リンとキョータロー “大航海時代Ⅳ ~PORTO ESTADO~”より

男伊達 恋と友情
バーケンティンGet! 海賊からの戦利品にも注目! HD版情報も追記

画像:海をわたった日本人

迷惑メール300件!

2014年02月17日 | 日記
・もうすぐ gooメール無料版が完全廃止されます。
 予告期間が長かったので あまり文句を言う気もありませんが
 一昨年 パスワード変更などめんどくさいことをユーザーにさせたちょうど1年後に
 無料メール廃止の通達ってのは ちょっとなのであります。

 どーせ廃止するなら 手間暇かけさせるなよ~~~~~~~!と。

・まあ gooさんとしたら パスワード変更手続き等々を通じて、gooメールの利用実態の調査を(自社にとって都合よく)実施できた、その結果をもとにした決断なんだろうけど。(ぶつぶつ)

・それにしても けっこうgooのシステムを信頼して利用していた我が友など
 泣きの涙で 別のちゃんとしたブロバイダーへのメール移行手続きをすすめています。

 というのも 無料メールとしては、gooさんを信頼していても
 有料メールとしては gooのシステムそのものへの不信から お金をはらうほどじゃない
 って意見が 私の周りでは 圧倒的多数を占めているからなのです。
  (なにしろ システムの稼働状況が不安定だから><)

・さて このブログのメルアドに関して言えば
 なにが原因なんでしょう 異常に迷惑メールが多い。

 ブログのアドレスとメルアドのアドレスが共通していることが原因だとは思いますが
 にしても 半年ほど放置している間に迷惑メールが300通ほどたまっているなんて><

・これらを まじめに削除し始めましたが 途中で馬鹿らしくなって放置
 だって どうせ あと1か月もしないうちに消えるメルアドだから(爆)

・まあ 普通の受信フォルダに迷惑メールが最近は入っていないってことは
 最近は、gooの迷惑メールふるいわけがちゃんと機能しだしたってことなんでしょう。
 (昨年の今頃は その都度迷惑メール設定をしていても 新規アドレス発信元からの
  同じようなタイトル・文面の迷惑メールが まだ受信フォルダに次々と舞い込んでましたが・・
  だから gooメールに対する評価も低かったんですがw)

・とにかくまあ こういうこともあるんだよという事例報告をかねての投稿です。

 にしても 迷惑メール発信元に眼をつけられたきっかけってなんだろう。
 このアドレスでメール発信したことも どこかに登録したことも皆無なんで
 きっかけは ブログアドレスだとしか思えないんだけど・・・・

  (そんな やばい内容の投稿したっけ?私・・・・
    世の中妄想スケベ=隠れ変質者 昔風に言えば犯罪予備軍 今風に言えば「確信犯的グレー実は黒のボーダーライン狙い」が多いからなぁ・・・)




バウンティ号の最後

2012年10月31日 | 日記


・「バウンティ号の最後」といっても かの有名な映画の話ではありません。
  しかし マーロン・ブランド主演「戦艦バウンティ」(1962)のために
  1960年に建造された帆船であることはたしかです。
  しかもこの船 ジョニー・デップ主演「パイレーツ オブ カリビアン」の撮影にも使用されていたというからびっくり!。
  そしてまた 帆船体験をしたい方のためのツアーにも使われていたそうな。

・この復刻版「バウンティ号」が、現在アメリカ東海岸を吹き荒れ、2日続きでニューヨーク証券取引所を休ませてしまった
 ハリケーン「サンディ」により沈没したのだそうです。

・動力を失い 水の汲み出しが追い付かず、16名の乗組員は耐寒耐水服+救命胴着をつけて 救命ボート2隻に分乗して脱出
 15名救出(うち女性1名は意識不明) 男性1名は行方不明

・「耐寒耐水服」着用というところが 現代的ではありますが
 天気予報もばっちりな現代においてすら ハリケーンで沈没というところが・・・
 やっぱり帆船リスクなんでしょうか?それとも 人的ミス(判断のあやまり)?

・いずれにせよ 帆船ファンには 気になるニュースでありました。

(参考:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121030-00000010-jij_afp-int
     10月30日 15時配信)

はじめに

2012年07月25日 | 日記
・このブログは コーエー 「大航海時代Ⅳ ~PORTO ESTADO~ withパワーアップキット」(パソコン用廉価版)で遊んだ記録をもとに 私が想像力をふくらませて書き綴っております。

・ホドラム・ティアル・ラファエルとともに旅をしてくださった皆様
 おひさしぶりです。

・いよいよ 新しい旅の始まりです。

・今回の旅の主人公は キョータローこと佐伯杏太郎、25歳 身長178cm、
 かに座らしい やさしくおおらかな男前です!

・今回は 斬り込みを頑張ってみました。
 その結果、東アジアで意外なお宝をゲットしました。
 以前 だれかがインド洋で海賊から お宝をゲットしたのですが(詳細を忘れたので再現不能)
 東アジアの海賊退治でお宝入手は 初めての体験です!

・ゲームの途中で 斬り込みがどれくらい儲かるのか確かめたくなったので、
 海戦前後の現金残高を記録するよう努めました。

・戦列艦のかわりに バーケンティンをもらいました。
 (これも今回 初体験!)

・画像は 物語の展開に沿って 随時選んでいきたいと思います。
 なお 紹介したサイトへは アドレスをコピーしておすすみください。
 (私の場合、リンクを貼るだけで1時間以上かかるのでギブアップです。
  すみません。

(補足 このブログは2009年10月31日から2010年1月12日の間投稿した記事を
 2012年7月に 1章から順に読みやすくするために投稿順序をひっくり返して再構成したものです。
 そのさい、末尾に 攻略メモのようなもの^^;を3ページ分追加しました。)


         画像 :今回の旅の主役 キョータロー!

プロローグ

2012年07月25日 | 日記
・私の名は、リンシエ(謝令)。26歳。
 マカオの学者の家系の出身だ。
 末っ子の私は、運試しをすべくマラッカに行き、ベレイラ商会の通訳兼会計係となった。

 商才を認められ、今回初めて商船団の提督を任されたのだが、
 マニラを目指す途上季節はずれの嵐にあい、積荷を失った。
 幸い、水夫達は皆無事。積荷は失ったが、水と食料は守り抜くことができた。
 風が凪いだ後、波間に漂う一艘の小船を見つけた。

・俺は佐伯杏太郎。杏太郎と書いてキョータローと読む。
 九州男児 25歳だ。
 オランダ船や明国・朝鮮・琉球から来る商人たちを見て育った。
 村のくらしは、異国の商船と取引できる品々の生産や取次ぎのために 日々変わっていく。

 あぶく銭をつかんで、その日暮らしを続ける者。
 儲けばなしにだまされて一家離散する者。
 宣教師に乗せられ、家族を捨ててしまう者。
 働き手が、運試しに家を離れ、女子供だけでほそぼそと生計を維持する家。

 そんな浮き沈みの激しい毎日でも、なんとか堅実に暮らそうと勤める者がむくわれる村となるよう、
 父はあれこれと心を砕いていた。

 ある夜、剣戟の音で目覚めた。夜襲だ。
 激しい雨脚にまぎれ、完全な不意打ちであった。
 目覚めた時すでに遅く、多勢に無勢、
 父の命に従い、家宝の着物を羽織って小船で脱出するのが精一杯であった。
 おりしも、雨風は強く、進路を南に保つのがやっとのこと、
 いつしか俺は疲労のあまり気を失っていた。

       画像 :リンシエ

    リンはやっぱり本を手にしているのが似合うと思う。
    
    (画像の出典は もちろん コーエーさんです。
     ROTA NOVAで遊んでいる皆さん、PORTO ESTADOもよろしく

第1章 出会い

2012年07月25日 | 日記
 目が覚めると、居心地の良い寝台の上に横たえられていた。
部屋の外から、水夫達の声が聞こえる。
なにやら、この船の船長がいかにお人よしか言い合っているらしい。

 曰く、「あこぎな海賊ならば、船だけ拾って、男など海に放り込む」だの
「拾い上げて、自分の寝台を譲り、徹夜で看病した」だの
「積荷より水夫の命のほうが大切だと、叫んで、食料を捨てさせなかった」だの・・・
 どうやら、俺は温情ある船長の指揮する難破船に拾われたらしい。


 部屋を出ると、男達が半ば安堵した顔 半ば好奇心に満ちた顔で、言葉がわかるかと声をかけてきた。
ポルトガル語も中国語も通じるとわかると、これからどうすると尋ねてきた。

 この船には、水・食料だけでなく補修用の資材もそろっていた。
だから 船大工を叱咤して指揮を取らせた。

 「こんなところで死んでたまるか!さっさと船を直して街に行くぞ!」
 「金は天下の回り物。覆水盆に返らず!なくした積荷を嘆くよりも、生きて稼げる幸運を喜べ!」と言ってやった。

 子供の頃、宣教師を相手に 日本のことわざを通訳した経験がこんなところで活きるとは (はっはっは!)
 
   
    画像 :斜肩弧足空首布 (周の時代の布銭 洛陽周辺からの出土)
         http://park1.aeonnet.ne.jp/~iida/kazuo/coin/index.htmlより
       ↑参考文献も明記した 中国の古銭に関する詳しいサイトです。
     
    ・佐伯家の家宝の布銭
     秦の時代よりも前、周の時代に流通していたお金のことでした。
     (布製ではありません!金属製です

    ・上記のサイトを見て 初めて お金が丸くなったのは秦の時代からなんだなぁと知りました。

第2章 船出

2012年07月25日 | 日記
・半ばやけくそで水夫達に船を直させているところへ、リンが戻ってきた。
 彼は、俺の勝手をとがめるどころか、俺に船と運用資金3万をくれるという。
 その男気あふれる申し出をありがたく受けた。

1月4日 マニラ 契約金125 商業投資100x99 独占契約       現金残高18426
 ・リンには、俺の一族が、覇者の証の秘密を受け継ぐ一族であることを話し、家宝の「金銅の布銭」を見せた。
  
 ・港で、マヌエル・アルメイダという男が声をかけてきた。
  船の手入れがなってないという。
  それなら、乗船して自分で世話をするかと声をかけると、喜んで乗ってきた。

 ・主計長:リン 操舵手:マヌエル 見張り:俺 

  25日 マカオ 契約金1475 (ナツメグ380→1336)         現金残高3180
 ・ジャンク船を1.5万で購入。エスペランサとあわせ、積荷倉庫を5室に改造して1200x2
 ・マニラからの上納金が30

 ・家宝の風呂敷を商船旗として掲げることにした。
  青空に翻る家紋を仰ぎ見るのは気持ちが良い。


    画像 :マヌエル アルメイダ、 39歳 身長174cm かに座
        ポルトガル出身の船大工 (船とのかかわり方は芸術的なのだとか)
        詩作が趣味

    大航海時代 海賊に襲撃され拿捕された船の乗組員は
    強制的に 海賊の仲間にさせられることが多かったようです。
    船大工の技術を持つ者は、特に強く誘われ、
    仲間になって多額の分配金にあずかるか、
    拷問・監視つきで無理やり働かされるかの二者択一を迫られることもあったようです。
   
  (参考 「カリブの大海賊 バーソロミュー・ロバーツ」オーブリー バール作 原書房 2007年)

第3章 東南アジアでのシェア開拓

2012年07月25日 | 日記
2月12日 マニラ (茶484→2350)
 ・¥719で水夫17人を雇った。

  28日 マカオ (ナツメグ383→1350)                現金残高14644
 ・マニラからの上納金146

3月10日 マニラ (茶484→2420) 水夫16人を¥719で
 ・リンの提案に従い、少ない資金で独占契約の結べそうな東南アジアでのシェア拡大を優先することにしよう。

  25日 メナド 契約金225 商業投資225x69 (ナツメグ ?)
 ・リンも時々記録を忘れることがあるらしい。
  だから ところどころに?が記される。

  リンに言わせると 俺が子供のように彼に張り付いて きょろきょろしているのが気になるらしい。
  俺は別に目玉を動かしたりしていないと言ってやったら 
  「気配が騒々しい。気が散る。」と言われた。
  実のところ 俺にとって 見るもの聞くもの珍しくてしかたがないのだ。

4月7日 テルナーへ 契約金750 (魚肉217→989)
  10日 メナド 軍事投資203x30 独占契約
  16日 テルナーへ (米252→807)
  23日 テルナーへ (ヤシ油231→750) 商業投資900x20
  27日 メナド 4日間の上陸休暇
 ・マニラとメナドからの上納金340

5月6日 テルナーヘ (魚肉246→901) 
・20%の商業投資でこしょうが産物になるとは、上々。
ただし、入荷できるのは5荷のみ。
細々とした商いを続けていても仕方が無い。
航海士募集も兼ねて、東アジアへ行こう。
  12日 メナド (こしょう360→1365)


     画像 :マニラのサンチャゴ要塞
   ・16世紀、スペインがマニラを統治するために作った城塞都市
    イントラムロス内にある。

   ・詳しくは、http://www.geocities.jp/indah6148/manila/manila_10.htmlへ
    どうぞ。(画像もこちらから お借りしました。)
    豊富な写真と わかりやすい説明の旅行記です。

第4章 東アジアでの通商

2012年07月25日 | 日記
6月7日 マニラ  (魚肉248→1190)             現金残高17360
  21日 マカオ (ナツメグ467→1350)           現金残高30292
  29日 泉州  契約金?

7月7日 那覇 契約金783 商業投資736x20 (茶 マカオ産484・泉州産550→2425 生糸396→2128
ダイオウ430→1550)  現金残高16002
  
  17日 杭州 契約金1855  (砂糖606→3050 米370→910)
・入港するや、水夫達が誕生日を祝ってくれた。
 広場では、ルビーが流行をはじめた。

・李家の当主華梅(ホアメイ)さんのうわさを聞き、ギルドでたずねると、イギリス留学中と教えてくれた。

・酒場で、ユリアンという若者が娘を口説いていた。
 リンによると ああいうのを手だれというらしい。

・ギルドで 漆器二荷の購入を10108で請け負った。
 今は 少しでも多く現金収入が欲しい!

・ジャンク船を買い増す。

  30日 那覇 商業投資736x20 (陶磁器935→2556 絹織物757→2700 翡翠2780→4911)

    
   画像 :紀伊国屋文左衛門 http://www.mikan.gr.jp/report/meiji/page6-4.htmlより

  「紀伊国屋のそろばん」でおなじみの 文左衛門
   彼の出身地 湯浅では 略して紀文と呼ぶそうです。

   ちなみに この画像のあるサイトのトップページはこちらhttp://www.mikan.gr.jp/cover.html
   構成がめちゃめちゃ悪いサイトです。
   一応 学術論文らしき体裁はとっていますが 図版の出典が明記されないなど??が多い。
   和歌山大学の名を出すには あまりにもお粗末。
   趣味のサイトなら、見にくいなーで終わりなんですが・・・

第5章 お侍(さむらい)

2012年07月25日 | 日記
8月12日 大阪 契約金1193 軍事投資1050x20 (砂糖612→3434)
 リンの先祖は日本人なのだそうだ。
 学問のために大陸に渡り 最終的にマカオに落ち着いたそうだ。

 そこで、リンの先祖をしのんで、飲み明かした。
 日ごろは憂いを含んだまなざしのリンも、今宵ばかりは目元を和ませ くつろいでいた。

 いつの日か、聡明だが どこかはかなげなこの男が 心底幸せそうに笑うところを見てみたい。
 それが、この男に命を助けられたばかりではなく、新しい人生を与えてもらった俺の恩返しだと思っている。

・「王の墓の地図」を200で買った。

・酒場で、斬り込みの強化を図りたいと話していたら、
 行尚(ユキヒサ)という剣豪が蝦夷(エゾ)にいると教えられた。

9月2日 エゾ
・くまを一刀の下に切り捨てた男が、白木あらため白樹玄奘行尚殿であった。
 かの義経公が幼少時を過ごした会津出身の武士である。
 私もリンも 彼の侍言葉にかなり影響されてしまったようである。

・ユキヒサは意外にも操船術に長けていた。ありがたいことだ。
 そこで、彼が舵をとり、マヌエルが測量。
 これで、航行が楽になる。

  27日 長崎 契約金1162 (清酒556→1368)     現金残高25069
・ユキヒサが なまはげの夢を見た。
 日本を離れるとあっては、幼い頃のことを夢にも見よう。
 
 ちなみに 彼は19歳、俺たちよりかなり若いのに 
 話していて年の差を感じないのは、あの武家の言葉のせいか?

    画像 :「遥かなる夢」
  JR湯浅駅近くにあるという文左衛門の若い頃を模した像
  http://shinss.exblog.jp/3106830/ より
   
   ↑この方は「我が街 湯浅」と題して 文左衛門の故郷 湯浅の街の写真ブログを公開しておられます。
   トップページはこちらhttp://shinss.exblog.jp/tags/%E6%88%91%E3%81%8C%E8%A1%97%E3%80%80%E6%B9%AF%E6%B5%85/ 

第6章 なしの花

2012年07月25日 | 日記
10月3日 杭州 商業投資1840x15 (漆器710→1584 銀1887→3366 鼈甲1091→2791 綿織物544→1650)
・ギルドの報酬が9968に減っていた。何故だ?

  11日 那覇 (陶磁器925→2187 絹織物750→2700)
  17日 長崎 軍事投資907x43 シェア44% (砂糖624→3094)
  27日 京城 契約金1360 軍事投資1350x16 (銀1887→3333 鼈甲1081→2878)

・「北京の地図」¥1000購入

・「武王寧陵」で ユリアンに「新羅の金冠」を譲る。

・広場で「しぶーいお兄さん」と呼ばれた。
 ユリアンには「怖そうな人」と言われるし、俺的にはショックだ!
 そう言ってぼやくと リンにしこたま笑われた。
 「お前には風格があるのだ、嘆くことではない」とはユキヒサの言(げん)。
 「だいたい、お前達二人が伊達(ダテ)すぎるから 俺がわりをくうのだ」と言ってみたが、
 「いやいや、拙者は師匠から譲られた羽織をまとうのも修行のうち」だの
 「親譲りの着付けの作法に従っているという点では、お前と同じ」と言われてしまった。
 う~む、質実剛健を家風とする佐伯家の伝統が今日ばかりは・・・

・薛梨花(イファ・ソル)という娘が仲間に加わった。
 梨の花のように清楚でかわいい子だ。
 14歳と言う年のわりには 幼く見える。
 
      画像 :しょうゆ作りと海運で栄えた湯浅
           http://www.town.yuasa.wakayama.jp/top3.html より

第7章 年越し

2012年07月25日 | 日記
11月8日 沂州 契約金636 商業投資673x40 (朝鮮人参2916→3906 生糸530→1701 ハシバミ356→808
陶磁器808→2157 絹織物757→2277)
  17日 京城 (大豆 353→808)
  22日 長崎 (ハシバミ360→808 生糸525→2128 陶磁器800→280)
  28日 杭州 (鼈甲1081→2848)

12月3日 沂州 軍事投資604x27 シェア69% (陶磁器935→2365 絹織物742→2254 麝香1100→2200
翡翠2807→4696)
・前回の投資により、鉄鉱石・生糸・塩が新たな交易品となっていた。

  10日 杭州 軍事投資1906x14 (生糸332→2079)

・酒場で、美香に「君の笑顔のためなら命をなげうっても」と訴えていたユリアンが、我々の仲間となった。
 ユリアンの口説きを真に受け、「信じられん執念だ」と言っていたリンが、
ユリアンの変わり身の早さにあっけに取られていた。

 どうやら、リンは、酒場で女を口説く男達のことをあまり知らないらしい。
 それにしても 17歳にして あの口説き。
本当の恋をしたことがあるのだろうか?

 「そういうおまえはどうなのだ?」
 「人並みだ。お前はリン?」
 「私はかなり早く家を出て、野郎ばかりの商船暮らしだ。機会は無い。」

  18日 長崎 流行中の絹織物(750→5911)を売って、シェア2%アップで46%に。

・ジャンク船2艘に トップセイル2枚とステイセイル1枚をそれぞれ取り付けた(3000x2)
 エスペランサはすでにトップセイルが着いていたので、ステイセイル(1000)だけ取り付けた。
 カノン砲もついていて、エスペランサは意外と良い船であった。

・波乱万丈の1年が過ぎ、初めての正月を 長崎で過ごした。

     画像 :文左衛門が財をなすきっかけとなった みかん船
      http://www.maruto-group.co.jp/oedo/vol02.htmlより

   ↑江戸浅草にあった 文左衛門の屋敷跡地に作られた清澄庭園の写真なども
    紹介されています。

第8章 テルナーテの足固め

2012年07月25日 | 日記
1月2日 杭州 商業投資2079x20 シェア50%に 綿織物654→1650
・酒場でマヌエルが、項羽の垓下の歌を吟じた。
 幼い頃に聞いた「覇王の兜」を思い出した。

・ギルドで東南アジアにいるホントゥクという男を連れてくる依頼を請け負った。

  11日 長崎 流行の絹織物750→4015で、シェアが3%アップ! 麝香1089→2623
  16日 杭州 鼈甲1081→2848 銀1831→3400
  23日 那覇 商業投資755x26でシェア67% (陶磁器944→2987)
  31日 泉州 軍事投資1256x20 商業投資1511x60 シェア81%に (砂糖678→2958)

2月9日 マカオ 商業投資1456x25 シェア26% (生糸400→2100)
・ここもルビーが流行している。
 中国は大陸側が全都市ルビーの流行だ。

  21日 マニラ (茶484→2561)

3月6日 メナド 生糸流行! (ナツメグ425→1344)
 ・ホントゥク発見!
  8日 テルナーテ 商業投資1086x39 シェア60%に (魚肉257→999)
  13日 メナド (こしょう356→1365)
  16日 テルナーテ 商業投資1086x20 (魚肉261→913 米285→773)
  20日 メナド (こしょう360→1274)
  23日 テルナーテ 商業投資1086x20 独占契約! (米292→697 ヤシ油255→750)
  28日 メナド 

 「ふー、やっと、メナド⇔テルナーテ 行ったり来たりから解放される。」 (キョータロー)
 「しかし、測量士が入っただけで、所要日数が半分になったではないか」  (リン)
 「それでも 面倒なことに変わりは無い。
  リン、お前は 細々と記録をつけていて面倒だとは思わないのか?
  俺も子供の頃から散々帳簿つけをやらされたが、今ではお前がいて本当にありがたいと思っている。
  日々商いで稼ぐことのできるありがたさはわかっているが、めんどいと思う気持ちがなくなることはないな」
 「まぁ、人には向き不向きと言うものがある。
  俺には、残高¥35になるまで投資して、平然と次の寄港地目指して出港する面の皮は無い!」
 「ははっ、お前がいるから 俺も平然としたふりをしておれるのだ。
  そういうことにしておいてくれ。」


    画像 :覇王別姫 http://www.nikkei-events.jp/concert/con090604.htmlより

・項羽の「垓下歌」については、http://www.rinku.zaq.ne.jp/bkcwx505/Kanshipage/KanshiNo5/kanshi66.htmlが
おすすめです。
 漢詩・ピンインによる発音・書き下し文に NHKの漢詩紀行からの画像もついていてきれいです。

・私は この詩の 「虞(グ)や虞や、なんじをいかにせん」のフレーズが大好きでした。

・四面楚歌の語源ともなった 項羽と虞美人との別れのシーンは、京劇でも「覇王別姫」として演じられ有名です。
 中国建国60周年記念として 日本でも公演されていたらしく(知らなかった!知っていたら見に行ったのに!)
 画像はその宣伝サイトから頂きました。
 このサイトには、京劇「覇王別姫」のあらすじなども載っています。

・http://www.geocities.jp/cato1963/KGZbwbj.html
 有名な別れのシーンについては、上記のサイトがわかりやすく“実況中継”してくださっていました。
 とても読みやすい文章です。

・私が「覇王別姫」ということばから思い浮かぶのは、レスリー・チャン主演の
 「さらば、わが愛 覇王別姫」です。
 文革をはさんだ人生記としては、謝 晋(しゃしん、シエ・チン)監督による、「芙蓉鎮」(フヨウチン)1986年 とならぶ名作ではないでしょうか? 

第9章 流行に乗れ! (リンの覚書)

2012年07月25日 | 日記
4月7日 マニラ (こしょう363→1512 ヤシ油257→749)    現金残高10207
・トマト流行!

 「トマトってなんだ?」              (キョータロー)
 「新大陸からはいってきた、果物のような野菜です。
 オランダ娘がジェノバ近辺で流行させたそうですよ」(マヌエル)
 「素敵! 女船長さん!会いたいわー」        (イファ)
 「拙者も 新大陸とやらに行ってみたいでござる」  (ユキヒサ)

  15日 泉州 軍事投資1465でシェア82% (なつめぐ410→1350) 現金残高18725
  21日 杭州 (茶653→2257)   現金残高72090
・人探しの報酬は、当初の約束どおり(¥31800)支払われた。

  28日 長崎 絹織物流行!616→45641  シェア52%

5月4日 杭州 軍事投資2058x30 シェア80%に(綿織物588→1683 銀1850→3400)現金残高90454

・珍しく、キョータローが詩を吟じ、故郷の話をした。
 東アジア1の勢力になり、気持ちがほぐれたのだろうか?
 交易で長崎に行っても、近くにあるであろうふるさとのことに全く触れようとしなかっただけに・・・

  13日 那覇 流行の絹織物841→6363 シェア2%アップで70%に
  18日 泉州 砂糖702→2501
  24日 杭州 生糸494→2570
  31日 長崎 絹織物833→7474! 陶磁器1081→3281 シェア54%


   画像 :1985年に再建された黄鶴楼 (ウィキペディアより)
 
・今回 覇者の証の手がかり発見に重要な役割をはたす李白の詩「黄鶴楼送孟浩然広陵」については、
 http://www.k2.dion.ne.jp/~osafune/kansi/kouryouniyuku/kouryouniyuku%20.htm へどうぞ。
 風景写真・解説・書までついていたれりつくせりのサイトです。

・黄鶴楼については http://www.urban.ne.jp/home/safuro/tabi7.htmで
 面白いエピソードが紹介されています。
 御年90歳の方の旅日記に脱帽!  

第10章 雨降って地固まる (リンの覚書き)

2012年07月25日 | 日記
6月6日 大阪 軍事投資1230x29 シェア50% (鼈甲1091→2676 銀1850→2821)
・これで、マカオをのぞく東アジア全体のシェアが埋まった。
 あとは、流行にのって如何にシェアを奪い合うかだ。

・資金繰りが良くなったので、「陣太鼓」と「紀伊国屋のそろばん」を買った。
 以前から、キョータローと二人、それぞれに欲しいと思っていた品だ。

・キョータローが突然、酒場で仇の情報収集をしたいと言い出した。
 知り合って1年半、初めてあだ討ちの話が出た。
 交易商人として生きようとしているのかと思ったが、やはり武士。
 仇のことは忘れていなかったようだ。
 交易圏(財源)を確保してから仇の情報収集に乗り出すという深慮遠謀 捲土重来を期すやり方が気に入った!

 ユリアン 「リン、『捲土重来』ってなに?」       
 ユキヒサ 「おぬし、中国人のくせに漢字も読めんのか!」 
 ユリアン 「だって、家では、ポルトガル語使ってるもん!」
 リン   「まいったな、それにしても、てっきっりおぬしのおじい様は、
       良い女性を見れば口説くのが礼儀と心得るイタリアかフランス出身と思ったが、ポルトガル系だったとは・・」

 ユリアン 「なに、それ。もしかして、そういうことまで、リンは本で勉強したのか?」
 リン   「マデイラあたりで、その昔 『女の口説き方、必勝法!』なるものを購入したとかいう水夫を
       祖父に持つと言う者から譲り受けた本に書いてあったのだ」
 ユリアン 「あっ、その本の話、じっちゃんから聞いた!」

 ユキヒサ 「ケンドチョウライ、一度負けた者がふたたび勢いを盛り返して攻めてくることだ。
       ケンドとは、地面を剥(は)いで、むしろを巻くように、いやおぬしには絨毯を巻くようにと言ったほうが
       わかりよいかもしれんが、かたっぱしから領土を占領してくることを言う。
       杜牧の『題 鳥江亭 詩』にもあるぞ。」

 リン    「ユリアン、仮にも親子3代にわたって住んでいる地の文化や歴史にも興味を示したらどうだ。
        ただ住んでいるだけ。心は先祖の生まれた地にあるという考え方では、
        今住んでいる土地の者に対して、己をはぐくみ育ててくれた土地に対して、失礼だとは思わぬか?」

 ユリアン 「はい、はい、はい。日本人ってそういうところ、柔軟なんだよね。
       自分は変わらずなんでも飲み込んじゃって、相手にあわしていく。
       流されやすいんだか、頑固なんだか はたから見てわかりにくいよ。」

 「文化論はその辺で止めておけ。」キョータローが割って入った。
 「俺もリンの考え方に賛成だが、そういった考え方が他国の者に通じぬこともわかっておる。
  考えの通じぬもの同士論議をしても疲れるだけだ。」
 「それより うまい酒が飲みたい!」

 ユキヒサ 「失礼つかまつった。ユリアン殿、拙者の杯を受けてくださらぬか?」
 ユリアン 「ありがとう、いただきます」

「おぬしも飲め」 キョータローが、リンに杯を差し出した。
「すまぬな」 だれにともなくつぶやき リンが杯を干す・
「ごめんなさい、いつも、家で 学者だったじっちゃんに似たのは外見だけ、
 頭はさっぱりと言われていたもので、あなたにやつあたりをしてしまいました。」 リンに酒を注ぎながらユリアンはあやまる。
「そうか、悪かったな」杯を受け、リンが軽く頭を下げた。
「拙者も改めてお詫び申す」 ユキヒサが 再びユリアンに酒をつぐ。
「なにはともあれ、水に流して、飲もう飲もう!」キョータローが杯をあおった。


   画像:西楚 覇王祠 
    http://www.oct.zaq.ne.jp/afdlr005/page148.html#覇王祠より
 ・↑鳥江亭にある覇王(項羽)の祠(ほこら)など、項羽と劉邦にちなんだ遺跡の詳しい解説と写真が載っています!
 
 ・杜牧『題 鳥江亭 詩』とは、項羽が凱歌の戦いの後 長江のほとり鳥江(安徽省)にて再起を促されるも、
  討ち死にをえらんだことを 杜朴が惜しんで作った詩。
  詳しくは、http://www.rinku.zaq.ne.jp/bkcwx505/Kanshipage/KanshiNo5/kanshi64.htmlを
 ご覧ください。

 ・捲土重来という四文字熟語の使われ方について 面白いコメントを見つけました。
 http://k-kamaken.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/
 お目当ての記事に行き着くまで かなりページを下っていかなくてはならないのですが、内容が面白い!

 ・尚 捲土重来の語義と読みについては、「角川 新字源」(昭和53年120版)を参考にしています。

第11章 仇討ちの準備

2012年07月25日 | 日記
6月16日 那覇 (漆器712→1232)     現金残高108604
・大型ジャンク船(74000)を2隻購入し、それぞれ¥7400かけて改造した。
 これで、5隻25荷の交易ができる。

7月7日 杭州 (砂糖750→2379)  現金残高163614
・ギルドで、鼈甲2荷の買い付け報酬¥14412を受け取る。
・海賊イスカル・ヤサール退治を¥94000で請け負う。
 高額報酬に加え、海戦の腕慣らしにもちょうど良い。

  14日 長崎 絹織物841→6376! シェア59%に
  20日 杭州 (鼈甲1091→2622 銀1850→3434)  現金残高333907
  25日 沂州 (陶磁器1091→2610)
 ・「覇王の兜」発見!陣太鼓とあわせ、ユキヒサに贈る。

8月10日 杭州 (生糸304→2213 塩742→869)
・酒場で船員を募集した。イスカルに関する情報はなかった。

  24日 長崎 絹織物882→4770! シェア64%に  現金残高505971
  30日 京城 (鼈甲1123→2850 綿織物511→1650 銀1850→3300)
・港まで、水軍節度使 文瑜提督が来て、自宅に招かれた。
 そこで、一族を襲ったのが、クルシマ家であることと、ソークロー叔父の裏切りを知った。
 あの 温厚な叔父貴が!

・「漢方医の聖典」(1,2万)を買った。リンの値切りの腕は、いまや25%引きに達している。

9月2日 長崎 (朝鮮人参3051→4141 絹織物750→3367 生糸405→2171 陶磁器892→2802 はしばみ367→800)
 ・戦の気配を察したのだろうか、絹織物の流行は終わっていた。
  それにしても、儲けさせてもらった。

     画像 :資料+想像力で復元された亀甲船
      http://cgjbusan.hp.infoseek.co.jp/shiseki/Gyeongnam/Geobukseon/Geobukseon01.htmlより
     政治的意図によりわかりにくくなっている朝鮮史の花形
     李舜臣率いる亀甲船は慶弔の役緒戦で全滅
     しかし李舜臣と亀甲船へ寄せる熱い想いとロマンはいやますばかり
     
     ちなみに李舜臣の勝利とは、豊臣勢が海上封鎖をしなかったことをさすのであって、
     日本軍の半島への補給路を断ったというわけではないのですが
     こんなことを言うとフクロにされそうな怖い世の中、いやですねー。
     ちなみに 海上封鎖をしなかったのは、陸路で明から物資・兵が下ってくるので、
     海上封鎖をする意味がないからです。
     第2次世界大戦時、アメリカ軍の爆撃により海路(補給路)をたたれた日本勢と
     ごちゃまぜにした慶弔の役の話にはうんざりです。