おそらくは持ち主である美音本人から魔力を吸い上げて、それを使って術式を稼働させているのだろう。二重――否、三重か。
防御術式《プログラム》を織り込んだ護符は総数十四個。それらが互いに連携しあって、ある程度以上の速度で接近する物体に対して強力な防御結界を構築するらしい――おそらく数が多ければ多いほど防御は強固になる。
結界の強度は、ちょっとしたトーチカ並みだ――いったん動作すれば、アルカードで . . . 本文を読む
「……もういいですか?」
「はっ、はひ! あ、ありがとうございます」
少しひんやりした手を放すと、彼女は風呂でのぼせたみたいに真っ赤になって、キャーキャー言いながら友人たちのところまで戻っていった。無意味に浮かれた梨葉?を歓迎して騒いでいる光景から視線をはずして、陽響はテーブルに頬杖を突いた。
「なんなんだ、ありゃ」 とぼやく陽響の顔を下から覗きこんで、美音が意味ありげに笑う。
「もてもてだね、 . . . 本文を読む
僅かな時間で、相手の戦闘スタイルを推理する。おそらく利き手は右。腰と肩から腕にかけての動きが、まるで豹のそれの様に滑らかだ。左手の動きは若干遅い――意図的にそうしているのかもしれないが、そうだとしたらたいしたものだ。おそらく片手が主体になる接近戦用の武器が得物だが、あまり重いものは好まない様にも見えた。あまり近接距離の格闘戦には通暁していない様にも見えたが、単なる偽装の可能性もある。
「失礼いた . . . 本文を読む
「ひーちゃんてば!」
「黙ってろ!」 こちらのあからさまな敵意と警戒を目にしても、金髪の青年は別段動きを見せない――あえて言うなら、入り口をふさぐなよ、と考えている様に見えなくもない。
「そんなに警戒するなよ、少年――別になにもしやしないさ」
陽響にだけ聞こえる様な小さな声でそう言って、金髪の青年は再び笑みを漏らした。
「悪いが信用出来ない――おまえは魔物だろうが」
日本語に対してドイツ語で返 . . . 本文を読む
†
同じ時刻――
「お腹減ったねー」 かたわらで歩道を歩く橘美音が、相変わらずぽやんとした気楽な口調でそう言ってくる――空腹感が微妙に怒りに昇華するのを感じつつ、空社陽響はその怒りを呼吸と一緒に排出しようと溜め息をついた。
背に腹は代えられない、ああ間違えた、背と腹がくっつきそうだったか。脳の糖分が不足しすぎて、もはやまともな日本語の構築もままならない。外気温三十八度超え、頭上か . . . 本文を読む
3
部屋の扉を開けると、ちょうど私服に着替えたアルカードが左手に三本のリードを持って共用廊下に出てきたところだった。体にハーネスをつけられた白黒茶色の三匹の仔犬が彼の足元にじゃれつきながら玄関から出てくると、アルカードは後ろ手に扉を閉めて部屋の扉を施錠した。
これから犬を散歩に連れ出すのだろう――この吸血鬼が犬を飼い始めたのが具体的にいつごろなのか知らないが、それ以来彼は昼食休憩 . . . 本文を読む
*
「――そろそろ着くぞ」 信号が赤に変わったために近所にあるコンビニのそばの交差点――交差点名を示す標識のローマ字表記を信じるならハザマニシ――の手前で停車し、ハンドルを握るアルカードがそう声をかけてくる。助手席に座っていたフィオレンティーナは、その言葉にはい、と小さくうなずいた。
後部座席にいるはずの姉妹から返事が無いので肩越しに振り返ったところで、アルカードがあっと声をあげる . . . 本文を読む
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十七時を回っても、空はまだ明るい――駅前繁華街というだけあって、近づくにつれて徐々に店が多くなり、人でにぎわってきている。時計が狂っていなければ、今日は土曜日のはずだった――仕事上がりで飲み会へと向かうサラリーマンに混じって、デート中の若い男女が散見されるのはそのためだろう。
マリツィカは数メートル前方を、こちらを先導する様に軽やかに歩いている。
着替えるのかと思ったらあの . . . 本文を読む
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たっぷりとタレの染み込んだ湯気の立つほかほかの白いご飯に、何度となくタレを漬け焼きされた重箱からはみ出すほど大きな鰻の蒲焼きがどんと載っている。食欲を刺激する香ばしい匂いに嗅覚をくすぐられながら、アルカードは単品で頼んでいたうちの最後に残った骨の唐揚げを噛み砕いた。
ではどうぞごゆっくり、と声をかけて、二十代前半の若い女性従業員が可愛らしい笑顔を見せて退室していく。
適当に . . . 本文を読む
「俺たちのぶんだけで結構です」 アルカードが答えると、女性は伝票に何事か書き込んで、
「かしこまりました。これから鰻を捌きますので、少々お時間をいただきますが、よろしいですか」
「ええ」 アルカードがうなずいて、その間の時間潰しのつもりなのか一品料理を注文すると、女性はこれが最後という様に、
「お飲物のご注文があれば、承りますが」
「ソフトドリンクが無いなら、結構です」 その返答を最後に、女性は個 . . . 本文を読む
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訓練場代わりに使っている寂れたスカイラインから出てしばらくすると、アルカードはそれまで走っていた国道と交差する片側二車線の国道に入った。
国道とは名ばかりの周りになにも無い道路からはずれて幹線道路に入ると、それまでの寂寥が嘘の様に賑やかな風景に変わってきた。周りに遊興施設やコンビニ、ガソリンスタンドといった人里の気配が混じる。
その中にそこそこ大きな駐車場を備えた店を見つけ . . . 本文を読む
「ああ。当時は十歳にもならない子供だったはずだがな。グリゴラシュはしばらくすると釈放されて、マーチャーシュの密偵としてワラキア国内で活動する様になった。具体的には親オスマン派のラドゥを追い落として親ハンガリー派の政権を樹立するために、ワラキア領内の叛オスマン派の封建貴族《ボイェリ》に接触を取って彼らの内部蜂起を促す任務を与えられてたんだ」 アルカードはそこまで言ってから言葉を選んでいるのか一瞬沈黙 . . . 本文を読む
国家保安部秘密警察《セクリタテア》――
一九八九年の民主主義革命による政権転覆までの三十五年間ルーマニア社会主義共和国を一党独裁で支配していた共産党政権下において、内務省が傘下に置いていた秘密警察である。ルーマニア社会《・・》主義共和国なのになぜ共産《・・》党なのかという点は、まあ気にしても仕方が無い。あのカビの生えた出来損ないの思想を頭から信じ込んでいる連中の思考に、整合性など求めるだけ時間 . . . 本文を読む
金属で出来ている様な質感なのに、金属の塊の様には到底見えない――まるで前肢の形をした流動する液体で出来ているかの様に、滑らかに動いている。
「これか」 くるんと巻いた尻尾を左右に振りながら、アルカードが座り込んだまま『お手』をする様に左の前肢を掲げた。左の前肢の先半分を構成する銀色の金属――毛並みまでも忠実に再現した、間違い無く一体であるのに滑らかに動く金属塊が、いきなりどろりと溶ける。
一瞬 . . . 本文を読む
「なんなんですか、もう」 アルカードはフィオレンティーナの抗議には返事をせずに、二十メートルほど離れたところ、展望台の公衆トイレの向こう側にある軽自動車くらいの大きさの岩を指差した。
「あの岩のあたりを狙って投げたとき、どの程度の精度で命中させられる?」
「この暗さでってことですか?」
「ああ」
「あの岩の上になにか――たとえばこのペットボトルを置いたとして、右手ならキャップに命中させられると思い . . . 本文を読む