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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-06-18 08:03:22 | Weblog
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「日の丸」・「君が代」反対!!

●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社


●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊の足跡

中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

4、細菌兵器の研究開発

14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。

3、防疫体系

 731部隊は細菌の研究開発と同時に、部隊自身の防疫に十分注意していた。日本の作家森村誠一氏は《悪魔の飽食》で、細菌製造班の隊員は、「まず更衣し、必ず‘入浴’してから職場に出勤した。更衣室で裸になり、白い作業服にガーゼ7~8枚を重ねたマスクをかけ白帽をつけ、ゴム製の前掛けを首から足首上まで当て、ひざ下まであるゴム長靴をはく。ゴムの手袋をはめて特別製のメガネをかけると完全装備になる。この姿で浴場に入るのである。浅い浴槽には石炭酸液が張ってある。消毒液の中をざぶざぶと歩いていくと、浴槽を渡り終えたところで、ひざから下が無菌状態となる。消毒の川であった」と書いている。
 濾水車、濾水器、濾水機は野外での細菌作戦のときに、本部隊兵士たちが細菌に感染されることを防ぐための浄水用道具である。また、731部隊は「超音波」によるワクチン生産を研究し、この技術をワクチンの生産作業に応用した。石井四郎は日本の超音波技術の著名専門家渡辺博士を731部隊に呼び寄せ、この技術の研究を強要した。しかし渡辺博士は生物戦争における医学技術の応用に終始反対し、のちに不審な交通事故で死亡している。

 

日本軍細菌戦部隊


日本陸軍軍医学校(東京)

関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部

華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部

華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部

華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部

南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部

関東軍第100部隊(長春)

        
     

南京大虐殺    
 

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 長江北岸の浦口での集団虐殺

張福龍(男、65歳)の証言

(昨日の続き)もうじき私の番になる、という時に、どうせ死ぬに決まっているのなら、日本兵1人を道ずれにしてやる方法を考えねば、と思いました。小高い所まで行った時に、私が左手を伸ばしたら、すぐに日本軍のもう1人に見つかって、たちまち私を刺しにきて、長江に押し落とされてしまいました。私は小さいときから堤防で囲まれた水地帯で育ったので、水には割りに強く、水中で懸命に振り切って逃げようとしたら、間もなく縄が振り切れたので、水にもぐって、急な流れに任せて東へ泳ぎ、およそ7,8分後に、七里洲に泳ぎ着きました。その頃の七里洲は今よりずっと大きくて、今の南京長江大橋の下も洲になっていました。私は七里洲でおよそ2時間余り休んで、浦口埠頭の明かりが消え、銃声が響かなくなってから、又水に入って向こう岸の橘子洲(今の南京鋼鉄廠の近く、今はもう田畑になっている)の方へ泳いで行きました。長江の水は死んだ人の血で真っ赤に染められ、水の面には死人がびっしり隙間なく浮かんで下流へと漂って行くので、私は死んだ人の体のその又上を泳いで行くしかありませんでした。岸に上がった時は東の方がもう白んでいました。橘子洲は至る所死人ばかりで、脚を降ろす処が無く、地面には百近い支柱で支えた芦葦の堆もありましたが、私が十余りずうっと見て行った芦葦の堆の中には、みんな死人がいて、私はある堆の中に潜り込んで死人と一緒に眠るしかありませんでした。その時は疲れたのか、それとも気を失ったのかも分からずに、太陽が今にも山に沈もうとする頃までずうっと眠ってやっと目が覚めたのでした。私は父が岸辺の畠で仮住まいしている所まで走って行き、まだ小屋に入らない内から、父が上の兄に私を連れ出すべきではなかったと責め立てているのが聞こえていたのですが、2人が私を一目見るなり首を抱いて大泣きし出したというのに、私は気を失ってしまって、何も分からなかったのでした。目が覚めたら、既に上の兄が家にいたのです。その時に初めて分かったですが、長江に押し落とされた時にぶつかって歯が4本折れ、首が竹の大駕籠のように腫れ、右腕の中ほどが奥まで刺されていて、傷口のところが水ぶくれし肉までめくれてぐしゃぐしゃになってきていたりし、今になっても傷痕があります。上の兄の家で一ヶ月余りほど休んでから、傷口がだんだん好くなって来ました。
 この惨憺たる事件は40年余り経ったのですが、その血の教訓は私たちは終生忘れることができません。青少年たちにも常にこの歴史を話してやって、言うのですが、人が窮すると至る所で侮辱され、国家が窮すると普通の人々が災禍に見舞われます。どうしても今日の幸せな生活を大事にし、奮起一番学習に努め、仕事に励み、「4つの現代化」に貢献しなければなりません。(呉大興と謝興栄が記録)



憲法9条


「Imagine9」【合同出版】より


おたがいに戦争しないと

約束した世界

 地球規模では、世界各国では軍隊を減らす一方、国連に「緊急平和部隊」をつくり、紛争や人権侵害を防止しようという提案がなされています。また、イタリア憲法11条は、日本国憲法9条と同様に「戦争の放棄」をうたっていますが、そこには「国どうしの平和的関係のためには、国の主権が制限される場合もある」と定められています。つまり、国際的なルールや制度によって平和を保つ事が重要であり、「自国を守るため」といって勝手な行動をとることは許されないということです。
 グローバル化の時代、人々は国境を越えて行き来し、経済や社会はつながりあっています。安全を自国の軍事力で守ろうとすることよりも、国どうしで約束をつくり、国際的に平和のシステムをつくることの方が、現実的に必要とされてきているのです。


 

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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