「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

フョードマン同志のウトヤ島テロルへの弁明

2013-03-04 20:37:49 | 北欧
 (追加翻訳)

 出典(2012年6月)

 2012年、僕は殺人鬼アンネシュ・ブレイビクの裁判に証人として出廷するよう弁護団から求められた。最初は電網上で証言しようかと思ったが、結局は拒否した。弁護団が法的義務がないことを明示せず、多くの者を証言させようと導向していたからだ。ウェンチェ・エリザベス・アーンツェン裁判長らが「極右」の証言は放映できないと明言したのも大きな要素だが。
 これはマスゴミが多文化主義と大量移民とイスラムに偏向していることの何よりの証明だ。僕はこの検閲の長城を弁護団に明言した。しかし、読者の皆さんには僕の真の主張を理解してもらいたいので、ここで弁明したい。

 Q:貴方の素性を教えてください。
 A:僕の本名はペデル・ジェンセンです。フョードマンという筆名で執筆を始めたのは2005年2月からです。最初は自分の電評でのみ執筆していましたが、2006年からは他の電頁からお呼びがかかるようになりました。
 生まれ育ったのは[ノルウェー中部の]オーレスンです。ベルゲン大学で英語や自国史、世界史などを学び、アラビア語を学んで2001年にはカイロのアメリカン大学に留学しました。2002~03年には、現在ノルウェー労働党の幹事長であるレイモンド・ヨハンセンが率いていたノルウェー難民評議会(NRC)に所属し、外務省公認の調停官(オブザーバー)組織TIPHの下でパレスチナのヘブロンで働きました。2004年にはオスロ大学でイランの電評空間を論じ、修士号を取りました。
 博士号も取ろうかと思いましたが、その頃はもうイスラムに批判的でしたので、敢えて断念しました。NRCには良い人もいますが、[2005年の]デンマーク預言者戯画騒擾での対応はシャリーアへの屈服そのものでした。それだけは受け入れられません。

 Q:ウトヤ島のテロルにはどう反応しましたか?
 A:あの2011年7月22日、僕は高機能自閉症やアスペルガーの施設で半労(バイト)していました。良い経験だったです。施設の職員は僕の電評活動のことを知りません。
 その頃はオスロに居住していました。事件の日より無垢なる僕は顔さえ知らぬ狂人のせいでノルウェー第二の大悪魔になりました。出国するよう助言もされましたが、それでは草泥馬と考え、家族や友人と相談して、27日ノルウェー治安警察(PST)に出頭しました。僕は実名を名乗りましたが、PSTは忙しいと取り合わなかったため、電郵(メール)の求め通りに、8月4日通常の警察に出頭しました。法律企業のスタッフ社とも相談してのことです。その頃はマスゴミも警察も僕の存在をスルーしていました。
 最初の尋問は荒れました。欧州独立宣言に僕の文章が相当数流用されていたので、警察に尋問されるのは仕方ないと思っていましたが、家宅捜索されるとは思っていませんでしたから。僕の文章が流用されたのはあの殺人鬼が電網に接触できたこと以上の意味はありません。ケネディやチャーチルの言葉もあそこには引用されているではありませんか!
 家宅捜索後の11月、2度目の尋問が行われました。そこでやっと僕の誠心が認められて恩赦されたのです。僕は殺人鬼と会ったことはありません。確かに誠心思考の電頁で僕に会いたいと電郵されましたが、そこでは殺人鬼は平静に行動していましたし、面会要請も丁重に断りましたから。
 殺人鬼が狂人なのかどうかは不明ですが、基地外な兆候はあるのでしょう。ただ、新生テンプル騎士団ジャスティシア・ナイトは自己チューな妄想の産物でしょう。

 Q:欧州独立宣言は読みましたか?
 A:2012年春から読み始め、ブレイビク裁判開廷の一週間前に読了しました。証言台に立たされるという噂の他、殺人鬼の本を書いてやろうという構想を思い描いたからです。ただ、注はつけても精読はしていません。精読は警察の任務です。

 Q:欧州独立宣言の感想をお聞かせ下さい。
 A:糞文書に過ぎません。論理的な箇所は他人が書いた部分のみで、錯乱天翼の文書です。推敲の跡も乏しく、過度に長いです。本当に数年かけて執筆したものなのでしょうか?
 最初の方は、ロバート・スペンサー隊長やバット・イェオル女史らの文章を流用しているのでまだ論理的ですが、後半となると義挙の作法やジャスティシア・ナイトの流儀、好みの音楽など私的なものまで出てきて見事に破綻します。
 チェルノブイリはテロ事件だった[訳注 この箇所は省略]とか、武装装備の箇所は僕らとは何の関係もありません。そういった話題についてはウィキペディアが主な情報源となっていますが、マスゴミはそれをスルーしました。殺人鬼はウィキペディア・テロリストともいえるのです。
 三人称のsなど容易に確認できる文法上の間違いも散見されます。殺人鬼にとって重要だったのは、1500頁という長さが齎す俺最強性であって、内容は二の次なのでしょう。

 Q:自分の文章が流用されたことをどう思いますか?
 A:僕は真名の語り手です。確かに僕の文章は時に論文全体水準でパクられています。しかし、チャーチルやロック、オーウェル、ガンジーの言葉も引用されているのですよ。尤も先軍的な引用はトーマス・ジェファーソンとケネディです。これ以上のことは申す気になれません。

 Q:欧州独立宣言はどのように糞なのですか?
 A:その論理が支離滅裂で、殺人鬼以外全体像を理解できないだからです。彼は反ナチで反人種主義で反社会主義と自称しますが、裁判では文化保守を枢軸勢力と同一視してネオナチを称賛し、人種は重要と唱え、カストロ議長やチェ・ゲバラを評価しました。彼には暴力願望以外の何も存在しないのでしょうか?

 Q:ウトヤ島テロルを支持する者は多いのですか?
 A:中立系のある研究者は、アルカイダ系の鋭端ジハーディでさえテロの大義を一般ムスリムに説明しようとするのに、ブレイビクはしなかったと述べました。そのため、ネオナチ以外に公然と支持する者はいません。欧州人民を起義させたかったのなら、その目的は壮絶に破綻したといえましょう。殺人鬼のセカイ観は現実と遊離しきってますから。
 ブレイビクは理性人かも知れません。武を以て抵抗しようとしないダニエル・パイプスやノルウェー進歩党の評判墻を毀損することには成功しましたから。その結果、欧州独立宣言に引用された穏健派の反イスラム・反移民勢力への「魔女狩り」が激化しましたから。

 Q:ブレイビクはシャルル・マルテル宮宰を父権復興の模範と崇めているようですが?
 A:宮宰やソビエスキ穹楯王は戦場で屈強なる戦士の敵軍に立ち向かったものです。一方、殺人鬼は自国内で非武装の市民に牙を向け、騎士道に反し女子供を討滅しました。年代次第では僕もウトヤ島の犠牲者の一員になったかもしれません。

 Q:ブレイビクのセカイ観は抗イスラム義士たちの典型ですか?
 A:一部専門家がそう唱えていますが、事実無根です。殺人鬼はジハーディへの親和感を表明していますよ。寧ろ、あの殺人鬼はコーランを着想源としているのでしょう。事実、欧州独立宣言にある通り、「殉教」の概念はイスラムが着想源(3.63)です。だから、殺人鬼が獄中でムスリムになったとしても誰も驚かないでしょう。
 当代の移民政策が齎す結末については常識人でも容易に想像できることです。
 ただし、架空の組織ジャスティシア・ナイトの部分については殺人鬼の思想の中核とみて間違いないでしょう。殺人鬼は「陪審処刑人」として行動したのです。ただこれは、[英国のSF]漫画に出てくるドレッド判事が着想源なのでしょう。これもまた、現幻混同の一つといえます。
 ジャスティシア・ナイトの制服や武装は道化的で漫画的です。殺人していなければ、扮演に笑いさえ起きたことでしょう。武具の名前はワールド・オブ・ウォークラフトといったMMOのようです。MMOの名誉のために注記しておきますが、これをやってる僕の親戚は蝿さえ殺せぬ人間です[訳注 こうした表現が独立宣言には存在]。
 何はともあれ、独立宣言は決して反イスラム思想の典型ではありません。僕ら真の反イスラム義士は決して原発を爆破したり、警官に扮装して討滅作戦を繰り広げたり、宣言文に自分の玉兎生活や姉妹の性病のことを書いたり、「義挙」をカトリック教会に列聖してもらいたがったりはしていないのです。これはただの狂気です。[流用された僕の文章のどこに思想的連関があるといえますか?] (早速第2部へ行って連関性を調査してみよう)

 Q:あの殺人鬼は狂気と思いますか?
 A:対面したことがないので結論できません。声明を読むと狂気の兆候はありますが、ウトヤ島テロルは計画的で正気を感じさせるものでした。
 ただ、アスペルガーの施設に勤めた者として言っておきたいのは、アスペルガーの代表は決してあの殺人鬼でなく、若きチェス王マグヌス・カールセンということです。狂気と天才は紙一重なのです。
 殺人鬼ブレイビクは、名う手の精神鑑定団が前代未聞というほど正気と狂気を超越した存在です。ですが、狂気は常に残ります。ノルウェーの名誉のためにも、彼は生涯ずっと監禁されているべきでしょう。

 Q:裁判で十分論じられなかった問題はありますか?
 A:直接出廷しなかったので大きくはいえませんが、僕はノルウェー警察を評価します。ただ、テロルの4か月前、官庁の前でストルテンベルク首相や「持続可能天女」ブルントラント元首相、ノルウェー労働党青年部への襲撃を予告した人物がいます。これがあの殺人鬼なのかどうかは未知数ですが、恐らくそうなのでしょう。つまり、この殺人鬼は自己の主張とは異なり、事態が露見する恐れを冒したのです。これは彼が常に正気でなかったことを示しうる事例ですが、スルーされてしまっています。

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