「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

個人信条(P1376~)

2013-03-11 20:52:08 | 北欧
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 Q:どのようなきっかけがあって、汝は今の活動に従事するようになったのか?
 A:私のチングにアーサランというパキスタン系のムスリムがいました。ウルドゥー語を特別施設で学んだ彼は12歳になってからモスクに通うようになり、次第に同塵を拒んでノルウェー世上を反イスラムと看做すようになりました。彼の不満は傲嬌故ではなかったのです。訣別した後、彼はパキスタン噴青とつるむようになり、私の友クリストファー等を暴行しました。
 彼らはジズヤ代わりに白人先住民を襲撃しため、半年間服役しました。ただ、強姦事件が目撃者不足故に不起訴になりました。ムスリム娘にお手付きするのは禁則事項故に、彼らは白人先住民を「イアンフ」にするのです。寛容たるよう躾けられた白人娘は軟弱そうな白人青年より屈強なムスリム男児に喝采するわけですが、ムスリム男児は彼女らを劣等イアンフとしてあしらいます。そして、彼らは20を過ぎるとイアンフを捨て、「優秀なる」ムスリム処女と結婚する訳です。イアンフは元の「部族」に戻るのです。
 ムスリムの親は挙って、「ムスリムと結婚するのなら、ノルウェーのイアンフと遊んでもいいよ~」と男を躾けます。イアンフと結婚する場合は、イアンフを改宗させます。一方、娘がイアンフと同様のことをすると、名誉殺人するかイスラム国で「再教育」します。子供を産ませて「束縛」することもします。イスラム国なら、「矜持復興」の名の下で娘をポアしても黙認してくれるからです。娘の欧州化を防ぐため、親は頻繁に娘を母国へ送還します。
 私の小学校にも途中で不自然に送還され、ポアされたかもしれない女が3人います。2人はパキスタン人、1人はトルコ人でした。内一人は近所でも顔を見たことがなかったですが、1人は遊び仲間でした。その仲間は「ノルウェー化」し過ぎと判定され、トルコに送還されたと聞きます。学校から不自然に送還された後の経緯は分かりませんが。この頃、イスラムはキリスト教と同じ和諧の宗教とのみ教わっていました。
 16~17歳の時、私はノルウェー進歩党の青年組織に加わりました。市場主義の進歩党は反移民故に「ファッショの豚」とマスゴミやサヨクから糾光されていましたが、世上の欺瞞を既に熟知していた私は、唯一の反多文化主義政党だった進歩党に魅かれたのです。
 その頃より私はPC主義の伽藍の中にあるイスラム主義や社会主義、平等主義の連結に自覚的でした。2000年ぐらいになると、民主的に欧州イスラム化を止めることはもう不可能と判断するに至りました。
 しかし、国家社会主義や人種主義を否定しつつ、武装闘争を肯定するキリスト系の反ジハード組織はどこにもありませんでした。ですが、電網経由でセルビア人の文化保守と接触した時に転機が訪れました。彼らが思想背景を精査した上で、私に加盟を許可してくれたのです。ロンドンで訓練も受けました。リベリアのモンロビアまで行って、ムスリムを大量討滅したセルビアの十字軍ネ申と面会したこともあります。その直後にロンドンで新生テンプル騎士団ジャスティシア・ナイトが結成されました。
 私は当時23歳で、創設者の中では最年少でした。本宣言文の話題の大半はこの時提示されたものです。ロンドンでのテンプル騎士団復古に立ち会ったのは5人だけですが、バルティカムでの部会では欧州全域より30名程度が出席しました。その後、我らは一切の通信を途絶し、決して交信せぬことを取り決めました。我らの情報を宣布するのが中心で、特定の制度を設けた訳ではありません。
 我らは皆、光頭(スキンヘッド)貧民でなく、世上で成功した人間でした。我らは皆、欧州の猶督伝統を守護し、非西洋の異教徒と連帯できます。私の師は英国人でした。このリチャード(仮称)さんこそ、本宣言文の第一版を記した最初の「無欠騎士」です。この宣言文は第二版です。誰かが第三版を書いてくれることを期待しています。

 Q:どんな出来事が汝を義挙へと駆り立てるのか?
 A:祖国がセルビア空爆に参与したことです。アルバニア系のムスリムを母国へ送還しようとしただけのセルビアの朋を、欧米が空爆したのです。セルビア人の民族自決権が壊光されたのです。これでは将来、小パキスタンが近くに形成された時、同様の措置を採れなくなります。
 この他、預言者戯画騒擾、アラファトへのノーベル平和賞、ラシュディ事件への対応でも私は祖国に失望しました。

 (中略)

 Q:ジャスティシア・ナイトを国家・地域組織でなく、汎欧州規模のキリスト組織とした理由は何か?
 A:実用性故です。北欧神話等の地域・民族文化が基盤では支援者の数が限定されます。3人に1人が受容できるよう、我らの綱領は穏健化されています。これで南欧や中欧の民にも受容されることでしょう。国家主義に奔る余り、十字架を忌避してはいけません。白人至上主義といった嫌悪思想や陰謀論などが象徴では、民心に受容されません。嫌悪に嫌悪で報復するのは間違いです。民心に受けることが第一なのです。ただし、これは義挙の規模を縮小するという意味ではありませんが。
 国家社会主義者はこれを背信行為と看做すことでしょう。しかし、彼らはその信条ゆえに民心から受容されないのです。

 (中略)

 Q:汝は多文化マルクス人材やイスラムへの憎悪を原動力に、8年以上準備に専念していたのか?
 A:違います。多文化人材が過去の罪科を認めて2020年までに我らの側に転向すれば、罪科を問う心算などありません。しかし、何も反省せぬなら、義挙の標的になります。
 ムスリムを憎悪している訳ではありません。今も敬愛しているムスリムがいるのですから。しかし、だからといって欧州イスラムの存在力は認めません。私は欧州文明を愛しています。自文明のハラキリにならない限り、多様性も容認します。

 Q:汝の15年前の信条をどう評価するか?
 A:その頃は無知でした。しかし、PC主義でない情報の真名に触れれば、皆さんも私と同じく覚醒するでしょう。人民をジェノサイドより護るのは、最根幹の人権的行為です。今の道に後悔はありません。機会があれば、躊躇なく同じ道を辿ります。

 Q:如何に汝らが義挙を正当化しようとも、汝らの行為を民心は基地外としか看做さぬだろうが?
 我らの作法は確かに、極端すぎると看做され、与否なくマスゴミから揶光されることでしょう。しかし、義挙が続けば、我らの主張を公論に挙げねばならなくなる筈です。第二次段考においてムスリムの数が更に増えれば、より多くの民が我らの資料を読み、我らの正当性を理解することでしょう。
 例え糾弾されても、これは親が無知な子供を殴るようなものです。子供たる民心もやがては成長し、親たる我らの行動を理解してくれる筈です。

 (中略)

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