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核・戦争のない世界!!

2025-09-08 11:26:24 | Weblog

 

未知の断層はまだまだあるのではないか??
同時に、原発事故が起きていたら??
国策原発推進反対!!
石川 志賀町で大地震引き起こした活断層とは異なる断層確認
「活断層」リスク評価 専門家 “調査手法など見直す必要ある”

原発活用の国策見直しを!!
ビキニ被災から71年!!
地球を破壊した戦争・核実験・原発
世界に拡がる放射能汚染!!
核兵器禁止条約批准せよ!!
反原発!!温暖化の一番の原因は2000回以上行われた核実験にあるのではないか?

あれだけの戦争をし、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマで4度の被ばくの体験した日本から、核廃絶・反原発・反戦をアピールしよう!!

ビキニ被災から71年!!核廃絶!!

原爆マグロ(水爆マグロ)
マーシャル諸島は太平洋中西部に浮かぶ、たくさんの珊瑚礁からなる国です。アメリカは 1946 年から 58 年までここを核実験場とし、67 回もの実験を行った。
1954年の3月から5月のキャッスル作戦では、多くのマグロが放射能に汚染され、それが問題になったので、3月から12月までは、魚の放射能検査を行ったが、その後は、行っていない。多くの日本人は、放射能汚染されたマグロを食べていた!!

 

築地市場跡地に核廃絶を訴え“マグロ塚”設置を要請 核実験に遭遇した「第五福竜丸」が持ち帰る 


       第5福竜丸無線長 久保山愛吉さん

辞世の句

原水爆の犠牲者は、わたしを最後にしてほしい。

— 久保山 愛吉

※1954年のアメリカの水爆実験による日本の被災船は、延べ1000隻に上る。アメリカは、第五福竜丸の船員には見舞金を支払ったが、他の船員には、全く補償をしていない。
大石又七とマグロ塚(2024年2月25日)
ビキニ 隠された被害


2023「731・原爆・ビキニ・フクシマ」展

なぜ、日本はイタイイタイ病の原因を認めなかった?萩野医師の死後、世界を舞台に起きた陰謀

京都・島根ジフテリア予防接種事件

虹波は「猛毒」、旧陸軍認識か 嘱託医が戦後寄稿

 

2025/05/29 (神奈川新聞)

 

 太平洋戦争中に旧陸軍が開発を進め、戦後にかけハンセン病患者に臨床試験で投与された薬剤「虹波(こうは)」に関し、第7陸軍技術研究所の嘱託医だった男性が戦後、学会誌に「これは猛毒」と寄稿していたことが28日、分かった。陸軍側が危険性を認識しながら研究を推進した可能性がある。熊本県の国立ハンセン病療養所菊池恵楓園(きくちけいふうえん)歴史資料館が明らかにした。

 資料館によると、第7陸軍技術研究所の嘱託医だった慶応大医学部の植村操教授が1947年に「照明学会月報」に寄稿した。研究の経緯を記す中で、虹波の主成分「感光色素」について「しかしこれは猛毒であっていつも第一被験者になって相当にむちゃをする自分もこれを用いるにはちゅうちょした」と記載。「無謀にも人体に応用しようとした」と振り返った。

 虹波は写真の感光剤を合成した薬剤。寒冷地での兵士の凍傷対策など肉体強化のほか、ハンセン病や結核の治療を目的に旧陸軍が研究した。戦中戦後にハンセン病療養所で投与され、副作用が相次ぎ死者も出た。

 資料館の原田寿真学芸員は「陸軍側に毒性を認識している医師がいたにもかかわらず、軍が主導して臨床試験を行った可能性がある」と指摘した。

 

ワクチン禍

 

京都ジフテリア禍事件 解明の進展

 

※この時代は予防接種を受けないと罰金が科された時代であった。


原子力村解体!!安保村解体!!

 

第3回「731・原爆・ビキニ・フクシマ」展アンケートから 

 

22日(日)

1、昔、教員をやっていた頃、修学旅行で広島に行ったり、平和教材を使った授業をやっていた頃を思い出しました。 被団協が、ノーベル賞をもらったことを機に、新たな平和のうねりがおこることを期待しています。

(70代、チラシ、原爆の絵、ビキニ)

 

 

被爆国の首相が、なぜ放射能の恐ろしさを語らない??

再生可能エネルギーの積極的活用を!日本も脱原発の方向へ!!
現在原発を利用していない国・・・イタリア・オーストリア・オーストラリア・台湾
将来的に非利用にする国・・・・・韓国・ドイツ・ベルギー・スイス

台湾 最後の原発が運転停止へ 民進党政権「原発ゼロ」実現

福島原発事故の図説や写真、記事など


福島原発周辺8町村 1514人が震災関連死 7割が3回以上移転

世界史上最悪(レベル7)の原発事故福島第1原発
原発推進、汚染水放出、アメリカと日本の関係??
日本の医学界も、原発推進、汚染水放出等の問題に、なぜ沈黙する。


ALPS処理汚染水を海に捨てないで!海洋投棄を止める活動にご支援を

グリーンピースからのメールの一部より
汚染水放出に反対、再生可能エネルギーへの早期転換を求めて
8月22日、日本政府は、東京電力福島第一原発敷地内に貯留されている「ALPS処理汚染水」の海洋放出を気象や海象条件などに支障がなければ、9月24日にも開始することを発表しました。
グリーンピース・ジャパンは、 2023年8月17日、汚染水の海洋放出に反対する署名36,334筆を経済産業省に、原子力発電所に反対する署名18,642筆を内閣府に提出しました。
 「放射能汚染水を海洋放出しないで」署名を経済産業省の担当者に提出しました。
日本政府および東京電力は、漁業関係者や住民、太平洋地域や近隣諸国の懸念を押し切って、放射性物質を含むALPS処理汚染水を海に放出する決断に踏み切りました。あらゆる問題を山積みにしたまま、数日のうちにも海洋放出が開始するかもしれないこの状況に、憤りを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
グリーンピースは8月17日、54,976筆の署名を、国際環境NGO FoE Japanなどが主催する政府・東電との討論会の場などで政府に提出しました。また8月18日には、市民団体「これ以上海を汚すな!市民会議」が、首相官邸前にて行った汚染水の海洋放出に反対する要請行動に参加しました。

8月18日の「これ以上海を汚すな!市民会議」主催の抗議集会


放射性廃棄物の海洋放出は、福島第一原発の廃炉計画の失敗を明らかにしています。いったん海に流された放射性物質は決して回収できません。一方で、汚染水の発生を止める有効な手段はとられていないままです。放射性廃棄物を意図的に放出し、海を汚染するという選択は、日本の数十年にわたる原発政策が招いたものです。

署名提出、討論会でわかったこと

 グリーンピースが政府に署名を提出した2023年8月17日、市民と政府および東京電力との討論会がありました(国際環境NGO FoE Japan主催)。経産省、原子力規制庁、東京電力から10名以上が出席し、市民側は放出に反対する福島県民、オンライン参加者も含め多くの参加がありました。
 2015年、政府・東電は、「関係者の理解なしにいかなる処分も行わず、他核種除去設備で処理した水は発電所敷地内のタンクに貯留します」と文書で約束しています。討論会で「この約束は守られるのか」と問われた際には、はっきりと「守る」と回答していました。それにもかかわらず、海洋放出を推し進めようとする政府の不誠実な姿勢は、到底受け入れられるものではありません。
 また、討論会では、グリーンピースはじめ、多くの研究者らが提案してきた陸上に保管する代替案について、ほとんど議論されていなかったことが改めて浮き彫りとなりました。東電は「モルタル固化処分案」については「ALPS小委員会においても検討が行われている」と回答しましたが、検討されたのは地下に埋設する別の方法についてであり、さらにそれも2行書いてあるだけで、会議資料にも議論の記録はありません。
 処理費用と期間も大幅に膨れ上がっています。様々な処理方法が検討されていた2018年の時点で、海洋放出の費用は17~34億円とされていましたが、現在の試算では1200億円となり、処理にかかる期間も52~88ヶ月程度と書かれていましたが、現在は少なくとも30年以上と言われています。

海を汚染しない選択を求めます

福島第一原発の廃炉作業を進めるために「ALPS処理汚染水」の海洋放出は必要ありません。抜本的な解決策について、グリーンピースは元ゼネラル・エレクトリック社で東電福島第一原発などに勤務していた原子力コンサルタントの佐藤聡氏に委託し、2021年に具体的な提案を含むレポートを公表しています。
 欧米で運用されているより高精度な多核種除去設備で限界まで放射性物質を取り除いた処理汚染水を、現行のタンクより堅牢な大型タンクに移し、さらに高度な除去技術を開発することが、現段階では最善の解決策であるとグリーンピースは考えます。
ALPS処理水海洋放出反対学習会「豊かな海を後世に引き継ぐために」/ 福島大学准教授 林薫平先生


第9回「戦争の加害展」(横浜)

第9回 戦争の加害パネル展

それは丘の上から始まったー平楽の丘で起きたことー

上海で日本軍は何を

横浜で「戦争の加害展」 香港フェニックス

記憶の継承を進める神奈川の会




横浜の「戦争の加害展」2023

日本が中国に棄ててきた毒ガス問題

中国に戦後日本軍が遺棄した毒ガス被害に苦しむ人がいる(日本政府は補償していない)が、日本にも毒ガス工場で働いた人、毒ガス工場解体時に被害にあった人がいるが、その人たちへの補償はどうなっているのだろうか?
以下は、毒ガス研究者の田中浩朗さんの『日本軍の毒ガス戦の歴史』による。
「1952年に大久野島毒瓦斯傷害者互助会が結成され、国に毒ガス傷害者の援護が求められた。そして、1954年の大蔵省通達「ガス障害者救済のための特別措置要綱」によって忠海製造所の旧従業員(旧陸軍共済組合の組合員)に対する援護(医療費や各種手当の支給など)の道が開かれた。その後、徐々に援護の対象が拡大され、現在では旧東京第二陸軍造兵廠忠海製造所、旧広島陸軍兵器補給廠忠海分廠、旧東京第二陸軍造兵廠曽根製造所、旧相模海軍工廠の旧従業員(財務省所管)および元動員学徒等(厚生労働省所管)に対する援護制度が存在する。最後の援護対象となった旧相模海軍工廠の旧従業員らが援護されるようなったのは、戦後半世紀以上が経過した1999年のことであった。」

町に潜む毒ガス兵器2004.7.15
毒ガスの行方(浜名湖) 2003.11.15
迫られる毒ガス弾処理~化学兵器禁止条約発効へ~
隠されてきた毒ガス 1996.9.10
悪魔の霧は今も 毒ガス兵器の惨禍(1996.8.28)


今世界に訴える毒ガスの島
湖底に沈む爆弾~化学兵器・もうひとつの戦後処理~
化学兵器をどう処理するのか~迫られる日本の選択~
忘れられた毒ガス被害者(相模海軍工廠)
毒ガス工場46年目の証言(東京第二陸軍造兵廠 曽根製造所)
毒ガス工場解体(大久野島の毒ガス工場解体)
暴かれる毒ガス戦の真実
オーストラリアの毒ガス人体実験ニュース
オーストラリアの毒ガス人体実験

化学兵器禁止条約が発効(1997年4月29日)されて10年過ぎても20年過ぎても(原則10年以内に廃棄)、中国に遺棄した日本軍の毒ガスは廃棄できないでいる。(廃棄完了は2027年の予定)分解できない砒素はドイツの地下に貯蔵?
毒ガスの処理事業は、内閣府は、下記の資料では2022年に終了することになっていたが、終わらす、2027年には完了するとしているが、本当に終わるのであろうか??

日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する中国外交見解
2024年7月30日中国外交部记者会見
东方卫视(ドラゴンTV)記者の質問
 今日は、「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する中華人民共和国政府と日本政府の間の覚書」締結25周年記念日です。報道官は関連作業の進捗状況と中国の懸念について紹介してもらえますか?

林剣報道官の答
 中国における日本の遺棄化学兵器は、中国侵略戦争中に日本軍国主義が犯した重大犯罪の一つであり、依然として中国人民の生命と財産、生態環境の安全に重大な脅威を与えている。今日まで、中国は日本の遺棄化学兵器問題を非常に重視しており、化学兵器禁止条約と日本の遺棄化学兵器廃棄のための日中政府間覚書の規定を遵守し、遺棄化学兵器をできるだけ早く、安全かつ清浄かつ徹底した方法で廃棄するよう日本に求めている。
 中国の強力な支援により、日本はこれまでに約13万個の日本の遺棄化学兵器を発掘・回収し、約10万個を廃棄した。しかし、日本の投資は不十分かつ不均衡で、遺棄化学兵器の廃棄プロセス全体は依然として大幅に遅れ、廃棄計画は4回も延期されている。いくつかの重要かつ困難な問題は未解決であり、廃棄の進行は著しく妨げられ、中断されている。
 日本の遺棄有毒化学兵器を除去することは、日本が逃れられない歴史的、政治的、法的責任である。中国は日本に対し、中国の懸念を真剣に受け止め、条約に基づく責任を真摯に果たし、あらゆる面で投資を拡大し、遺棄化学兵器の処理プロセスを加速するためにあらゆる努力をし、関連する廃棄計画を包括的、完全かつ正確に実施するよう強く求める。そして一刻も早く中国人民に浄土を返していただきたい。

 

日中未来平和基金
日本が、中国へ捨ててきた毒ガス兵器による被害者の救援のお知らせ
日本が捨てた毒ガス兵器で寝たきりに「震えが止まらない」「助けて」怒り苦しむ中国人女性の涙


遺棄化学兵器処理事業情報公開裁判

「遺棄化学兵器処理事業情報公開請求訴訟」とは? 

 先の大戦で、旧日本陸・海軍は化学兵器(毒ガス兵器)を製造・使用した事実を隠すため、 敗戦時、日中両国内でそれらを地中に埋めたり、川や海に投棄しました。戦後もこれらの遺棄化学兵器による被害が後を絶ちません。 

 日本は1995年に化学兵器禁止条約に批准し、1999年以降、内閣府主導で、それらの化学兵器を中国で処理していますが、処理してもなお化学兵器に含まれていた有毒物質のヒ素が残ってしまいます。内閣府はこのヒ素を含んだ有害廃棄物の最終処分をドイツで行うことを検討していることが判明し、その検討経緯を知るために、2019年9月に行政文書開示請求をしました。しかし、「公開」された6861頁のほとんどが黒塗りで肝心の経緯が分からなかったため、審査請求も行いましたが、2022年5月19日、「ほとんどの文書の不開示は妥当である」という趣旨の内閣府の裁決がありました。

 

 そこで、議論の過程を明らかにするために、12人の弁護士の協力のもと、2022年11月18日に提訴しました。

 

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核・戦争のない世界!!

2025-09-08 11:25:02 | Weblog

 

遺棄化学兵器処理事業情報公開裁判第6回

遺棄化学兵器被害裁判と被害者支援基金活動 2023 12 5



News & Information

国は、遺棄毒ガス処理の行政文書をきちんと国民に黒塗りではなく、全面公開せよ!!

2025年9月2日(火)11:00~

東京地裁703号法廷 弁護団報告

国から全ての行政文書について、不開示理由が提出されています。

こちらからは335文書(6,861頁)のうち、文書番号201~335までの文書に対する反論を次回までに提出します。

被告国側も、335までの再反論がある場合は提出します。

裁判官が変わったので、並行して提起している国賠訴訟*における、国の主張に対する反論も次回行います。

今後、何らかの形で皆さまに報告する機会を作りたいと思いますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします!

 (*本来明らかにしなければならない箇所を黒塗りで出してきたことに対する慰謝料を請求するもの。)

\次回弁論傍聴のお願い/

2025年11月13日(木)11:00~

東京地裁703号法廷

 

 \ご支援よろしくお願いします/

【口座記号番号】00120-2-732043 

【口座名称】稲垣美穂子(イナガキミホコ) 

  

他行からのお振込み頂く場合: 

【店名(店番)】019【預金種類】当座【口座番号】0732043 

  

▼頂いたご寄附の使途▼ 

・訴訟に必要な事務費用(印紙、郵券、印刷費・参考文献購入費、会議費など) 

・専門家の意見書執筆費用 

・弁護団交通費用 

・弁護士費用

 

以上

ウェブサイト

*日本は、なぜこんなに情報公開に後ろ向きなのだ!!
毒ガス処理を含め、過去の負の遺産を

すべて隠そうとしている日本政府の姿勢にあきれてしまう!!

 

毒ガスの処理についても、大事な問題なのだから、国民にきちんとわかる形にして、どのように処理されているのかはっきりさせる必要がある!!

 

*裁判長にすら、原本黒塗りとは何事だ!!インカメラ審理の導入を!!
*秘密保護法反対!!戦時中の文書・戦後の文書もきちんと国は公開すべきだ!!

・インカメラ審理とは、「裁判所だけが文書等を直接見分する方法により行われる非公開の審理」を指す。情報公開訴訟において、このようなインカメラ審理が認められなければ、裁判官は、争点となっている文書を実際に見ることなく、これに不開示情報が記録されているか否かを判断せざるを得ないのである。
 そのため、情報公開法の立案時以来、実務家、研究者、市民団体などから、情報公開訴訟においてインカメラ審理の導入を認めるべきであるとの強い要望があったにもかかわらず、今日に至るまで、インカメラ審理は認められていない。 (情報公開訴訟とインカメラ審理 行政監視委員会調査室 畠 基晃)より


被爆国日本は、核兵器廃絶・反原発を推進すべし!!

防衛費増額反対!!

旧統一教会問題

帝銀事件

帝銀事件と731部隊

731部隊と大学

731部隊の4つの細菌戦

「証言 石井四郎」~語られた人物像~

細菌製造の731部隊~731部隊軍医秦正氏(はたまさうじ)の証言


厚労省は新型コロナワクチンデータを開示せよ!


関東大震災時の朝鮮人虐殺

「戦争と医の倫理」の検証を進める会シンポジウム

狭山事件ー石川一雄さんを訪ねて

ご冥福をお祈りいたします。

62年前の狭山事件で再審求めてきた石川一雄さんが死去 86歳

2025.7.5 石川一雄さん追悼集会

小林多喜二没後90年(2023)

 

◍平頂山事件パネル
平頂山事件91周年集会(2023年9月)

東北陥落と遼東での抗戦

楊伯堡坑は翁寿の撫順石炭公司(会社)が採掘を始めた古い炭鉱で、1905年、日本軍が占領し、1907年、大山坑竪坑での採掘が始まった。大山坑の名称は、日露戦争時に日本軍参謀長を務めた、日本陸軍の満洲軍総司令官陸軍大将大山巌の名前から付けられた。

  平頂山事件資料館

撫順未来実行委員会からのお知らせ

細菌製造の731部隊~731部隊軍医秦正氏(はたまさうじ)の証言
南京大虐殺から雲南戦へ



「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
                             1995年8月15日

平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱と
 した平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題につ
 いても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に
 対応してまいります。

 

南京大虐殺

 

南京大虐殺(マギーフィルム)
パネー号撃沈

 

重慶爆撃
重慶爆撃遺族が沖縄訪問へ 来月に玉城知事と面会調整

第58号 重慶爆撃
原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)

 

苦干(重慶無差別爆撃)

731部隊



731部隊[中国新闻]日本学者向浙江义乌捐赠近千件细菌战

日本学者来华披露731部队罪证档案

全球连线|日本学者来华披露731部队罪证档案

原爆
ニュース257号

八王子 平和・原爆資料館

●東京帝国大学伝染病研究所

伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より

●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか?精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
・中込亘は、731部隊で細菌に感染して死んだのだろうか?



実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??

 

実験医学雑報24巻12号で、三田村が伝研の所長に任命されて、挨拶を書いているが、宮川米次がなぜ、伝研を去ったのかに全く触れていない!!

 

宮川は、どんな不祥事をしでかしたのか?その後、伝研には姿を見せていない。

長與又郎・・・・石井は京大総長であった荒木寅三郎(生化学)の娘,喜代子と結婚します。荒木は東大医学部 出身で後輩に長與又郎(病理学,後に東大総長)がいました。長與は清野,川上漸(京大病 理,後に慶大病理教授),戸田正三,金関丈夫(京大解剖,後に台北帝大教授)らと交流があ り石井ともつながっていました。長與は京都で開催された第十回医学会総会(1938年)で石井 の戦地実況活動写真を鑑賞し,ハルビンの731部隊も訪問しています。石井は京大,軍医学校 を経て東大へと人脈を広げていきましたが,それは731部隊発足前から形成されていた三者の医学界エリートネットワークへの参入を意味しました。(731と大学:吉中丈志)

・北野政次・・・1942年4月、学友会に多額の寄付をしている。寄付額377円1銭

*731部隊の2代目隊長の北野政次が学友会にけた外れの寄付をしている!!
(1942年8月1日 石井四郎が華北方面軍第1軍軍医部長に転任。北野政次が731部隊の2代目の部隊長になる)

・城井尚義のいうあの機関とは何か?

実験医学雑報 27巻 (1943年)

第1号

学友会へ寄付

金65円63銭也    羽田一重君

金12円21銭也    脇滋男君

金5円35銭也     田中哲之助君

金59円15銭也    河野重成君

金38円08銭也    板倉文彌君

金39円37銭也    長谷部一郎君

金64円94銭也    永井吉郎君

 

 

 

 

バード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!  
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

 

第11章 真珠湾への道

東南アジアヘの進出を天皇が裁可した後に、連絡会議は、いまや内閣の意思決定機能の権限を奪い、10回以上も開催された。天皇は、会議の終わるたびに危機の進行状況について、首相や統帥部から報告を受けていた。

海軍軍令部にいた昭和天皇の弟、高松宮も情勢についてその個人的見解を天皇に伝えていた。8月下旬、高松宮は天皇に「10月が油のキレ目」と警告していた。(高松宮によると) 昭和天皇は「艦隊をのこしておかねば講和の時に、威しがきかぬ」と答えた。宮はこれに対して、「先きの欧州大戦の独艦隊みたいにおいておいても何にもならぬこともあるとか、北樺太の油では不足」であると反論した。

 

 

*ご支援よろしくお願いします。

 

ゆうちょ銀行

記号番号  10100ー67985861

口座名義  五井信治(ごいのぶはる)

 

他金融機関からの振り込み

店名 〇一八(ぜろいちはち)

店番 018 預金種目 普通預金 口座番号 6798586













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核・戦争のない世界!!

2025-09-07 08:46:43 | Weblog

 

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東海第2原発の再稼働反対!!

 

茨城県知事選挙 2025 候補者アンケート「東海第二原発」

第10回戦争の加害パネル展 8月8日~15日

延べ入場者は、1700人でした。

今、戦争中の加害の面の報道が、少なくなっています。

本当にこのまま、日本が戦争で行った加害行為を反省しないのでいいのでしょうか?

日本軍の行った731部隊の人体実験、細菌戦、平頂山や南京、シンガポール、アジア各地で行った虐殺、日本政府は、心から謝罪の態度を示すべきではないのか。



第10回「戦争の加害展」の感想

◆8月8日(金) 

10、

・先日の西田昌司議員(自民党)の発言や今回の参院選で躍進した参政党の神谷代表の発言に賛同する人たちが確実に一定数いる。事実に基づかない主張が、さも事実のように伝播していることに危惧している。

・世界中の人たちのアイデンティティーを守ることが必要になっている。安易なグローバル化には、 ブレーキをかける必要がある。物理的な戦争も経済戦争も弱者を切り捨てる点では同根である。

・今、世界中で再び民族主義的な動きが頭をもたげてきている。米、etc・・・。80年前に何をしてきたか、再び戦禍にみまわれることのないためにも、過去の負の事実に正面から向き合う意義がある。

(70代、市外、「満州に集団移住させられた朝鮮人」「ドイツと日本の戦後処理の違い」DVD上映) 

「戦後80年」に振り返る戦争と平和

 

 

山口 長生炭鉱の坑道で発見された骨のようなもの 人骨と確認

潜水調査で“頭蓋骨”発見か 戦時中に水没事故…183人が眠る山口・長生炭鉱【報道ステーション】(2025年8月26日)
歴史問題でも中国と共闘 ロシア大統領、日本名指し

 

復員兵の父は枕元に刃物を置き「誰かが殺しに来る」と叫んだ 戦争PTSDの被害家族が国に言いたいこと

日本は第2次世界大戦でどこに負けた?日本の子どものほとんどが「中国」と回答せず―中国メディア

 

残されたのは“80年続く右腕の痛み” ウラン採掘に動員された少年

国策で「性の防波堤」 羽田周辺、慰安所を「認可」 戦中は「産業戦士」の 戦後は占領軍の相手

いち市民が「本音」語るだけで取り締まり…「戦前反戦発言」を調べた高井ホアンが「相互監視」の再来を危ぶむ

カルテが語る「心の傷」=下桐実雅子

隠された戦争被害、直視せねば=黒井秋夫 PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会代表

 

 

原発事故で中国のポンプ車が活躍したことは知らなかった!!

 

 

 



 

 

 

 

 

 

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核・戦争のない世界!!

2025-09-07 08:45:58 | Weblog

 

 

 

 

核問題を考える1日!!

 

不当判決!!

横浜地裁 福島原発事故 避難住民の賠償請求 国の責任認めず

 

君が代斉唱不起立で教員たちを再処分 違法の訴え退け 東京地裁

 

 

脱原発!!

柏崎刈羽原発7号機 核燃料取り出しを正式発表 東京電力

佐賀 玄海町「核のごみ」文献調査 交付金 災害対策強化活用へ

福島第一原発2号機の核燃料デブリ 2つ目の分析結果を公表

 

資源エネルギー庁長官 北海道知事と面会 原発再稼働理解求める

核燃料デブリ取り出し 初の方針 開始時期は2030年代後半以降に

東電 核燃料デブリ取り出しへ 追加で9000億円規模の費用見込む

6.15シンポジウム・デモ/6.16最高裁包囲行動当日の動画が公開されました

 

2025年6月17日最高裁包囲行動!!

最高裁6.17判決(2022.6.17)

最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は、生業など4 訴訟について「仮に国が東電に津波対策を命じていたとしても、想定外の津波により事故は防げなかった」として国の責任を否定した3人の多数意見によるもので、 三浦守判事は「責任あり」とする反対意見だった。判決は世論、法曹関係者からも厳しい批判にさらされているが、以後、地裁、高裁ではこれをコピーする判決が続いている。

最高裁は6.17不当判決を正せ!!

 

 

原発事故被害者が呼びかける最高裁包囲行動(ヒューマンチェーン)

 

 

 

核廃絶!!原発反対!!

被団協は、原発反対とも言うべきだ!!

 

「核兵器保有すべき」8人 参政党躍進で急増 参院選・当選者分析

 

広島 長崎 原爆投下80年を前に 日本被団協など3団体が共同声明

   被爆80年を迎えるにあたって
  ヒ口シマ・ナガサキを受け継き、広げる
   国民的なとりくみをよびかけます

 ビキニ水爆被災を契機に原水爆禁止運動が広がってから7l年。来年は日本被団協結成70周年です。被爆者が世界の注目をあつめる一方、核使用の危機が高まる今日、日本の運動の役割はますます大きくなっています。その責任をはたすためにも、思想、信条、あらゆる立場の違いをこえて、被爆の実相を受け継ぎ、核兵器の非人道性を、日本と世界で訴えていくことが、なによりも重要となっています。それは被爆者のみならず、今と来来に生きる者の責務です。地域、学校、職場で、様々な市民の運動、分野や階層で、被爆の実相を広げる行動を全国でくりひろげることをよびかけます。世界の「ヒバクシャ」とも連帯して、私たちはその先頭に立ちます。


                   2025年7月23日

                 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)

    原水爆禁止日本協議会(日本原水協) 

    原水爆禁止日本国民会議(日本原水禁)

 

2025.7.21 NO WAR 八王子アクション(八王子駅北口)

 

 

ICAN 広島で会見 “日本は核兵器禁止条約の会議参加すべき”

“平和は選ぶもの”ノーベル委員会 フリードネス委員長の思い

ノーベル委員会委員長「今こそ被爆者の声聞くべき」都内で会見

原爆投下から80年 ICAN事務局長 広島市と長崎市の式典に出席へ

ノーベル平和賞授与した委員長が広島を訪問 被爆者と面会

 

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核・戦争のない世界!!

2025-09-07 08:44:40 | Weblog


 

日本軍毒ガス作戦の惨劇~河北省北坦村を訪ねて~

 

 

第120回 NO WAR 八王子アクション



 

武器輸出反対!

オーストラリアに護衛艦を 日本企業 売り込みの働きかけ強める

米政府・軍需産業への異常奉仕

 

 

 

核廃絶!!脱原発!!(2025.7.18)

国民平和大行進(八王子→日野)

異常気象!!

ことしの夏 平均気温は平年比2.36度高い“異常な高温” 気象庁

反原発!!

 

中国電力“中間貯蔵施設 建設可能”山口 上関町に調査結果報告

50年代、60年代の核実験の影響しているのでは?

南太平洋ツバル 国土水没のおそれで国民の半数 豪への移住申請

 

戦争反対!!即刻停戦!!

 

<私の戦後80年談話>

 日本国憲法は、アジア・太平洋戦争の痛切な反省の下、戦争をしない、戦力を持たないことを宣言し(9条)、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免(まぬ)かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、日本がその実現のために努力することを誓っています(前文)。私が戦後80年談話を出すなら、今こそ、この憲法の非暴力・積極的平和主義の実践をと訴えます。

80年談話について話す大江京子弁護士=東京都墨田区の東京東部法律事務所で(坂本亜由理撮影)

 

 日本は、核兵器禁止条約を批准し、パレスチナ自治区ガザでの大量虐殺やウクライナでの戦争を止めるために、国際社会において積極的な行動を取るべきです。

 憲法の平和主義は、21世紀における安全保障の道標であり、行動原理です。暴力を暴力で制圧する、武力で平和を維持するという考えは非現実的、非人道的です。軍事力で脅しつけるのではなく、「平和を愛する諸国民の公正と信義」(前文)を信頼し、連帯して安全と平和を保持する。お互いに脅威とならない信頼関係をつくる営みこそが大切です。

◆東アジアで絶対に戦争をさせないための地域枠組みをつくろう

 


防衛費8.8兆円要求へ 過去最大、無人機の活用促進

 

洋上風力と原発どちらがコストが安いのだ?

 

三菱商事 洋上風力撤退発表 社長「事業計画の実現困難」

長生炭鉱の潜水調査 “現時点で財政支援の検討進めず” 厚労相

 

防衛費増大に反対!!


トルコ製無人機の導入検討、中谷防衛相が表明…ウクライナ軍が実戦で使う攻撃型ドローンなど

 

防衛省「反撃能力」ミサイル 熊本市の駐屯地に最初に配備へ

防衛省 警戒監視の大型無人機 鹿児島と青森の航空基地に配備へ

JAL飲酒機長、アルコール検査記録を改ざん…飲酒リスク高い「要注意者リスト」に名前

戦争即時停戦!!

鳩山由紀夫氏、抗日戦勝行事「反省と謝罪の気持ちで参加」 中国メディアが発言伝える


イスラエル軍 ガザ市の4割制圧と発表 停戦の見通したたず

岩屋外相 イスラエル外相と電話会談“停戦実現一層の努力を”

イスラエル軍 ガザ地区に「人道エリア」設置 制圧へ準備進める

グレタ・トゥーンベリさんら ガザ目指しスペインの港を再出発

ロシアによる攻撃 キーウで子ども含む少なくとも23人が死亡

トランプ大統領 “ロシアから原油輸入 中国に経済的圧力を”

国連安保理 ガザ地区「飢きん」発生で米国除く理事国が声明

ロシア報道官 米トランプ大統領を評価 ひきつけたい思惑か

【詳細】ロシア ウクライナに軍事侵攻(9月6日の動き)

カナダ首相 パレスチナを国連総会で国家承認する方針を表明

がれきのガザに環境危機-爆撃の土壌汚染や黒い水、影響は数十年にも

イスラエル軍のガザ攻撃 日本含む25か国とEUが停戦求める声明

再審法改正を!!
“えん罪で勾留中にがんが見つかり死亡” 「違法な捜査・逮捕深くおわび」警視庁と検察の幹部が遺族に謝罪 大川原化工機えん罪事件

 

袴田巌さん弁護団 約6億円請求へ 国と県に賠償として

福井中学生殺害事件 前川彰司さんの無罪が確定 検察上告せず

東京地検特捜部 自民 萩生田氏の政策秘書 略式起訴方針固める

人工呼吸器外し娘殺害した罪 母親に執行猶予の判決 福岡地裁

脱原発!!

 

原発ゼロ台湾 再稼働不成立 住民投票で賛成多数も条件満たさず

関西電力 美浜原発敷地内で建て替えに向け地質などの調査検討

使用済み核燃料の中間貯蔵 山口県の予定地“建設に適”で調整

除染土 初の再生利用で首相官邸の敷地に19日に搬入へ

内視鏡検査後に死亡 説明義務違反で賠償命令 東京地裁

平和の尊さ語るのは「義務」 戦後80年 黒柳徹子さん

毒ガス被害者の救済が遅れている!!



毒ガス兵器 旧日本軍製造所の記録見つかる 工員被災の記録も

 

被曝者の救済も遅れている!!

 

 

“第四の被ばく”知って 米水爆実験で海保乗組員の一部に異常

 

徳島ラジオ商事件 死後の再審で無罪判決40年 “改正実現を”

陸上自衛隊の輸送機オスプレイ 9日から佐賀県への配備始まる

戦争反対!!即刻停戦!!

戦中の1937年の爆発赤痢を思い出す!!

化学工場から塩素系の有毒ガスが漏れ出し、42人が吐き気など訴え病院搬送 ガスが滞留している可能性もあるとして注意呼びかけ 福岡・大牟田市

 

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核・戦争のない世界!!

2025-09-07 08:42:33 | Weblog

 

戦争の過酷な体験 兵士たちの「心の傷」 国が調査 展示始まる

参議院選挙にあたり排外主義の煽動に反対するNGO緊急共同声明

鶴保氏発言は「容認できない」 馳石川知事

イスラエル“フーシ派が乗っ取った日本郵船運航の貨物船攻撃”

中国 日本産水産物の輸入29日から再開 10都県は引き続き除外

原爆投下を正当化?トランプ発言に怒りの声

生活保護費引き下げは違法の最高裁判決 今後の国の対応焦点に

天皇は沖縄戦に対して謝罪をしないのか??

天皇ご一家 沖縄訪問終える 戦後80年で戦没者慰霊

国は、国民に情報をきちんと提供せよ!!秘密を作るな!!
「絞首刑が残虐でないと言うなら」 死刑囚3人が国に出させたい文書

情報公開の不開示黒塗り“文書内より細かく区切り判断”最高裁

森友文書 改ざん後も うそを重ねるよう強いられた経緯明らかに

ガザから強制送還のグレタさん訴え「本当の問題は大量虐殺」 物資搬送中に拘束

米捕虜生体解剖事件で資料展 手術立ち会いの故東野医師が収集―発生から80年・九大

差別を恐れ、半世紀言い出せなかった―医師と司法が新潟水俣病だと認めても、行政は患者と認めない 「公式確認」から60年、2度の「政治解決」経ても見えない被害全容

2025.7.5 石川一雄さん追悼集会

中国で731部隊をテーマにした映画、7月31日上映予定が延期に!!

史実はきちんと伝えるべきだ!!

「731部隊」題材の映画 中国で上映が急遽延期に 対日関係に配慮か

中国国内サイト削除前の貴重な予告編 中国映画 731

参政党・神谷代表、自民西田氏の沖縄戦発言「本質的に間違いでない」

20250707 UPLAN わたしの戦後80年・リレートーク集会

旧日本軍731部隊の元隊員 「300人の生体解剖をおこなった」と自白

慰安婦像、ドイツ女性博物館で恒久設置の除幕式 「記憶風化させない場所に」と正当化

 

 



"揺らぐ"フェイクと事実の境界線 戦争体験者たちの憤り「西田発言」から歴史修正主義を考える【前編】

原発再稼働反対!!
甲状腺がんが増えている現実!!
東電は“潜在ガン”の定義を変えてきた!!以下の意味は?

「生涯にわたって症状が現れず、甲状腺がんが発見されないままで、生涯を終えたかもしれないがん。」

311子ども甲状腺がん6 25裁判



政府 柏崎刈羽原発の緊急時の対応策 了承する方向で最終調整

東京電力 柏崎刈羽原発6号機の再稼働優先を決定と発表

「おばあちゃんの歌」戦没者追悼式で朗読の平和の詩【全文】

沖縄戦から80年「慰霊の日」 戦没者を追悼 平和への願い新たに

慰霊の日を前に平和の礎に遺族たちの姿

広島 “毒ガス製造の島” 原画が語るもの

訪問税反対!!

広島県竹原市、「ウサギ島」に訪問税導入へ 年間19万5000人が来島

大久野島の歴史を伝える山内正之さんのお話のメモ

中国の毒ガス被害者、日本の毒ガス製造に関わった人々は、戦後も大変な思いをしている!!

北九州の曽根製造所でも新たな毒ガスの資料が見つかった!!



 

 「毒ガス工場の島」伝える山内正之さん(80)

2025年6月7日総会講演山内正之さん大久野島の毒ガス工場が語る戦争の加害と被害

 

ジュネーヴ議定書100年


1925年に成立したジュネーヴ議定書を御存じでしょうか。
毒ガスと細菌を兵器として使用することを禁止した最初の国際法です。
ジュネーヴ議定書は1925年に行なわれた武器取引取締国際会議で採択されました。

当初は毒ガスの使用禁止を目的としていましたが、
1925年6月8日、ポーランド全権のカジミェシュ・ソスンコウスキ(Kazimierz Sosnkowski)が毒ガスだけではなく細菌兵器も禁止すべきと発言しました。
ソスンコウスキは細菌兵器は戦闘員だけでなく一般民衆にも被害を及ぼし、生態系も破壊する恐ろしい兵器になると演説したのです。

この提言が入れられて6月17日に参加国はジュネーヴ議定書を承認したのです。
ジュネーヴ議定書の日本名は「窒息性ガス、毒性ガス又はこられに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」といいます。

日本政府は当時、ジュネーヴ議定書を承認し、署名をしました。
ジュネーヴ議定書は3年後の1928年に発効しましたが、日本政府が批准したのは1970年になってからでした。

日本政府はジュネーヴ議定書に署名をしましたが、議定書を無視し、毒ガスと細菌兵器を開発し、中国で使用し、中国の民衆に多大な被害をもたらしました。

ジュネーヴ議定書成立100年にあたる2025年に下記の企画をしています。
集会等をご案内しますので、ご関心のある方はご参加くだされば幸いです。

2025年6月8日 ソスンコウスキの提言100年を記念して 

               戦争被害調査会法を実現する市民会議
                          川村一之



日本軍の毒ガス開発とジュネーヴ議定書

 

 

【軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会】
人骨発見36周年・戦後80年・ジュネーヴ議定書成立100年企画「人骨問題と毒ガス問題」

<あしたの轍 第3部>⑤

 戦後80年となる8月を迎えた。国内外で混迷が深まる今、過去の戦禍が勇ましく、美しい響きの言葉で上書きされようとしている。戦争の記憶が薄れる一方で強まるのは人々の不安。かつてこの国がたどった歴史を再び繰り返さぬよう、体験や思いを未来へ残そうと奮闘する人々の声を聴いた。(敬称略)

  ◇  ◇

◆特高や憲兵隊の捜査記録に残る、怒りや悲嘆の声

著書「戦前反戦発言大全」を手に思いを語る高井ホアンさん=東京都千代田区で(中村千春撮影)

 「国家による監視の視点を通した、一般市民たちの血と汗と涙の記録です」

 作家の高井ホアン(31)=埼玉県富士見市=は2019年5月に自ら手がけた「戦前反戦発言大全」「戦前不敬発言大全」の2冊を見ながら、記者にこう語りかけた。それぞれ約600ページあり、分厚さが目を引く。

戦時下ですから

毎日新聞2025/8/16 

「自粛警察」ネットで攻撃

 特高に詳しい小樽商科大の荻野富士夫名誉教授(72)によると、当時の警察官10万人のうち特高は1割だったものの、30年ごろから警察は「全警察の特高化」を掲げた。40年代になると、警察官は勤務時間外も電車内や居酒屋、銭湯などで耳をそばだてて厭戦(えんせん)的な言動がないかアンテナを張るように指導された。

 野口さんの事案について、荻野さんは「子どもが取り締まられることは少なかった。ただ当時は一般市民も不審なことがあれば警察に通報するよう奨励されていた」と話す。

 空襲が激しくなると、その体験を別の地域で語っただけで流言飛語として刑罰を受けるケースもあった。

 こうした話は過去のものでは済まされないと荻野さんは指摘する。「ここ数年で国が人々を監視できる体制づくりが進んだ」

 2013年に成立した特定秘密保護法により機密情報の漏えいを防ぐ目的で防衛省や自衛隊関係者の身辺調査が行われるようになった。いわゆる共謀罪法が17年に成立し、改正通信傍受法が19年に施行されて通信事業者の立ち会いが不要になるなど警察の権限が強化され、懸念の声が上がった。

 今年5月の重要経済安保情報保護・活用法施行で先端半導体開発などの従事者も身辺調査の対象になる見込みだ。

 市井の人々の中からきな臭い空気が生まれることもあった。

 新型コロナウイルス禍に現れた、感染対策に消極的な人や店を攻撃する「自粛警察」や「マスク警察」。インターネットの匿名性も相まって広がった。

 特高月報を調べて本にまとめた作家の高井ホアンさん(31)は「市民が相互監視したり自分と異なる人や意見を攻撃したりするメンタリティーは今も私たちの中に存在する」とみる。

 メディアの多様化など80年前から状況は変化したものの「AI(人工知能)が出した答えをうのみにする人もいる。批判的に物事を見る力を養い、想像力や柔軟性を持たなければ差別や密告はまた起こる」と懸念する。

 野口さんは敗戦の翌年に三輪自転車に乗れるようになるまで1年がかりで練習するほどの努力家だった。

 手先の器用さを生かして近所の建具屋で修業した後に独立。自宅が火事になる不幸に見舞われながらも、幼少期の事故で車いす生活を送る、さいさんと結婚し、仲むつまじく暮らした。

 夫婦と同じキリスト教会に通い親交のあった佐久間保さん(78)は「猛さんは戦争中のことはあまり語らなかったが、仲間はずれにされていたと話すことがあった。つらい目に遭ったのでしょうね。でも結婚して幸せそうだった」と回想する。

 猛さんは16年に86歳で亡くなった。さいさんも翌17年にこの世を去り、2人は教会の墓地に眠る。

 幸手国民学校は今は幸手市立幸手小学校に姿を変える。150年以上の歴史を持つが、校舎は建て替わり昔の面影はない。

 野口さんの話を知った川島正晴校長(57)は言う。「SNS(交流サイト)には真偽不明の情報があふれているが、子どもがそれを見るのを止めることはできない。何が正しいのかを判断し、自分の頭で考えられる力を育てていかなくては」【竹内麻子】=つづく

 

柳澤協二講演会

消えた「唯一の光」 逆転敗訴に「結論ありきでは」 東電株主訴訟

映画『731』が予告編を公開し、2025年7月31日に上映されることを発表した

 

日本政府は、重慶爆撃に対し、メッセージを発信しないのか?

在重慶日本国総領事館からのメッセージ

●6月5日(いわゆる「重慶大爆撃」の日)、重慶市では防空警報音響試験(防空サイレンの吹鳴試験)が行われ、「重慶大爆撃」関連施設などで記念活動が実施されます。トラブルに巻き込まれないよう安全確保に注意してください。

 

●本年は第二次世界大戦終戦80周年(「抗日戦争勝利80周年」)にあたり、関連記念活動が例年より大規模に実施され、日本や日中関係への関心が高まることが予想されます。特に過去の日中間の歴史にかかわる記念日(いわゆる「注意を要する日」)前後には、事前の情報収集や外出時の安全対策、日本関連の行事開催の慎重な検討をお願いします。

軍都ヒロシマ

大日本帝国時代を彷彿とさせる提灯奉迎などはやめるべきだ!!

提灯で天皇皇后両陛下を歓迎・広島【ロングバージョン】

 

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核・戦争のない世界!!

2025-09-07 08:41:39 | Weblog

天皇家の戦争責任は?

「徹底的に弾劾」…両陛下の広島ご訪問、活動家が広島市の「提灯奉迎」後援を糾弾

提灯行列は1937年12月の南京陥落を思い出す!!やめてもらいたい!!写真は軍都広島の写真 提灯行列後に南京で起こったことは?




西田氏、再び持論 雑誌寄稿で「事実」と主張 ひめゆり発言 訂正せず 沖縄の現状「修正が責務」

えん罪被害者の名前間違える 警視庁・東京地検幹部が謝罪も… 大川原化工機えん罪事件

“空襲被害者救済の法案 早期成立を” 被害者や支援者訴え

 

今の石破政権はというか、保守政党は、731部隊の究明を全くしようとしない!!

旧大日本帝国陸軍生物戦部隊の名簿公開(ジャパンタイムズ)



国立公文書館は、旧大日本帝国陸軍が中国に駐屯していた生物戦部隊の隊員の氏名を研究者に公開しました。

研究者たちは、名簿の公開により、中国で生物兵器の開発と人体実験に関与した731部隊だけが広く知られているそのような部隊を取り巻く謎が明らかになることを望んでいます。

 

リストには、中国東部の南京に拠点を置く第1644部隊と、中国南部の広州に拠点を置く第8604部隊のメンバーの名前が含まれています。国立公文書館によると、2つのユニットのリストは2024年度に保健省から移管され、3月に終了しました。

 

滋賀医科大学の西山勝夫名誉教授は、この春、リストへのアクセスを申請した。

 

1945年に編纂されたこのリストには、部隊メンバーの名前、登録住所、軍の階級、自宅に関する情報が含まれています。1644部隊には約2,000人が名を連ねており、8604部隊には約850人の名前が名を連ねている。どちらのリストにも、2つのユニットのすべてのメンバーの名前が含まれていると考えられています。

 

731部隊は、ハルビン郊外の当時の満州、現在の中国東北部に拠点を置いていました。そこには日本が傀儡国家を持っていました。ペスト菌を使った生物兵器の研究を行っていたといわれています。

 

Unit 1644のリストには、Unit 731から異動したメンバーの名前が含まれていることが判明しました。

 

「これは、実際の状況を完全に理解するための新たな一歩かもしれません」と、83歳の西山氏は開示について語った。

 

報道: 初公開の中支那及び南支那の防疫給水部の『留守名簿』

朝日新聞(2025/5/14): 「謎の細菌戦部731部隊とつながる謎の細菌戦部隊 名簿が初公開、実態解明に期待隊」

朝日新聞(2025/5/14): 「謎の細菌戦部隊」にいた父は何をしたのか 足跡を追った息子の執念

北海道新聞(2025/5/14): 旧日本軍の細菌戦「組織全容解明へ」 731部隊関連部隊、2850人の名簿公開

赤旗(2025/5/14): 細菌戦731部隊 留守名簿公開

信濃毎日新聞(2025/5/15): 南京拠点に細菌兵器を開発した陸軍の部隊 所属隊員の名簿見つかる 長野県出身者名も複数

時事通信(2025/5/21): 旧軍細菌戦部隊の名簿公開=研究者、実態解明に期待―国立公文書館

ジャパンタイムズ: Name lists of former Imperial Japanese Army biowarfare units released

京都新聞(2025/5/22): 旧日本軍「細菌戦部隊」新たな名簿発見 滋賀医科大学の研究者に公開、実態解明の糸口に

中国メディア(日本語報道)

 人民網日本語版(2025/5/15): 日本・国立公文書館が中国侵略日本軍の細菌戦に関わる3部隊の隊員情報を公開

人民網日本語版(2025/5/15): 日本・国立公文書館が中国侵略日本軍の細菌戦に関わる3部隊の隊員情報を公開

中国メディア(映像報道)

中国中央電視台/CCTV(2025/5/15): 日本 多个侵华日军细菌战部队留守名簿首次公开

戦後80年目の夏、在日朝鮮人2世パク・スナム監督(90歳)
新作ドキュメンタリー『よみがえる声』を全国の劇場で公開したい!!

 

 

『よみがえる声』近日公開!

vol.22 07月23日 

 

『よみがえる声』の劇場公開のために応援いただきました皆様

8月2日(土)より『よみがえる声』<ポレポレ東中野>、<横浜シネマリン>公開の日が近づいてまいりました。これまで3回の試写会を行い、さまざまなメディアで監督インタビューや映画評が掲載されております。

これが映画パンフレット?前代未聞!?

おかげさまで、構想から1年、唯一無二の読み応えのある1冊となりました。

デザイン

『ぬちがふぅ(命果報)-玉砕場からの証言』(2012年)「『沈黙-立ち上がる慰安婦』(2017)に続き本作も、油井久美子さんが朴壽南の人生と証言者たちの歴史に心から寄り添い、デザインを手掛けてくださいました。

76ページ の内容は・・・

・『よみがえる声』証言集 

復元されたフィルムから証言の一部を写真とともにご紹介。

・パク・スナム、パク・マイ監督インタビュー  

好評をいただた韓国映画専門誌FIL0インタビュー記事を日本語翻訳しました。

・第1章「私の旅のはじまり」 

朴壽南の旅の原点となった「小松川事件」に関する随筆、著作『罪と死と愛と』(1963年、三一書房)から往復書簡の一部採録、朴麻衣の寄稿。

・第2章「もうひとつのヒロシマ・ナガサキ」

朴壽南著作『朝鮮・ヒロシマ・半日本人』(1973年、三省堂)から「第1章のためのノート」一部採録。

【寄稿】市場淳子さん(「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」会長」)、平野伸人さん(「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」長崎支部、本作に登場)。

・第3章「世代をこえて」

講演録「人魚の恋のヒロインー差別にとりくむということ」朴壽南、(1987年・大阪高槻市)採録。

【寄稿】李里花さん(中央大学総合政策学部教授)、梶村道子さん(ベルリン女の会)

・寄稿

金稔万さん(映像作家)、新井勝宏さん(本作で紹介される虐殺絵巻について)、安井喜雄さん(神戸映画資料館館長・本作フィルム復元協力)、佐藤 千紘 (本作助監督)、朴麻衣。

・初公開、朴壽南、自筆年表「私の旅の記録」1935~2000年代

1999年に朴壽南が、視覚障害者のための音声ワープロで数ヶ月をかけて執筆した自筆年表。写真を入れて再構成した圧巻の記録です。

 

*ハンセン病患者として施設に収容され、強制的に「虹波」を接種されて死んだ人は、何人いるのだろうか?国は調べる意思があるのだろうか?
「虹波」は731部隊の支部、ハイラルで人体実験を行い、その後、ハンセン病療養所、熊本の菊池恵楓園だけではなく香川の大島青松園でも人体実験が行われていた!!
旧満州でも「虹波」の治験か 旧陸軍が開発し高松市のハンセン病療養所などで”人体実験”の歴史【香川】

きちんと全部情報開示せよ!!廃棄したなら、再調査せよ!!

森友学園開示文書の一部欠落“公文書の廃棄は不適切” 財務相

日本軍の毒ガス展

日本軍の毒ガス展

<iframe title="Dailymotion Video Player" src="https://geo.dailymotion.com/player.html?video=x9jswd8" allowfullscreen=""></iframe>

日本軍毒ガス作戦の惨劇~河北省北坦村を訪ねて~

 

遺棄化学兵器処理事業情報公開請求訴訟と被害者の状況について

「日本軍の毒ガス展」の感想

5月3日(土)

10、ガスに触れたら腐食し、ガスに触れたもの、自然物は、へいき(兵器)みたいな存在になる、そのガスを浴びた物を触ったことで腐食し、そのぶぶん(部分)からしんしょく(侵食)し、めんえきていか(免疫低下)、色々なしょうがい(障害)へとなり、いでん(遺伝)にもひびく、だれにもたよれない、何年たってもなおらない、生活にもひびいて、自分の子供はしょうがいで、自分いがいにもめいわくがかかり、自分の子どもをけんこうにしてあげられない、そのくるしさは、かくじつにこのガスたいけんをしていない人の、そうぞうをこえるくるしさなのだろうと思うと、けっこう心がいたくなりました。

 このガスは日本のせきにんでないといいはる政府は、心のそこから人間じゃないと思った。

 (10代、藤沢、友人、パネル・DVⅮ上映)

 

 

黒井講演会の感想

17、70代の夫の父が、明夫さんのお父様と似た状態で妻と離婚に至っておりました。夫4歳、その兄8歳で養護施設に入所したと、聞かされていました。

 今日のお話で、もしやと思い至りましたが、その連鎖だったのか、夫自身も影響が見られ、私も10年前離婚しました。

 何故気がつかなかったのか、とても不思議です。取り返しはつきません。

 ここまではっきりと、自分が戦争の当事者と感じたことはありません。

 心の整理が必要ですが、何かに生かしたいです。

(60代、横浜市内、友人)

 

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核・戦争のない世界!!

2025-09-07 08:40:18 | Weblog

 

戦場で心を病む「戦争トラウマ」 日本軍兵士の初調査、展示始まる

 

https://boketen.seesaa.net/article/517104600.html

日中友好新聞 2025.9.1

 

 

日本の団体が中国における日本軍の犯罪を明らかにする展覧会を開催。

著:邢晓婧 徐可越

 

中国における日本軍のガス戦争の犯罪を暴露する展示会が最近、日本の横浜で開催された。

12日、「日本のガス戦争展横浜実行委員会」の五井信治委員長は環球時報記者のインタビューに応じ、日本政府は人民の戦争記憶を消し去ろうとしていると述べた。五井氏がメンバーである市民団体は、長年にわたり侵略日本軍のガス戦争に関する多くの情報を収集し、展覧会を通じて公開してきた。この展示会を通じて、これらの「眠っていた歴史資料」を公開する。日本侵略軍が中国で犯した犯罪についてより多くの人々に知ってもらい、日本政府に歴史を直視するよう促すことを望んでいる。

五井信治氏はグローバル・タイムズ記者に対し、この展覧会の当初の目的について、日本は1925年に「戦争における窒息性ガス、毒ガスその他のガス及び細菌兵器の使用禁止に関する議定書」(すなわち「ジュネーブ議定書」)に調印したが、それでも戦時中は毒ガス兵器の製造と使用に奔走したと語った。

中国での日本軍に対するガス戦の展覧会の宣伝ポスターには、こんな一文がある。

:今年は戦後80周年である。今一度振り返るべきではないだろうか。日本が中国で実際に何をしたのか?

この点について五井信治氏は、日本は中国だけでなくアジア諸国を侵略し、非常に重大な罪を犯したと述べている。

日本政府は、国民の心から戦争の記憶を少しずつ消そうとしている。しかし、これらの歴史的事実は、今日の日本の教科書で少し触れられているか、まったく触れられていない。

日本政府は、少しずつ国民の戦争記憶を消そうとしている。

同氏は、日本の市民団体のメンバーとして、このような展覧会を通じて、より多くの人々が日本の侵略軍が中国で犯した罪を理解し、戦争によってもたらされた苦しみを深く反省し、日本の政府が歴史を直視し、同じ過ちを繰り返さないよう強く求めることを願っていると述べた。この歴史をより深く理解してもらうため、展覧会では、レクチャー・プログラムも用意されている。

五井信治氏によると、来場者のほとんどが、展覧会を通して、日本の教科書ではほとんど触れられていない、あるいは全く触れられていない内容を知り、日本が戦争中に犯した罪に気づき、展覧会を非常に実りある有意義なものと感じたという。

近年、日本は「軍備拡大」を意図して、防衛予算を大幅に増やしている。「日本の軍備増強に反対します」と五井信治氏は述べた。五井信治氏は「日本は現行日本国憲法第9条(日本は永久に戦争武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、これを放棄する。)を守るべきだと思います。戦争中に犯した罪について謝罪すべきです。」 と述べた。

 


日本軍の毒ガス展(かながわ県民センター1階展示場)








毒ガス年表

1894年  日清戦争

1904年  日露戦争 

1907年  「ハーグ条約」(毒ガス使用禁止

1914年~18年  第1次世界大戦(毒ガス大量使用100万人死傷)

1918年  シベリア出兵 大量の防毒マスクと毒ガスをシベリアへに送る、陸軍省に臨時毒ガス調査委員会を設置

1919年  陸軍科学研究所設立  化学戦の研究に着手

1925年 「ジュネーブ毒ガス議定書」調印 (毒ガス・細菌兵器の戦争使用禁止)、

    宇垣軍縮 軍備近代化のための毒ガス兵器の促進 

1929年 大久野島にて毒ガスの生産開始 

1930年 台湾湾霧社事件 霧社事件弾圧に日本軍初めて毒ガス使用

1931年 満州事変 

1933年 陸軍習志野学校創設(毒ガス戦訓練開始)、関東軍防疫班創設(731部隊の前身)

1935年~36年  イタリア軍エチオピア侵略で毒ガス攻撃

1936年 2.26事件 陸軍毒ガス準備

1937年 日中全面戦争を開始 大本営陸軍部 催涙ガスの使用許可

1938年 731部隊ハルピンに細菌工場を建設  大本営陸軍部 くしゃみ性毒ガスの使用許可 

1939年 同大本営陸軍部致死性毒ガスの使用許可、関東軍化学部チチハルに創設、曽根兵器製造所(毒ガス弾の充填)創設 

1941年 アジア太平洋戦争開始 

1943年 相模海軍工廠(寒川)にて毒ガスの生産開始 

1944年 大本営陸軍部毒ガスの使用中止命令

1945年 日本敗戦 中国全土及び日本各地で日本軍の毒ガス大量投棄  

1946年 極東国際軍事裁判 日本軍の毒ガス。細菌戦は不起訴 

1950年~53年 朝鮮戦争
1954年7月1日 防衛庁、自衛隊発足(戦時中の反省なきまま、旧軍関係者入隊)

1954年(昭和29)大蔵省から「ガス障害者救済のための特別措置要綱」が通達された。なぜ「毒ガス」と明記せず、「傷害者」が「障害者」なのか不審を抱く人もいた。政府は特別措置によって毒ガス問題に蓋をし国家責任を回避したのである。しかし、旧陸軍共済組合加入の旧従業員の道はついたが、大久野島で働いた動員学徒や勤労奉仕隊、女子挺身隊、などは救済されず取り残された。    

1964年 自衛隊化学学校サリンの合成に成功 

1965年 ベトナム戦争本格化(アメリカ軍枯葉作戦)

1969年 沖縄米軍知花弾薬貯蔵所で毒ガス漏洩事件 

1970年 日本国会「ジュネーブ毒ガス議定書」批准

1972年 「生物・毒素兵器の禁止条約」調印、日中国交回復 

1974年 中国黒竜江省ジャムス市、旧日本軍の毒ガス弾で35名重軽傷 

1980年~88年 イラン・イラク戦争(イラク軍毒ガス使用)

1984年 旧日本軍の毒ガス戦関係公式文書相次ぎ発掘 

1990年 国連軍縮会議で中国代表、日本に対し遺棄毒ガス兵器の廃棄処理を要求 

1993年 「化学兵器禁止条約」締結 (他国に遺棄した化学兵器の廃棄義務も明記)

1995年 東京地下鉄サリン事件、日本政府調査団、中国各地で日本軍の遺棄毒ガス兵器の確認、日本国会「化学兵器禁止条約」批准

1997年4月29日 「化学兵器禁止条約」発効、日本政府、中国の遺棄化学兵器の処理を開始

2018年7月6日 オウム真理教の死刑囚全員死刑執行(自衛隊とオウムの繋がりは解明されず 信者の中には自衛隊員が複数いた)

2025年3月19日  東京地裁判決 自衛隊「化学学校記事」の開示を却下(化学学校の実態を隠し続けている) 

 

2025年現在 遺棄化学兵器の処理事業は終わっていない

 

*1931年~45年の間、中国では2091回の日本軍の毒ガス使用が確認され、9万4000人の死傷者を出したと中国資料は伝えている

1945年以降、中国の遺棄毒ガスによる被害者は2000人以上と推定されている

 

 

北坦村の毒ガス被害

 

           記念碑に刻まれた弔文

 1942年「5・27」は1000を越える英雄たちの血が塗り込まれた1日だった 「5・27」それは偉大な民族解放戦争が敵と相対峙した最中の最も過酷な悲惨な1日だった。群をなして人を襲った野獣―日本侵略者とその走狗は冀中の長期的統治を狙い、華北を統治し、トーチカを構築し、民衆に向かって血も凍る虐殺を展開した。定県の民族的愛国者―優秀な中国共産党員と、勇敢なる戦闘指導者、民兵、農民はまさにこの日、民族の不滅をかけて、獣どもと―日本鬼子と頑強に戦い、栄光的な死を遂げた。

 私たちは「5・27」の惨状を永遠に忘れない。多くの乳飲み子が母とともに虐殺された。烈士の鮮血で赤く染められた 黄土には、800の死者が横たわり、北坦の道々は埋まった。子らは親を求め、父母は子を探し、止めどもない涙でどの目を真っ赤になった。恨みと傷心の日―「5・27」誰がこの日を忘れられようか

 親愛なる死者たちよ、あなたたちは、民族の自由と解放のために、日本侵略者による壊滅的な「蚕食掃蕩」を粉砕するため、私たちの故郷を守るため、勇敢にも武器を持って立ち上がった。―手製の銃、手製の砲、手榴弾、地雷で百倍も勝る機関銃、大砲、戦車、毒ガス・・・を持つ敵と相対し、郊外で、屋上で、街路で、地道で戦った。銃弾の中、毒ガスが蔓延する中、1日と休まず激しく頑強に抵抗し、幾度となく敵の猛襲を撃退し、多くの敵軍と裏切り者を撃退、冀中の輝しい戦いとして名を轟かせた。もはやあなたたちは私たちと離別したが、あなたたちの精神は永遠に伝わり、あなたたちの名は永遠に残る。

 不朽なる英雄たち、あなたたちの流した血は決して無駄ではなかった。あなたたちの血と生命は、ついに抗日戦争に最後の勝利をもたらし、私たちは勝利であなたたちを埋葬することができた。烈士の皆さん、永久の安息を迎えてください!私たちは必ずあなた方の血の跡を踏みしめ、あなた方が成し遂げられなかった事業を引き継ぎ、独立と自由、民主、統一、富強なる新中国をあなた方英霊に呈します。私たちは永久にあなた方を忘れぬよう、特にここ沙河南岸の根拠地―北坦に記念堂を築き、千古にわたり追悼します。

 

「5・27」殉難烈士長存!

中国共産党万歳!

中華民族解放万歳!

殉難烈士万歳!

                       中華民国35年(1947年)孟夏中浣建立

 

戦後の日本軍の遺棄毒ガス弾の被害者

*なぜ、日本政府は、毒ガス被害者の救援に当たらない??なぜ民間基金??

 

日中未来平和基金

化学兵器被害者支援日中未来平和基金

 

中国で毒ガス被害の聞き取り調査 旧日本軍が遺棄、後遺症など証言

 

日本人弁護士、旧日本軍毒ガス被害者を20年間自費で支援

 

 

 

特定非営利活動法人 日中未来平和基金とは

 旧日本軍が中国各地に遺棄した毒ガス弾などにより、今なお中国国内において重篤な健康被害によって苦しんでいる被害者の医療支援を進めるために、日中両国の民間団体が協力して設立された基金です。

 私たちは、日本の市民と中国の市民、日本の医師と中国の医師との協働によって、遺棄化学兵器被害者への医療支援や精神的サポート活動などを行っていきます。

■組織概要

 名 称

特定非営利活動法人 化学兵器被害者支援日中未来平和基金​

英語名

The Japan-China Cooperative Fund for Victims of Chemical Weapons

設立年月日

2016 年 10 月 20 日

事業年度

毎年 4 年 1 日から翌年 3 年 31 日

代表理事

渡邉 知行

■事務局

住 所

〒 160-0022

東京都新宿区新宿1-6-5シガラキビル9階

URL

http://www.miraiheiwa.org/

 

特定非営利活動法人

化学兵器被害者支援日中未来平和基金

設立趣旨書

 

◆遺棄化学兵器(毒ガス)被害問題とは

​ 中国の大地には、いまなお、旧日本軍が遺棄した数多くの化学兵器がねむっています。

  先の大戦において、旧日本軍は、国際法上その使用が禁止されていた化学兵器を中国に大量に持ち込んだ上、戦場に配備し、使用しました。

それら大量の化学兵器は、日本敗戦前後の時期に、地面に埋められたり河川に投棄されるなどして、組織的に遺棄されました。これが、中国国内に、大量の遺棄化学兵器が存在することとなった所以です。遺棄された大量の化学兵器は、戦後、化学兵器であることを知らずに触れるなどした数多くの中国の人々に、計り知れない被害を与えてきました。化学兵器被害は、皮膚のびらんをはじめ、呼吸器・内臓・神経など全身に症状が及びます。たとえ一命を取り留めても、時を経て疾患の進行や遅発性の症状が現れ、その結果、被害者たちは、健康被害のみならず、働けずに困窮生活に苦しみ、あるいは就学できずに将来の夢を失うといった、全人生にわたる被害を受けています。

◆これまでの活動の経緯

​「失われた命や健康はもとに戻せない、でも、せめて安心して医療を受けられるように、生活の支援をしてほしい」・・私たちはそんな被害者たちの願いを受けて、1996年以降、日本政府を被告として、複数の訴訟に取り組んできました。訴訟の目的は、司法の場で日本政府の法的責任を明らかにし、日本政府に、被害者たちの医療支援・生活支援のための制度をつくることを促すことにありました。

  そして、化学兵器にばく露して発症している疾患を早期に発見し、その被害を解明するため、私たちは、日本の医師らの協力を得つつ、中国の医療機関を利用しての日中合同検診を、複数回実施してきました。

  しかしながら、私たちは、このような活動に取り組む一方で、被害者たちの健康状態や生活実態が、時を重ねるに従って悪化している現実を目の当たりにしてきました。

  被害者たちは、生活苦のため適切な治療を受けることができません。癌などの病気を発病しながら十分な治療を受けられずに命を落とす被害者たちは後を絶ちません。

  そのような被害者たちに、今までの検診活動にとどまらず、一刻も早く、具体的な医療支援・生活支援を行うことが必要です。

◆私たちが行うこと

 中国では、2015年8月14日、中国人権発展基金会という民間の基金と日本の民間団体とが協力し、すでに遺棄化学兵器被害者に医療支援を行う旧日本軍細菌化学兵器被害者救済基金が設立されています。

 私たちは、この基金と協力し、日本の市民と中国の市民、日本の医師と中国の医師との協働によって、遺棄化学兵器被害者の救済のため、以下の活動を行っていきます。

1.遺棄化学兵器被害者への医療支援

 これまでの検診活動の知見を踏まえて、中国の医師と日本の医師が協働して被害者を治療し、被害者の症状を和らげる医療支援活動を行います。また、被害者が常時服用している薬の費用を、中国の旧日本軍細菌化学兵器被害者救済基金を通じて援助します。

2.日中双方の市民による遺棄化学兵器被害者への精神的な支援

​社会的に孤立した被害者たちに、日中双方の市民との交流の場を作り、「私は一人じゃない」という思いを持ってもらえるよう、精神的な支援を行います。

3.広報活動

​旧日本軍の遺棄化学兵器による被害について、実態を市民に広く知らせるため、講演などの広報活動を行っていきます。

4.遺棄毒ガス兵器被害者の研究支援及び被害者支援のための政策提言

 いまだ全体像が把握されていない化学兵器による身体的被害の全体像を解明するための医学研究を支援していきます。また、事業を通じて、遺棄化学兵器被害者に対してどのような支援が必要かを見いだし、遺棄化学兵器被害者支援のための政策を提案していきます。

◆特定非営利活動法人へ

 私たちの活動が社会的に広く信頼されるように、また、志を同じくする人々に開かれた団体として認知してもらえるように、さらには、法人格を持つ団体として上記に掲げた各種事業を行うことができるように、この度私たちは、特定非営利活動法人(NPO)を設立することとしました。私たちは、NPO法人化を機に、ますます充実した活動を継続的に行っていきます。

◆日中間の民間交流

 私たちは、日中の医師と市民が協力し合って日中の遺棄毒ガス被害者を支援し、日中の市民が直接交流することにより、双方が信頼し合い、日中関係がさらに良くなることを目指しています。

 

以上

2016年3月2日

設立代表者   南 典男

 

 

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核・戦争のない世界!!

2025-09-07 08:39:17 | Weblog

 

遺棄毒ガスによる被害

被害の症状

 これらの遺棄毒ガス兵器の存在は明るみに出ることがないまま、戦後、化学兵器であることを知らずに触れたり、晒されたりした多くの中国と日本の人々に甚大な被害を与え続けています。化学兵器による被害は、皮膚の糜爛(びらん)をはじめ、呼吸器・消化器・神経など全身に症状が及びます。

 呼吸器障害などの症状は、時間の経過とともに悪化していること、さらに後発的な健康被害として、発ガンのリスクも高くなることが指摘されています。そして、毒ガス被害者が最も苦しんでいる症状の一つに高次脳機能障害や自律神経障害などの神経障害があります。いつも体がとてもだるい、力が入らないなどの症状で働けなくなったり、学業を続けられないほどに至っています。しかし、こうした症状は外見からは分かりにくいため、怠けているなどと誤解され、孤立してしまうケースが多くみられます。

 たとえ一命を取り留めても、被害者たちは、こうした健康被害のみならず、友人や家族を失ったり、働けずに困窮生活を強いられたり、あるいは就学できずに将来の夢を失うといった、全人生にわたる被害を受けています。戦争の被害は、実は今も現在進行形として起こっているのです。

 

被害者の苦しみ

丁樹文さん / Ding Shu Wen

事故当時24歳。

202003年8月4日朝、チチハルの団地の工事現場から5つのドラム缶が掘り起こされました。ひとつは腐食していて、ひとつは壊れて液体がもれていました。工事現場からドラム缶が出たと連絡を受けた丁さんは、工事現場に赴き、この5つのドラム缶を廃品回収業者に売るために、ドラム缶を手でかかえて運びました。マスタードの臭いがしましたが、廃棄油かと思っていました。実はこれが、マスタードガスの入ったドラム缶だったのです。丁さんは、廃品回収業者であった李さんと出くわして、李さんに200元でこのドラム缶を売りました。李さんの三輪車にドラム缶を移しました。李さんは濡れたドラム缶を素手で触って濡れ、その手でお札も数えたので、丁さんが受け取ったお札も湿っていて、丁さんはそれをズボンのポケットにしまったので、太腿にも液が付きました。

ししかしお昼になると目の痛みや液がついた皮膚に紅発疹がいくつも現れ、みるみるうちに大きな水泡になりました。あまりの痛さに病院に行くと、医者は、感染症を防ぐために大きな水疱をハサミで切り開いて、たまった水を出しました。あまりの痛さに死んだ方がまし、と思うほどでした。その後、太腿の皮膚移植手術も受けましたが、大きな傷跡が残ってしまいました。あのドラム缶を受け取った李さんは、事故から17日後に亡くなりました。

3ケ月入院し、退院して妻子の下に帰ると、我が子はハイハイができるようになっていました。子どももの成長が唯一の救いでした。退院後も早く仕事につきたいと就職活動をしました。建築会社、ダンボールの会社などで働こうとしましたが、できませんでした。以前より注意力が散漫になり、記憶力も衰え、体力もなくなっていました。光の刺激に過敏になり、傷口も痛むなど仕事になりませんでした。仕事ができないとわかった時のつらさはなんともいえません。自分は役に立たない人間になったのか、と思ったり、家族の期待にも応えられない、というのはとてもつらいことでした。

 

牛海英さん / Niu Hai Ying       

事故当時26歳。

 当時、牛さんはチチハル市内の廃品回収業を経営していました。当時、夫と子どももいました。

2003年8月4日朝、市内の工事現場から出土したドラム缶が廃品回収所に持ち込まれました。ドラム缶を解体し、鉄として売ることになり、ドラム缶の解体作業が始まりました。中からカラシの匂いのする液体が出てきました。毒ガスだとは知りませんでした。作業所中にものすごい臭いが充満し、吐き気を催す程でした。

昼過ぎになり、作業をしていた従業員の李さんが早退し、病院に行きました。夕方になって、李さんの奥さんがやってきて「あなたも病院に行った方がよい」とすすめられ、病院に行きました。顔中に黒い斑点がいっぱいで、両足、股間、太ももにも腫れが出ていました。

1ヶ月たっても、腹のところで感染されたところがまだ腐っていて、完全に感染されたところを切り取ってしまう手術をしました。3ヶ月治療を受けて、やっと直って退院しました。でも、治癒して退院したのではありません。治療のしかたがなかったのです。

退院後も、近隣の人々も伝染の恐れがあると言われたり、軽蔑されたりしました。

 現在も体の不調は続きます。

 

李臣さん / Li Chen      

事故当時29歳

当時、李臣さんは、黒竜江省ジャムス市で黒竜江省航道局の職員として働いていました。

1974年10月20日真夜中の午前2時ごろ、松花江で浚渫作業をしていました。ジャムス市記念塔から200m上流の地点で吸泥ポンプがカンカンという音がして、メインエンジンが異常停止しました。船の上で機械管理をしていた李臣さんたちが修理にかけつけ、手動リフトでポンプのふたをあけると、ホンプの中から水があふれ出ました。その水は黒色でマスタードのような臭いがしました。李臣さんはこの黒い水につかってリフトのチェーンを手でつかんでふたをあけたため、体全体に黒色の液体をあびてしまいしまた。さらに李臣さんは黒い水が充満したポンプ内に手をいれ、中から金属製の物体をとりだしました。それは直径10cm、長さ5 0cmの砲弾でした。砲弾はさびついていて、頭部がつぶれて中から黒い液体が流れ出していました。この液体は23日に防疫センターの検査でイペリットとルイサイトの混合液であることがわかりました。日本軍の遺棄した毒ガス弾だったのです。紅旗09号事件です。

午前3時ごろから、めまい・吐き気・頭痛・呼吸困難・口の渇き・流涙などの症状がでてきました。黄色い液体を嘔吐し、手がかゆくなって、体の力がぬけてしまいました。ジャムス市の病院で手当をうけましたが病名はわかりませんでした。21日にはハルビン医科大学の病院に入院しました。入院時に両手の水疱はぶどうの房のようにはれあがり、頭の上にも鳥の巣のような水疱ができました。24日に瀋陽の病院に転院し、マスタードガス中毒症と診断されました。治療はびらんした部分 をきりとって消毒するという方法でとられました。しかし、皮膚がただれると指と指の間に水かき状の膜ができ癒着するようになりました。何年も入退院をくりかえし治療を受けました。その後1997年になって、ハルビン市障害者連合会から肢体障害3級という認定を受けました。働いていた黒竜江省航道局は休職扱いで基本給だけになり、1999年定年前に早期退職をしました。

1997年、他の遺棄毒ガス被害者とともに日本政府を相手に裁判を始めました。何度も原告として訪日し、証言しました。この裁判は2003年東京地裁で李臣さんたちの訴えが実り、日本政府に賠償命令がでる勝訴判決を勝ち取りました。しかし、日本政府は控訴し、高裁では逆転敗訴となってしまいました。李臣さんはその後も体調が回復せず、2020年3月、お亡くなりになりました。

 

被害者との歩み

 私たちは、中国黒竜江省ハルビンで6回にわたり、集団検診を行ってきました。(2016年9月現在)これらの検診活動を通じて、先に述べたような症状を明らかにしてきました。そして、近年では日本の医師らと中国の医師が協力し合い、日中合同検診を徐々に実現してきています。

 その一方で、被害者たちは、生活苦のため適切な治療を受けることができていません。ガンなどの病気を発病しながら十分な治療を受けられずに命を落とす被害者もいます。検診では限界があります。被害者たちが少しでも健康・生活を取り戻せるような実質的な医療支援、生活支援が必要不可欠です。

 一日も早く、被害者たちが全うな医療を受けることができるよう、NPO法人化学兵器被害者支援日中未来平和基金の設立に至りました。

 

日本でも毒ガスを、海・湖・川などに棄ててきた!!

大丈夫なのだろうか?



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花博(2027年)は大丈夫か??

 

 相模鉄道・瀬谷駅の北側に「海軍道路」という名の桜並木があります。この一帯は2015年まで米海軍の支援施設・通信基地でしたが、今は返還され2027年の国際園芸博覧会(花博)の予定地 です。

 ここは戦時中、帝国海軍の厚木航空隊などへの補給基地・弾薬庫でした。今は広大な草地ですが、北側には大きな水槽跡、円筒型燃料タンクを載せる台座跡。南東側には「特薬庫」と呼ばれた覆土式倉庫は現存しています。この特薬庫は毒ガス弾保管庫でした。その近くに漏洩した毒ガスを放出するための換気塔の基礎構造物があります。・・・・

 

 

日米軍事同盟反対!!

自衛隊「統合作戦司令部」発足 陸海空自衛隊を一元的に指揮

【コラム】石破内閣は「七三一部隊」の実態の検証を

日本政府は、なぜ歴史的事実ときちんと向き合わない??

 4月22日防衛省戦史資料室に元731部隊の池田苗夫の書いた「きい弾射撃による皮膚傷害・・・・」を閲覧しに行った。現物はあったが、写真を撮ろうとすると、この資料は業者じゃないと写真が撮れないという(つまり有料)、又肝心な袋とじの部分は公開しないとのことであった。この国は、731部隊の大事な資料もまともに公開できない後ろ向きな国だと思った。
 石破首相は、「(略)その手立てと言うものが歴史の経過とともに失われた。・・・わが政府はそのような不誠実な政府ではございません。」と強弁しているが、手立てがあるのにそれを隠し続けている「不誠実な政府」なのである!!

井本日誌は、公文書(業務日誌)であって、私文書ではない!!

井本日誌は1993年まで公開されていたのに、なぜその後、非公開になったのか?プライベートのものだからと言うが、そのような理由はおかしい!!

私的なものではない!!

井本日誌には、きちんと常徳の細菌戦の様子などが書かれている!!

戦史叢書には、井本日誌からの引用が多数あるが、井本日誌にある細菌戦の記述は全くないのはなぜか?

「井本熊男業務日誌」をめぐって

731部隊の人体実験「資料ない」はウソ 公文書を示し追及

(山添議員のフェイスブックより)

予算委員会で旧日本軍731部隊について質問しました。

政府は戦後一貫して、「具体的な活動を示す資料がない」と言い張ってきましたが、今回防衛省防衛研究所に人体実験の記録があることを明らかにしました。

「き弾射撃による皮膚傷害並びに一般臨床的症状観察」と題する資料は、イペリットという致死性のガスを人に向けて発射したり水溶液を飲ませたりし、その後の症状の経過を観察したもの。1984年に毎日新聞がスクープしたのと同じ内容ですが、政府が保管していたという点が新しい。

作成者は当時731部隊にいたことがわかっています。本人が寄贈したものであり、受け入れた際の「所見」には「人を使用して行った試験の成績であり、得がたい貴重なもの」とまで書かれています。人体実験の記録であることは一目瞭然ですが、答弁に立った防衛大臣は公文書であることを認めながら「客観的な事実を確認できない」と逃げの姿勢。どこまでも事実を認めようとしません。

政府に寄贈されたのは1964年。防衛研究所が文書を公開したのは2004年であることを初めて明かしました。40年にわたり隠してきたことになります。そしてその間国会では、「資料がない」とウソを言い続けてきたことになります。そうして長らく隠ぺいした挙げ句に、「古い話で確認できない」ーーあまりに不誠実です。

隠ぺいし、ウソをついてきたと指摘すると、ムキになった石破首相が「わが国はそんな国ではない」と強弁。

私たちの国の拭いがたい過ちです。戦後80年、これ以上目を背け続けるべきではありません。

真摯に検証し、事実を認めよ。

 

 

【731部隊】新資料で追及‼国会質問 徹底検証





 

極秘

 きい弾射撃による皮膚傷害並びに一般臨床的症状観察

                       加茂部隊 池田少佐担当

第2章  症例

287号

9月7日き弾射撃後4時間全身倦怠、口囲発赤を認め翌8日1時頃より全身倦怠、脱力感を覚え◯部発赤、顔面浮腫、眼瞼浮腫状前◯背面部発赤、22時頃より口囲に粟粒大水泡発生あり、

9日22時頃より口囲に多数粟粒大乃至米粒大の水泡簇産、10日17時発熱37度、肩胛部、頣前胸、腹、四肢

陰嚢一般に発赤し羞明、眼痛、結膜浮腫、角膜混濁、眼脂を認む、鼻汁、咳嗽咽頭後壁発赤を呈す

 

 

 

 

発足当時の自衛隊は、旧軍とは全く別の組織ではなく、旧軍関係者が多数入隊し、戦時中と同じように戦争の反省もなく、発足した。核戦争、生物戦、化学戦を想定、訓練し、兵器の研究、開発、一部は製造をしている。



 

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核・戦争のない世界!!

2025-09-07 08:38:04 | Weblog

 

 

国際法違反の、細菌戦や毒ガス戦のことをいつまでも隠していていいのだろうか?
この国家のやばい事実!!

(西山勝夫さんのメールより)

中谷元防衛相が「自衛隊は昭和29年に創設され、旧軍とはまったく違うものだ」として、断絶していると強調したのに対し、山添氏は、731部隊所属の池田苗夫氏が1964年に寄贈した、毒ガスを使った人体実験記録について、防衛省防衛研究所に保管され、2004年の公開まで40年も秘匿されていたと指摘。その裏には、防衛研究所が1983年に作成した「公文書の公開審査実施計画」があると指摘しました。

 同実施計画には「第731防疫給水部関係人事資料」と「細菌兵器に関するもの。(ア)実験についての報告・記録(イ)使用の疑いを抱かせるもの」が特別に示され、審査に回すことを指す「摘出」と書かれています。

 山添氏は「731部隊をはじめ、毒ガスの使用や細菌兵器の実験、使用に関する資料が当時防衛研にあったということだ」と強調。防衛省の大和太郎防衛政策局長は「審査をする121人の戦史部所員は全員旧軍関係者だ」と認めました。

 山添氏は「旧日本軍と断絶どころか、連続しているからこそ、人体実験などの隠蔽の基準までつくった。」と述べました。

 

旧日本軍と自衛隊に連続性 731部隊の犯罪隠し追及 2025.4.24

 

 

多摩霊園にある731部隊員が造った『精魂塔』、731部隊の犠牲者にすまないと思わないのか??2025年6月12日撮影

 

戦後、元731部隊が、年1回あつまり、中国での細菌戦の研究に精魂を尽くしたことにたたえ合っていた?ミニ靖国!!



本庄繁(当時関東軍司令官)は、柳条湖事件は、関東軍の仕業とわかっていても、墓にはそう書かなかった!!

「排日の極」と偽っている!!

最後にある「国体の護持」は誰からか強制されたものか、本人が書いたものか?

天皇には、戦争責任があることは明らか!!


本庄繁の遺書

「多年軍の要職に奉仕致しながら御国をして 遂に今日の如き破局に近き未曾有の悲境を見るに立到らしめたる

仮令退役とは云へ何共恐懼の至りに耐へず罪万死に値す

満州事変は排日の極鉄道爆破に端を発し 関東軍として自衛上止むを得ざるに出でたるものにして 何等政府及び最高軍部の指示を受けたるものにあらず 全く当時の関東軍司令官たる予一個の責任なりとす

爰に責を負ひ世を辞するに当たり 謹て聖寿の万歳 国体の護持 御国の復興を衷心より念願し奉る

 

昭和二十年九月 本庄 繁」

2025年6月12日撮影

 

阿南惟幾の辞世の句(本庄繁の墓の近くにある)

「大君の 深き恵に 浴みし身は 言ひ遺こすへき 片言もなし」

なぜ、阿南は、天皇の戦争責任を問わない??

 

不当判決!!(3月19日、東京地裁判決)

自衛隊で実際にやっていることを隠蔽するな!!

自衛隊化学学校が作成した『化学学校記事』の情報公開を求めた裁判で、東京地裁は、原告の主張を無視して請求を却下した!!『化学学校記事』については、情報公開を求めて審査請求をしたが、3年以上経ってから「不存在」の返事が来る始末。この間、防衛省は何を画策したのだろうか?

 自衛隊化学学校では、1950年代から、毒ガス製造に関わり、1964年にサリンを合成しており、その後も毒ガスを作り続けている。

 その化学学校が作成した『化学学校記事』が1冊も自衛隊にないという事は考えられない!!何で、機関誌を敢えて隠すのだ!!
裁判所は、強く情報公開を迫るべきだった!!

 1925年に作成された毒ガスの実戦での使用を禁止するジュネーブ議定書に、日本は1970年になってやっと批准した。

その頃に作成された『化学学校記事16号』までの発行は自衛隊も認めている。16号は、原告側が持っていた。

 認めたという事は、持っていることではないのか?

裁判所は、国側に加担し、三権分立を自ら放棄している!!

裁判所は、憲法9条を積極的に評価して、防衛省の態度を糾弾すべき!!

 化学兵器禁止条約を日本は、1995年に批准しているが、OPCWの監視下、防護のためと称して、毒ガスを作り続けている。

 戦中、毒ガス兵器を使い、その反省もせずに、戦後も毒ガス兵器の開発に手を染めている防衛省を、司法は裁かなくて良いのか、疑問を強く感じる。

裁判所には憲法9条を改めて、確認してもらいたい。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

『化学学校記事』12号の掲載された知られざる細菌戦の記述(杉田記事)

1938年 華中 細菌大量使用、1939年 ノモンハン 細菌大量使用、1940年 重慶爆撃 ペスト菌 コレラ菌使用、1941年 湖南省 細菌作戦、1943年 華中 華北 細菌作戦

化学兵器禁止条約(日本は1995年に批准)、これもザル法か?

化学兵器の開発・生産・貯蔵・使用を全面的に禁止するとともに、すでに存在する化学兵器および化学兵器生産施設を条約発効ののち原則として10年以内にすべて廃棄すること、一定の設備を持つ化学産業施設に対する検証措置をおこなうこと等を定めている。また、1925年1月1日以降に他国領域内に同意なく遺棄した化学兵器についても廃棄処理を行うこととされており、遺棄国に処分に必要な費用や技術の提供を義務付けている。

*しかし、遺棄毒ガス弾の被害者に対しての補償などは明記していない!!(欠陥だ!!)

化学兵器禁止条約第2条9項の規定により、以下の目的については例外が認められている。

・工業、農業、研究、医療又は製薬の目的その他の平和的目的

・防護目的、すなわち毒性化学物質及び化学兵器に対する防護に直接関係する目的

・化学兵器の使用に関連せず、かつ化学物質の毒性を戦争の方法として利用するものではない軍事的目的

 

悪法!!秘密保護法撤廃!!

秘密保護法によって隠された自衛隊の実態について踏み込んで取材できる環境づくりが絶対必要だ!!

地下鉄サリン事件から30年 被害者や遺族 教訓語り継ぐよう訴え

地下鉄サリン事件被害者 “風化感じる”回答の8割以上 NHK調査


自衛隊合憲論反対!!

1995年3月20日地下鉄サリン事件発生

自衛隊化学学校は事前に起こることを知っていた。

科捜研の結果が出る前から自衛隊は、サリンであることを知っていた。

オウムの中に自衛隊信者がいた。その自衛隊員と化学学校の間で、電話で情報のやり取りがあった。

戦後も日本は自衛隊で毒ガスが作っていて、化学兵器禁止条約を批准(1995年)してからも、防護のためとして自衛隊では毒ガスを作っている!!(サリン、VXガス等)

自衛隊とオウムの関係もはっきりさせず、早々とオウムの幹部を死刑にした当時の安倍政権と法務省にも問題あり!!

 

 

立民・有田氏「地下鉄サリンは防げたのでは」 警察庁「当時の判断でオウム捜索に至らず」

2つの機関誌の情報をお持ちの方は、nobu.goi@gmail.comまでお寄せください。

自衛隊とサリン(週刊金曜日)

 

富士河口湖町女性交流センター

「みずうみ通信」より

〈わが町の戦後史〉

~戦中・戦後の記憶をたどって~

富士ヶ嶺の生い立ち  Ⅱ

富士ヶ嶺 竹内精一

また問題が起きる。梨ケ原開拓地は、28年に接収された。これに関連して、農林省―県―を通じて申し込まれていた①地区全員集団立退、離農すること②立退離農者に対しては土地及び施設補償料を支払う③転入植者希望者には、入植地を斡旋する、であった。前にも述べたように、2か年続いた冷災害、一向に進まない水、電気などで、もうやれないと言う人たちには、真剣に離農を決意させるものであった。組合員の1人1人の意見の結果、拒否することにして回答した。この結果10%に及ぶ離農者が出て去って行った。悲しいことであった。

 土地の売り渡しは昭和31年3月25日に行われ、住所も、本栖三ケ水から富士ヶ嶺になった。

●原発問題

 

原発で作り出されるプルトニウムを、日本は核兵器開発・使用に使うのではないかとの疑

念が湧き上がる!!(戦時中も日本は原爆開発をしていた)

 

脱原発!!地震が起きてからではダメだ!!

原発事故の株主訴訟 株主側が上告 2審は旧経営陣の責任認めず

東京電力 柏崎刈羽原発6号機 原子炉に核燃料入れる方針固める

女川原発2号機 運転差し止め訴訟 住民側訴え退ける 仙台高裁

志賀原発 “活断層連動”範囲 長さ1.8倍に見直しへ 北陸電力

 

「原発必要ない」 女川原発再稼働に反対し東北電力本店などで抗議活動

 

 

三原由起子さんの短歌

復興と言われてしまえば

本当の心を言葉にできない空気

「信じてください」と言うから後を託したのに…「再稼働容認」に村上達也前村長は静かに怒る「裏切りです」

柏崎刈羽原発 再稼働問う県民投票の条例案 新潟県議会で否決

 

 

1972年9月29日   日中共同声明調印!!


 

8、日本国政府及び中華人民共和国政府は、両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、平和友好条約の締結を目的として、交渉を行うことに合意した。

ありがとう」



和歌山 白浜町 ジャイアントパンダ4頭 きょう中国へ返還

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