さぁ、今日も元気で、行ってきま~す!

息子2人もそろそろ独立間近。親たちの介護もだけど自分の老後も考えねば!今年こそはワンコ飼いたい!毎日体力増強ちうデス

携帯が・・・

2007-02-25 17:54:27 | いろいろ

今朝、携帯が突然、故障しました。
昨日から、あれって思うことが2、3回起きてたんですけれどね。
で、今朝、愚息1を塚口まで乗せていって、帰るときにメールが着信したので、
確認しようと思ったら、電源が切れてます。
もう一度、電源をオンにしてメールを確認して、家に向かいました。
駐車場まで戻って、車を降りようとしたら、また電源が切れてます。
なんちゅうことですかい!
仕方なくもう一度、よっこらしょとPから車を出して、ショップへ行きました。

ショップではお利口に動作してます。
でもサブディスプレイの待受け画像が少しおかしい。
「どこか接触が悪いのかも知れませんね。お預かり修理に出されますか?」

ほとんどが携帯に依存しています。
移動中も渋滞確認に使ってますし。連絡もほとんどメールです。
電卓、アラーム・・・ほとんど携帯ですね。
活動ブログも携帯アップです。
今使っていたものはその前の携帯が昨年の2月にワン切りが掛かった時に、
水ポチャして駄目になってかえたので、1年しかたっていません。
買い換えた時は、バッテリーも3日ほど充電せずにいけてましたが、
最近は長く持って1日半です。

連絡網とか、お知らせメールを保護者に送信した時なぞは朝満タンでも、
夜寝るときには、もう赤電池になるときもあります。
よく使うということは、落としたりもする回数も多いってことですね、
ディスプレイのガラスにも結構キズが付いているし、内部にもホコリみたいなものが、
入っているみたいですし・・・
ポイントもたまってるし、13ヶ月目から機種交換でも安くなるから、
思い切って換えちゃえってことで、新しい携帯です。



メーカーは同じなので、使うのもそれほど迷いません。
この頃の機種交換は、アドレス帳だけでなく、画像データもコピーしてくれます。

同じメーカーなのに、チクショ!って思うのは、外部メモリーが今主流の
ミニSDカードでなく、マイクロSDカードになっていること。
ミニSD1枚買っていたのに・・・

携帯はどこまで進化するんでしょうね。末恐ろしい。  

なんか、この頃、よくメカ類が壊れます。
スキーに行く前にはデジカメが壊れました。
電源を入れたら、レンズが出た状態で電源が切れてしまい、
それ以降、うんともすんとも言わなくなりました。お手上げ状態。



普段に持ち歩いていた大きなデジカメを背負ってスキーするのは嫌だったので、
直前にコンパクトデジカメも買い換えたし・・・
デジタル1眼レフが欲しいのですが、なかなかそこまで辿りつきません。

昨夜の食事風景です。



餃子を食べる兄弟です。目隠しする必要もなかったのですが、それなりになんとなく。
笑っちゃったのが、茶髪と黒髪の、ワッカをはずしたソンゴクウみたいってこと。
はい、うちはサルが2匹おります・・・笑

4月からの話その2

2007-02-24 11:00:44 | いろいろ
昨日夜は、愚息1が、25、26日と塚口での単発バイトのため、
帰省することになっていました。
帰宅は遅くなるといっていましたが、
モノレールの最終時間が過ぎても帰宅しません。

「お~い、今どこにおるねん?」
「今から帰るとこ」
「はぁ、今から京都出るんか?」
「ちゃう、今、豊中」

そういうことですかい。高校の同級生と飲んでたらしいです。
でも、よく考えたら、バスもモノレールももうない。
京都から直接そっちへ行ったので、チャリでもなし。
まさかぁね・・・

「あんた、どないして帰りよるん?まさか・・・」
「まさかの、その歩き」
「はははっ、さすがkonta母の息子や」

豊中駅前から東端の家まで、1時間10分程でご帰還。
「飲んでんかったら、1時間もかからんのやけど・・・」
へんなところが似ております。やっぱ親子です    笑

この日はお馬鹿どのも愚息1が帰宅する直前に帰宅しており、
食事を暖めているところでした。
珍しく母子家庭3人親子勢ぞろいしました。

2「アニはどこいっとってん?」
1「オレ、豊中で高校のクラブの友達と飲んどった。」
2「どないして帰ってきたん?」
1「歩いてしかしょうがないやろ。他にどないするねん?」
2「オレはまた、あんたが原チャで京都から帰ってきたとおもとってん。」
1「そんなアホなことせんわ。でも、この前バイトで奈良まで原チャで行ったで。
  50kmくらいあって3時間ほどかかったけど・・・」
2「豊中から歩いて帰ったり、奈良まで原チャで行ったり、あんたも、ようやってんねんな」

ほぉ、兄弟の会話しとるわ・・・

2「アニは4月からどうするん、もう卒業ちゃうんか?」
1「おれ、まだ、大学いくで」
2「いつ卒業するん?」
1「さぁ、早けりゃ2年後か遅けりゃ5年後」
2「そうか、院、行く云うとったんやな。それからはどうよ?」
1「そうやな、多分普通の企業には就職せんと思う。うちの大学に残るか、
  他へ行くかわからんけど、多分、その路線。
  でも、就職はその時になってみんとわからん。で、おまえはどうよ?」
2「おれも、4月から大学へ戻る。みんなから行け、行け、行けって
  云われるねん。」
1「そら、その方がええんちゃう。
  先のこと考えても大卒の資格だけは持ってた方がええで。」
2「そやねん、社会を知らん奴にも(笑 あんたもそうじゃん!)
  行け!って云われた。」
1「まぁ、それでええんちゃう?大学かてミニ社会やから、色んな奴おって、
  結構おもろい。」
2「とにかく、まともに友達がほしいねん。メンドイけどサークルも入ってみよと思てる」
1「まぁ、がんばってくれ」

昨夜というか今日になってましたが、真夜中1時ごろの我が家の団欒でした。

実は2、3日前にふとこのお馬鹿コンビはまともに兄弟として話が出来るのやろかと、
マジに気になったことがありました。
将来、なにか兄弟で話し合わなければいけない時、どうするんやろと。
久しぶりというか、こういう風に兄弟らしい会話をしているのをみたのはあまりないんです。
でも、こんな光景をみて、ちょっと安心しました。

あ~ぁ、こんなことで安心してるなんて、私は考えが甘いな・・・


4月からの話その1

2007-02-24 10:23:39 | いろいろ
またまた、ハイパーさんネタ、申し訳ないですが・・・

大学から、4月以降の進路についての問合せがきました。
進路調査というか、休学を続けるのか、復学するのか、はたまた退学するのか、
書類を送るから、いずれかに決定し、記入して送り返し、今後の手続きをせよ、というものです。

昨年後期初めに休学届けを出していました。
この半年は、思いっきり(でもないでしょうけれどとりあえず)やりたいことをやってきました。

先月、センター試験が始まったときに、ちょっとカマを掛けてみたのです。
「去年の今頃は、ホンマにドタバタしとったなぁ。
それであんた、4月からはまだ大学戻らんのやろなぁ、どうよ?」
お馬鹿の返事はあっさりしたものでした。
「戻るつもりやで」
あらら・・・どういう心境の変化があったのでしょうかね。
この時は、これで会話は終わっていたのですが、
大学からの書類が送られてきたことで再度確認。

「大学から、休むんか、戻るんか、辞めるんか意思表示しろって言うてきてるよ。
あんた、ホンマにどうするん?」
「それって、いつまでに返事したらええん?」
「来月15日までに出してくれって」
「そうなん?おかん、何も言わんから、もう間に合わんのかと思てたわ。」
「そんなもん、まだ試験が残ってるのに、大丈夫やわ。」
「訳判らん講義もあるねんけど、なんとか行くつもりにしてる。
みんな、なんで、あんな経済なんかわかるんやろか?」
「ほとんどの子が、なんとなく、なんとなくで過ごしてんねん。
そのうち何とかなるんちゃう?学校、行ったら行ったで、また、色々あるやろし、
とにかく卒業するまで頑張りなはれ。」

私はなんと云うアバウトなことをいうおかんなんでしょうかね。
もっと建設的な訓示は言えないんでしょうかね。我ながら呆れてしまいました。


まだまだ、そうなることか判りませんが、復学するそうです。
この半年、やりたいことやら、ずっとバイトをしていて、色々考えるところがあったのでしょう。
ちょっと、やれやれです。

そりゃ、あかんやろ・・・

2007-02-23 12:15:25 | ひとりごと
昨日のことでした。

仕事にでる前に夕食の支度をバタバタしていたら、
お馬鹿どのよりの着信(GLAYの着メロだったので)がありました。
仕事中に珍しくどうしたのかと返信しましたが、出ません。
作業中かと思い、なんよ?とメール。
「家におったら、Yの家電番しらべて」
「なんでよ、Yは怪我でもしたん?」
「・・・」返事なし
「Yママの携帯も知ってるけど、緊急やったら教えよか?」
「連絡取れんから、家に電話してみよ思ってんねん」
「無断欠勤か?」
「ま、そんなとこ」
「家におったん?」
「クソ、家の電話も出よらん!」
そこでやり取りは終わりました。

夜、帰ってきた時に聞いたら、
Yは水曜から欠勤してるとのこと。昨日は風邪でも引いてるのかと、
その程度だったらしんですが、2日続けて来ないとなると、
やはり、気になりますよね。
もう、半年以上、そこでバイトしてたみたいですが、
人懐こく、真面目に仕事していたので、社員待遇に近かったとか。
だから派遣会社も派遣先でも信頼されていたらしいです。
でも、いきなり無断欠勤となると、話は変わってきますよね。

しかも、病気とかでなく、結局、ただダルくなって休んだとか。
携帯は掛けてきた相手がわかるから、仕事関係だったら出ない。
彼にとって、うちの愚息は中学以来の「一番親しい地元のツレレベル」のはずですが、
同じところでバイトしていたので、欠勤中は仕事がらみだろうからと、
何度掛けても出んかったらしい。

帰ってきたときは頭にきてたんでしょうね、どうやったと、聞いた途端に、
「オレ、頭来とんねん。アイツ、人がみんな心配してるのに、
やっと連絡取れた思たら、急に、かったるくなったから、行かんかっただけと抜かした。
友達、なめとるんか!」周りの人間もそれ聞いて呆れてしまったらしいです。
(結局彼は二日も無断欠勤で、チョンになるそうな・・・)

お馬鹿の周りから見ると、愚息はとにかくクールで、ものごとに動じる様子を
見せないのだそうです。
でも、この人、時々、メッチャ熱くなって、切れることあるんですよね。
それって、私に似てるのかもしれません(メッチャ、熱くなって切れるところです。
私はクールではないですもん)
愚息は仕事に対しての情熱を持っていたわけではないですが、
無責任に中途半端に仕事をサボることだけは許せないみたいです。
とはいえ、ライブの翌日か、ライブ直前の真夜中スタ練で、朝起きられず、
一度だけ、風邪で起きられないんで休みますと「連絡」してサボったことありましたけど・・・

友人関係はもちろん、仕事をめぐる人間関係を大事にすることと、
最低の連絡や礼儀はきっちりしておかないと、
いい加減な人間と見られてしまいかねません。
これから先、長い人生を歩いていく上で、そんなことを繰り返していると、
世間から信用してもらえなくなりますよね。
結局、何事にも中途半端な生き方しか出来なくなるんじゃないでしょうかね。

もう、遅かれ早かれ家族が出来ても良い様な年代に突入するのだから、
もう少し、しっかりと考えんかいって思うんだけれど。
そのときは、ちゃんと考えるわって、彼らは思うでしょうけれど、
こういうことは普段から少しづつ考えて行動していかんとあきませんねんで。

愚息のダチたちは、みんな、フラフラしていますけれど、悪い子達じゃない。
でも、もうすぐ二十歳になり、大人として生きていかなければいけないんだから、
彼らももう少しそのあたりを考えないといけないでよね。
もう子供じゃないんだから、もっと真摯に考えていかないと、ずっとこのままの
場当たり的な生き方しか出来なくなるんじゃないかなと、
ずっと見てきた子達だけに、この先、すごく心配になります。

そうそう、うちのハイパーお馬鹿どのも心配ですが・・・
まだ、人の事に熱くなれる部分があるだけ、マシですかね?

ひさしぶりに・・・

2007-02-20 00:43:29 | ひとりごと
ちょっと前の話しになりますが・・・

先週の金曜日に、久しぶりにハイパーお馬鹿どののライブへ行ってきました。
一昨年の12月に前のバンドをやめて、しばらくは受験勉強していましたが、
やはり、一度、ステージに上がって、あのハイテンションを経験すると、
駄目なようですね、夏ごろよりごそごそやってるなと思ったら、
案の定、『音楽活動』してはりました。

今のバンドは、メンバーといえば前のバンドのギターの子に、
『地元』の友達が4人加わり6人編成です。

今回のライブは、ベースにしているライブハウスのイベントの一環で、
2バンドの対バン形式のライブで、持ち時間が1時間ほど。

相変わらず、場違いな雰囲気のオバサン2人、でんと陣取って、ドリンクしておりました。
程なく、対バン相手のメンバーのママたちも登場、まわりからみたら
あのオバハンら、ナニ?って雰囲気。    笑
なんせ、対バン相手のバンドのメンバーは、ギターとドラムが、元のバンドメンバーです。
母たちにすりゃ、同窓会みたいなもんですわ。

今までのワンボーカルとちがって、スリーボーカルのバンドになってました。
でも、そのせいでしょうか、曲にずいぶんと奥行きが広がったような気がします。
しゃべくりも、ボケと突込みが出来るので、白けることもあまりなくなりました。
ラップ風のものも取り入れ、なかなか楽しい構成に仕上がってました。
高校生バンドのときとちがって、ずいぶん成長したなと、パチパチパチ。



ライブへはMさんと一緒に行きましたが、ホールの入口で、
ばったりとお馬鹿さんに鉢合わせしたとき、
あちらのほうから、Mさんに「来てくれて有難うございます」みたいな
イッチョ前の挨拶をしてくれました。
ちょっと感心しましたわ。
お馬鹿さんもMさんには、大阪に来たときからお世話になってます。
まぁ、仁義の通せる人間に育ちつつあるのでしょうかね。
(おかんには、まったく仁義を通してくれませんが・・・泣)

春以降、いったい進路をどうするのかわかりませんが、
この3年ほど、ごそごそして回っていろんなことを経験してきたことは、
マイナスばかりではないようです。

雑感・・・

2007-02-14 23:53:47 | ひとりごと

帰路は、今まではお土産を買うのに神岡の宙ドームへ行っていたので、
帰りは富山から北陸道に乗っていました。

時間的にはあまりかわらないのですが、高速料金がかなり高いです。
今年は、バスのドライバーさんが、福井県勝山のバス会社の方で、
富山へ回らなくても、東海北陸道で戻れるように、
そのほうが早いし、安いしと云うことで、飛騨古川の道の駅へ連れて行って下さって、
16時前に高山西から高速に入り、岐阜へ向かいました。



ところが、3連休の最終日、少ないといってもスキー帰りの車の集中、
日本で一番高いところにある高速道路、坂道やトンネルの出口でのブレーキ渋滞、
二車線と、一車線の対面通行部分の合流の繰り返しの集中などが重なり、
16時半ごろ通過の白鳥福井の先からとんでもない大渋滞です。
17時半ごろ、ぎふ大和でトイレ休憩、再び渋滞に突入仕方なく、
18時前に郡上八幡でいったん一般道へ降りました。
高速から流れた車で国道が渋滞、18時半過ぎにやっと美並から東海北陸道へ復帰。

やれやれと思っていると、今度は名神で、伊吹から彦根まで20キロ渋滞。
そして、やっと20時45分ごろ、多賀を出発しました。
このあとは順調に1時間で豊中へ戻りましたが、14時20分に出発して、
なんと7時間半ものとんでもない帰路となりました。
ドライバーさん、自分の判断で大幅遅延になったことを、とても恐縮されてましたが、
こればかりは予測つかないことだから、仕方ないですよね、気になさらないで下さい。
とても穏やかな良いドライバーさんでした。有難うございました!

いつものことですが、夏のキャンプや、スキーなど長距離移動の時には、
保護者に、要所から何度か帰着時間に関しての連絡メールを配信します。
今回のように、大幅遅延となった場合、なおさら、詳しい情報を知らせるようにしています。

普段とちがう活動と、長距離の移動で子供たちは疲れています。
帰着後、出来るだけ早くスムーズにおうちに帰られるように
保護者にお迎えに来ていただく為です。

今回、最後のトイレ休憩地の多賀より最終メールを入れました。
「順調なら1時間とちょっとで到着すると思います」と。
予想通り、ほぼ1時間で千里中央に戻ってきました。

ほとんどの方から、「お疲れ様!待ってますね!」とか、どうしても迎えに来られない保護者の方からは、
小さい子がねっちゃったので、○○さんにお迎え頼みましたといった、ごめんなさいメールも届き、
お迎え組のみなさん、ほとんどがバスの到着前について待っておられました。
バスを降りると、「お帰りなさい、お疲れ様!」と皆さんの暖かい言葉で迎えてもらいました。

そして解散して、暫くすると、ぽつんと残された子が何人か。
1人は、ぎりぎりまでお仕事で、ほどなく「遅れてごめんなさい、お世話になりました!」とお迎えに来られました。

着いて30分以上経つのに、まったくお迎えに来られる様子も連絡もなく、
ついにこちらから電話してお迎えの催促。
その後、比較的早くに車はやってきました。

ところがです・・・車は止まりましたが、保護者は運転席に乗ったままで、姿をあらわしません。
リーダーたちは子供たちが全員、保護者に渡ったのを見届ける為に待っていました。
普段の活動でなく、かなりの強行軍のあとの、しかもハプニングで長時間遅れたあとです。
自然に、お世話になりました、の一言が口から出るのではないかしらと思いますが・・・

子供が乗り込むと、結局、そのまま走り去って行ってしまいました。
その場に残っていた他のリーダーたちが唖然としたのは無理ないでしょう。
別に、お礼を言ってもらおうなんて、誰も思っていません。
ただ、どうしてごく普通にご挨拶してもらえなかったのか不思議なんです。

あちらにも書きましたが、
私たちは、どんなに疲れても、解散のときに、子供たちが楽しかったよって、
そう言ってくれるだけで、苦労が吹っ飛んでしまうんです。
保護者の方の、お疲れ様、有難うございました、その一言で、やれやれって
穏やかな気持ちで、自分も家に戻れるんです。

保護者自身が迎えに来られないのであれば、迎えにいってくれる方に、
ちゃんと、解散場所をお伝えいただくのも当然ではないかと。
それぞれに、いろいろご事情があるかとは思いますが、
そのあたりはよろしくお願いしたいと思います。

もし、これを読まれてお気を悪くされたら、すみません。
出発する前に何度も連絡を入れて、いろんなことを伝えてあったはずです。
でも、ほんの一言がなかったり、伝わってなかった?ことで、私たちの疲労感がドッと増したことは確かです。

社会生活、ほんのちょっとした一言と行動で、スムーズに気持ちが伝わりあって
気持ちよく過ごせるもんです。
(逆の場合もありますが・・・)

私たちも、言葉を上手に使って、
穏やかな人間関係を築いていきたいと思いますが、なかなか難しいですね・・・




今日から

2007-02-09 23:45:40 | いろいろ
スキーに行きます。
出発前にアップしていこうと思っていましたが、バタバタしてしまい、時間がなくなってしまいました。
活動で飛騨の流葉へ行きます。

心配していた連れ合いさんのおばちゃんの精密検査は、結局、シロでした。
検査した時、気管支喘息を起こしていました。
検査したマーカーの抗原は、喘息を起こしている時や、肺炎を併発している様な場合、高い数値がでることがあるそうです。
精密検査辞に行った血液検査の数値は正常範囲でした。
CTに映し出されたのも、昔の結核の跡が石灰化したものでした。
まだ組織培養検査の結果が出てませんが、高数値は多分、喘息のせいだったのでしょう。
結果が出たのが水曜日、落ち着かない気持ちだったので、スキーの準備も余りしていませんでした。
バタバタッと買い物をして、ドタバタと出発です。
今年は暖冬で雪が少ないので心配だったのですが、さすが飛騨、この辺りでは積雪が多いみたいです。
九時半前に千里中央を出て、いま、一宮木曾川です。
東海北陸道にはいってますが、車の数が少い。
スキーのトップシーズンなのにスキーバス自体が少いです。
多賀を過ぎて消灯しました。
低学年の子は眠っていますが、中学生たちはまだお喋り中。
リーダーはナイトキャップ中(笑)です。
マイ泡盛を持ち込んでる人も。
こうなりゃ先に寝た方が勝ちです。
ってことで私も寝ます。
明日から年に一度のスキー、楽しんできますね~
とウダウダ言っている間に、もうすぐ関、って、それはどこでしょう?私判んないのですが・・・
ようやく車内も静かになりました。
しばしの休息という事で、また後で・・・

1週間経ちました

2007-02-03 09:37:49 | ため息話・・・
じいちゃん、退院して一週間たちました。
ぼちぼちと入院前の生活に戻りつつありますが、やはり以前に比べると、
気力がかなりダウンしています。

昼と夜7時のニュースの5分前には必ずTVがオンするように、
また、『渡る・・・鬼・・・』を見忘れないように、TVオン、及びVTRセット、
それから、いくつかのお気に入り番組にTVがオンされて、場合によっては
VTRが作動するように、全てタイマーでセットしていました。
いろいろじいちゃんなりのこだわりと理由があって、VTRも2台。

だから、じいちゃんの部屋のオーディオ棚はラインがいっぱい。
コンセントも蛸足・・・
そこへPCを使えないので、デジカメで撮影した画像をTVで見るために
USBケーブルが、判るようにぶら下げてあるし、ACアダプタもつながってるし・・・
素人には、わけワカメ・・・

入院中は、テレビが勝手についてうるさいので(耳がかなり遠い)、
タイマーを解除したのです。
退院してきてそれを、セットしようとしたら、さっぱり忘れてしまって、
かなりさわりまわしていましたが、結局諦めたようです。
まぁ、暇なんやから、ぼちぼちしてください。
いくら娘でも、じいちゃんのオタクにはそこまで付き合えませんから・・・

で、じいちゃんところの確定申告を出すために今年は申告書作成を書くことに。
年金生活ですから、もう医療費で還付金ねらいですけど。



渡された、医療費の領収書類。ヒエェぇぇぇぇ~、山ほどあります。
医者と薬局と分離されてるから仕方ないのですが、ざっと250枚ほど。
実家のある市は昨年より、必ず医療費明細を発行することが義務付けられたので、
それが実施された夏以前の、一番良く通ったホームドクターのところの明細が、
もらえていません。それが出ていればもう2~30枚増えましたか・・・
(う~ん、3日に一度は医者通いしていた計算になるな・・・)

この頃はPCに入力すれば2、3時間で計算は出来てしまいますが、
それらの領収書を整理して提出できるようにまとめるのがちょっと大変ですわ。

これはうちの年寄りには出来ませんな。
じいちゃんが出しに行くなら、ばらばらでも受け取ってくれるでしょうけれど、
私が提出に行ったら、このままでは思いっきり嫌味を言われそうです。

来週、スキーから帰ったら、提出するのでそれまでに片付けます。
やれやれ・・・

今年は暖かいので実家の庭ではお花さんたち、元気です。



うちのベランダといえば・・・見るのがこわい・・・汗