「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

2.63 反白人の魔女狩り(p614~)

2013-01-09 23:52:37 | 北欧
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フョードマン同志


 出典

 ノルウェーの「諾威文献」には2007年に2人の白人が紅世のマスゴミによって抹殺されかけた戦慄の事件が記されている。白人先住民への暴力が急増する中、警察は白人先住民による「人種主義」の方を弾圧している。2005年、シャリーア法廷設置論者の保守党員エルナ・ソルベルグは新差別法を制定した。「証拠なくば有罪」の同法に反対したのは進歩党だけだった。
 前節執筆後、法案は欧州委員会の教示によるものだったことを知った。サヨク偏向マスゴミの支配するこの国で、新差別法の議論が真摯に行われた形跡はない。イスラム・テロリストの人権は語られても、自国民のことは論議されないのだ。
 白人百合娘だった性衡反差別オンブズマンのベアテ・ガンガスは2007年の総選挙に於いて、移民問題での反差別を呼び掛けたが、これはもちろん白人先住民限定のものだろう。サヨク連立政権は差別主義者を公職から「煙外」したいようだ。
 サヨク内閣は2008年10月、エジプトの同胞団を含むシャリーア強硬派をオスロに招いて和諧なる国際会議を支援した。外務省はビョルン・オラヴ・ウトヴィク教授支援の下「イスラム主義断層線」という研究Projectも推進する。労働党を含むサヨク政権は急進イスラム組織と野合しつつ、批判する白人先住民と対話する意思は見せなかった。
 2007年8月、白人先住民の救命士が「嫌白人流」に巻き込まれた。負傷したアフリカ人を介護しようとしたところ、突然放尿してきたのだ。白人は彼を豚と呼び、警官の世話になる方が良いと判断した。すると、被害者のアリー・ファラーというソマリア系が人種差別されたと訴えたのだ。
 白人が同様のことをしてもスルーするだろうが、マスゴミはこれを問題視し、白人救命士は職場を追われた。労働党のアンネ・ホルトはアフテンポステン紙において口述死刑を求刑した。しかし、ノルウェー健康監察団の調査で、救命士の容疑は晴れた。正に、性衡反差別オンブズマンは新差別法を施行する多文化主義の異端審問官である。
 ファラーはガーナの黒人に負傷させられただけだ。しかし、ファラーを救援しようとした模範白人の運転士エリク・シュジェンケンは結局のところマスゴミ暴衆によってハラキリ寸前まで追い込まれた。人種主義という烙刻は、旧共産圏での「階級の敵」という烙刻と同水準といえるほどの討滅力を持っている。PC主義的に間違っている白人がPC聖域の非白人に一件触れただけで、討滅されそうになったのだ。
 西洋世界では共通だが、白人の非白人への暴力は極めて少ない。暴力の主流は非白人間、非白人対白人の暴力だ。オスロでは白人娘が討滅の標的になっている。マスゴミの称揚する大量移民こそ暴力の真の淵源なのだ。
 ソマリア青年が2人の白人娘を強姦して心傷を負わせた事件があったが、受けた判決は懲役4年半だった。嫌白人流の事件はマスゴミの話題にまず上らない。白人への討滅活動が激化するほど、白人人種主義への魔女狩りが激化するとは何と公正な白人だろう。フランスのアレン・フィンケルクラウトは、「反人種主義の思想が20世紀の共産主義と同じく、今世紀の邪世の思想に変態してきている」と警告する。
 オスロ大のシグルド・スキルベックは考察する。

 スウェーデンでもドイツでも英仏でも、半数の国民は移民が多すぎると感じていることが判明している。ノルウェーでも移民増に肯定的なのは8%だ。つまり、最近の移民盲流は民心に基づくものではない。
 反人種主義は前時代の魔女狩りに酷似してきている。300年前の異端狩りの様相を呈しているのだ。「人種主義者を打倒せよ」という標語には原初的暴力感が漂っている。即ち、不浄と清真の闘争だ。汚泥天翼なる人種主義を浄化する幻想郷という構図は何と清真なる構図だろう。
 
 サヨクのトルグリム・エゲンは大量移民による「人種戦争」を警告するが、移民を止める気はない。この紅世についてエゲンはこういう。「愚昧な問いかけだなあ。僕はみんなに幸せになってもらいたいだけだよ。平和な世の中なのに何を書いてくれというんだい?」
 僕はエゲンの誠心に感心する。退屈だからと平和を求めぬ人が実在することをこれ以上なく明快に宣言したからだ。自称知識人にとって、世上が強盛なる故に誰も意見を聞いてくれない世の中ほど邪悪なものはないだろう。
 多文化主義熱でノルウェーの移民変態が進んでいた1990年代、エゲンは『人種主義精神病』という著作の中で、人種主義を精神病と捉えて、移民批判を封絶しようとした。「嫌外人流を治療するために重症者には薬を与えるべきだ。討論仲間のフゲリ医師は飲み水に抗精神病剤を入れたらどうかと唱えていた」
 エゲンはこうも記した。「他者の名前で嫌外人流を煽る政治家から個人を護衛せねば。“庶民がこう感じている”といった言葉がそうした政治家から出たら、議論より先に攻撃すべきだ」と。
 オスロ大のヒュラント・エリクセン教授は新多文化社会計画を率いる多文化主義の燐子だ。彼は西洋国家の死を嬉々と語り、ノルウェー第一のニダロス教会が多文化社会の象徴になるべきでないと語る。誠信思考の管理人オレ・ヨルゲン・アンフィンドセンと衝突した時は、こう反論した。「白黒以外の肌もいる多文化コスモポリスでは、アンフィンドセンの投げつけた問題など些細化していくだろう」
 白人が移民のために今世紀中に少数民族化するという予測を聞けば、皆戦慄するだろう。特に移民がムスリムの場合は。しかし、エリクセンのような多文化コスモポリス主義者にとっては、問題ともならないらしい。アンフィンドセンは「無知蒙昧」で「キリスト歪曲主義」に基づいているというのだ。
 どうもエリクセンは嫌イスラム流を懸念するより、キリスト教を揶揄する方に関心があるようだ。「テオ・ヴァン・ゴッホ監督殺害のような事件にイスラムは関係ないという事実をアンフィデルセンは我々に確認させようとしているのだろうか?」と。
 本当に関係ないのだろうか?
 ソマリア系のアヤン・ヒルシ・アリと共に「反イスラム」の映画を制作したオランダ人テオ・ヴァン・ゴッホ監督を2004年11月銃殺したムハンマド・ブーイェリはアムステルダム生まれのベルベル人だった。監督の侮教を確信したブーイェリは「信仰通りに行動したのみ」と残虐な殺人行為を肯定した。
 なら、平和的なキリスト教徒は密室での秘事を告発され、ムスリムはイスラム的動機を自賛してもイスラムと関係なしとされるのだろうか?多文化社会が崩壊して間もない旧ユーゴから渡来したセルビアの医師が大量移民の盲流を警告した時、エリクセンは「認識不足」と揶揄した。
 知識分子の価値は、どうも中二的妄想の壮大さで決まるようだ。現実社会や人間社会への影響は二次的な問題に過ぎない。現実を直視して自粛すると、二級の自称知識人とされてしまう。人類の壮大なる進歩もまた、他人の犠牲の上に成り立ってきたものだった。
 「大量移民の王」は決してその結果を糾弾されない。国連の人口爆発報告を受けて、左翼ダグブラデット紙のマリー・シモンセン女史はセカイ移住権をセカイ人民の普遍的権利にと訴えた。つまり、富貴なる小ノルウェーの衰滅を実質的に訴えたのだ。ノルウェー進歩党の揶揄に尽力してきたシモンセン女史に抗議する同僚は現れなかった。
 責由を保証するための「人権」という言葉は今、寛容と多様性の名の下で全文明を討滅する道具として用いられている。白人先住民は最早これに抗議することすらできない。

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