徒然なるままに修羅の旅路

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【絵が昭和すぎる】初期の釣りバカ日誌みたいな時代背景だ。

2016年01月25日 19時39分25秒 | 日記・雑記
修羅の刻(16) (講談社コミックス月刊マガジン)
クリエーター情報なし
講談社


 一ページ目からリチャード・ドーキンスな本作。
 買ってきました。なかなか近所に売ってなくて、苦労しました。

 正直門の最後のほうの展開はあまり好きではなかったのですが、なんか本作のほうが作者さんは楽しんで描いてる様な気がします。

 修羅の門 第弐門も海皇紀もそうですが、正直終盤のラストバトルはあまり好きじゃないんですよね。特に海皇紀の対クラッサ・ライ戦は酷かった。ペテンペテンうるっさい。海堂戦もそうですが、最強の敵を相手にあの勝ち方は無いでしょう。

 基本、川原作品は奥義が無いほうが良作であると個人的に思います。
 特にアレなのがケンシン・マエダ戦で繰り出した最秘奥・四神のひとつ白虎なのですが――どうにもこの四門と龍破・無空波といった奥義の存在が、修羅の門とその派生作品をマジカル格闘漫画にしている気がしてなりません。
 なんか極限の状況から一気に決着がつくために利用されていて、そこまでの展開が全部無になっている気がして仕方が無いです。
 白虎、敵を斃す前に指が全部突き指するだけの結果に終わりそうな気がしてしょうがない。
 そこまでは極限状況での格闘がいい感じに描かれてるんですけど、終わり際のネタ切れを一気に覆すための存在なのではないかと思えてきます。
 正直修羅の門は四門を使わない雑魚戦のほうが盛り上がってる気がします(ライアン戦除く)。特に毅波戦は非常に良かった。
 個人的には毅波戦がイチ押しです。

 終盤がアレと言えば第弐門そのものもそうで、どうにも対海堂戦が盛り上がりに欠けるんですよねえ。四門は必殺奥義どころかただのトランザムチートであることが判明してしまったし、決着の決め技もそうだし、ひたすら天地魔闘の構えな海堂も。正直前哨戦の海堂対片山のほうが面白かったり。あと正直空王って名称かっこ悪い。

 さて、それはともかく本作のテーマは、『山田さんはいかにして九十九の父となったのか』。
 だってほらあれですよ、武道館で陸奥真玄がフランク・クラウザーに語った内容といい、単行本31巻でのモノローグといい、そこだけ見たらどう考えても九十九の父親はケンシン・マエダです。
 まあ、ちょこちょこ無理のあるストーリー展開があるのは川原漫画のお約束ですけど。
 正直山田さん父親説よりも、個人的にはあの終わり方で陸奥と不破が分派するという13巻裏の展開のほうがよくわかりません。「誰にも負けたくない」がなぜ暗殺稼業になるのか。
 たしかに虎彦は暗殺してたけどさ。でも一子相伝の暗殺拳なんて北斗神拳な展開になる様なバトルでもなかった気がするんですけど。どういうことなの?
 無手にこだわらないという意味で『手段を選ばない』選択をした結果なのでしょうか。

 で、絵はとにかく昭和過ぎて俺が生まれる前な気がします。初期の釣りバカ日誌とかに出てきそう。
 本作冒頭にボンカレーの広告が登場するのですが、意匠が明らかに女優の松山容子さん、すなわち最初期のボンカレーです。
 ボンカレー 広告で画像検索してもらうとボンカレーの広告看板がいろいろ出てきますが、牛肉 野菜入りって書いてる看板がそのまんまです。
 ちなみに初代ボンカレーは昭和43年の登場なので、つまり昭和40年代の時代設定なんでしょうね。
 仮にこの当時が昭和43年だと仮定して考えると――ボンカレーの発売時期から考えて、43年1月以前であることはあり得ません――、山田さんが肌寒い3月だって言ってたから、作中の時期は昭和43年3月で確定です。ちょうど大塚の社員さんたちが、金属製の広告看板を自らそこらじゅうにつけて歩いてた時期で、作中に登場するものものそのひとつでしょう。
 まあ陸奥真玄が帰宅するまでの期間を一~二ヶ月と見積もって、陸奥冬弥がこのときから約一年後の生まれで昭和44年前半の生まれ、陸奥九十九が四つ違いとのことなので九十九は昭和48年生まれ。
 ……俺より年上じゃないですか、やだー。
 ちなみに単行本の門28巻、対イグナシオ戦で陸奥九十九は当時18歳。
 昭和48年は1973年なので、ヴァーリ・トゥードやってた当時は1991年の年末ということになりますね。
 まあほぼ1992年ということで、さらにそこから二年半後、1994年が第弐門ですね。
 ……あれ? ヴァーリ・トゥードが1991年のクリスマスだったら、そこから二年半だったら六月ごろじゃないの? 紅白歌合戦とか言ってるから、第弐門で毅波とやってる時期も年末だよね。第弐門開始直後のサンシャインシネマの掲示板に月マガの新刊が11月6日発売とか書いてあるし、時期おかしくね?

 ところで舞子ママがイグナシオ戦のときにワイドビジョンテレビに喩えてイグナシオの『魔術マジック』を解説してますが、電気通信技術審議会による第35号答申「テレビジョン放送の画質改善技術」が提出され実際に放送が開始されたのは1995年7月の出来事、1991年に開催されたヴァーリ・トゥードよりずっと後の話なんですがそれは。
 あとワイドビジョンって流行っていうほど普及しなかったんだよね。
 
 そしてそんな、読者がみんな予想してなかったであろう、昭和な感じの時代背景で始まった本作。
 どこぞのヤクザの用心棒として駆り出された山田さん、もとい不破現。
 でも仕事する気ゼロの山田さんの目の前でヤクザが別のヤクザにフルボッコにされてるところに乱入してきた闖入者=ケンシン・マエダ。
 漢字は公開されてなかったと思います。堅信とか謙信、兼信あたりでしょうか?
 柏木流体術のはぐれ小僧をあっという間にのしたケンシン・マエダ。彼はその足で柏木流の実家に乗り込み、あとを追ってきた山田さんと対峙します。
 
 つっかかるケンシン・マエダを適当にからかっていなす山田さん。
 その後、ふたりは一緒に電車に乗ってどこかにある陸奥の住居へと向かいます。
 紆余曲折を経て薪を割り山菜取りにいそしみ猪を狩るという初期の自殺島みたいなワイルドライフを堪能するふたり。ケンちゃん結構楽しそうです。

 五話構成の第三話までが収録されているのに、陸奥真玄の影がとっても薄いです。親父どこでなにしてる。
 奥さんの遺体を実家に届けに行ってるそうなんですが、遺体なのか遺骨なのかは言及されていません。なので、骨にしてない遺体をそのまま持っていってる可能性が微レ存。
 陸奥は貧乏暮らしらしいし自動車にも縁が無さそうなので、大八車にでも載せていったんでしょうか。それなんてシセロ?
 というか、陸奥が役所で奥さん死んだ届を出してるという事実のほうにびっくりです。
 てっきり離島で自給自足みたいな世捨て人ライフを送ってると思ってたのに。
 しかも四十九日までは帰ってこないみたいな話も出てるのですが、奥さんの実家は死体でいいから返せっていうくらい陸奥を嫌ってるっぽいし、もし四十九日まで残るとしたら超風あたりの強い針の筵なひと月半な気もします。
 奥さんはいいとこのお嬢っぽい感じなので、そんな針の筵生活も気にならないくらいにご飯がおいしいのでしょうか。ひと月半ホテル暮らしの金なんてないだろうしね。

 そして静流さんあんなキャラだったのか……たぶんみんな同じこと思ったでしょうけど。
 そしてこれもみんな同じこと思ったでしょうし、あとがきで作者本人が言及しているけど、今回歴史上の人物が誰も出てきません。前田光世の名前がちょっと出てきただけです。
 本来は『門』の一部だったものを独立させたものらしいので、かなり変則的な形の『刻』、文字通りの陸奥圓明流外伝なんでしょうね。

 そういう意味では、今までの『刻』のノリを期待して買うのは間違いだと思います。あと川原さん、『?』のあとは一文字空けないとあとがき読みにくいよ。
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