【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

小説・耶律大石=第二章_17節=

2015-04-26 19:17:36 | 浪漫紀行・漫遊之譜

 何蕎の案内で耶律康阮と康這の兄弟、梁山泊の宋江、呉用、燕の六名が一団と成ってセデキ・ウルフ邸の奥、それは古木と奇岩が池を際立たせている中庭に面した部屋に入るなり、家主セデキが王宮へ参内して昼前まで帰らぬと門衛が耳打ちしたと何蕎が言いつつ、部屋の左奥にどっかと胡坐をかいた。 それに倣った他の五人は思い思いに、部屋の壁際に置かれている大きな脇息、膝枕を腰の背後や脇下に置いて、直接 絨毯の上に腰を下ろした。 しかし、両脚を組んだり、揃えて流したりで どうも 納まりが悪いようである。 彼等には椅子に座せば、背筋が伸びる事で態勢が整い、思考も整理できるようである。 また、室内や廊下 庭を歩き回ることも意に介す事も無くふるまえるのだが、どうも 絨毯にこしを落としてしまうと、再び 立ち上がるのに決意がいるらしい。  

 ウイグル族の生活には机や椅子の生活は無い。 床に胡坐(あぐら)をかく生活である。 胡(西域の異民族、匈奴・騎馬民族)の坐(座ったまま、何もしないさま)が屋内での基本的な姿勢なのである。 食事は食菜を部屋の中央の床に直接置いて、車座になって食べる。 箸は無く、手で いや 指で摘まむように食べる。 ナイフで肉の塊を自ら切り刻んで口に運ぶ。 無論 食前、食後の手洗いや口すすぎは宗教的慣習の一環として励行せねばならない。 彼等が思い思いに寛いでいる屋の中央には大きな銀皿に果物と小麦で造られたげあろう菓子が盛られていた。 何蕎が勧めるままに、思い思いの果物や菓子を膝上に置いて六人は食していた。  

 昼餉前にセデキ・ウルフは帰って来た。 部屋に入るなり、一同の顔を眺めた。 同行した下僕が大きな脇息を奥の中央に置き、何か耳打ちして出て行く、セデキは脇息の左側にどっかりと胡坐をかいて壁際に座す六名に車座になるよう促した。 何蕎が右脇に座り、左側には宋江、呉用、燕と連なり 何蕎の右手側に耶律康阮 その右には耶律康這が座した。 セデキ・ウルフと燕、康阮の二人の若者が対座する型と成っている。 中央には果菜が銀の大皿に盛られている。 

 沈黙する中 互いに目と目を合わせているが、泰然と胡坐をかく人物が醸し出すのであろうか 室外の晩冬の陽光が満ちているような 和やかさが流れている。

 「丞相さま、こちらのお二人が耶律大石総師の将 耶律康阮殿にその弟耶律康這殿。 昨日 お話致しましたように、康阮殿は楡林を基点に燕雲十六州南域にて宋と金の動向を探っておられる。 康這殿は鄂爾多斯南域にて天祚帝を窺い、長城南部の要路にて南の情報を・・・・」


 「はい、セデキ丞相さま 先般は必要以上の御援助を賜り、お礼の言葉もが在ません。先に お礼を申し上げねばならぬものと・・・・・・」と康阮兄弟が低頭するのを優しく制したセデキ・ウルフが言葉を継ぐ。

 「康阮殿、我が方も西夏の忍びを方々の要路に配している。 それに、近々 これと言った動きは無さそうだ。 先般、燕京の石抹言尊父の紹介で梁山泊の宋江殿が参られ、宋の動向など詳しくご講義下された。 また 先日には宋江殿に呼び寄せられたと そちらのお二人、確か 呉用殿に燕殿が参られ 種々 話を聞かしてもらった・・・・」

 「宋江殿、オルドスは如何でしたかな、漢南の方には草原の旅は趣が異なり 日々 飽きる事が無かっただろうと思われますが・・・・」


 「無頼者は詩情を持ち合わせて居りませんが、漠々と広がる草原、緑萌える時節には今一度 旅したいものですな。 梁山湖に艫結する船は晁蓋に引き渡しましたが故に、呉用の知恵と燕の情報で草原に駿馬を走らせるのも、痛快かと愚考いたすが故に 両名を呼び寄せたのだが・・・・・・」

  「別の話だが、何蕎。 そなたに昨日帰った後 日暮れ前に 蘭州手前の白銀から欽宇阮殿の文が届いた。 文によると、史孫勝の隊商が襲われ、応戦。 襲ったのは吐蕃のあぶれ者十数名。 欽宇阮殿は難なく、彼等を取り押えて首領から聞き出した話しとして、祁連山脈の南麓にある哈垃湖畔に吐蕃兵が集結。 その手先として、彼等は西夏の隊商を襲っていたと言う。 また、吐蕃兵団は祁連山脈を縦断して、北に位置する酒泉の城郭を落とし、阿拉善砂漠を北上 我らが西のアラシャン王府をも馬の脚で踏みにじろうとしているらしいとの事だ」

 「欽宇阮殿が率いる20名の勇者が隊商の護衛に就いていようとは、西蔵の山猿どもには思いもよらぬ凶事であったろう。 今朝ほど、参内されて、英主の崇宗 李乾順王にご報告されてきたわけですか」

 「四五日前から、宋江殿の意向と耶律大石殿の意向に沿う善策を考えて続けてきた上での欽宇阮殿の文、王宮からの帰りにその善策が閃いた。 そして、この部屋に足を入れた瞬時に 呉用殿と康阮殿の・・・・・失礼、そのご立派な髭、 いや ・・失礼。 我等ウイグルの民は髭の長い者は民を導くウラマーとして尊敬するのだが・・・・・ お二人と目を交わした瞬間に確信に変わったのです」


 「ともうされますと・・・・・」合い似た二つの髭面に白い歯が視え、その髭の上の目が視線を交わし、大きな目玉が四つ セデキ・ウルフに釘付けになった。

 

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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