徒然なるままに修羅の旅路

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悲……大阪ナイフショーは完全中止になりました。滅べ疫病神

In the Distant Past 5

2015年02月15日 00時46分54秒 | Nosferatu Blood
 
   *
 
「行ってきまーす」 誰もいない廊下にそう声をかけると、リビングからいってらっしゃーいという間延びした返事が返ってきた。
 たぶん返事をしたのは、義兄と一緒に昨晩家に泊まっていた陽輔だろう――実家住まいの陽輔はともかく戸籍上神城恭輔の住所はこの家なので、『一緒に泊まっている』という表現にはいささか語弊があるが。
 陽輔自身は野球少年なので、もうじき家を出てひとりで自宅に帰るだろう――自宅の庭で素振りの練習でもしてから、小学校に登校するはずだ。
 恭輔はというと、早めに起き出したマリツィカの朝食のときにはいなかった――海外帰りの時差ボケが取れずにまだ眠りこけているのだろう。
 帰ってきたその日に夜中まで酒盛りなんかしてるからだよ、お義兄さん――胸中でだけそうつぶやいて、マリツィカは玄関の引き戸を開けた。
 アルカードと蘭が玄関脇に長椅子代わりに置かれた船形の石の上に腰を下ろして、早朝の優しい日差しを浴びながら送電線の上で羽を休める雀たちをのんびりと眺めている。
 ずいぶんと風景に馴染んだ、まるで老人みたいな空気を身に纏っていたアルカードは、それでもマリツィカの接近に気づいていたのか、振り向きもせずに声をかけてきた。
「ずいぶん早いな」
 というのは、普段は家を出る十五分前まで寝巻のままでいるマリツィカが、すでに制服に鞄という通学装備で身を固めているからだろう。
「あ、うん。あとおはよ」
 今は六時二十分――マリツィカの通う高校は八時までに登校し八時三十分始業なので、マリツィカは普段、ほぼ三十分前に自転車で家を出る。アルカードの質問は、それを知っているからだ。
 マリツィカは自分の恰好を見下ろして、
「もう学校に行かないといけないから」
「……今からか?」 腕時計に視線を落としてそう尋ねてくるアルカードに、
「ほら、昨日車で迎えに来てもらったからさ。それで、その――わたし自転車通学だったからね。持って帰ってこなかったから」
「ああ、移動手段あしが無いのか」 それでアルカードも納得してくれた様だった――マリツィカは普段自転車で通学している。昨日マリツィカは、三人の友人たちと一緒に昇降口から直接正門に向かった。そのために自転車を回収することが出来ないまま、彼女はアルカードと合流したのだ――まあ仮に回収出来ていたとしても、ジープに載せることが出来たかどうかといえば判然としないが。
 昨日は友人たちと一緒に出ることに気を取られて、自転車を持ち出すことをすっかり失念していたのだ。ほかの三人は徒歩とバス、電車なのでまったく問題無いのだが――
 結果マリツィカは通学のための移動手段が無くなってしまい、こうして普段よりも早めに歩いて出ることにしたのである。
 マリツィカが自転車を学校に置いてきてしまったことに気づいて納得したのか、アルカードは小さくうなずいた。
「だがだからといって……歩いてあそこまで行くつもりなのか?」
 マリツィカの通う学校は悪いことに硲から直接行けるバスや電車が無く、公共交通機関を使おうとすると大きく迂回しなければならない。タクシーは厭な思い出があって個人的に嫌いなので、あまり使いたくない。結果、ちょっと早く家を出て歩くつもりでいたのだが――
「あと小一時間ちょっと、ゆっくりしていていいぞ」 髪の毛を掴んで引っ張っている蘭をどうにかしようとしながら、アルカードはそんなことを言ってきた。
「え?」
「車で送ってやる」
 アルカードの言葉は、いつもの様に愛想が無い――短くて簡潔だ。けれど――
「いいの?」
「ああ――八時過ぎになったら出るから、その時間になったら出てこい」
「ん、ありがとう」 うなずいて、マリツィカは通学鞄を足元に置いて蘭のそばにかがみ込んだ。アルカードの髪の毛をぐいぐい引っ張っている蘭の手をやんわりとはずし、抱き上げた蘭の体を片腕で抱いたまま通学鞄を取り上げる。
「じゃあお言葉に甘えて、もうしばらくのんびりしとくね――アルカードは?」
「別に俺も特にやることは無いんでな――猫も出ていったし、中に戻る」 塀の内側の木を駆け昇り、そのまま外に出ていってしまった猫の消えたほうを見上げながらそう返事を返し、アルカードは椅子代わりの石から立ち上がった。
 
   *
 
「――よし、これで全部終わりだな」 トミーカイラのFRPボディにエンジンフードをかぶせたところで、池上はようやく一区切りついたので大きく伸びをした。
「あとは俺の仕事だ。光軸とサイドスリップはあんたらじゃ出来ないから、適当に遊んでてくれ」
 そう言いながら、池上がトミーカイラのエンジンを始動させる――彼はかなりシビアに調整されたのクラッチ操作に四苦八苦しつつ、羽根の様に軽い車輌をサイドスリップテスターの前に移動させ始めた。
「だそうで」
「なあ」 アルカードは池上とそんな言葉を交わし、それぞれ自分の手持ちの工具を工具箱に片づけ始めた。
 サイドスリップはタイヤの横滑り量、自動車用語としては直進安定性を意味する言葉だ。
 サイドスリップ調整というのは一言で言えばホイール整列アライメント調整の一種で、つまりフロントホイールの向きがステアリング正立状態でまっすぐに近い状態にする調整作業だ。
 コーナーを曲がったあとステアリングから手を離していると、ステアリングは勝手に正立に近い位置に戻ろうとする――これを復元力と呼ぶが、これを向上させるためにフロントタイヤを正面から見たとき、若干ではあるが角度がつけられている。
 これをキャンバ角度アングルというのだが、キャンバ角があるためにタイヤ自体は車体に対して斜めに進行しようとする。これを打ち消してハンドルの直進性を維持するために、車体の進行方向に対するタイヤの角度を調整してタイヤの進行角度をまっすぐにするのだ。これをトーといって、内側に向いている状態をトーイン、外側を向いている状態をトーアウトという。
 トーインもしくはトーアウトの状態では、タイヤの回転によって路面を外側もしくは内側に向かって押し出す様な力が働く。
 サイドスリップテスター自体は床にしつらえられた二枚の鉄板で、横に対する動き量を測定する様に出来ている。これらの鉄板を左右それぞれのタイヤで踏んだとき、内側もしくは外側にどれくらい押し出されるかを計測するのだ。
 サイドスリップという言葉の本来の意味はトーインもしくはトーアウトによる『斜めになったタイヤによってテスターが内側もしくは外側に押し出される量』で、それが転じて直進安定性を指す。
 サイドスリップが狂っていると、フロントタイヤを上から見たときに進行方向に対してハの字もしくは逆ハの字になる。この状態が過大だとタイヤの編摩耗を促進する、路面を傷め、直進安定性に劣って運転にも支障をきたすことがある。
 何度かハンドルを切り返して前進と後退を繰り返しながらサイドスリップテスターに対する車体の向きを調整している池上を眺めながら、忠信が口を開く。
「ところで兄さん、さっき姪っ子ちゃんから番号を教えてもらうとか言ってたが」
「冗談ですよ、もちろん」 拾い上げた自分のものではないコンビネーションレンチを忠信に渡しながらそう返事をすると、忠信も自分のものではなかったらしく、受け取った工具を手近なツールロールの天板の上に置きながら、
「そうなのか? 身近に女の子を三人も侍らせてて、まだ足りないのかと」
「なんて人聞きの悪い」 思いきり顔を顰めてそう返事をすると、
「否、そうは言うがよ」 池上が話に入ってくる。彼はサイドスリップテスターにトミーカイラを乗り入れながら、
「うちの嫁さんが昨日、でっかい三つ編みの女の子をエスコートしてジープから降ろしてるところを目撃してるんだが」
「ほうほう。池上さん、その話もっと詳しく聞かせてもらおうか」 早速喰いつく忠信に、アルカードは盛大に嘆息した。それ、昨日病院から連れ帰ってきたときのリディアじゃねーか。
「それを目撃してるのに、なぜ松葉杖には気づいてくれないのかと」 口は動かさず手を動かして!というメッセージを込めて冷たい視線を向けると、池上はテスターのほうを見ていて聞いていない様だった。
 あ、聞いてねえ。嘆息して、アルカードはこめかみを指で揉んだ。
「それ、彼女が怪我したから病院に送迎してただけですよ。それ以上の意味は無いです」
 そう言ってから、アルカードはこれ見よがしに深々と嘆息した。
「だいたい侍らせってのは、その女の子が全員自分を好きだとか、取り合ってるとかそういう状況でしょうに。あの子たちにそういう感情は一切無いと思いますよ」
 そう続けて、ソケットレンチをハンドルからはずしてホルダーに差し込んでいく。
「ちっ」
「ちっ」 ふたりがそろってそんな声を出す。舌打ちを打つのではなく、こちらにわかりやすくするために声に出したらしい。
「つまんねえよな」
「なぁ」 視線を交わしてそんなコメントを口にするふたりに、アルカードは冷たい半眼を向けた。ちっじゃねえよちっじゃ、まったく。
「ふたりとも、いったいなにを期待してるんですか」
「兄さんのあれだ、いわゆる恋バナ?」
「そこらの壁とでも話しててください。いつまでもアホなこと言ってると俺ひとりで行きますよ、検査場」 嘆息に載せる様な口調で忠信に返事をしてから、アルカードは実際むっとしてコンビネーションレンチを乱暴に工具チェストに放り込んだ。
「だいたいいい年してなにがコイバナですか、女子高生じゃあるまいし。なにが悲しくて男ふたりでガールズトークを」 年の離れた友人たちが共通の友人の色話で盛り上がっているというのは、話のネタにされている当人としては正直頭痛がする。
「悪い悪い、そんなに怒らないでくれ」 怒りを鎮めようとしているのか揉み手をしつつ、忠信がそんなことを言ってくる。
「だいたいあれです、なんでそんなミーハーなんですか」
「いやぁ、だってほらアレだ、兄さんその手の話題を振ると、昔から本気で困るだろ?」 という返答に、アルカードは表情には出さずに溜め息をついた。俺がお嬢さんをからかって遊んでいるとき、パオラやリディアはこんな気持ちなんだろうか。
 今後自重しようかとも思ったが、フィオレンティーナには嫌われていたほうがアルカードとしては都合がいい。向こうがどう思うかは知らないが。
 アルカードは嘆息して、片づけの終わったチェストの蓋を閉めた。

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