判で731部隊の罪業が裁かれることなくきたために、教育界・医療界でも戦争の反省をすることなく進んでしまった。
その結果、歴史認識の問題や放射能の怖さについても、まともな研究が疎まれ、今の政治状況が生まれている。
広島・長崎で2発の原爆投下を受け、悲惨な状況を経験し、また福島であれだけの原発事故が起き、これまた悲惨な状況にあえいでいるにもかかわらず、原発再稼動に日本は突っ走ろうとしている!!なぜなのか?
日本では、「人間を人間として見る」教育などされていないのでは?
いつも権力者の言うことに慣れ親しんいる。





●731部隊!!

部隊展開催の予定
11月25日(火)~27日(木)世田谷


夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より

混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)





・『731部隊 細菌戦の医師を追え(今も続く恐怖の人体実験)』(高杉晋吾著 徳間書店)

細菌戦争の実態

常徳作戦―朝鮮戦争のモデル“ペスト攻撃“


また、彼のもう1つの証言は衝撃的であった。
「寧波で撒いたものの1つに腸チフス菌がありましたよ。紙幣を大量に印刷して、菌液を雨下しながらお札をばら撒いたのですね。これは2部の3課が試験していました」
この証言を裏付けるものとしてハバロフスク裁判での柄沢十三夫少佐の供述がある。
「1940年の後半、私は、直属上官たる鈴木少佐より、腸チフス菌70キログラム及びコレラ菌50キログラムを製造することを命ぜられた」
この証言にみられる腸チフス菌70キログラムの細菌攻撃への使用の一端が伊沢氏の証言で浮かび上がってきたのである。しかも紙幣の偽造大量印刷ということは、中国の経済を混乱させる謀略でもある。こうした紙幣の大量印刷と撒布を専門に行なっていた陸軍第9研究所との共同謀略の可能性もうかがわせる。




続きは「ノブのノート」

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